■行程8日目(通算35日目)> ワットプー遺跡、ナーンシーダ遺跡、トモ遺跡巡り

■5:56  日曜日の早朝、子供たちが元気に自転車に乗っていた。



■5:57 早朝のパクセ市内は深閑としている。



■6:04 メコンに架かるラオス日本橋。



■6:15 メコン沿いの道に、托鉢の僧侶の列。昨日までのルアンパバーンの托鉢に比べると、とてもつつましい。



■6:19 メコンに合流するセードン川の河口には、遊覧船が停泊していた。


■7:07

朝食会場の大きなレストランは、団体の観光客が占領している為、脇のコーヒーショップで摂る。


■8:48

昨日予約したトゥクトゥクに乗る。

一見きれいだが、中はボロイ。

助手席に乗ったら、中からドアのロックが開けられなかった。

まずは、ワットプー遺跡(Wat Phou)に行こう。



■9:02 パクセから13号線を南に走る。



■9:17 右側に建設中のビアラオの工場があった。出来た暁には、工場見学で出来立てのビアラオを飲みたいものだ。


■9:17 パテートラオ紙一面より
(2008/1/21)
ビアラオ第二工場、近く生産を開始

チャンパサック県パトゥムポーン郡LAK19にて建設中のビアラオ第二工場は、現在90%が完了し2月にはビール生産が開始される予定となった。本工場はビジターの訪問が可能で、今後観光客や投資家の注目を集めそうだ。

本第二工場は2億リットルの生産容量を持ち、2008年の第一フェーズでは5000万リットルを生産、2009年には1億リットル、2011年には2億リットルの予定。原料となる米は2008年は2000トンを試用する。



■9:28 13号線は完全に舗装されている。これも日本の援助らしい。


■9:37

パクセから、13号線を約30キロ走った地点を右折して、メコン左岸のバーンモウン(Ban Mouang)のフェリーの渡し場に着く。


■9:45

船の上に材木を置いたフェリーに乗船する。

フェリー乗船代、25000キップ。


■9:48

乗客相手の売り子が居る。


■9:59

なんとも懐かしいトヨペットコロナのタクシー。

何故か?ボンネットには、三菱のマークが付いていた。



■10:02 メコンには、こんな小さな渡し舟もある。



■10:07 対岸のバーンパーピン(ban Phaphin)に着く。


■10:09

フェリーから、降車するのも一苦労だ。


■10:14

チャンパサックの街を抜ける。

ここは、かってのチャンパサック王国の中心が在った場所だ。

地名のチャンパサックからも分るように、5世紀ごろにはチャンパ王国が支配していたと言う。

そして、6世紀にクメール(真臘)が支配した。


■10:29

歓迎ワットプー世界遺産のゲートをくぐる。

2001年、ラオスに2つ目の世界遺産として登録された。

ワットプーの世界遺産の名前は長い。

チャンパサック県の文化的景観にあるワットプーと関連古代遺産群(Vat Phou and Associated Ancient Settlements within the Champasak Cultural Landscape)。


■10:32

ワットプー遺跡の入口のチケット売り場。

入場料、30000キップ。




■ワットプー遺跡の配置図
①暁のテラス、②参道、③北宮殿、④南宮殿、⑤ナンディン宮殿、⑥歩廊、⑦十字型テラス、⑧ストゥーパのテラス、⑨本殿、⑩経蔵、⑪聖水、⑫象の岩、⑬鰐の岩、⑭蛇の岩



■10:38 ワットプーのリンガの参道を歩く。ちなみに、ワット(寺)プー(山)。すなわち山寺と言う意味だ。非常に残念な事に、聖山のリンガの山プーカオが靄っていて見えない。



■10:43 北宮殿は別名、男の宮殿と呼ばれている。11世紀の建立と言われている。


■10:45

北宮殿。


■10:45

北宮殿の破風に彫られた、聖牛ナンディンに乗ったシヴァ神と妻のウマのレリーフ。

手前の草が邪魔だ。


■10:48

北宮殿を一周出来ないかと回廊の角まで行くが、草木に覆われ断念する。


■10:52

偽扉の凹凸や側柱(コロネット)や付柱(ビラスター)がきれいに残されている。

対面の南宮殿は、帰りに見学しょう。



■10:56 リンガの歩廊を歩く。


■10:56

左側にナンディン(聖牛)宮殿があるが、修理中で入れず。


■10:56

十字型テラスの階段の破損は激しい。


■11:00

十字型テラスから、今歩いて来た歩廊を眺める。



■11:01 十字型のテラスを抜けると、門衛のドヴァラパーラの像が立っている。脇には花や線香の売店。ここに、ラオスの国花プルメリアの木のアーチがある。


■11:09

長い間の年月で湾曲した砂岩の階段。



■11:14 階段を登りきった広場から眺めた景色。今歩いて来た遺跡群とチャンパサック平原。そして、はるか彼方にメコンが見える。



■11:17 本殿が見えて来た。思ったより小さい。屋根は崩れトタンで修復してある。


■11:18

本殿入口の左側の女神(デヴァター)像。


■11:19

本殿入口の右側の女神(デヴァター)像。



■11:19 本殿入口のまぐさ石のレリーフ。3頭象のアイラーヴァタに乗るインドラ神。両端のカーラの表情がいい。


■11:20

本殿に安置された、後世に持ち込まれた稚拙な仏像。

でも、この上座仏教の仏像があったおかげで人々の信仰を得、曲がりなりにも遺跡が残ったのかも知れない。


■11:22

本殿の裏に続いて、レンガの祠堂がある。

このレンガ造りの祠堂が、ワットプーでー番古いものだ。

迫り出し構造と、まぐさ石の上部の重量軽減の空間はクメールのものだ。



■11:26 外から眺めた、本殿の裏に続いている苔むしたレンガの祠堂。6世紀頃のワットプーのクメール最古の建物か?



■11:27 本殿の北側にある岩には、ヒンドゥー教の3神のヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマーが彫り込まれている。

この3神一体(トリムルティー)の真言をオーム(AUM)といい、Aがヴィシュヌ、Uがシヴァ、Mがブラフマーで、3音融合して三体結合を示し、創造、維持、破壊を一音に含むと言う。あの、オウム真理教のオウムの語源である。


■11:32

象の岩。

この辺りの遺跡群は、6世紀のクメール以前と考える。

先クメールの国家形成と係わる重要な遺跡群だろう。


■11:34

きれいに加工された階段状の岩等、高い技術水準だ。


■11:35

ワニの岩。人身御供に使用されたと言う。

「ふうみん」はこの岩を見て、日本の飛鳥にある「酒船石」を思い出した。

また、ワニ・人身御供と言うと「因幡の白兎」の説話を思った。

皮をむかれた白兎=人身御供と考えると、千数百年の時空を越えて遡る日本とラオスの関係は?

…と、想像するだけでも楽しい。


■11:35

蛇の岩。

そう言えば飛鳥に「亀石」や「鬼の雪隠」等の巨大石像物があった。

やはり、何か関連が有るみたいですネ。


興味のある方は↓




■11:40 先程と違う角度で遺跡群とチャンパサック平原を眺める。素晴らしい景色だ。


■12:45

奥の岩山から聖水が流れている。

少し飲んでみたが、お腹は大丈夫だった。



■12:49 本堂の横の破風を見ていたら、何と乳海攪拌のレリーフを見つけた!感激だ。

右は、カオプラヴィハーンの同じ図柄のレリーフ。



■12:57 まぐさ石のカンサ王を引き裂くクリシュナ神。これは、迫力のあるレリーフだ。



■12:06 本殿方向から北・南宮殿を望む。右の屋根のある建物がナンディン宮殿。


■12:10

南宮殿(女の宮殿)の破風(上)とまぐさ石(下)のレリーフ。

この南宮殿と北宮殿は、同一の建造物ではなく細部が異なっている。

建造時期が少し違うのだろう。



■12:17 南宮殿の回廊の壁の一部が、レンガ造りになっている。どうしてなんだろう?補修したのか、最初からなのか?



■12:21 聖山のプーカオを望むが、やはり靄っていて見えない。


■12:29

食堂で、ビアラオと昼食を摂る。

昼食代、25000キップ。



■12:53 ワットプー遺跡の展示ホールに行く。この展示されているまぐさ石の両端に居る、マカラの口から伸びるベルト状紋様と中央の馬蹄型アーチの飾りは、クメールのまぐさ石のレリーフ中でも最も古いサンボールプレイクック様式だ。

これは、間違いなくクメールの揺籃期の7世紀前半の物だ。やはりワットプーは、間違いなくクメール揺籃の地であると言えるだろう。


■13:07

続いて、ナーンシーダ遺跡(Nang Sida)に向かう。

途中に橋があり、トゥクトゥクは渡れないので、トゥクトゥクを置いて遺跡まで歩く。



■13:20 10分ほど歩いて、ナーンシーダ遺跡に到着。この砂岩の祠堂の左側には、レンガの崩れ建物がある。また、参道やリンガやバライが残されている。


■13:21

祠堂の崩壊はすざましい。

砂岩のブロックが崩れて落ちている。


■13:23

隣には、レンガ造りの崩れ建物

この遺跡の情報は全く無く、詳細は不明。


■13:41

ナーンシーダ遺跡からの帰り道、トゥクトゥクの運転手の「khao」は、葉の付いた木の枝を帽子代わりにして歩いて行った。

この後、タオタオ遺跡(Thao Tao)に行きたかったが、オフロードバイクでなくては行けないと言われ断念する。


■13:50

ワットプー近辺では、稲の収穫の末歳中。


■14:28

バーンパーピンのフェリー乗り場に戻る。

ここに来る途中、フランス人の若いペアのバックパッカーを乗せた。

その時トゥクトゥクの運転手の「khao」は、フェリー代は「ただ」だと抜かした。

フェリー代の25000キップは、もちろん「ふうみん」持ちだ。


■14:40

フェリーから降りてきたトゥクトゥク。

屋根まで荷物を満載し、満員の乗客を乗せたトゥクトゥクは泥道にはまりエンコした。

乗客を全員下ろして、押して何とか動いた。


■15:26

フェリーで対岸に渡り、13号線の交差点でフランス人の若いペアのバックパッカーは降りて行った。


■15:45

トモ遺跡(Thamo)は、メコン左岸の河川敷の林の中にある。

入場料、10000キップ。



■15:50

砂岩の祠堂がポッンと建っている。

9世紀~10世紀のバケン様式で、ヤショーヴァルマン1世の時代に建てられた。

周りの地べたには、遺跡の残骸が放置されている。


15:50

建物の中には、人面を彫り込んだムカリンガがポッンと建っていた。

この、ムカリンガはとても珍しいものだ。



■16:40 国道13号線を走りながら、トゥクトゥクの運転手の「khao」はまた営業した。前と同じ様に、フランス人の若いペアのバックパッカーを乗せた。男性は脛にかなり深い傷を負っていたが、それにもめげず旅をしている。そんな、健気なファランの若者を少し見直した。

この、Ban Lomsak Tay のマーケットで「khao」は夕食の買出しだ。


16:47

Ban Lomsak Tay のマーケットからパクセまで15キロだ。

パクセに向かって走りながら、「khao」は明日の営業を熱心にする。

カンボジア国境近くのメコンのシーパンドーン往復で60ドルと言う。

この車で行くのもどうかな?と思ったが、トゥクトゥクのオーナー業も面白いのでOKする。

そうすると今日、内金として10ドル欲しいと言う。…しっかりしているな。マ~ア、いいだろう。



■17:55 パクセホテルの部屋から眺めた夕暮れ。南ラオスの地方都市で旅情の感慨に耽る。


■18:32

今日の夕食は、ベトナム料理のリエンフアン(Lien Huong Restaurant)に行く。


■18:32

オムレツとフランスパン。

それにビアラオ2本の質素な夕食だが、なかなかおいしい。

夕食代、30000キップ。


■19:52

夕食後、ランカムホテルへインターネットをしに行く。

1時間5000キップ。
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