行程8日目

最終日はアンコールトムの見ていない遺跡とバイヨン。そしてアンコールワットへ




5:36

今朝もホテルの部屋の窓から東側を望む。

今日のセェムリアップの最終日も、天気は大丈夫そうだ。



7:39

お世話になったホテルの前の路地にあるランドリーに洗濯物を取りに行く。

何しろ汗をかくので、朝着た服は昼に帰った時に着替え、そして夕方に帰ってまた着替える。

一日3回は着替えるから、このランドリーは2日に一回はお世話になった。

料金は1キロ2ドル。



8:47

今日は最終日、車は夜の6時に迎えに来てもらう手筈だ。

ホテルの前に居たトゥクトゥクに乗り、アンコールトムに向う。

料金は10ドル+チップ3ドル。



9:02

トゥクトゥクの乗り心地はなかなかいい。風を切りのんびりと走る。

チケットチェックポイントに着く。7日間のチケットも今日が期限だし、我々の滞在も今日が最後だ。



Phnom Bakheng 年代 : 11世紀前半
創建者 : ヤショーヴァルマン1世
宗教 : ヒンドゥー教

9:15

プノンバケンの前を通る。アンコールトムへ行く道端にある遺跡だ。また、サンセットの名所だ。

ただし観光客で凄く混むという話を聞き、天邪鬼な「ふうみん」は一度も来なかった。

かといって、朝からこの階段を登る気にはなれない。



Prcah Pithu 年代 : 12世紀前半
創建者 : 不明
宗教 : 仏教

9:30

プリアピトウに来た。アンコールトムの一番右奥にある。

ここは観光客はほとんど来ない。5つの遺跡があるが関連性は無いようだ。

写真は祠堂V。祠堂Vにはリンガが安置され、壁面やまぐさ石は未完成のままだ。



9:30

ハンサに乗ったプラフマー神の彫像が無雑作に置かれていた。

という事は、ヒンドゥー教の寺院かな?



9:35

奥にある祠堂X。

40メートル四方の基壇に4メートルの二層の基壇があり、4メートルの祠堂が築かれている。




9:47 祠堂Tのまぐさ石には、乳海攪拌のレリーフがあった。この頃になると、人物の表情は凋落的(デカダンス)でクメール美術が衰退に向っている事が分る。



Prasat Sour Prat 年代 : 12世紀後半
創建者 : ジャヤヴァルマン7世
宗教 : 仏教

9:56

12基の祠堂が一列に並ぶ。

カンボジアの正月に塔の間に綱を渡し、踊り子に綱渡りをさせたといわれる。

周達観は論争が起こった時、それぞれの被告を別々の塔に閉じ込めた。罪を犯した者は病気になったと記している。



10:04

12基の祠堂から、少し勝利の門側に2基の祠堂が建てられている。

プラサートトップは「マンガラタ」と呼ばれ、1295年に建てられた。



Khleang 年代 : 11世紀前半
創建者 : ジャヤヴァルマン5世
宗教 : ヒンドゥー教

10:00

その名の通り、長方形の倉庫、宝庫(クリアン)のような南北対称の2基の建物だ。

写真は北クリアンでこちらの方が古い。

周達観は外国からの賓客の宿泊施設と記している。



10:02

奥の部屋には、閻魔大王が水牛に乗ったレリーフがある。



10:06

北クリアンの正面には、ナーガの十字型のテラスと参道が続いている。

この建物は独自の特色ある形式を示している為、クリアン様式と分類されている。



Tep Pranam 年代 : 14〜15世紀
創建者 : 不明
宗教 : 仏教

10:12

16世紀頃まで継続していた、上座部仏教の寺院跡と思われる。



10:14

4メートルの仏陀像が置かれている。

遺跡としてめぼしいものは無いので、この奥のプリアパリライに行く途中に寄ればよい。



Breah Palilay 年代 : 13世紀
創建者 : ジャヤヴァルマン7世
宗教 : 仏教

10:25

プリアパリライは未整備のまま放置され、大きなスポアンの木に囲まれた中に佇む雰囲気のある祠堂だ。

祠堂の頂上は崩れ落ちている。

この様に先端が次第に細くなるのは、アンコール後期の建築の特徴だ。



10:30

東塔門の破風に描かれた寝釈迦像のレリーフ。



Bayon 年代 : 12世紀後半
創建者 : ジャヤヴァルマン2世
宗教 : 仏教

10:44

バイヨンに再び来た。こことアンコールワットは最終日にまた来たいと思っていた。

それにしても、不思議な雰囲気を持った建物だ。



10:46

アプサラスのダンスも今日で見納めだ。



10:47

回廊のレリーフをもう一度、目に焼き付ける。



11:04

素敵なデヴァター像に遭遇。

お臍の下のしわが印象的。「美しきしわ」と呼ぶのかな。



11:07

昨日、バンテアイチュマールの四面仏尊顔塔を見たが、やはりバイヨンのは迫力が違う。



Angkor Wat 年代 : 12世紀前半
創建者 : スーリャヴァルマン2世
宗教 : ヒンドゥー教

11:27

現在、修理中の参道の石畳に巨人の足跡がある。

どうして、こんな物があるのだろう。



11:34

右側の経蔵の窓から、参道を挟んで左側の経蔵を見る。



11:34

右側の経蔵から、アンコールワットの中央祠堂を望む。これもまた良し。



11:37

シンハ像の西塔門のテラスの脇に円柱がある。

この円柱は後世に増築されたものだ。



11:43

十字回廊の外れに下書きの苦行僧のレリーフがある。

それにしても、柱脚部の侵食現象は激しい。雨季になると、この根元の強度は半分になるという。

崩壊の危機が確実に進んでいる。しかし、年間百万人を超す観光客の観光収入に響く為、復旧は遅々として進んでいない。



11:54

他の遺跡を見終わって、改めてアンコールワットに来ると、デヴァター像の競演に感動する。



11:56

第三回廊のマカラの排水口を捜していたら、円柱の跡らしきものを発見。

ここには、何があったのだろう?



12:05

創建当時は、この様な彩色がなされていたのか。



12:19

新郎新婦が写真撮影をしていた。



12:20

僧侶はアンコールワットに良く似合う。



12:21

西塔門から、中央祠堂を眺める。

さよなら!また来よう!
アンコールへ。





14:38

ホテルに帰り一休みして、フットマッサージの「アイランズ」に行く。

今日の子は上手い。昨晩は本当に下手だった。

昨日のバンテアイチュマール往復10時間の悪路の旅の疲れが、少しは取れたようだ。

昼間は1時間で6ドル+チップ1ドル。



15:48

今日の遅い昼食はシェムリアップ最後の食事だ。

マッサージ店の並びにあるクメール料理店のアンコールパームに行く。

この店はエアコンが効いている。もう汗はかきたく無いから丁度いい。



16:02

クメール料理の定食と冷たいビールでゆっくりと過ごす。

後は買い物とパッキングだ。ホテルは6時までのレイトチェックアウトにしてある。

車の迎えも6時だから、丁度いい時間だ。

料金は11ドル。
評価は★3つ。



18:26

シェムリアップ空港のチェックインカウンターは手際が悪い。

「yayo」も待ちくたぶれて、この格好だ。

やっと終ったと思ったら、今度は空港税の支払いにまた並ぶ。そして、X線検査に出国検査。その総てがトロい。

少し苛々する。やはり、後進国だな。



19:43

20:05発のPG910便は何と定刻の10分前には離陸した。

機種は来る時と違い小型のATR 72だ。

ATR 72は70人乗りのターボプロップ双発機だ。



20:50

バンコクのスアンナプーム空港に近づくと、機内から美しい光に対して声が上がる。

何しろ、シェムリアップ空港の周りは真っ暗だったから、なおさらだ。



21:04

着陸し、沖止のタラップを降りたらJALの係員がいた。

該当者をミニバンに乗せ最短距離を走り、JALのトランジットカウンターへ案内してくれた。

あのスアンナプームの端から端までの長い移動距離に辟易していたから、これはうれしい。

チェックイン時、もしかして搭乗時間までラウンジのサービスを期待したが、これはダメだった。



21:38

シーズンオフという事もあって、スアンナプームのレストラン街は空いていた。

レストラン街の一番外れのSport Cafe &Barで、シンハービールとスプライトにトムヤムラーメン、カオパッドを頼む。

「yayo」と顔を合わせ、やはりタイの飯は旨い。

料金470バーツ。



22:38

成田行きのJAL773便は23:25発だ。

シェムリアップ行きの時、航空機内への液体物持込み制限のチェックが厳格で大混雑だった。

覚悟して行ったら空いていてスムーズだった。

今回の旅は、シェムリアップ滞在7泊8日で、一ヶ所にこれだけ滞在したのは、最近には無い旅のパターンだった。

また、是も良し。



25:22

空が、明けて来た。日本時間は5:22だ。

帰国してから、3000枚の写真の整理が待っている。嬉しい様な、怖い様な複雑な心境だ。



…さて、次の旅はどうなるのだろう?



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