旅をおえて

クメールの微笑み




クメールの微笑みの影に


タクシードライバー


「ふうみん」の旅行記のメインテーマはレンタカーによる走行旅行記だ。今回のカンボジアでは、レンタカーは無理なのでタクシーをチャーターした。それなのに、今回の旅行記の中にあえてタクシーのドライバーの事をあまり書かなかった。その事について記して見たい。

最初の日、シェムリアップ空港からタクシーでホテルに向った。当然の如く、ドライバーはホテルに着く少し前から、明日からの車をチャーターしてのセールスを開始した。アンコールワットとアンコールトムのチャーター代金は30ドル。サンライズは+5ドルという。日本語はダメだが英語が達者だ。車はカムリで状態もいいし、運転も慎重だ。それに人柄も良さそうだ。名前はMr.KHEMといい名刺をくれた。

我々もサイト上からプリントアウトした何種類のチャーター代のリスト持っており、相場は分っている。納得できる料金だったので、とりあえず翌日の依頼をした。そして翌日から、Mr.KHEMの車をチャーターしての遺跡巡りが始まった。プリントアウトしたサイトのチャーター代金の5割り増し位の料金だったが、それには納得したし、そのうえ毎日チップも渡した。

何の問題も無くスムーズに毎日の遺跡巡りは経過したので、数日経った頃から翌日の料金を聞かなくなった。あれはコーケーに行った日だった。料金は200ドルと言って来た。この値段は相場の2倍近い。高いね!と言いながら、事前に料金を確認していなかった自分が悪いので言い値で支払った。ここで今思うと、次の日のバンテアイチュマールの料金を確認して置けば良かった。

バンテアイチュマールは道が悪く4WDで無いと無理だ。と知り合った日本人から言われていたので、専門の業者に頼もうと思っていた。そうしたら、Mr.KHEMはカムリで問題なく行けると言う。嬉しくなった「ふうみん」は直ぐにOKした。今更他の業者に頼むのも面倒だ。

そして、バンテアイチュマールに行った。ここの相場は120ドルから160ドルだ。「ふうみん」は倍の300ドルを覚悟した。しかし、Mr.KHEMの言って来た料金は500ドル(62.000円)だった。いかにも高い、当然文句を言ったが後の祭りだ。500ドルあれば格安ツアーでアンコールワットに来る事が出来る。

その時、Mr.KHEMは「遠い!遠いね!」と6日目で初めての日本語を口にした。シェムリアップに来る観光客の中で、数年前までは日本人が一番であった事を思うと、彼がある程度の日本語を理解する事が出来るのではないか?我々の会話もある程度理解し「組みし易し」と考えて、吹っかけて来たのではないか?と心の中に疑惑は広がっていった。

しかし、最初に料金の値段を決めなかった「ふうみん」に責任はある。「yayo」が「次回に控える1ヶ月のタイ大周遊のいい授業料ね!」と言い、1万円をカンパしてくれた。

Mr.KHEMの微笑みに、隠された影を見た。





国道6号線の闇


シェムリアップに来る観光客の中で、「国道6号線の闇」を体験した者は1%もいないであろう。「ふうみん」もバンテアイチュマールの帰りが遅くなって、偶然に遭遇した。

素晴らしいアンコールの遺跡群と自然。観光客相手の整備されたホテル群やレストラン。南国情緒を演出するバーストリートを見、満足して帰る観光客が一般的だ。

今回の旅で一番印象的と云うか考えさせられたのは、夜の「国道6号線の闇」だった。国道に沿って送電線が通っている。当然、国道沿いの民家には電気が来ていると思っていた。ところが、宵闇の中で見える光はヘッドライトと誘蛾灯のみ。国道沿いの家々は闇の中でひっそりとしている。家の中ではランプか、ロウソクなのか。電気の無い中で人々はどの様に暮らしているのか?

走る車の中からでは、家々の中でどう暮らしているのかは分らない。ここは、人里離れた僻地では無い。山の中やスラム街や難民キャンプなら「ふうみん」はこんなに深刻に思ったりはしない。ここは、インドシナ半島の大動脈、メコン回廊の中の第二東西回廊を担う国道6号線沿いなのだ。

シェムリアップ市内から、数十分離れた場所でこの状態だ。改めて、社会基盤のいまだに整備されていないカンボジアの実態を見た。そして、「1ドル!1ドル!」と叫びながら、しつっこく離れない物売りの背景にある貧困を思う。何でもこの国の教師の月給は30ドルにしか過ぎないという。

あの、シェムリアップに続々と建築中のホテルやコンドミニアム。ライトアップされた美しい建物。札びらを切る観光客。それらを見た時、

…彼らの胸に去来する影は、どんなものなのか。


2007年7月
 「ふうみん」





国道6号線の闇U


4ヶ月後に、再びシェムリアップを訪れた。現地のカンボジア人に、「大動脈のタイ国境のポイペトからシェムリアップ間の、国道6号線の悪路について、どうして最優先で整備しないのか?」と問うたところ、カンボジア人はあくまでも噂話だが!…と前置きをして、次の話をしてくれた。

『ポイペトからシェムリアップ間の国道6号線を整備すると、タイから陸路経由で大勢の観光客がシェムリアップに来るようになる。

そうすると、一番打撃を受けるのが、バンコク・シェムリアップ間を独占的に運航しているバンコクエアウェイズだ。なにしろ、この区間はバンコクエアのドル箱路線だ。

そのために、バンコクエアは多額のワイロをカンボジア高官に贈り、ポイペト・シェムリアップ間の国道6号線の整備を、わざと遅らしている。 』
…と言う、噂話だ。

この話を聞いた後、この国ではさもありなんと感じた。そして、国道6号線の闇は「ふうみん」の胸の中で、なお一層深く、暗くなった。


2008年1月、追記
 「ふうみん」





4ヶ月後の2007年10月、シェムリアップを再訪しました。

 をご覧下さい。



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