|
|
|
|
|
ナーガの参道は36メートルと今までの建物間では一番短い。
ナーガの頭は破損している。
|
|
|
|
|
|
第四楼門の入口。 |
|
|
|
|
|
第四楼門を潜ると、左手の地面にヴィシュヌ神のレリーフが無雑作に置かれていた。 |
|
|
|
|
|
大広間と玄関。 |
|
|
|
|
|
大広間の復元図。 |
River Books Guides Preah Vihear より |
|
|
|
|
|
玄関の左右には経蔵が配置されている。 |
|
|
|
|
第四楼門まで戻り東側に行くと、獅子像と背景にはドンレック山脈が見える。
|
|
|
東側の第四楼門の偽扉。
見た瞬間すごく美しいと感じた。 |
|
|
|
|
|
上記の偽扉の上の破風とまぐさ石。 |
|
|
|
|
|
東別館の折り重なる砂岩の門柱は美しい形だ。 |
|
|
|
|
|
東別館に沿って歩いて行くと幅80センチ位の幅になる。
その下は400メートルの断崖だ。落ちれば命の保障は無い。 |
|
|
|
|
|
東別館の断崖よりの石の基壇を通り、中央祠堂の回廊に繋がる入口。
破風の形が丸みを帯びて柔らかい。 |
|
|
|
|
|
上記破風のレリーフ。
象のアイラーヴァタに乗るインドラ神。 |
|
|
|
|
|
中央祠堂の回廊の東南の角の基壇。
その下は400メートルの断崖だ。
幅40センチ程になり、歩くのはあまりにも危ないので引き返し、上記回廊の入口から中央祠堂に入る。 |
|
|
|
|
|
入った所は東回廊だ。
ここの石組みは綺麗に残されている。天井も完璧だ。多分幅が狭い為強度が強いのだろう。 |
|
|
|
|
|
第四楼門と主神殿の模型。
回廊により本殿を取り囲む建築様式は、技術を発展させてアンコールワットの回廊建設につながった言われている。 |
|
|
|
|
|
回廊から中央祠堂のある境内に入る。
この中央祠堂の前の拝殿には、仏像が安置されカンボジアの僧侶が居た。
|
|
|
|
|
|
中央祠堂前の拝殿の破風「踊るシヴァ神」のレリーフ。
かなり磨耗している。 |
|
|
|
|
|
拝殿横の立柱の線が見事だ。 |
|
|
|
|
|
拝殿と東回廊。 |
|
|
|
|
|
拝殿を横から見る。
後に続く中央祠堂は完全に崩壊している。 |
|
|
|
|
|
中央祠堂は完全に崩壊し、瓦礫の山になっている。
前記、カンボジアの100リエル紙幣のカオプラヴィハーン遺跡の鳥瞰図には中央祠堂は立っている。
そうすると崩壊は近年の事なのか? |
|
|
|
|
|
中央祠堂裏のカオプラヴィハーン遺跡の最南端の建物は、不思議な部屋だ。
南(アンコール都城)に向けて窓や扉が一つも無く、完全に閉ざされている。 |
|
|
|
|
|
閉ざされている理由は、景観の壮麗さと世俗的な首都(アンコール)を見せないように、意図的に取り入れた建築様式と言う。 |
|
|
|
|
|
中央祠堂の瓦礫の山の頂上から、東回廊とドンレック山脈を望む。 |
|
|
|
|
|
中央祠堂の瓦礫の山の頂上で遺跡の撮影に夢中の「ふうみん」。
遺跡保護と危険防止のため真似をしない様に… |
|
|
|
|
|
中央祠堂の崩壊した石に登って、拝殿の屋根らの入り口(北)を望む。
拝殿の屋根はセメントで補修してある。多分、ポルポト派の占領の時の補修だろう。 |
|
|
|
|
中央塔の崩壊した石に登って、回廊の上にカンボジアの大平原を望む。この回廊の屋根もセメントで補修した形跡がある。 |
|
|
中央祠堂の有る建物は、外に向って窓や入口は一切無い。 |
|
|
|
地面に放置されたレリーフ。 |
|
|
|
|
|
中央祠堂に繋がる長いホール。 |
|
|
|
|
|
この柱廊玄関にある石柱。 |
|
|
|
|
|
西回廊に出入り口があり、そこから出ると直ぐ裏は頂上でカンボジアの大平原が眺められる。
中央祠堂にお参りする人用にお線香を売っているが、人気が無いので売り子の僧侶も留守にしている。 |
|
|
|
|
|
西宮殿のしっかりした石組み。 |
|
|
|
|
|
第四楼門を北西方向から眺める。
一対の獅子像の右側の破損が痛々しい。 |