パノムルンピニーホテル(Phanomrungpuri Hotel) |
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■6:59
パノムルンピニーホテルの庭を散歩する。 |
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■7:04
レストランが開いていたので、ついでに朝食としよう。 |
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■7:07
ビュッフェスタイルの朝食を満喫した。 |
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イサーンに別れを告げて、サケオ(Sa Kaeo)へ |
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■8:00
ホテルを出て、2073号線を走る。
24号線の交差点を直進し、348号線で、サケオ県のサドックコックトム(Prasat Sadok Kok Thom)へ向かう。 |
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■8:54
この急坂を下ると、イサーンに別れを告げて、サケオ県(Sa Kaeo)に入る。 |
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■9:03
サケオ(Sa Kaeo)まで94キロ地点を走る。 |
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■9:29 カンボジア国境に沿っている3446号線を走る。12年前の2005年6月に、この3446号線を走ろうとしたら検問所で拒否された。今では懐かしい思い出だ。 |
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サドックコックトム(Prasat Sadok Kok Thom) |
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■9:41 サドックコックトム(Prasat Sadok Kok Thom)に10年ぶりに訪れたら、駐車場の場所が変わり整備されていたので少しまごつく。周りには、資料館や土産物屋らしき建物が建築中だ。 |
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■9:45
サドックコックトムは、937年にジャヤヴァルマン4世によって建造されたが、いったん崩壊し1057年に再建された。
サドックコックトムとは、クメール語で「水草で覆われたおおきな水源」を意味する。 |
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■9:45
まずバライを見学した。雨季が終わったばかりなので、水をたたえていた。
バライの大きさは、200メートル×400メートル。
以前来た時は、地雷が怖くてここまで来ることが出来なかった。 |
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■9:45
バライから塔門を望む。
遺跡の発掘調査の真っ最中だ。 |
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■9:45
トレンチ調査をまじかで見学。
地表から1メートルぐらいの所に、木の破片が見える。 |
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■9:47
トレンチ調査を見ながら、遥か千年もの昔の姿を思い浮かべるのは、とても楽しい。 |
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■9:48 参道にはラテライトが敷き詰められ、両脇にはリンガ型の境界石の列柱が並んで、一直線に本殿のある塔門に向っている。
サドックコックトムは、歴史上貴重な碑文を刻んだ2つの石碑があることで有名だ。一つの石碑は、937年の創建時にジャヤヴァルマン4世がこの石碑をサドックコックトムに埋めるように命じた。
もう一つの石碑は、1053年にウダヤーディチャヴァルマン2世が建てた。この石碑にはクメール王朝の歴史が刻まれている大変貴重な資料だ。 |
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■9:49 中央祠堂が復元されていた。新たな白い砂岩が多いのは興ざめだが、創建当時を偲び感動を覚える。 |
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■9:51 東に向いた塔門を望む。サドックコックトムは外周東西126メートル、南北120メートルの規模を誇る。 |
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■9:53
修復なった中央祠堂。
10年前は工事の真っ最中だった。
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2007年9月の訪問時 |
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■9:54
中央祠堂内には破損されたヨニが置かれていた。 |
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■9:56
復元された遺跡内を歩き、未整備だったころを思い浮かべる。
先ほどの駐車場や建設中の建物を見ると、タイ政府がピマーイやパノムルン並みのクメール遺跡としての観光資源にするのだろう。 |
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■10:01 サドックコックトムで残念な事は、まぐさ石等のレリーフが盗掘されて少ないことだ。この遺跡は、1964年頃から盗掘されて荒廃が進んだ。さらに、1975年から1983年まで続いたカンボジア内戦がこれに追い討ちをかけた。 |
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カオノイ(Prasat Khao Noi) |
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■10:14
カオノイ(Prasat Khao Noi)に向かう。
水牛の群れにだ会う。 |
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■10:30
348号線をアランヤプラテート(Aranyaprathet)を目指して走る。 |
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■11:01
アランヤプラテートの駅前ロータリーを右折して、4001号線方面に向かう。
いやな感じの雨雲になって来た。 |
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■11:11
4001号線を走っていたら雨が降ってきた。
いやだ~なあ!雨具なんか用意してないよ! |
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■11:19
カオノイのカオ(Khao)は、タイ語で丘とか山を意味する。
ノイ( Noi)は少しを意味し、小さい山という意味になる。
遺跡に向かう、狭い山道を走る。 |
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■11:26
駐車場に車を停め、「yayo」から借りた帽子とタオルを肩に巻き、速足で階段を登る「ふうみん」。 |
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■11:26 カオノイは7世紀に建てられた、タイでもっとも古い時代のクメール遺跡の一つ。11世紀に手が加えられた3基のレンガの祠堂が建つ。真ん中の祠堂は修理され、左右の祠堂は基部だけ残されている。 |
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■11:27 修理された真ん中の祠堂。祠堂にあるまぐさ石はレプリカだ。 |
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■11:27
右側の祠堂。
手前には、まぐさ石のレプリカが置かれている。
この遺跡から出土した5本の素晴らしいまぐさ石は、プラチンブリー国立博物館に納められている。 |
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■11:28
雨の降る中、ほんの数分の遺跡見学を終えて、急ぎ足で階段を降り車に向かう。
今回の旅のクメール遺跡巡りも、このカオノイで終わりだ。
雨が降ってなければ、ゆっくりと見学できたのに残念だ。 |
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■11:32 カオノイ見学を終えて、3383号線に戻ったらヒマワリが咲いていた。 |
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チャンタブリー(Chanthaburi)へ |
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■11:41
カンボジア国境線に沿って伸びる3383号線を走る。
一昔前までだったら、国境線近くは走れなかったね。と「yayo」に話す。 |
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■11:57
3383号線は突き当り、3395号線のT字路をソイダオ(Soi Dao)方面に左折する。 |
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■12:21 少し雲があがってきた。雨が止むといいな・・・ |
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■12:35
ソイダオ(Soi Dao)で昼食を予定していた。
しかし、グーグルナビ従って走っていたら、ソイダオを迂回する3424号線だった。
・・・しばらく、昼食はお預けだ。 |
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■12:52
幹線の317号線に出た。
チャンタブリーまでは、1時間足らずの距離だ。 |
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■13:29
ガソリンスタンドに併設されている食堂に入る。 |
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■13:21
昼食は屋台の定番のカーオマンガイ。
昼食代、100バーツ。 |
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■14:03
317号線から、3号線に入る。
この信号を右折すると、チャンタブリーの市内に入る。
「ふうみん」はここを直進し、レームシン(Laem Sing)に向かう。 |
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レームシン(Laem Sing) |
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■14:33
3149号線を走り、レームシン(Laem Sing)のニサシリブティックリゾート(Nisasiri boutique Resort)に到着した。
なお、レームシンとはタイ語で「獅子の岬」との意味。
左折して、ホテルに入る。 |
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■14:39
チェックインを済ませ、部屋に案内される。
南国のビーチのムード溢れる建物だ。 |
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■14:39
ニサシリブティックリゾートは、タイ人仕様のリゾートだが室内は快適だ。 |
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■15:46
レームシン観光に出かける。
クッキーカイ刑務所(Khuk Khi Kai)は、1893年にフランス軍によって建てられた、幅4メートル高さ10メートルの四角い建物。
この刑務所跡の入り口に、鶏の像が何であるのかな? |
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■15:46
クッキーカイ刑務所には、フランス軍に抵抗したタイ人が収容された。
名前のクッキーカイとは「鳥の糞の刑務所」という意味。
この建物の上部にワイヤメッシュを置き、そこでニワトリが飼われていた。
そのニワトリの糞が、容赦なく収容者の頭の上から落ちて来た。何とも非人道的な仕打ちだ。
当時のフランスの典型的な植民地主義の現れだね。
入り口の鶏の像は、その事に対するタイ人の皮肉だ。 |
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■15:48
19世紀末にフランス軍が建てた宿舎で、紅く塗られていたので Tuek Daeng(紅いビル)と呼ばれている。 |
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■シャム対フランス失地地図
タイは、1893年に③の土地を失地した。
フランスは、チャンタブリーについても1893年から保障占領した。
タイは1904年2月13日にフランスと交渉し、新たに④の土地を失地したが、チャンタブリーからのフランス軍の撤退が決まった。
しかし、フランス軍は1906年までチャンタブリーから撤退しなかった。 |
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■15:48
港近くの洒落た建物群も、その当時のフランス軍の関係した建物なのかな? |
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■15:54
チンタブリー川の河口のタクシンマハラト橋((Taksin Maharat Bridge)を渡る。 |
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■15:55 タクシンマハラト橋の中央から、タイ湾を望む。 |
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■15:56 タクシンマハラト橋の中央から、チャンタブリー方向を望む。 |
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■16:03
Phairi Phinat Fort は、小高い丘の上にある。
この要塞は、ベトナム海軍の脅威に対抗するためにラマ3世時代の1834年に建造された。 |
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■16:05
大砲のレプリカが置かれていた。 |
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■16:05
要塞の上には、チェディイサラパルブ(Chedi Issaraparb)が建てられている。
この仏塔は、フランス軍がチンタブリーから撤退する条約の署名を祝うため、1904年に建造された。 |
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■16:36 ニサシリブティックリゾートのすぐ近くに市場がある。この魚はまるで新巻鮭のようだ。 |
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■16:36 夕方とあって大勢の人で賑わっている。 |
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■16:37
屋台の上には、新鮮な野菜や果物が並ぶ。 |
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■16:39
寿司の屋台が出ていたのには、ビックリだ! |
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■16:47 レームシンビーチに来た。右側がレームシンフォレストパーク。左の島はコノムサオ(乙女の胸島)という。そう聞くとオッパイの形に見える。 |
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■16:51
ビーチのブランコでくつろぐ「yayo」。
このブランコの後ろが、ニサシリブティックリゾートのレストランで、道路を挟んで宿泊棟になる。 |
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■18:52
レームシンビーチは海鮮料理が美味しいという。
夕食はグーグルで検索して、海岸沿いのレストランにした。
店名はタイ語のため分からず。 |
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■18:56
平日とあって、店内に客は居なかった。 |
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■19:10
チャンビールとエビの炒め物。
エビは、もっと大きいのを頼んだつもりだったが? |
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■19:12
カニカレーを頼んだつもりが、何故か魚のカレーだった。 |
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■19:13
「ふうみん」大好物のクンオプウンセン。
何か、今一当て外れの夕食だった。
夕食代、640バーツ。 |
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