カフェアマゾンで朝食 |
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■6:29
今日は見たいクメール遺跡が沢山ある。
ワンフーホテル(One Fu Hotel)の朝食迄の時間が勿体ない。
ホテルを早朝にチェックアウトして、給油と朝食のため近くのガソリンスタンドに入ったら、ここはLPGのスタンドだった。 |
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■6:39
給油を諦めて、セブンイレブンでパンなどを購入し、隣のカフェアマゾンで朝食を摂ろう。 |
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■6:40
カフェアマゾンで朝食を摂っていたら、お店の女の子から、お茶のサービスを受けた。
嬉しい配慮だ。 |
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Prasat Ban Prasat & Muen Chai |
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■6:55 最初に訪問するクメール遺跡は、Prasat Ban Prasat & Muen Chai の二つの遺跡だ。早朝の朝日に向かって逆光の2077号線を飛ばす。 |
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■7:17 24号線を右折する。幹線の24号線は舗装工事の真っ最中だった。 |
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■7:22
24号線を左折したら、遺跡の標識が出ていた。 |
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■7:25 この場所には2つの遺跡がある。まずは、Prasat Muen Chai から見学しよう。 |
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■7:26
高さ6.5メートルのレンガの祠堂が一基建っている。
祠堂の基礎は正方形をしており、崩れかけたレンガの祠堂を鉄骨で補強してある。
建物の周りをU字形のバライが囲んでいたようだ。 |
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■7:27
この遺跡の年代は分からないが、1メートル以上も堀り下がられている事と、祠堂の形状から11世紀ごろのものと考える。
周辺には砂岩や崩れたレンガの山や基壇もあり、かなりの規模の遺跡と推測する。 |
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■7:28
祠堂の入り口には、ムーンストーンがあった。 |
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■7:30
鉄骨で補強された祠堂の横に、もう1基のラテライトの基壇部が残されていた。
この遺跡は、2基のレンガの祠堂を中心に成り立っていたのだろう。 |
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■7:33 Prasat Muen Chai から約75メートル離れた所に、Prasat Ban Prasat はある。この遺跡は、ジャヴァルマン7世が13世紀に102ヶ所造った「施療院」の一つである。 |
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■7:34
バライも残っている。 |
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■7:35
塔門の右の端に、連子窓が彫られていた。
こんなものを見つけるのが、遺跡巡りの面白さだ。
施療院での連子窓のある遺跡は、カンペーンノイ(Prasat Khamphaeng Noi)しか知らない。 |
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■7:37
未整備の施療院では、経蔵のソーマスートラの有無に一番興味がある。
残念ながら、ソーマスートラの痕跡はなかった。 |
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■7:38
こちらの祠堂も鉄骨で補強されていた。
近くで見ると、崩壊も時間の問題だろう。 |
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■7:42
Prasat Muen Chai and Prasat Ban Prasat のTATの看板。
12世紀末から13世紀初めにかけて造られた施療院と、それ以前に造られた神殿遺跡との混合は、コラートのナンラム遺跡と同じ構図だ。 |
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タークワイ(Prasat Ta Khwai) |
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タークワイ(Prasat Ta Khwai)を知ったのは、「Shinji」さんの掲示板への 2006/8/23 の投稿だった。
そして、「T.I.」さんが実際に訪問した詳しい様子を 2007/01/07 に投稿してくれた。
その投稿を受けて、「ふうみん」もこの遺跡の近くを何度も走ったが、タイ語が全く分からないのでタークワイへの訪問は無理だった。
数年前に、「東南アジアの遺跡を歩く」の著者の高杉さんから、タークワイへ行けますよ!とのメールをもらい、実際に行った話を直接会ってお聞きした。
イサーンに行く機会があれば、ぜひともタークワイを訪問したいと思っていた。 |
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[378] Shinji |
2006/08/23 21:50:31 |
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ブリラムのクメール遺跡というと、在野の考古学者の Asger Mollerup 氏が遺跡のGPSデータを公開しています↓
http://www.sundial.thai-isan-lao.com/buriramkhmersites.html GPSと地図を頼りに遺跡を目指してオリエンテーリングするのも一興がありそうです。
彼とはたまにメールのやり取りをするのですが、なかなか精力的に遺跡調査をしているようです。レアモノとしては、Ta Phraya の北、ダンレック山脈の頂に位置する
Prasat Sra Chaeng や、Ta Muan の東12km、やはりダンレック山脈の頂に位置する Prasat Ta Khwai の話が面白かったです。
前者はサケオ観光地図(サケオ県の主要観光地に設置されている看板)には載っているものの、けっこうな山登りが伴う超マイナースポットです。後者は国境線を跨ぐような位置にあるので、訪れるには然るべき紹介状と国境警備官のエスコートが必要です。 |
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[650] T.I. |
2007/01/07 10:21:05 |
T.Iです。 バンコクでテロが発生した当日、何も知らないまま、家族は無事帰国しました。 私のタイの任期は、1月末までですので、家族が帰国してしまったし、最後の追い込みで、また、遺跡めぐりに出かけてきました。 写真は、Shinjiさんの情報にあったPrasat Ta Khwaiです。 国境を警備している軍の最初の基地(No.2602の看板あり)まで車で、山の麓に飛び石状態にある第2の基地までバイクで、そして遺跡までは徒歩で登りました。 この遺跡自体、タイ領か、ガンボジア領か決着がついてなく、かつ、周辺には、地雷が埋まっており、最初の基地以降は、銃器を持った軍の兵士の同行となります。 (参考までに、基地の隊長、兵士は、英語はしゃべれませんでした。) 発見されて間もない遺跡ですが、欧米人、タイ人は、年間、調査目的の人も含め100人程度訪れているとの事。日本人も、誰か調査等で訪れているはずだと思いますが、同行した兵士は、私が初めてと言ってましたので、もし、本当であれば、少し嬉しく思ってます。 Dangraek山脈自体は、タイ側から溶岩がガンボジア領に流れて固まったような地形(私の勝手な想像です。)をしてますので、タイ側は、なだらかな斜面ですので、大した体力は無くても登れる山のように感じました。 (兵士の足は早く、約1.5km, 30分程度の登山。多少、足場が悪い所あり。雨季は、登れないとの事。) しかし、怖いのは、やはり周辺に地雷が残っている事。また、Jangleの中なので、毒蛇、マラリア蚊等の危険は、想定する必要があるのかもしれません。 (タイ国内の、低くても道無き山を、現地の子供達に案内されて登った事がありますが、この子供達は怖くないのかと感じた事があります。私は、大人になって、ちょっとした草むらに入る事自体が怖い。) 将来的に、第2の基地(今は電気も着て無い。)まで、良い道ができる事はあるかもしれませんが、遺跡自体、岩と木に囲まれた狭いスペースに目いっぱい立っているように見えますので、地形的にでかい道はつけれそうにない、つけて欲しくないと言うような感じです。 ニンジャQさんが、そろばんを教えられているクーイ族(スワイ族)と、この遺跡の名前のTa Khawi(タイ語で水牛)、Ta Sawai(クメール語でマンゴ)と関係あり?? 兵士は、遺跡を見つけたのが、Sawaiさん(ニックネーム)で、今はなまってKhawiと呼んでいるんだと言ってました。本当?? でも、遺跡を造ったのは、クーイ族の方と思います。
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■8:15
タークワイ(Prasat Ta Khwai)に向かう為、24号線から左折して2397号線に入る。
上記「掲示板」から経緯もあり、このタークワイ遺跡訪問は、今回の旅の目的の一つだ。 |
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■8:29
2397号線を走っていると、「TA KHWAI SANCTUARY」との標識が出ていた。
この標識を見て、タークワイ遺跡に間違いなく行けると一安心。
右折して、あと14キロで目的地だ。 |
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■8:45
また標識が出ていた。ここを左折する。 |
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■8:46
まだ舗装されて間もない新しい道を走る。
途中、検問所があった。
この辺りの道路はカンボジア国境近くとあって、防衛上の理由だと思うが地図に明確に記されていない。
グーグルナビも途中で間違った。 |
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■8:57
タークワイ遺跡に12年越しにご対面できる。
左側の空き地に車を停める。
右側の建物は公衆トイレだ。 |
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■9:03
車を置いて坂道を歩いていくと、そこに居た国境警備兵がいろいろと尋ねてくる。
そして、国境警備兵がスマホで一緒に記念撮影してくれと言う。
もちろんOKした。 |
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■9:05
この階段を数分歩くと、タークワイ遺跡だ。 |
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■9:05
途中に塹壕があったので撮影したら、同行した国境警備兵に「NO!」と言われた。 |
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■9:07
タークワイ遺跡の1基の祠堂が、眼前に現れた。
思っていたよりも大きな建物だ。高さは20メートル以上あるだろう。
祠堂に彫刻類は一切なく、一見シェムリアップのタケオ(Ta Keo)に似ている。
タケオは、スールヤヴァルマン5世が11世紀前半に創建した神殿だ。
この祠堂をクメールの建築学的に見ると、砂岩造りで四方に出入り口を設けてある。
その出入り口に前室を設け、構造的に補強した様式は12世紀前半のものであり、タケオとは1世紀の違いがある。
むしろ、ここから西に12キロほど離れた国境地点のタームアントム(Prasat Ta Muan Thom)との近似性を感じる。 |
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■9:07
散乱した、砂岩の構造材。自然に落下したものか?それとも戦闘でか?
2011年4月22日の早朝、タイの声明によると、カンボジア軍は重武器でタークワイ遺跡地区で発砲した。
カンボジアの報道官は、タークワイの祠堂が破壊されたと報じた。
最初の日の戦闘で、カンボジア人3人とタイ人2人の兵士が死亡した。 |
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■9:07
東側の入り口の破風上部は崩れている。 |
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■9:08
祠堂内部の中心には、白い岩が地中から突き出ている。
これは、自然石をリンガに見立てたタームアントムに似ている。
これが、リンガだとしたらタークワイ遺跡はシヴァ神殿だ。 |
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■9:12
「ふうみん」はフラッシュを焚かないので少しボケているが、内部の石組はしっかりとしている。 |
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■9:13
これも、しっかりとした祠堂の入り口の石組。
まぐさ石や付け柱に彫刻はない。 |
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■9:18
「ふうみん」と両国兵士の記念撮影。
向かって右側がタイの国境警備兵、左側がカンボジアの兵士。
ちなみに、Prasat Ta Khwai のカンボジア名は、Prasat Ta krabey と言う。
お互いの兵士はフレンドリーで、国境線上の緊迫感はなかった。 |
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■9:24
祠堂の近くには、彫りかけの尖塔の蓮の花があった。
タークワイ遺跡の建造石材は、近くの岩から切り出したものだ。 |
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■9:25
タークワイ遺跡の入り口の階段横には、新しい大仏が鎮座していた。 |
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■9:40
検問所の兵士に挨拶して通る。 |
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Prasat Thong-Phanom Dong Rak |
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■10:26
タームアン遺跡群に行く途中、クメール遺跡の Prasat Thong Phanom Dong Rak がある事を知り、寄ってみよう。
仏教寺院(Wat Prasat Thong)の門をくぐる。 |
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■10:19
ヨニの上に仏像が鎮座し、その前にクメール遺跡の遺物が置かれている。 |
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■10:20
ラテライトの基壇。 |
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■10:21
散乱する石。
この遺跡の詳細は分からず。 |
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タームアン遺跡群(Ta Muan Complex) |
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■10:30
タームアン遺跡群に行くため、2407号線を走っていると検問所のゲートが閉まっている。
検問所から出てきた国境警備兵にパスポートの提示を求められた。
すると、「yayo」のパスポートは返却してくれたが、「ふうみん」のパスポートは帰りに返却するという。
タームアン遺跡群は4度目の訪問になるが、こんな事は初めてだ。 |
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タームアン(Prasat Ta Muan) |
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■10:35 タームアン遺跡群(Ta Muan Complex)の最初の遺跡は、タームアン(Prasat Ta Muan)になる。この遺跡は、クメール帝国最強の王ジャヤヴァルマン7世が整備した、ピマーイとアンコール都城間の「王道」沿いに設けられた「宿駅」の一つ。 |
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■10:36
まぐさ石と右側の付け柱に、レリーフが残る。
「宿駅」の事をルイ・フィノ(Louis Finot)は、Dharmasala (ダルマシャーラー・慈善施設の意味)と呼んだ。 |
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■10:37
建物の室内からは、「迫り出し構造」が良く分かる。
「宿駅」の棟続きには、いくつかの木造家屋が建っており、軍隊や官吏・商人・村人等が宿泊していた。
碑文による往時の名称は、Akni Guriha(サンスクリット語で灯明のある家)であり、現在カンボジアでは Sala Somnak(宿駅)と呼んでいる。
「宿駅」はHouse of Fire(炎の家)とも呼ばれ、これは旅人が王道上で立ち寄る「灯明のある家」の意味だ。 |
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タームアントッチ(Prasat Ta Muan Toch) |
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■10:41 タームアントッチ(Prasat Ta Muan Toch)は、ジャヴァルマン7世が13世紀に102ヶ所造った「施療院」の一つである。バライ越しに眺める。 |
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■10:42
「施療院」は、主祠堂、経蔵?、塔門、周壁、バライからなる小規模の伽藍である。
伽藍は東面し、主軸上には塔門、祠堂が位置し、塔門から低い周壁がまわりを取り囲んでいる。
祠堂や塔門の前面にはテラスが設けられ、一部に木造建物の存在を示す痕跡も見られた事から、施療のための建物は敷地内の別の木造建築だったと考えられる。 |
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■10:45
祠堂がきれいに復元されている。 |
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タームアントム(Prasat Ta Muan Thom) |
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■10:51
タームアントム(Prasat Ta Muan Thom)に行く途中、道路の舗装が変わった。
ここが、国境線上なのか? |
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■10:53
タームアントム(Prasat Ta Muan Thom)に行って驚いた。
ここの駐車場の右手には、タイの食堂があった。
今は、カンボジア語の派手な標識がある。 |
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■10:53
カンボジア兵のいる検問所?を通る。
昔のカオプラヴィハーン見たいだな。 |
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10:54
タームアントムに続く道にはシートが張られている。
何故なんだろう? |
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■10:56 タームアントム(Prasat Ta Muan Thom) 遺跡は、前2遺跡のタームアン、タームアントッチと異なり、11世紀に建てられた規模の大きなバプーオン様式のシヴァ神殿である。神殿は南向きで、回廊の中に主祠堂と2基の祠堂があり、裏にバライを持つ。
この、タームアントム遺跡に入ると、至る所にカンボジア兵がいる。以前の3回の訪問時にはここはタイ領でこんな事はなかった。 |
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■10:56
自然石のリンガとナンディンの象等が、一列に並ぶ。 |
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■11:05
岩石の床に象が彫ってあるのを発見! |
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■11:14
やはり、この道路の舗装の差が国境線だ。
「ふうみん」は、この遺跡群には過去3回来ているので、軽い気持ちで来た。
こんなにも、タイ・カンボジア国境に緊迫感があるなんて思っても見なかった。
イサーンへの最後の旅で、国境紛争の現場に立ち会えていい経験だった。 |
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■11:17
検問所で国境警備兵から、パスポートを返却されて、ホットする「ふうみん」。 |
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イサーンへの最後の旅で、国境紛争の現場に立ち会えていい経験だった。なんて、能天気に帰ってきて外務省の海外安全情報を見たら、タークワイもタームアンも外務省のタイの危険情報【危険レベル継続】に入っていた。
・・・国境線近くの遺跡訪問は、自己責任でお願いします。 |
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○外務省海外安全ホームページ
情報種別:海外安全情報(危険情報)
本情報は現在有効です。
タイの危険情報【危険レベル継続】(内容の更新)
2017年7月19日
(5)スリン県の一部(パノム・ドン・ラック郡及びガープ・チューン郡のカンボジアとの国境地域)
:「レベル1:十分注意してください。」
タイとカンボジアの国境地域においては,両国の主張する国境線の相違による緊張状態が続いています。2011年4月,スリン県のカンボジアとの国境地域(パノム・ドン・ラック郡のタークワイ寺院周辺及びガープ・チューン郡のタームアン寺院周辺)において,タイとカンボジア両国軍との間で武力衝突が発生し,死傷者が出ています。現在,事態は沈静化していますが,今後も衝突等不測の事態が発生する可能性が排除されません。
つきましては,スリン県パノム・ドン・ラック郡及びガープ・チューン郡のカンボジアとの国境地域周辺への渡航・滞在に当たっては,不測の事態に巻き込まれることのないよう十分注意してください。 |
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Prasat Thong |
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■11:34
国境近くのグーグルマップにも載っていない快適な道路を Prasat Thong 遺跡を目指して、西に向かって走る。 |
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■11:43 Prasat Thong は、12世紀に建立されたクメールの神殿。 神殿の周りをバライが囲んでいる。 |
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■11:44
ラテライトで造れられ基壇の上に、東に面した3基のレンガ造りの祠堂が建っている。
それの正対して、両脇に経蔵が建っている。 |
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■11:45
祠堂の中には基台が置かれていた。 |
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■11:47
レンガの周壁と経蔵。 |
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給油と昼食のために Prakonchai へ |
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■12:15
今回の旅の目的の一つである、山上遺跡の「Prasat Plai Bat 1&2」の情報を求めて山麓の Wat Khao Plai Bat に来たが、手掛かりはない。
今朝のガソリン給油のミスから、残りのガソリンが少ない。
それと、お腹も空いたので、一番近い町のプラコンチャイまで戻ろう。 |
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■12:42
プラコンチャイ(Prakoncha)の街を走る。
この先の24号線沿いに行けば、ガソリンスタンドもレストランもある。 |
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■12:45
24号線沿のガソリンスタンドで給油する。
スタンドから付近を見渡すと、道路を挟んで反対側にレストランがあった。
あのレストランで昼食を摂ろう。 |
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■12:46
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★給油DATA |
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給油価格 |
990 |
(B) |
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給油量 |
34.69 |
(L) |
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1L当り |
28.53 |
(B) |
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■12:55
ホテルドゥラムール(Hotel de l'amour Buriram)という、洒落たホテルに車を停める。 |
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■12:57
何と寿司レストランもある。
その奥にあるタイ料理レストランの「Tummour」に入る。 |
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■13:00
ソムタムと焼きそばとカオニャオを注文。 |
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■13:12
この鳥のから揚げが絶品の旨さだった。
「ふうみん」は以前から、クメール遺跡めぐりの基点としての24号線沿いのホテルを探していた。
片田舎のプラコンチャイに、こんな高級ホテルが出来ているなんて、本当に驚いた。
「yayo」はこのホテルが、すごく気に入ったようだった。
昼食代、490バーツ。 |
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山上遺跡の「Prasat Plai Bat 1&2」 |
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■14:37
昼食を終えて、再び Wat Khao Plai Bat に戻る。
若い僧侶に山上遺跡の「Prasat Plai Bat 1&2」の情報を聞くが、つれない返事だった。 |
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■14:44
Khao Plaibat という山に、「Prasat Plai Bat 1&2」2つのクメール遺跡がある。
この遺跡の存在は以前から知っていたが、今回が最後のイサーン旅行と考えているので、遺跡見学にチャレンジしたい。
「ふうみん」の調べたところによると、両方の遺跡とも修復の手が入り、重機が入っているようだ。
それならば道が通っており、ある程度までレンタカーで行けるだろう。
そして、後は遺跡まで歩こうと思う。
唯一の味方のグーグルナビを頼りに、遺跡見学にチャレンジしよう。 |
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■14:45
まずは、Khao Plaibat の山頂に近い、「Prasat Plai Bat 1」にチャレンジだ。
ダート道を南側から北上し、山頂を目指して走る。 |
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■14:52
いい感じで走っていたが、道は急に悪くなった。
多分、雨季が終わったばかりなので、ダート道は雨の流れで削られ、道端の灌木は伸びている。
ダート道を補修し、そこに重機が入り灌木が刈られれば、乾季の終わりごろならば車で通行できるかもしれない。
今回は無理だ。「Prasat Plai Bat 1」への訪問は諦める事とする。 |
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■15:05
今度は、Khao Plaibat の西側にある「Prasat Plai Bat 2」にチャレンジだ。
一旦、4013号線に出て、西側から行って見よう。 |
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■15:23
Yai Yaem Watthana の村落に入り、仏教寺院を左折して Khao Plaibat を目指すが、水路が邪魔して対岸に行けない。
今度は、北側から目指すがやはり行けない。 |
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■15:48
もう一度、最初の仏教寺院に戻り、今度は右折して Khao Plaibat を目指す。 |
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■15:50
狭いダート道だがどうにか、山に向かっているようだ。 |
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■15:53
小さな仏教寺院があった。
この近くに車を停める。 |
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■16:01
この山道は4WDなら走行可能のようだが、新車のレンタカーなので諦める。
「Prasat Plai Bat 2」へは、歩いて行こう。 |
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■16:10
山道を10分ほど登ると、遺跡が見えて来た。
目指す「Prasat Plai Bat 2」だ。 |
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■16:11 「Prasat Plai Bat 2」は発掘調査の途中だった。 |
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■16:11
遺跡の発掘のため、木には支柱で補強してある。 |
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■16:12
一基のレンガ造りの祠堂が建っていた。 |
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■16:12
レンガ造りの祠堂には偽扉が彫られていた。 |
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■16:16 周壁も残っており、かなりの規模の遺跡だったのだろう。行けなかった「 Plai Bat 1」のまぐさ石がバプーオン様式なので、この「
Plai Bat 2」も同じバプーオン様式だとすれば、11世紀ごろの建造だろう。 |
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パノムルンピニーホテル(Phanomrungpuri Hotel) |
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■16:58 夕暮れの24号線を、ナンロンのパノムルンピニーホテル(Phanomrungpuri Hotel)を目指して走る。 |
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■17:22
今まで遺跡巡りで、ナンロンのホテルは2か所宿泊した。
どちらのホテルも、タイ人仕様のホテルで今一だった。
このホテルは建設中から知っており、オープンしたら宿泊したいと思っていた。 |
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■19:08
チェックイン時、レセプションで 17:30 からタイマッサージを二人分予約した。
部屋に着いたら電話があり、「申し訳ないが、マッサージ師は全て出払っておりお受けできない」と言う。
考えれば、今日まで「スリンの象祭り」だ!そのため、マッサージ師は出払っているのだろう。
ここナンロンも、スリン県だからね。 |
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■19:11
わざわざ外に食べに行くのも面倒なので、ホテルのレストランで夕食を摂る。
夕食はレストランの室内ではなく、プールサイドで摂ろうとテーブル席に座る。 |
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■19:19
まずは、象祭りのスリンでチャン(象)ビールで乾杯!
今日は、カンボジアの国境遺跡や山の上の遺跡など話題が尽きない。
その話題を肴にビールが進む。 |
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■19:31
朝早くからの遺跡巡りで疲れた。
ここはタイカレーで疲労回復だ。 |
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■19:41
酸味の効いたサラダと、カシューナッツ入りの野菜炒めを注文。
何で、タイ料理はどこで食べても旨いのだろう?
夕食代、630バーツ。 |
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■20:15
パノムルンピニーホテルの1階のロビーは広くて、いい感じのホテルだ。 |
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