◆行程11日目スリンからナンロンへ
       スリンから、カンボジア国境沿いの遺跡を見学してナンロンへ   2017/11/19(日) Google map 
カフェアマゾンで朝食


■6:29

今日は見たいクメール遺跡が沢山ある。

ワンフーホテル(One Fu Hotel)の朝食迄の時間が勿体ない。

ホテルを早朝にチェックアウトして、給油と朝食のため近くのガソリンスタンドに入ったら、ここはLPGのスタンドだった。


■6:39

給油を諦めて、セブンイレブンでパンなどを購入し、隣のカフェアマゾンで朝食を摂ろう。


■6:40

カフェアマゾンで朝食を摂っていたら、お店の女の子から、お茶のサービスを受けた。

嬉しい配慮だ。


Prasat Ban Prasat & Muen Chai



■6:55 最初に訪問するクメール遺跡は、Prasat Ban Prasat & Muen Chai の二つの遺跡だ。早朝の朝日に向かって逆光の2077号線を飛ばす。



■7:17 24号線を右折する。幹線の24号線は舗装工事の真っ最中だった。


■7:22

24号線を左折したら、遺跡の標識が出ていた。



■7:25 この場所には2つの遺跡がある。まずは、Prasat Muen Chai から見学しよう。


■7:26

高さ6.5メートルのレンガの祠堂が一基建っている。

祠堂の基礎は正方形をしており、崩れかけたレンガの祠堂を鉄骨で補強してある。

建物の周りをU字形のバライが囲んでいたようだ。


■7:27

この遺跡の年代は分からないが、1メートル以上も堀り下がられている事と、祠堂の形状から11世紀ごろのものと考える。

周辺には砂岩や崩れたレンガの山や基壇もあり、かなりの規模の遺跡と推測する。


■7:28

祠堂の入り口には、ムーンストーンがあった。


■7:30

鉄骨で補強された祠堂の横に、もう1基のラテライトの基壇部が残されていた。

この遺跡は、2基のレンガの祠堂を中心に成り立っていたのだろう。



■7:33 Prasat Muen Chai から約75メートル離れた所に、Prasat Ban Prasat はある。この遺跡は、ジャヴァルマン7世が13世紀に102ヶ所造った「施療院」の一つである。


■7:34

バライも残っている。



■7:34 塔門は崩壊したままになっている。


■7:35

塔門の右の端に、連子窓が彫られていた。

こんなものを見つけるのが、遺跡巡りの面白さだ。

施療院での連子窓のある遺跡は、カンペーンノイ(Prasat Khamphaeng Noi)しか知らない。


■7:37

未整備の施療院では、経蔵のソーマスートラの有無に一番興味がある。

残念ながら、ソーマスートラの痕跡はなかった。


■7:38

こちらの祠堂も鉄骨で補強されていた。

近くで見ると、崩壊も時間の問題だろう。


■7:42

Prasat Muen Chai and Prasat Ban Prasat のTATの看板。

12世紀末から13世紀初めにかけて造られた施療院と、それ以前に造られた神殿遺跡との混合は、コラートのナンラム遺跡と同じ構図だ。


タークワイ(Prasat Ta Khwai)





タークワイ(Prasat Ta Khwai)を知ったのは、「Shinji」さんの掲示板への 2006/8/23 の投稿だった。
そして、「T.I.」さんが実際に訪問した詳しい様子を 2007/01/07 に投稿してくれた。
その投稿を受けて、「ふうみん」もこの遺跡の近くを何度も走ったが、タイ語が全く分からないのでタークワイへの訪問は無理だった。
数年前に、「東南アジアの遺跡を歩く」の著者の高杉さんから、タークワイへ行けますよ!とのメールをもらい、実際に行った話を直接会ってお聞きした。
イサーンに行く機会があれば、ぜひともタークワイを訪問したいと思っていた。
[378] Shinji 2006/08/23 21:50:31   

ブリラムのクメール遺跡というと、在野の考古学者の Asger Mollerup 氏が遺跡のGPSデータを公開しています↓
http://www.sundial.thai-isan-lao.com/buriramkhmersites.html
GPSと地図を頼りに遺跡を目指してオリエンテーリングするのも一興がありそうです。

彼とはたまにメールのやり取りをするのですが、なかなか精力的に遺跡調査をしているようです。レアモノとしては、Ta Phraya の北、ダンレック山脈の頂に位置する Prasat Sra Chaeng や、Ta Muan の東12km、やはりダンレック山脈の頂に位置する Prasat Ta Khwai の話が面白かったです。

前者はサケオ観光地図(サケオ県の主要観光地に設置されている看板)には載っているものの、けっこうな山登りが伴う超マイナースポットです。後者は国境線を跨ぐような位置にあるので、訪れるには然るべき紹介状と国境警備官のエスコートが必要です。
[650] T.I.   2007/01/07 10:21:05   

T.Iです。
バンコクでテロが発生した当日、何も知らないまま、家族は無事帰国しました。
私のタイの任期は、1月末までですので、家族が帰国してしまったし、最後の追い込みで、また、遺跡めぐりに出かけてきました。
写真は、Shinjiさんの情報にあったPrasat Ta Khwaiです。
国境を警備している軍の最初の基地(No.2602の看板あり)まで車で、山の麓に飛び石状態にある第2の基地までバイクで、そして遺跡までは徒歩で登りました。
この遺跡自体、タイ領か、ガンボジア領か決着がついてなく、かつ、周辺には、地雷が埋まっており、最初の基地以降は、銃器を持った軍の兵士の同行となります。
(参考までに、基地の隊長、兵士は、英語はしゃべれませんでした。)
発見されて間もない遺跡ですが、欧米人、タイ人は、年間、調査目的の人も含め100人程度訪れているとの事。日本人も、誰か調査等で訪れているはずだと思いますが、同行した兵士は、私が初めてと言ってましたので、もし、本当であれば、少し嬉しく思ってます。
Dangraek山脈自体は、タイ側から溶岩がガンボジア領に流れて固まったような地形(私の勝手な想像です。)をしてますので、タイ側は、なだらかな斜面ですので、大した体力は無くても登れる山のように感じました。
(兵士の足は早く、約1.5km, 30分程度の登山。多少、足場が悪い所あり。雨季は、登れないとの事。)
しかし、怖いのは、やはり周辺に地雷が残っている事。また、Jangleの中なので、毒蛇、マラリア蚊等の危険は、想定する必要があるのかもしれません。
(タイ国内の、低くても道無き山を、現地の子供達に案内されて登った事がありますが、この子供達は怖くないのかと感じた事があります。私は、大人になって、ちょっとした草むらに入る事自体が怖い。)
将来的に、第2の基地(今は電気も着て無い。)まで、良い道ができる事はあるかもしれませんが、遺跡自体、岩と木に囲まれた狭いスペースに目いっぱい立っているように見えますので、地形的にでかい道はつけれそうにない、つけて欲しくないと言うような感じです。
ニンジャQさんが、そろばんを教えられているクーイ族(スワイ族)と、この遺跡の名前のTa Khawi(タイ語で水牛)、Ta Sawai(クメール語でマンゴ)と関係あり??
兵士は、遺跡を見つけたのが、Sawaiさん(ニックネーム)で、今はなまってKhawiと呼んでいるんだと言ってました。本当??
でも、遺跡を造ったのは、クーイ族の方と思います。







■8:15

タークワイ(Prasat Ta Khwai)に向かう為、24号線から左折して2397号線に入る。

上記「掲示板」から経緯もあり、このタークワイ遺跡訪問は、今回の旅の目的の一つだ。


■8:29

2397号線を走っていると、「TA KHWAI SANCTUARY」との標識が出ていた。

この標識を見て、タークワイ遺跡に間違いなく行けると一安心。

右折して、あと14キロで目的地だ。


■8:45

また標識が出ていた。ここを左折する。


■8:46

まだ舗装されて間もない新しい道を走る。

途中、検問所があった。

この辺りの道路はカンボジア国境近くとあって、防衛上の理由だと思うが地図に明確に記されていない。

グーグルナビも途中で間違った。


■8:57

タークワイ遺跡に12年越しにご対面できる。

左側の空き地に車を停める。

右側の建物は公衆トイレだ。


■9:03

車を置いて坂道を歩いていくと、そこに居た国境警備兵がいろいろと尋ねてくる。

そして、国境警備兵がスマホで一緒に記念撮影してくれと言う。

もちろんOKした。


■9:05

この階段を数分歩くと、タークワイ遺跡だ。


■9:05

途中に塹壕があったので撮影したら、同行した国境警備兵に「NO!」と言われた。


■9:07

タークワイ遺跡の1基の祠堂が、眼前に現れた。

思っていたよりも大きな建物だ。高さは20メートル以上あるだろう。

祠堂に彫刻類は一切なく、一見シェムリアップのタケオ(Ta Keo)に似ている。

タケオは、スールヤヴァルマン5世が11世紀前半に創建した神殿だ。

この祠堂をクメールの建築学的に見ると、砂岩造りで四方に出入り口を設けてある。

その出入り口に前室を設け、構造的に補強した様式は12世紀前半のものであり、タケオとは1世紀の違いがある。

むしろ、ここから西に12キロほど離れた国境地点のタームアントム(Prasat Ta Muan Thom)との近似性を感じる。


■9:07

散乱した、砂岩の構造材。自然に落下したものか?それとも戦闘でか?

2011年4月22日の早朝、タイの声明によると、カンボジア軍は重武器でタークワイ遺跡地区で発砲した。

カンボジアの報道官は、タークワイの祠堂が破壊されたと報じた。

最初の日の戦闘で、カンボジア人3人とタイ人2人の兵士が死亡した。


■9:07

東側の入り口の破風上部は崩れている。


■9:08

祠堂内部の中心には、白い岩が地中から突き出ている。

これは、自然石をリンガに見立てたタームアントムに似ている。

これが、リンガだとしたらタークワイ遺跡はシヴァ神殿だ。


■9:12

「ふうみん」はフラッシュを焚かないので少しボケているが、内部の石組はしっかりとしている。


■9:13

これも、しっかりとした祠堂の入り口の石組。

まぐさ石や付け柱に彫刻はない。


■9:18

「ふうみん」と両国兵士の記念撮影。

向かって右側がタイの国境警備兵、左側がカンボジアの兵士。

ちなみに、Prasat Ta Khwai のカンボジア名は、Prasat Ta krabey と言う。

お互いの兵士はフレンドリーで、国境線上の緊迫感はなかった。


■9:24

祠堂の近くには、彫りかけの尖塔の蓮の花があった。

タークワイ遺跡の建造石材は、近くの岩から切り出したものだ。


■9:25

タークワイ遺跡の入り口の階段横には、新しい大仏が鎮座していた。


■9:40

検問所の兵士に挨拶して通る。


Prasat Thong-Phanom Dong Rak


■10:26

タームアン遺跡群に行く途中、クメール遺跡の Prasat Thong Phanom Dong Rak がある事を知り、寄ってみよう。

仏教寺院(Wat Prasat Thong)の門をくぐる。


■10:19

ヨニの上に仏像が鎮座し、その前にクメール遺跡の遺物が置かれている。


■10:20

ラテライトの基壇。


■10:21

散乱する石。

この遺跡の詳細は分からず。


タームアン遺跡群(Ta Muan Complex)


■10:30

タームアン遺跡群に行くため、2407号線を走っていると検問所のゲートが閉まっている。

検問所から出てきた国境警備兵にパスポートの提示を求められた。

すると、「yayo」のパスポートは返却してくれたが、「ふうみん」のパスポートは帰りに返却するという。

タームアン遺跡群は4度目の訪問になるが、こんな事は初めてだ。


タームアン(Prasat Ta Muan)



■10:35 タームアン遺跡群(Ta Muan Complex)の最初の遺跡は、タームアン(Prasat Ta Muan)になる。この遺跡は、クメール帝国最強の王ジャヤヴァルマン7世が整備した、ピマーイとアンコール都城間の「王道」沿いに設けられた「宿駅」の一つ。


■10:36

まぐさ石と右側の付け柱に、レリーフが残る。

「宿駅」の事をルイ・フィノ(Louis Finot)は、Dharmasala (ダルマシャーラー・慈善施設の意味)と呼んだ。


■10:37

建物の室内からは、「迫り出し構造」が良く分かる。

「宿駅」の棟続きには、いくつかの木造家屋が建っており、軍隊や官吏・商人・村人等が宿泊していた。

碑文による往時の名称は、Akni Guriha(サンスクリット語で灯明のある家)であり、現在カンボジアでは Sala Somnak(宿駅)と呼んでいる。

「宿駅」はHouse of Fire(炎の家)とも呼ばれ、これは旅人が王道上で立ち寄る「灯明のある家」の意味だ。


タームアントッチ(Prasat Ta Muan Toch)



■10:41 タームアントッチ(Prasat Ta Muan Toch)は、ジャヴァルマン7世が13世紀に102ヶ所造った「施療院」の一つである。バライ越しに眺める。


■10:42

「施療院」は、主祠堂、経蔵?、塔門、周壁、バライからなる小規模の伽藍である。

伽藍は東面し、主軸上には塔門、祠堂が位置し、塔門から低い周壁がまわりを取り囲んでいる。

祠堂や塔門の前面にはテラスが設けられ、一部に木造建物の存在を示す痕跡も見られた事から、施療のための建物は敷地内の別の木造建築だったと考えられる。


■10:45

祠堂がきれいに復元されている。


タームアントム(Prasat Ta Muan Thom)


■10:51

タームアントム(Prasat Ta Muan Thom)に行く途中、道路の舗装が変わった。

ここが、国境線上なのか?


■10:53

タームアントム(Prasat Ta Muan Thom)に行って驚いた。

ここの駐車場の右手には、タイの食堂があった。

今は、カンボジア語の派手な標識がある。


■10:53

カンボジア兵のいる検問所?を通る。

昔のカオプラヴィハーン見たいだな。


10:54

タームアントムに続く道にはシートが張られている。

何故なんだろう?



■10:56 タームアントム(Prasat Ta Muan Thom) 遺跡は、前2遺跡のタームアン、タームアントッチと異なり、11世紀に建てられた規模の大きなバプーオン様式のシヴァ神殿である。神殿は南向きで、回廊の中に主祠堂と2基の祠堂があり、裏にバライを持つ。

この、タームアントム遺跡に入ると、至る所にカンボジア兵がいる。以前の3回の訪問時にはここはタイ領でこんな事はなかった。


■10:56

自然石のリンガとナンディンの象等が、一列に並ぶ。


■11:05

岩石の床に象が彫ってあるのを発見!



■11:09 主祠堂と観光客とカンボジア兵。


■11:14

やはり、この道路の舗装の差が国境線だ。

「ふうみん」は、この遺跡群には過去3回来ているので、軽い気持ちで来た。

こんなにも、タイ・カンボジア国境に緊迫感があるなんて思っても見なかった。

イサーンへの最後の旅で、国境紛争の現場に立ち会えていい経験だった。


■11:17

検問所で国境警備兵から、パスポートを返却されて、ホットする「ふうみん」。





イサーンへの最後の旅で、国境紛争の現場に立ち会えていい経験だった。なんて、能天気に帰ってきて外務省の海外安全情報を見たら、タークワイもタームアンも外務省のタイの危険情報【危険レベル継続】に入っていた。
・・・国境線近くの遺跡訪問は、自己責任でお願いします。
○外務省海外安全ホームページ


情報種別:海外安全情報(危険情報)
本情報は現在有効です。

タイの危険情報【危険レベル継続】(内容の更新)
2017年7月19日


(5)スリン県の一部(パノム・ドン・ラック郡及びガープ・チューン郡のカンボジアとの国境地域)
  :「レベル1:十分注意してください。」

 タイとカンボジアの国境地域においては,両国の主張する国境線の相違による緊張状態が続いています。2011年4月,スリン県のカンボジアとの国境地域(パノム・ドン・ラック郡のタークワイ寺院周辺及びガープ・チューン郡のタームアン寺院周辺)において,タイとカンボジア両国軍との間で武力衝突が発生し,死傷者が出ています。現在,事態は沈静化していますが,今後も衝突等不測の事態が発生する可能性が排除されません。

 つきましては,スリン県パノム・ドン・ラック郡及びガープ・チューン郡のカンボジアとの国境地域周辺への渡航・滞在に当たっては,不測の事態に巻き込まれることのないよう十分注意してください。





Prasat Thong


■11:34

国境近くのグーグルマップにも載っていない快適な道路を Prasat Thong 遺跡を目指して、西に向かって走る。



■11:43 Prasat Thong は、12世紀に建立されたクメールの神殿。 神殿の周りをバライが囲んでいる。


■11:44

ラテライトで造れられ基壇の上に、東に面した3基のレンガ造りの祠堂が建っている。

それの正対して、両脇に経蔵が建っている。


■11:45

祠堂の中には基台が置かれていた。


■11:47

レンガの周壁と経蔵。


給油と昼食のために Prakonchai へ


■12:15

今回の旅の目的の一つである、山上遺跡の「Prasat Plai Bat 1&2」の情報を求めて山麓の Wat Khao Plai Bat に来たが、手掛かりはない。

今朝のガソリン給油のミスから、残りのガソリンが少ない。

それと、お腹も空いたので、一番近い町のプラコンチャイまで戻ろう。


■12:42

プラコンチャイ(Prakoncha)の街を走る。

この先の24号線沿いに行けば、ガソリンスタンドもレストランもある。


■12:45

24号線沿のガソリンスタンドで給油する。

スタンドから付近を見渡すと、道路を挟んで反対側にレストランがあった。

あのレストランで昼食を摂ろう。


■12:46


★給油DATA

給油価格 990 (B)
給油量 34.69 (L)
1L当り 28.53 (B)


■12:55

ホテルドゥラムール(Hotel de l'amour Buriram)という、洒落たホテルに車を停める。


■12:57

何と寿司レストランもある。

その奥にあるタイ料理レストランの「Tummour」に入る。


■13:00

ソムタムと焼きそばとカオニャオを注文。


■13:12

この鳥のから揚げが絶品の旨さだった。

「ふうみん」は以前から、クメール遺跡めぐりの基点としての24号線沿いのホテルを探していた。

片田舎のプラコンチャイに、こんな高級ホテルが出来ているなんて、本当に驚いた。

「yayo」はこのホテルが、すごく気に入ったようだった。

昼食代、490バーツ。


山上遺跡の「Prasat Plai Bat 1&2」


■14:37

昼食を終えて、再び Wat Khao Plai Bat に戻る。

若い僧侶に山上遺跡の「Prasat Plai Bat 1&2」の情報を聞くが、つれない返事だった。


■14:44

Khao Plaibat という山に、「Prasat Plai Bat 1&2」2つのクメール遺跡がある。

この遺跡の存在は以前から知っていたが、今回が最後のイサーン旅行と考えているので、遺跡見学にチャレンジしたい。

「ふうみん」の調べたところによると、両方の遺跡とも修復の手が入り、重機が入っているようだ。

それならば道が通っており、ある程度までレンタカーで行けるだろう。

そして、後は遺跡まで歩こうと思う。

唯一の味方のグーグルナビを頼りに、遺跡見学にチャレンジしよう。


■14:45

まずは、Khao Plaibat の山頂に近い、「Prasat Plai Bat 1」にチャレンジだ。

ダート道を南側から北上し、山頂を目指して走る。


■14:52

いい感じで走っていたが、道は急に悪くなった。

多分、雨季が終わったばかりなので、ダート道は雨の流れで削られ、道端の灌木は伸びている。

ダート道を補修し、そこに重機が入り灌木が刈られれば、乾季の終わりごろならば車で通行できるかもしれない。

今回は無理だ。「Prasat Plai Bat 1」への訪問は諦める事とする。


■15:05

今度は、Khao Plaibat の西側にある「Prasat Plai Bat 2」にチャレンジだ。

一旦、4013号線に出て、西側から行って見よう。


■15:23

Yai Yaem Watthana の村落に入り、仏教寺院を左折して Khao Plaibat を目指すが、水路が邪魔して対岸に行けない。

今度は、北側から目指すがやはり行けない。
 

■15:48

もう一度、最初の仏教寺院に戻り、今度は右折して Khao Plaibat を目指す。


■15:50

狭いダート道だがどうにか、山に向かっているようだ。


■15:53

小さな仏教寺院があった。

この近くに車を停める。


■16:01

この山道は4WDなら走行可能のようだが、新車のレンタカーなので諦める。

「Prasat Plai Bat 2」へは、歩いて行こう。


■16:10

山道を10分ほど登ると、遺跡が見えて来た。

目指す「Prasat Plai Bat 2」だ。



■16:11 「Prasat Plai Bat 2」は発掘調査の途中だった。


■16:11

遺跡の発掘のため、木には支柱で補強してある。


■16:12

一基のレンガ造りの祠堂が建っていた。


■16:12

レンガ造りの祠堂には偽扉が彫られていた。



■16:16 周壁も残っており、かなりの規模の遺跡だったのだろう。行けなかった「 Plai Bat 1」のまぐさ石がバプーオン様式なので、この「 Plai Bat 2」も同じバプーオン様式だとすれば、11世紀ごろの建造だろう。


パノムルンピニーホテル(Phanomrungpuri Hotel)



■16:58 夕暮れの24号線を、ナンロンのパノムルンピニーホテル(Phanomrungpuri Hotel)を目指して走る。


■17:22

今まで遺跡巡りで、ナンロンのホテルは2か所宿泊した。

どちらのホテルも、タイ人仕様のホテルで今一だった。

このホテルは建設中から知っており、オープンしたら宿泊したいと思っていた。


■19:08

チェックイン時、レセプションで 17:30 からタイマッサージを二人分予約した。

部屋に着いたら電話があり、「申し訳ないが、マッサージ師は全て出払っておりお受けできない」と言う。

考えれば、今日まで「スリンの象祭り」だ!そのため、マッサージ師は出払っているのだろう。

ここナンロンも、スリン県だからね。


■19:11

わざわざ外に食べに行くのも面倒なので、ホテルのレストランで夕食を摂る。

夕食はレストランの室内ではなく、プールサイドで摂ろうとテーブル席に座る。


■19:19

まずは、象祭りのスリンでチャン(象)ビールで乾杯!

今日は、カンボジアの国境遺跡や山の上の遺跡など話題が尽きない。

その話題を肴にビールが進む。


■19:31

朝早くからの遺跡巡りで疲れた。

ここはタイカレーで疲労回復だ。


■19:41

酸味の効いたサラダと、カシューナッツ入りの野菜炒めを注文。

何で、タイ料理はどこで食べても旨いのだろう?

夕食代、630バーツ。


■20:15

パノムルンピニーホテルの1階のロビーは広くて、いい感じのホテルだ。


レンタカーの走行距離
本日の走行距離 314キロ
累計の走行距離 3137キロ
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イサーンの大地走行2000キロプラス イサーン 最後の旅