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■5:31
5時半にホテルを出る。バガンの空が少し白みがかってきた。
「ふうみん」と「yayo」はLEDの懐中電灯で道を照らし、サンライズを見に、昨日下見をしたミンニェインゴン寺院に向かう。
ホテルから10分強で到着したら、寺院の周りをウロウロする白人のアベックがいた。
登り口が分からないのだろう。「ふうみん」は後を着いて来るようにいい、先導して寺院を登る。 |
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■5:43 寺院の上に登ると、昨日見た白人の女の子が2人いた。ミンニェインゴン寺院(Mi Nyein Gon)に登って眺めた、曙(日の出の約15分前)の情景。 |
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■5:54 朝ぼらけ(日の出の約5分前)の情景。パゴダの遠近感が無くなって、透明感が増して来た。 |
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■6:05 昇った朝日が2つに割れて、透明感がさらに増していく。幽玄な世界に招き入れられて行くようだ。 |
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■6:07 一瞬の内に幽玄な世界は消滅し、現実の早朝の情景が展開する。 |
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■7:06
アカシアレストランに行くと、まだ、早いのか一番乗りだった。
お気に入りの川沿いのテーブルに座る。 |
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■7:11
ミャンマーを代表する麺、モヒンガーを初めて食べる。
朝一番には、米の麺が胃にやさしい。 |
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■8:11
昨日予約していた馬車に乗り、バガンの遺跡めぐりに出かける。
昨日乗った馬車の馬とは、段違いにいい馬だ。毛並みが朝日に光っている。
代金は1日(昼休み込み)で20ドル。 |
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■8:20
バガン遺跡7
ナッウランチャウン寺院
(Nathlaung Kyaung)
931年に建てられたという、バガンでも古い時代の寺院。
バガンにある唯一のヒンドゥー教の寺院。 |
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■8:22
横たわるヴィシュヌ神のレリーフ。
ヴィシュヌ派の創世神話によると、
宇宙のすべては闇に包まれており、混沌だけが支配していた。
ヴィシュヌは1000の頭を持つ竜王アナンタ(Ananta)の上で眠っていた。
やがて、ヴィシュヌのへそから一本の清らかな蓮の茎が伸びて花を結んだ。
そこから創造神ブラフマーが生まれ、ブラフマーの額から破壊神シヴァが生まれた。
このようにして、偉大な大宇宙の創造が始まったのである。 |
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■8:23
ヴィシュヌ神の化身像。
ヴィシュヌ神は10の化身をするといわれている。
その中の9番目の化身が「仏陀」だという。
この寺院の本尊はシヴァ神で、バガンの博物館に納められている。 |
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■8:40
バガン遺跡8
ミンガラーゼディーパゴダ
(Mingalazeti)
1274年に11代ナラティーハバテ王が6年もの歳月をかけて建てた。
このパゴダからの眺めが良いという事だが、現在は登頂禁止。
その為か、このパゴダには観光客も売り子もいない。 |
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■8:42
パゴダの完成に6年もの歳月がかかったのは、「パゴダが完成すると国が滅びる」との予言が広まり、工事は一時中断した。
大僧正の進言により、工事は再開されてパゴダは完成したが、予言どおり1287年にモンゴル軍に征服された。
そんな歴史を知ると、パゴダの境内で咲く花も悲しそうだ。 |
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■8:50
バガン遺跡9
グービャクジー寺院
(Gubyaukgyi)
1113年に3代チャンシッター王が亡くなった後、妾腹の息子が父の霊を弔うために建てた。
ここ寺院には、ミャンマー最古の素晴しい壁画が残っている。
入り口に鍵がかかっており中に入れない。管理人を探すが、まだ来ていないという。仕方がない、帰り道に寄る事にしょう。 |
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■8:52
バガン遺跡10
ミヤゼディーパゴダ
(Myazedi)
右側は上記グービャクジー寺院だ。寺院に隣接して建っているパゴダ。 |
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■8:54
ミヤゼディーパゴダで発掘された、石碑は最古のビルマ語の碑文だ。
石碑の4面には同じ内容を、パーリ語、ピュー語、モン語、ビルマ語で記してあるので、別名「ビルマのロゼッタストーン」とも呼ばれいる。
碑文は、1113年建立のグービャクジー寺院について記され、初期のビルマの年代が明記してある重要な石碑だ。 |
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■9:11
バガン遺跡11
ナンパヤー寺院
(Nanpaya)
11世紀に建てられたモン様式の中型寺院。
ノーヤター王のタトン遠征により、捕虜となってしまった旧タトン王マヌーハが、持っていた巨大な宝石のついた指輪を売ることによって寺院の建設資金を作ったと伝えられている。 |
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■9:14
柱にはヒンドゥー教の創造神ブラフマー神が彫られている。
これは、当初タトンから伝わった上座仏教はかならずしも純粋なものではなく、多分にヒンドゥー教的な要素を含んでいたことの証ではないだろうか。
また、仏陀が悟りを開いたのち、あまりにも深遠で難解な境地を人々にいかにして伝えればいいのか、仏陀は前途を悲観し入滅しようと考えた。
その様子を見ていた天上の神ブラフマー(梵天)は、仏陀のもとに降り立ち、入滅をおもいとどませ生ある限り心理を広めるよう懇願したという。 |
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■9:15
ここに本尊が安置されていたのだろう。
周りをブラフマー神で囲まれていると、この台座をヨニ(ヒンドゥー教のリンガを乗せる台座・女性器)と勘違いしてしまう…ネ。 |
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■9:19
バガン遺跡12
マヌーハ寺院
(Manuha)
1059年にタトン国王マヌーハが捕虜として連れてこられ、許されて建立した寺院。 |
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■9:20
捕虜の王自身を嘆くかのような、窮屈な空間に安置された仏像。 |
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■9:30
バガン遺跡13
アベーヤダナー寺院
(Abeyadana)
11世紀に建てられたモン様式の中型寺院。
3代チャンシッター王が、兄王の2代ソールー王の怒りを避けるためナガヨシ寺院に逃げていた間、妻のアベーヤダナーがここで待っていたという。 |
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■9:34
ここの壁面のフレスコ画が好きだ。
金色と青色の使い方が実にいい。
「ふうみん」には、ヒンドゥー教の神に見える。 |
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■9:35
こちらのフレスコ画もヒンドゥー教の神。 |
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■9:35
こちらのフレスコ画は、寺院内の入り口を護るマカラ(摩竭魚・伝説の怪獣)。 |
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■9:40
バガン遺跡14
ナガヨシ寺院
(nagayon)
11世紀に3代チャンシッター王が建てたモン様式の寺院。
3代チャンシッター王が、兄王の2代ソールー王の怒りを避けるためナガヨシ寺院に逃げていた間、それを避ける場所を巨大なナーガが与えてくれた。
その後、王になったチャンシッター王が建立したといわれる。 |
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■9:42
内陣の入り口の左右には、優美な門衛像が立っている。 |
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■9:43
壁龕に彫られた釈迦の涅槃図。 |
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■9:58
バガン遺跡15
セィンニェアマ寺院
(Seinnyetama)
11世紀に王妃のセィンニェアマが建てた寺院。 |
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■10:00
安置された仏像。 |
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■10:03
バガン遺跡16
セィンニェニマパゴダ
(Seinnyetnyima)
11世紀に王妃の姉(セィンニェアマ)が建てた寺院の横に、妹(セィンニェニマ)が建てたパゴダ。
屋根の部分に小さなパゴダを配している。 |
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■10:13
小坊主たちが、ソンテウの屋根に乗っていた。 |
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■10:17
バガン遺跡17
ペッレイパゴダ
(Petleik)
11世紀に初代アノーヤター王の治世に建てられたパゴダで、東西に2つパゴダが並んで建っている。
1905年に土に埋もれていた、回廊が発見された。
この回廊部分に、ジャータカ物語のレリーフが残されている。 |
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■10:21
ジャータカ物語のレリーフ。
長い間埋まっていたので状態はいい。
ジャータカ物語(本生話)とは、仏陀が前世に行った善行の物語で、4世紀にスリランカ作られたパーリ語で書かれた547話の経典。 |
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■10:24
ジャータカ物語のレリーフ。 |
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■10:25
ジャータカ物語のレリーフ。 |
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■10:33
バガン遺跡18
ローカナンダーパゴダ(Lawkananda)
1059年に初代アノーヤター王によって建てられたパゴダ。
川岸に建てられ、川を航行する船の目印になった。 |
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■10:37
ローカナンダーパゴダの参道を降りていたら、先ほどまで見学していた子供たちを満載したソンテウが走り去って言った。 |
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■11:02
帰り道に、先ほど管理人が居ず中に入れなかた、
バガン遺跡9、グービャクジー寺院(Gubyaukgyi)に寄る。
窓のハート型の格子が面白い建物だ。
寺院の内陣の左右には、14本の手を持ったチベット密教を思わせる神像が描かれている。
素晴しい絵だが、撮影禁止だ。 |
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■11:29
昼食に、タラバー門近くのサラバーレストラン(Sarabha Restaurant)に行く。 |
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■11:30
サラバーレストランの店内。
先ずは、ミャンマービールとジュースで喉を潤す。 |
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■11:47
メニューの一番最初に載っていたのでオススメだと思い、ピザパイと生春巻きを注文。
ピザパイは、冷凍ピザなのか全く旨くない。それに、油が最悪で後まで胃に残る。
生春巻きのライスペーパーは、フニャフニャで腰が無く、ほかの料理みたいだ。
こんな料理で、代金は16.500チャット。 |
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■12:15
馬車に乗って一旦ホテルに帰る。 |
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■12:45
ホテルに戻り、柿の種とピーナッツを撒いたら、昨日のリスではなく小鳥が来た。 |
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■12:46
夕方の遺跡巡りの計画を立てる。
…その数時間後、「ふうみん」は昼飯のピザの油が胸につかえ胃腸薬を飲む。
これが、早めの処置で良かったようだ。
その時、薬を飲まなかった「yayo」はその後に苦しむ事になるとは! |
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■16:09
「yayo」が漆器を買いたいというので、漆器博物館に向かう。 |
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■16:15
漆器博物館はなぜだか、クローズしていた。 |
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■16:22
博物館の奥にショップがある。 |
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■16:33
品物は良いのだが、品数が少なく思ったような物がない。
「yayo」は数点購入した。 |
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■16:38
バガン遺跡19、
ブッパヤーパゴダ(Bupaya)
川岸に建てられた小さな仏塔。
伝説では7~8世紀にピュー族によって建てられたといわれる。 |
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■16:39
ブッパヤーパゴダでは、ボートの勧誘が激しい。
川岸を見ると、ボートがずらりと並んでおり、川に出ているボートはいない。
今は雨季だから、観光客も少なくて商売も大変なのだろう。 |
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■16:42
ミャンマーダルマが愛らしい。 |
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■16:51
バガン遺跡20
パトーダーミャー寺院
(Pahtodhamya)
バガン初期の建物で、10世紀の建造という言い伝えがあるが、11世紀のものと思われる。 |
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■16:53
壁一面に仏が描かれている。
室内はとても暗く、備え付けの電球で照らして壁面の絵を見る。 |
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■16:54
ジャータカ物語か?
色彩は創建当時のものだろうか? |
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■16:58
安置された仏像。
…この遺跡で今日の見学は終える。 |
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■18:14
バガンタンデホテルの部屋の前から眺めた夕暮れ。
落ちゆく夕日は、大きな雲に邪魔をされて見えないが、その分、光は放射状に光線を放ち空を彩る。
手前のススキが秋の季節感を醸し出している。 |
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■20:41
「yayo」は昼飯のピザの油にやられて、食欲が全く無い。
いつもより、かなり遅くレストランに向かう。
仕方がない、フルーツの盛り合わせを頼んだが、それにも手がつかず、テイクアウトする。
明日の体調が心配だ。
夕食代18ドル。 |