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■06:30
昨晩セブンイレブンで買ったパンと飲み物で朝食を済ます。
ホテルのエントランス。こう写真で見るとなかなか素敵ですね。
ちなみに、Villa の宿泊代は690バーツ。 |
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■06:35 Knong ta moo Pond 1 の早朝の情景。静かでたおやかなイサーンの街ナンロン。 |
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■06:57 ナンロンから早朝の2073号線を北上する。朝もやのベールを通し、淡くやさしく生命力を持った光が、イサーンの赤い大地を包み込み覚醒させる。あまりにも、美しく神々しい情景に思わず車を停めて、しばし眺めいる。 |
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■07:14
今日最初のクメール遺跡は、前回の旅「クメールの残滓を探しに 4日目」で、二度探して見つけられなかった黒魔術の遺跡だ。
クメール遺跡9、地図①
Kuti Ruesi
AROKAYASALA (Hospital)
を求めてCho Paka を左折して、農道を這いずり回り、懸命に探す。 |
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■07:31
何度もトライし、農道を走るが遺跡の在り処はわからず。
何処にも人もいず、聞くに聞けない状況だ。 |
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■07:57
オートバイの運転手から、この農道の先に在るという情報を得る。
しかし、ここから、数百メートル先は道路が悪く、カローラでは通行不可能で立ち往生。
そこに、運良く二人乗りのオートバイが通りかかる。おじさんが運転、嫁さんが後ろに乗っている。
「ふうみん」が遺跡の写真を見せると、嫁さんを降ろし「ふうみん」に乗れという。ご厚意に甘えて「ふうみん」はオートバイの後席に乗る。 |
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■08:10 オートバイですごい悪路を500メートルほど走った所に、目指すクメール遺跡はあった。2年越しにどうしても見たかった遺跡だ。
しかし、遺跡を見てガッカリした。祠堂は黒いコールタールのようなもので塗られていたが、この祠堂はクメール時代の建造ではなく、最近素人が遺跡の石を使用して組み上げたものだ。周壁の建造も同様だ。 |
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■08:12
しかし、石材については地面に遺跡の石がしっかりと残っているので、クメール遺跡があつた事に間違いはない。
周囲をバライが囲んでいるが、この様なバライの形はジャヤヴァルマン7世が造った「施療院」の形ではない。
遺跡の名前がKuti Ruesi(施療院)と付けられているのは、素人が見てもはなはだ疑問に思う。 |
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■08:12
この遺跡を気味悪そうに見ている地元の農民のおじさん。
「ふうみん」は、このおじさんのオートバイの後ろに乗せてもらった。 |
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■08:12
この遺跡の入り口のトタン屋根の社には、石柱と彫像が飾られていた。
この石柱と彫像の台座だけは、クメール遺跡のもののようだ。
ただし、石柱に彫られた幼稚な線画は違う。 |
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■08:17
もう少し見物したかったが、「yayo」を置き去りにしたままなので心配だ。急いで戻ろう。
このおじさんに、心ばかりのチップを渡そうとしたのだがどうしても受け取らない。
心からの感謝を述べて別れる。前回の遺跡の旅といい、イサーンの農民の人柄に助けられた。
…本当に感謝!感謝!だ。そして、この後のUターンが、それはまた大変だった。 |
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■08:51
2073号線に戻り、10キロほど北上してクメール遺跡を探す。
クメール遺跡10、地図②
Prasat Prang Buhib
かなり近くまで来たが、この先の道が悪くUターンする。 |
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■08:51
そこの池に咲いていた蓮の花。 |
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■08:52
横を見ると炭焼きの釜があった。 |
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■09:05
2073号線に戻り、もう一つの道から遺跡を目指す。
この道は狭く、伸びている木の枝で車のボディを擦る。
おかげで、レンタカー返却時にクレームをつけられる破目になる。
数百メートル進み、この遺跡探しを断念する。 |
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■09:38
2073号線を北上し、Lam Pla Mat の交差点で右折して226号線をブリーラム(Buri Ram)方面に進む。
226号線の快適な道路を走る。 |
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■09:44
クメール遺跡11、地図③
Prasat Khao Krakhong
このクメール遺跡はブリーラム市内から近い219号線の交差点近くにある。
遺跡の名のKhao(カオ)は丘の意味で、この遺跡の丘の上には金色に輝く「プラスパットラボピット」と呼ばれる仏像が遠くから眺められる。
遺跡はこの石段の上にあるが、自動車道があるので「ふうみん」はもちろん車で登る。 |
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■09:50
丘の上にあるクメール遺跡。
砂岩で組まれた壁の中には仏足石が安置されていた。
遺跡自体は小さなものだ。 |
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■09:55 遺跡の横に作られた展望台からブリーナム市街を望む。この公園は噴火口の痕跡が残された古代の火山でもあり、海抜265メートルとの事。 |
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■10:40
226号線を順調に走り、もう直ぐスリン(Surin)のバイパスに入ろうかという地点で渋滞にはまる。
対向車も来ないので事故かな?と思ったが、工事渋滞だったようだ。 |
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■11:11
スリンのバイパスから、214号線を南下する。
そして、湖の近くの寺院の気持ちのよい参道を走る。 |
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■11:15
クメール遺跡12、地図④
Wat Prasat Silaram
AROKAYASALA (Hospital)
バライ越しに眺めると、本来のクメールの祠堂部分に新しい仏教寺院が建てられている。 |
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■11:22
仏教寺院の周壁はクメール時代のラテライトがしっかりと残されている。
そして、クメールの遺物の石も少しではあるが残されている。
この寺院の境内からは、広大な湖が見えて美しい風景だ。 |
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■11:39
クメール遺跡13、地図⑤
スリン国立博物館
やっと、オープンしたとの情報を得て、スリンの国立博物館を訪問。
何故だか、入り口で入場料を徴収せず。
後で考えると、今日は「国王誕生日」だったから無料だったのかな? |
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■11:44 クメール遺跡のコーナーに、うれしい事にプラサートプミポン(Prasat Phumphon)のまぐさ石があった。
プミポンはタイ国内最古クメール遺跡で、7世紀の建立とされる。まぐさ石は7世紀のプレイクメン様式(Prei Kmeng Style)で、両端に動物が彫られ火炎文様のアーチは直線状に表わされる。そして、アーチ上のメダルの数は3つだ。 |
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■11:45
「男の顔」、11世紀
バプーオン様式(Baphuon Style)
タームアントム(Ta Muen Thom)出土。
18cmの小さなブロンズ製の像の破片だが、よく見ると、クメール人の顔ではない。絶対にない。
どう見ても、インドから中東系だ。
この像を見つめていると、カンボジアのサンボールプレイクック(Sambor prei Kuk)のN-17祠堂のアーリア系の人物を思い出す。
当時のクメール帝国が国際化していた証左でもある。 |
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■11:47
クメール遺跡のコーナーには7世紀から13世紀の遺物が展示されている。
また、博物館の外の回廊にも多数の遺物が展示されている。
クメール遺跡好きには堪えられない博物館だ。 |
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■11:53
2階には精巧な蝋人形が展示されていた。
写真は結婚式の場面。
奥の部屋に、新郎新婦の布団が敷かれているのはご愛嬌。 |
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■11:55
この布の図柄を見て、ラオスの古都ルアンパバーン最古の寺院ワットシェントーン(Wat Xieng Thong)のモザイク画を思い出した。
改めて、イサーンとラオスの深い結び付きを実感した。 |
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■12:29
スリンの博物館を出て224号線を北上し、スリンの駅前に出る。
スリンには5回ほど来ており、地図を見なくても市内の地理はわかる。 |
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■12:40
今日の昼食は「地球の歩き方」に載っていたレストラン「サムラップトンクルアン」にした。
前回の旅では、同じ通りの「チャントーン」で食べたので、今回はこちらの店を選択。
高級タイ料理レストランと言うだけあって、重厚なインテリアで古い写真が飾られている。 |
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■13:06
先ずはビールとコーラ。
そして、豚肉のラープ(豚肉をミンチにしてナンプラーとスパイスであえた料理)とカオニャオ。 |
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■13:13
白身の川魚の煮込み。
今日は、念願だったKuti Ruesi を農家のおじさんの厚意で見学できたし、やっとオープンしたスリンの博物館も見学できた。
うまい料理に、気分よくビールが進む。
昼食代380バーツ。 |
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■14:07
スリンから226号線をシーサケット方面に10数キロ走った地点を左折して、狭く複雑な田舎道を走る。
途中、こんなほほえましい情景に出会う。 |
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■14:24 クメール遺跡14、地図⑥ Prasat Chang Pi AROKAYASALA (Hospital)
ご存知のように13世紀にジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」だ。 |
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■14:26
この遺跡はラッキーにも、これから修理が始まるところだった。写真は「経蔵」で、この室の中央に仏像やリンガが残され、聖水を流す「ソーマスートラ」を設けた事例がある?
もしあれば、「経蔵(ライブラリー)」ではなくて、「祠堂(信仰対象物を奉ずる建物)」の可能性が高い。
「経蔵」の壁面やトレンチされた穴も良く観察したが、残念ながら「ソーマスートラ」の跡はなかった。 |
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■15:06
遺跡見学の合間の休息は「アマゾン」でアイスコーヒーを飲む。
お土産にアマゾンのロゴが入った、Tシャツとショッピングバッグを購入。 |
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■15:27
再び226号線に戻り、東へと走る。
シーサケット県(Si Sa Ket)に入る。 |
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■15:39
226号線を左折して、Huai Thap Than 駅を横断して10キロほど北上する。
途中の農道には、収穫されたばかりの稲が天日干されていた。 |
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■15:45
クメール遺跡15、地図⑦
PrasatHuai Thap Than
仏教寺院の中に11~12世紀ごろの3基の祠堂が建っている。
この遺跡には、3度目の挑戦でやっと到達できた。
遺跡を見ると、中央祠堂は両端の祠堂に比べ低い。このような形式は「ふうみん」の記憶にない。上部の細長い部分は、後世の修復なのか? |
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■15:52
この遺跡の傍らに椰子の木で出来た7つ頭のナーガ像があった。
なかなか見事な出来栄えだと、感心した。 |
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■16:11
クメール遺跡16、地図⑧
Prasat Ban Muang Chan
さらに農道を北上した。
仏教寺院の中に1基のレンガの祠堂が建っている。
最近、修復が終わったばかりの様子でオリジナルの部分が少ない。
…ガッカリする。 |
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■16:15
遺跡の横の小さな社に飾られていた人形。
この木製の人形は裏から見ると、リンガ(男根)なのか~なあ。
そうすると、ヒンドゥー教の影響が少しは残っていたとも考えられる。 |
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■16:56
シーサケット市内に入る。
今日のホテルは駅の北側で官庁街になる。 |
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■17:11
今晩の宿の
Boonsiri Boutique Hotel
ここも新しいホテルだ。
まるで、不二家の入り口みたいで少し気恥ずかしい。
ボーイがサンタクロースの制服を着ていたのにはビックリ…少しやりすぎだネ。 |
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■17:19
ホテルの部屋は白に統一され、まるで「2001年宇宙の旅」のラストシーンの部屋を連想する。
ま~あ、よく見ると細部はタイクオリティだな。
しかし、この部屋で400バーツとは安いと思う。
翌日レセプションで聞いたら、ウォークインならさらに安く300バーツとの事。 |
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■19:18 夕食はシーサケット駅の線路に沿った南側のナイトマーケットで摂る。日曜の夜、そして国王の誕生日とあって、テーブルは一杯だった。 |
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■19:22
運良く空いたテーブルに座り、周りの人達が食べているイサーン鍋を注文。
運ばれて来た材料を見ると、昨日のコリアンバーベキューと一緒だな。
…「焼く」と「煮る」の違いか。
それと、もちろんビールとコーラ。 |
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■19:30 イサーン鍋をパクついていたら、急に国歌が流れてきた。近くにいた人たち全員が立ち上がる。もちろん、ファラン(欧米人)も「ふうみん」たちも。 |
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■19:37
カオパッドとソムタムも注文。
ソムタムは他の屋台から運んで来てくれた。
イサーンのカオパッドはあまりうまくないのが定番だが、これは美味しいと「yayo」。
そして、ソムタムも旨い。 |
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■19:59
急に大きな音がした。見上げると大きな「花火」だ。
国王の誕生日を祝しての花火だと思うが、まったく「予期せぬ出来事」だ。
イサーンの外れ、このシーサケットの駅には待ち合わせの普通列車が止まっており、乗客も窓から乗り出して鑑賞している。
「yayo」は、この旅の途中のハプニングを心から楽しんでいた。…だから、旅はやめられない。
食事代は260バーツ。300バーツ支払い、残りはチップ。 |
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■20:32
ホテルの隣のマッサージ店には20:30で予約をしていた。
タイマッサージを受ける。なかなか上手だ。
これで、今晩は熟睡出来て明日の朝には疲れも取れているだろう。
マッサージ代は失念した。 |