旅のはじめにⅡ



クメールの「王道」 Royal Roads Map
アンコール都城からベトナムのフエまで、クメールの「王道」は延びていた




チャンパ王国について
チャンパ王国とは

チャンパ王国は、オーストロネジア系(東南アジアでは他にオーストロアジア系、タイ・カダイ系、シナ・チベット系、ミャオ・ヤオ系の計5つの言語がある)の言語を話す海洋民族チャム人の国で、インド文化の影響を受けて2世紀末から17世紀にかけてベトナム中部から南部沿岸に存在した。

チャム人は「随書」に、「深目・高鼻・拳髪(巻き毛)・色黒」と書かれ、現在のベトナムの大部分を占める越族とは全く異なるマレー的特色を持つ民族である。

6世紀後半に南ラオスから勃興した真臘(クメール)は、チャンパから奪ったチャンパサック(チャンパの栄光という意味)と呼ぶ地域をクメール揺籃の地としている。あのワットプーの建立されている場所である。という事は、チャンパという国名は7世紀以前から使用されていたのだろう。

チヤンパ王国の遺跡は、ヒンドゥー教や仏教文化のもと8世紀から17世紀にかけて建立されたレンガ造りの神殿建築などが残されている。中国ではチャンパ王国の国名を、唐代まで林邑(りんゆう)、8世紀後半から9世紀前半には環王(かんおう)、宋代以降は占城(せんじょう)と呼んだ。占城とは、「チャムの都」を意味するサンスクリット語の漢訳である。

チャンパ王国は一説によると、北部の「椰子族」と南部の「檳榔族」とに別れて支配されており、両者はしばしば衝突し戦争にも及んだ。この両者の抗争が、チャンパ王国の一体性を揺るがす内的要因の一つと考えられている。

南シナ海海上貿易の雄として、中国・ジャワ・カンボジア・ベトナムなどと戦い、そして貿易や人の往来で文化交流も盛んで、特に10世紀以降アジアの海洋交易が大発展すると、チャンパは全盛期を迎えた。

920年インドシナ半島 黄色:チャンパ 紫色:ベトナム 橙色:クメール

しかし、チャンパ王国はバイヨンの第一回廊のレリーフで有名なクメール族との戦い(前頁の写真)や、ベトナム南部の中国系の越族「京(キン)族」との戦いでだんだんと衰退する。

そして、かろうじて地方勢力として残っていたが、17世紀に越族に滅ぼされ1500年間続いたチャンパ王国は完全に消滅した。1697年に最後の王朝の地ファンティエットが平順府(ピントゥアン)と記されたのを最後として、中国の史書からも占城の名は消える。

その後、チャム人は大陸の各地に逃れて、いくつかの拠点は機能していたらしい。アユタヤ朝の水軍は海洋民族チャム人の傭兵で成り立っていたともいう。

ベトナムに残ったチャム族はベトナムの同化政策に飲み込まれ、カンボジアに住むチャム族だけがイスラム化を深めつつ独自の文化を守ったが、それ故にポルポト政権下に大虐殺にあった。・・・なんとも、悲劇的な王国の末路である。





チャンパ遺跡の様式

・チャンパ遺跡はA~Fの6つの様式に大きく区分できる

チャンパの主要遺跡地図
チャンパの主要遺跡地図


区分 様式 主な遺跡と概要
A ミーソン遺跡群
(My Son)
ホイアンの西南40キロの盆地に、チャンパの聖地として4世紀から13世紀(7世紀以前の建物は木造のため残っていない)にかけて、さまざまな様式の宗教施設が建設された。東南アジア史を知るうえでも極めて重要な遺跡群。
現在、A~G群の建築群が整備されている。1999年、ユネスコの世界遺産に登録。
B クアンナム遺跡群
(Quang Nam)
クアンナム省(Quang Nam)に残る遺跡群。建設された時期は異なるが、平坦な敷地に展開されミーソン遺跡に比べ建物の規模が大きいのが特徴。
なお、10~12世紀の政治的不安定の時代に造営されたため、外敵からの防御するための城壁としての意味を持っていたらしい。
・バンアン (Bang An) 12世紀
・チェンダン (Cheng Dan) 11~12世紀
・クオンミー (Khuong My) 10~11世紀
・ドンズオン (Dong Duong) 9~10世紀
C ビンディン遺跡群
(Binh Dinh)
クイニョンの郊外に残る8つの遺跡群。
そのうち5つ遺跡は、10世紀から14世紀にかけて丘の上に建造され、遠望を意識した造形で、建物の規模は大きくなり壁面の装飾性は乏しく、クメール建築の影響を大きく受けている。
・金塔 (Thoc Loc) 13~14世紀
・銀塔 (Banh It) 11世紀
・銅塔 (Chanh Tien) 13~14世紀
・象牙塔 (Duong Long) 11世紀
・トウーティエン (Thu Thien) 13~14世紀
・ビンラム (Binh Ram) 11世紀
・フンタン (Hung Tanh) 10世紀
・雁塔 (Thap Nhan) 11世紀
D ポーナガール遺跡群
(Po Nagar)
ニャチャンの丘の上にあるポーナガール(Po Nagar)遺跡は、創建当時木造建築で、ジャワ軍により774年と787年に焼き払われた。
その後、10世紀から13世紀にかけてチャンパの王によって、砂岩とレンガ造りの諸塔が建立された。
現在、5棟の建物が残っている。
E ポーハイ遺跡群
(Pho Hai)
ファンランからファンティエットにかけて8世紀から9世紀に創建された、チンャパ遺跡の中で最も古い建物。
カンボジアのプレアンコール期の建築と類似点が多い。
・ポーハイ (Pho Hai) 8世紀~9世紀
・ポーダム (Po Dam) 8世紀~9世紀
・ホアライ (Hoa Lai) 8世紀~9世紀
F 王国衰亡期遺跡群 ファンランにあるチャンパ王国の衰亡期の建物で、この時期のチャンパは越族の圧迫を受けて、隷属化した地方勢力になっていた。
・ポークロンガライ (Po Klong Garai) 13~14世紀
・ポーロメ (Po Rome) 15~16世紀




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