■行程6日目(通算33日目)> ルアンパバーン観光2
■6:09 

托鉢の見物も3日目ともなるとすごく横着になり、階下に降りるのも面倒で2階の部屋から写真を撮る。


■7:11

屋上のテラスで朝食。

さあ、今日はどうしようかな?


■9:46

今日は3日間滞在して、まだ見ていない寺院をブラブラと巡ろう。

ホテルの前のチャオファーグム通りを、東南方面に歩く。

ジョマ(Joma)レストラン。


■9:49

チャオファーグム通りの噴水。

ここが、ルアンパバーンの入口だ。

と言うことは、これから街の外に出ると言う事になる。


■9:51

メゾンスアンナプームホテル(Maison Souvannaphoum)。


■10:04

ワットパバートタイ(Wat Pha Bart Tai)に入る。

入場料、10000キップ。


■10:09

本尊の仏像。


■10:09

本堂の本生話の壁画。

手前で寝乱れている女性たちは、まるで千夜一夜物語のようだ。

仏教壁画にしては、少し色っぽ過ぎるのでは?


■10:11

いかにも、庶民的な顔の仏像。


■10:13

メコンに面したテラスがあった。

散歩の途中、一休みするには最適な場所だ。



■10:19  黄金の寝釈迦仏の上の猫。


■10:19

猫と犬がじゃれあっていた。


■10:21

降魔成道の壁画。

仏を誘惑するグラマスな美女達。

仏の目は、悟りを開いていない見たいだ。


■10:29

ワットタートルアン(Wat Thatluang)に行くために、運動場を横切った。

ここは、車の運転練習場だった。


■10:33

ワットタートルアンの入口はナーガでは無く、龍だった。

入場料、10000キップ。




■10:36

ワットタートルアンは丘の上に位置し、1514年にビスンナラート王によって建立された。

この塔には、仏舎利が納められていると言う。



■10:37 木製の鐘を鳴らす僧侶。


■10:41

本堂内に安置された木製のレリーフ。


■10:42

本堂は、1818年にマンタトウラート王が建立した。

老僧がおり、何処から来たか?と声を掛けられた。


■0:45

美しい扉絵。

ナーンの寺院にある扉絵に似ている。


■10:49

墓碑は写真付きだ。


■10:58

ラオスの人々は、自分たちの事を「ナーガの民」と呼んでいた。

それを物語るかのような、勢いのあるナーガ像。


■11:00

破風に1935年と書かれた住宅。

フランスの統治時代の住宅だが、今は廃屋になっていた。



■11:03 テントを張り、食事の支度をして人々が集まっている。何だろうと?と様子を伺う。どうも、葬式のようだ。


■11:08

ゴミの収集をしていた。

まさか、昨日見たメコンのゴミのように、そのままメコンへ…なんて事は無いだろうね。


■11:17

ワットビスンナラート(Wat Visunnalat)の入口には、長い髪を池の水に変えて敵に襲われた仏を救ったナーントランニー(仏を守る女神)の像がある。

入場料、20000キップ。



■11:18

本堂の黄金に装飾された偽扉。

クメールを連想させる。

ワットビスンナラートは、1513年にビスンナラート王によって木造の寺院が建立された。

しかし、1887年に中国雲南のホー族の侵入で破壊され、19世紀末に再建され本堂はコンクリート造りだ。


■11:21

本堂内に安置された木製のレリーフ。



■11:22 本堂内の連子窓から入る明かりと、仏像のコントラストは神秘的だ。


■11:23

本堂の片隅に置かれた木像。


■11:24

本尊はヒスイで造られているようだ。


■11:31

本堂の窓には、「クメールシャム様式」の装飾がされた連子がはめ込まれている。


■11:34

仏塔タートパトゥムの形がスイカを半分に切ったような形から、ワットマークモー(すいか寺)の別名がる。

1914年大雨で崩壊し、1932年に再建された。


■11:37

ワットアーハーム(Wat Aham)は、ワットビスンナラートと地続きの為に入ってしまった。

何も無い寺で、入場料の20000キップはボッタクリだ。



■11:37

マンガのような獅子像。


■12:01

丁度お昼になった。

近くにある「中国思芽飯店」に入る。


■12:09

昼食は野菜炒めとライス。

それにビアラオの瓶+缶。

昼食代、43000キップ。


■12:41

昼食後、中国思芽飯店横の路地を入ると、日本人御用達のゲストハウスの「コールドリバー」があった。


■12:46

こちらはラーマホテル(Rama Hotel)。

最初、このホテルに泊まろうとしたが予約が取れなかった。



■12:49 アンシェントホテルに帰ろうと、キサラート通りを歩いていたら竹細工の商店があった。


■12:52

横断歩道の標識も、ラオスらしくてとても良い。

さあホテルに帰り、今日の午後はホテルでのんびりと過ごそう。


■18:25

今夜の夕食はホテルの部屋で、テレビでも見ながら摂ろう。


■18:25

夕食は、カオチーパテーと葉っぱ巻きとビアラオと果物だ。


■18:38

ビルマのヤンゴンで、軍政に抗議する僧侶や市民のデモを取材していたフリー映像ジャーナリスト長井健司さんが亡くなった事を、NHKで知った。

ビルマの隣国のラオスで、この事件のテレビを見ていると、とても他人事とは思えない。

これで、しばらくはビルマに入国出来ないだろう。

1ヶ月前のラノーンから、雨の中をビルマに入国しておけば良かったかな?
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