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■6:09
托鉢の見物も3日目ともなるとすごく横着になり、階下に降りるのも面倒で2階の部屋から写真を撮る。 |
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■7:11
屋上のテラスで朝食。
さあ、今日はどうしようかな? |
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■9:46
今日は3日間滞在して、まだ見ていない寺院をブラブラと巡ろう。
ホテルの前のチャオファーグム通りを、東南方面に歩く。
ジョマ(Joma)レストラン。 |
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■9:49
チャオファーグム通りの噴水。
ここが、ルアンパバーンの入口だ。
と言うことは、これから街の外に出ると言う事になる。 |
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■9:51
メゾンスアンナプームホテル(Maison Souvannaphoum)。 |
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■10:04
ワットパバートタイ(Wat Pha Bart Tai)に入る。
入場料、10000キップ。 |
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■10:09
本尊の仏像。 |
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■10:09
本堂の本生話の壁画。
手前で寝乱れている女性たちは、まるで千夜一夜物語のようだ。
仏教壁画にしては、少し色っぽ過ぎるのでは? |
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■10:11
いかにも、庶民的な顔の仏像。 |
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■10:13
メコンに面したテラスがあった。
散歩の途中、一休みするには最適な場所だ。 |
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■10:19
猫と犬がじゃれあっていた。 |
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■10:21
降魔成道の壁画。
仏を誘惑するグラマスな美女達。
仏の目は、悟りを開いていない見たいだ。 |
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■10:29
ワットタートルアン(Wat Thatluang)に行くために、運動場を横切った。
ここは、車の運転練習場だった。 |
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■10:33
ワットタートルアンの入口はナーガでは無く、龍だった。
入場料、10000キップ。
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■10:36
ワットタートルアンは丘の上に位置し、1514年にビスンナラート王によって建立された。
この塔には、仏舎利が納められていると言う。 |
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■10:41
本堂内に安置された木製のレリーフ。 |
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■10:42
本堂は、1818年にマンタトウラート王が建立した。
老僧がおり、何処から来たか?と声を掛けられた。 |
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■0:45
美しい扉絵。
ナーンの寺院にある扉絵に似ている。 |
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■10:49
墓碑は写真付きだ。 |
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■10:58
ラオスの人々は、自分たちの事を「ナーガの民」と呼んでいた。
それを物語るかのような、勢いのあるナーガ像。 |
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■11:00
破風に1935年と書かれた住宅。
フランスの統治時代の住宅だが、今は廃屋になっていた。 |
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■11:03 テントを張り、食事の支度をして人々が集まっている。何だろうと?と様子を伺う。どうも、葬式のようだ。 |
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■11:08
ゴミの収集をしていた。
まさか、昨日見たメコンのゴミのように、そのままメコンへ…なんて事は無いだろうね。 |
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■11:17
ワットビスンナラート(Wat Visunnalat)の入口には、長い髪を池の水に変えて敵に襲われた仏を救ったナーントランニー(仏を守る女神)の像がある。
入場料、20000キップ。
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■11:18
本堂の黄金に装飾された偽扉。
クメールを連想させる。
ワットビスンナラートは、1513年にビスンナラート王によって木造の寺院が建立された。
しかし、1887年に中国雲南のホー族の侵入で破壊され、19世紀末に再建され本堂はコンクリート造りだ。 |
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■11:21
本堂内に安置された木製のレリーフ。 |
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■11:22 本堂内の連子窓から入る明かりと、仏像のコントラストは神秘的だ。 |
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■11:23
本堂の片隅に置かれた木像。 |
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■11:24
本尊はヒスイで造られているようだ。 |
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■11:31
本堂の窓には、「クメールシャム様式」の装飾がされた連子がはめ込まれている。 |
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■11:34
仏塔タートパトゥムの形がスイカを半分に切ったような形から、ワットマークモー(すいか寺)の別名がる。
1914年大雨で崩壊し、1932年に再建された。 |
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■11:37
ワットアーハーム(Wat Aham)は、ワットビスンナラートと地続きの為に入ってしまった。
何も無い寺で、入場料の20000キップはボッタクリだ。
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■11:37
マンガのような獅子像。 |
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■12:01
丁度お昼になった。
近くにある「中国思芽飯店」に入る。 |
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■12:09
昼食は野菜炒めとライス。
それにビアラオの瓶+缶。
昼食代、43000キップ。 |
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■12:41
昼食後、中国思芽飯店横の路地を入ると、日本人御用達のゲストハウスの「コールドリバー」があった。 |
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■12:46
こちらはラーマホテル(Rama Hotel)。
最初、このホテルに泊まろうとしたが予約が取れなかった。 |
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■12:49 アンシェントホテルに帰ろうと、キサラート通りを歩いていたら竹細工の商店があった。 |
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■12:52
横断歩道の標識も、ラオスらしくてとても良い。
さあホテルに帰り、今日の午後はホテルでのんびりと過ごそう。 |
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■18:25
今夜の夕食はホテルの部屋で、テレビでも見ながら摂ろう。 |
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■18:25
夕食は、カオチーパテーと葉っぱ巻きとビアラオと果物だ。 |
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■18:38
ビルマのヤンゴンで、軍政に抗議する僧侶や市民のデモを取材していたフリー映像ジャーナリスト長井健司さんが亡くなった事を、NHKで知った。
ビルマの隣国のラオスで、この事件のテレビを見ていると、とても他人事とは思えない。
これで、しばらくはビルマに入国出来ないだろう。
1ヶ月前のラノーンから、雨の中をビルマに入国しておけば良かったかな? |