行程5日目>失われた「王道」のクメール遺跡の残滓を探しに Ⅱ
走行DATA

 当日走行距離 278 km
 累計走行距離 1662 km
 当日給油 0 ℓ
 累計給油 74.3 ℓ
「ふうみん」の走行一口メモ
・ナンロンでは、Ruan Nangrong Resort と言うホテルに泊まったが、形式はモーテル(ラブホテルではない)だった。

・レンタカーの旅には、とても便利なホテル(モーテル)だ。

・タイもモーターリゼーションの発達により、このようなホテルがますます増えてくるのだろう。
■7:12

Ruan Nangrong Resort のVIPルーム棟。

左から2台目が「ふうみん」の車で、その前が部屋だ。

外見はなかなか綺麗だが、部屋の中の仕様はタイ人専用だ。

しかし、ブリーラムやスリンのクメール遺跡は24号線から南側(カンボジア側)が多いので、遺跡巡りの基点として、このホテルの利用価値はあると思う。


■7:13

前日、この看板のペプシを見て「yayo」は、この建物がホテルと思ったと言う。

「ふうみん」は分からずに、通り過ぎるところだった。

ホテルの入口の前の道路を500メートルぐらい行くと24号線にぶつかる。


■7:33

ホテルのレストランは閉まっていた為、24号線に出てどこかで朝食を食べよう。

ガイヤーンの屋台があったので車を停める。


■7:34

おいしそうな煙をたてて、焼かれているガイヤーンなど。

屋台の裏で、ガイヤーンとカオニャオとミネラル1本の朝食。

代金は50バーツと激安。


■クメールの「王道と宿駅の地図」


・昨日は5~8の「宿駅」を見学した。

・今日は1~4の「宿駅」を見学しょう。



■8:12  まず、昨日途中で断念した「宿駅・4」の Prasat Nong Kong から、見学しよう。Ban Nong Kong の村人に聞いた田んぼの一本道を走るが、遺跡らしきものは無い。

多分、道を間違えたと思い引き返して来ると、オートバイに乗った「おじさん」に出会った。この「おじさん」に遺跡を聞くと、親切にも案内してくれるという。車をやっとUターンさせて、オートバイの「おじさん」の後を走る。



■8:15
クメール遺跡  No.28
遺跡名 Prasat Nong Kong
様 式 Bayon Style
DHARMASALA (Hotel)4/8
先ほどUターンした場所から、かなり先まで行ったところの左手に「宿駅・4」の Prasat Nong Kong 遺跡はあった。

看板等は一切無いので、案内してもらわなかったら絶対に行き着かなかっただろう。


■ 8:17

案内してくれた「おじさん」。

「ふうみん」は心ばかりのチップを渡そうとしたが、受け取らなかった。

「おじさん」!本当にありがとう。

あなたが居なければ、今回の王道上の「宿駅」の全駅制覇は出来なかった。

まさに感謝!


■8:18

この遺跡も、北側のラテライトの石組みを残すだけで、見事なまでに崩壊している。


■8:19

尖塔部分の石積み。



■8:20 「おじさん」はオートバイに乗って去っていった。この遺跡に車は入れず、「yayo」は先まで行ってちょうどUターンして戻って来たところだった。



■8:21 Prasat Nong Kong から眺めたイサーンの大地。この大地の片隅にクメールの遺跡は崩壊し、そして忘れ去られたように佇んでいた。

800年も昔、この遺跡の前の王道をたくさんの人々が往来していた姿は、余程想像力を働かせなくては思い浮かばない。それにしても、歴史のロマンを感じるな~あ。


■8:33

Ban Nong Kong の村に帰る途中、牛の群とすれ違う。これから、放牧に行くのだろう。

ここから、数百メートルで村に入った。そこの角の家に何と先ほどの「おじさん」が居た。

「ふうみん」が深々とお辞儀をすると、「おじさん」もお辞儀を返した。

今日は朝からとてもいい気分だ。



■8:56 24号線まで戻り東に走り、右折して2117号線を走る。目指すはパノムルンだ。


■ 9:05

ここの入場券も値上げだ。

パノムルンとムアンタムの共通券だと、150バーツと安いと言うので購入する。




■パノムルン遺跡の紹介

タイ国内のクメ-ル遺跡の中で、ビマーイ遺跡と共に最も修復が成功した例としてパノムルン遺跡がある。

パノムルンとはクメール語で「大きな丘」を意味し、380メートルのパノムルン山をシヴァ神の宿る「カイラ-サ山」に見立てたクメ-ル神殿で、典型的な山岳テラス型の建造物だ。

現在残されている建造物は10~13世紀にかけられて建てられたヒンドゥー教の寺院で東西に長い直線的な造りになっている。



■9:13
クメール遺跡  No.29
遺跡名 Prasat Phanom Rung
様 式 Khleang~Angkor Wat Style
パノムルン歴史公園は3度目の訪問となる。今回は早朝の為、観光客がほとんど居ない。その参道を歩く「ふうみん」。



■9:17 朝日に輝くパノムルン遺跡。


■ 9:18

中央祠堂入口の破風に彫られた「踊るシヴァ神」。

実にいい顔をしているな。


■ 9:20

いつもと違い「経蔵」が気になる。

「聖水を流すソーマスートラ」が設けられているか?を調べる。


■9:35

これは主祠堂に設けられた、「聖水を流すソーマスートラ」だ。

流石、立派なものだ。


■9:56

パノムルンの資料館を見学する。


300B 180B
■10:00

そのパノムルンの資料館で、本を2冊とDVDを2つ購入した。

それにしても、今回簡単に見学しょうと思っていたが、やはり一時間は経ってしまった。



■10:11
クメール遺跡  No.30
遺跡名 Kuti Rishi Ban Nong Bua Lai
様 式 Bayon Style
AROKAYASALA (Hospital)
Kuti Rishi Ban Nong Bua Lai 遺跡はパノムルンの山を下った右側にあり、13世紀のジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」だ。


■10:12

この遺跡の「経蔵に聖水を流すソーマスートラ」が設けられているか?を調べる。

経蔵は基壇を残すのみで、さらに祠堂との基壇が繋がっており、ソーマスートラの痕跡は認められない。


■ブリーラム県のクメール遺跡本の地図

Prasat Ban Bu に向う。


■ 10:19

「宿駅・3」のPrasat Ban Bu 遺跡は2221号線に面した小学校の中にある。

これまで見学した「宿駅」は、全てダート道を走っしたから、こんなに道に迷わずに来られた「宿駅」は初めてだ。




■10:20
クメール遺跡  No.31
遺跡名 Prasat Ban Bu
様 式 Bayon Style
DHARMASALA (Hotel)3/8
うれしい事に窓側がきれいに残っている。




■10:23

両方の壁が残っており、湾曲した壁で「迫り出し構造」が分かる。

クメールには、アーチ(真性アーチ)の技術はなかった。

クメールに有ったのは、擬似アーチの「迫り出し構造」だ。

クメールに技術を伝えたインドにも、その当時はアーチは用いられなかった。


■ 10:24

遺跡の片隅の石に、蓮の花のレリーフを見つけた。

こんな小さな事が、うれしい。



■10:11
クメール遺跡  No.32
遺跡名 Kuti Rishi Ban Khok Mueang
様 式 Bayon Style
AROKAYASALA (Hospital)
Prasat Khok Ngiao 遺跡は、ムアンタム手前のバライの横の小道を入った所にあり、13世紀のジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」だ。


■10:38

この遺跡の「経蔵に聖水を流すソーマスートラ」が設けられているか?を調べる。


■10:39

これが、論文にも取り上げられたソーマスートラだ。

この建物は一般的に「経蔵」と言われているが、聖水を流すソーマスートラを設けた事例があるために、「経蔵」と断定する事はできない。


■10:48

ムアンタム遺跡は、パノムルン遺跡の南東8キロにある寺院。

案内所の後ろの駐車場に車を停める。





■10:51
クメール遺跡  No.33
遺跡名 Prasat Mueang Tam
様 式 Kheang Style
ムアンタム遺跡は10世紀後半にジャヤヴァルマン5世によって造られたクレアン様式のヒンドゥー教の寺院。

ムアンタム遺跡の立派な楼門。



■10:53 ムアンタム遺跡の建物は左右対称で、東西南北に楼門を持ったラテライトの外壁と砂岩の回廊をもつ。



■10:56 レンガ造りの祠堂群があり、前列3基と後列2基の祠堂が建つていた。しかし、今は前列中央の祠堂は基礎を残すのみ。



■11:03 ムアンタム遺跡のそばには、大きな貯水池(バライ・これも遺跡)がある。


■ブリーラム県のクメール遺跡本の地図

2221号線、219号線と走りPrasat Thamo に向う。

219号線からPrasat Thamo に向う道は、新しい道が出来ており、大きく左にカーブしていたため、違う道と思い何度も行き来してしまった。


■12:03

舗装された道を走る。

この道でいいのかな?と疑問に思った頃に、遺跡の標識が出ていた。


■12:05

少しダート道を走るが、直ぐに目指す遺跡はあった。



■12:07
クメール遺跡  No.34
遺跡名 Prasat Thamo
様 式 Bayon Style
DHARMASALA (Hotel)2/8
この宿駅には、東南方面にバライが残されていた。

Prasat Huay Khaen に次いでバライのある宿駅は2つ目だ。



■ 12:08 Prasat Thamo 遺跡は、うれしい事に思った以上に残されていた。


■ 12:10

この遺跡の特徴は、きれいに残った窓の石組みだ。

この後の、Ta Muan はきれいに修復されているが、窓の石組みはず~つと、この遺跡のほうが見事だ。


■12:34

Ban Kruat の道沿いの食堂に入る。


■12:37

食堂の敷地内には、東屋のような小屋が作られている。

その、東屋の1軒に入る。

先ずは、ビールとコーラと、食事は隣で食べていた緬と魚料理を注文した。

しかし、店のおばさんに注文が伝わったのか確信は出来ない。


■13:14

ビールとコーラで喉を潤していると、今度は男性が注文をとりに来た。

やはり、先ほどのおばさんの注文はうまく伝わっていないようだ。

最初の注文から30分後に出て来た緬料理。


■13:22

そして魚料理。

その両方とも期待以上の味だ。タイの川魚は独得の匂いがあるのだが、この料理には全く無く美味しい。

魚をひっくり返して、きれいに全部平らげてしまった。

昼食代は、ビールとコーラを2本づづ飲んで、350バーツ。



■14:04 昼食に時間が掛かり過ぎたが、すごく美味しかったから気分は上々だ。224号線から標識に従って右折し、2407号線に入る。



■14:14
クメール遺跡  No.35
遺跡名 Prasat Ta Muan
様 式 Bayon Style
DHARMASALA (Hotel)1/8
10キロほど走ると、「宿駅・1」の Prasat Ta Muan 遺跡が左手に見える。

この遺跡は、カンボジアからタイに入って最初の宿駅だ。


■14:17

この遺跡はきれいに修復されている。

宿駅の事をルイ・フィノ(Louis Finot)は、Dharmasala (ダルマシャーラー・慈善施設の意味)と呼んだ。

宿駅の棟続きには、いくつかの木造家屋が建っており、軍隊や官吏・商人・村人等が宿泊していた。

碑文による往時の名称は、Akni Guriha(サンスクリット語で灯明のある家)であり、現在カンボジアでは Sala Somnak(宿駅)と呼んでいる。


■ 14:20

宿駅はHouse of Fire(炎の家)とも呼ばれ、これは旅人が王道上で立ち寄る「灯明のある家」の意味だ。

この炉に灯明が燈されていたのかな?



■14:24
クメール遺跡  No.36
遺跡名 Prasat Ta Muan Toch
様 式 Bayon Style
AROKAYASALA (Hospital)
Prasat Ta Muan Toch 遺跡は、Prasat Ta Muan 遺跡から300メートほど走った右側にあり、13世紀のジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」だ。



■14:26 施療院は主祠堂、経蔵?、塔門、周壁、バライからなる小規模の伽藍である。伽藍は東面し、主軸上には塔門、主祠堂が位置し、塔門から低い周壁がまわる。

主祠堂や塔門の前面にはテラスが設けられ、一部に木造建物の存在を示す痕跡も見られた事から、施療のための建物は敷地内の別の木造建築だったと考えられる。


■14:31

この遺跡の「経蔵に聖水を流すソーマスートラ」が設けられているか?を調べる。

オリジナルに近い?形に修復されているが、ソーマスートラの痕跡は認められない。


■14:32

綺麗に復元された主祠堂。



■14:39
クメール遺跡  No.37
遺跡名 Prasat Ta Muan Thom
様 式 Baphuon Style
Prasat Ta Muan Thom 遺跡は、前2遺跡のタームアン、タームアントットと異なり、11世紀に建てられた規模の大きなバプーオン様式のヒンドゥー教のシヴァ神殿だ。

神殿は南向きで、回廊の中に主祠堂と2基の祠堂があり、裏にバライを持つ。


■14:39

2008年8月5日 バンコク週報

ブンサン国軍最高司令官は8月4日、カンボジアに隣接するタイ東北部スリン県の国境地帯にある『タームアントム寺院』遺跡はタイ領であると明言し、同エリアに近づかないようカンボジア軍に警告した。

これは、同遺跡を自国領と主張するカンボジアが先に、「自国兵がこのエリアに入るのをタイ軍に阻止された」と抗議したことによるもの。


■ 14:40

ブンサン司令官は、「カンボジア兵が侵入すれば追い返す」と明言している。

なお、この寺院遺跡の位置するエリアも、カンボジアの単独申請により世界遺産に指定されたばかりの『プレアビヘア遺跡』周辺エリアと同様、国境未画定区域となっている。


「ふうみん」は、上記の記事などにより、国境の現状が知りたかった。


■14:43

2007年9月訪問時に比べ、

先ず最初に感じたのが新たに「地雷の標識」が設けられていた。
国境警備員が2名配置されていた。
カンボジアにファランの観光客が国境を越えて入り、カンボジア人と記念写真を撮っていた。
国境紛争中の状況に無く、以前と同じくのんびりしていた。

以上の状況から、国境紛争を懸念する状況ではない様だ。



■14:45 国境紛争で揺れ動くタームアン遺跡の祠堂群。


■14:47

タームアントム遺跡の内部には、おおぜいのタイ人観光客がいた。

過去2回の訪問時、他の観光客の姿は全く無かった。


■ 14:49

駐車場には、タイ人観光客が乗って来たバスとファランの観光客が乗って来たミニバンが停まっていた。

左端は「ふうみん」の車。

多分、カオプラヴィハーン(プリアビヒア)遺跡の世界遺産登録に伴う国境紛争による国境閉鎖で、カオプラヴィハーンに行けない観光客がタームアントムに見学に訪れているのだろう。


■15:32

224号線のT字路を右折し214号線を南に進み、さらに左折し2122号線に入る。

Prasat Beng 遺跡を探す。


■15:46

クメール遺跡  探し出せず
遺跡名 Prasat Beng
様 式

「ふうみん」は Prasat Beng 遺跡をWat  Prasat Beng の境内にあるものだと思って来て見たが、この寺には無かった。

この遺跡はどんな物なのか?何処にあるのか?


■16:20

214号線に戻り、24号線の交差点を進み Prasat の街に入る。

Prasat Ban Plai 遺跡を探す。



■16:32
クメール遺跡  No.38
遺跡名 Prasat Ban Plai
様 式 Baphuon Style
24号線と Prasat の交差点から、214号線を10キロほど北上し、数キロ走った右側に Prasat Ban Plai 遺跡はあった。



■16:33 環濠が囲むラテライトの基壇の上には、3基のレンガ製の祠堂が建てられている。向って、左側の祠堂はほとんど崩落している。この遺跡はバプーオン様式のシヴァ神殿だ。


17:10

スリン市街のバス停にあるスリンマジェスティックホテル(Surin Majestic Hotel)を目指す。

「地球の歩き方」に、2005年9月オープンのスリンの最新・最高ホテルとの紹介記事があり、泊まって見ようと思った。


■17:12

マジェスティックホテルを見つけ、玄関に車を付ける。

レセプションで宿泊を申し込むと、1泊朝食付で900バーツとの事。その場で現金を添えて申し込んだ。

スリンのホテルは過去に
・トンタリン
・ベッカセーム
に宿泊した。

各ホテルの詳細は「タイの地方ホテル案内」へ 。


■17:59

部屋に入り一休みした後、目の前の建物にタイマッサージ店があるので、その店に行こうとホテルを出た。

このホテルの建物を最初目にした時、「宿駅」の形に似ているなと思った。


■ 18:00

マジェスティックホテルの前にはきれいな建物が建っており、その中の一軒の店に入る。

1階がコーヒーショップで、3階がマッサージルームだ。


■18:01

マッサージ師が来るまで、一階でお茶を飲んでいると象が来た。

20バーツで餌を買い象に与える「ふうみん」。

ここスリンは象祭りで有名な場所だ。

この後、タイマッサージを受ける。なかなか上手だ。

マッサージ代、一時間200バーツ+チップ100バーツ。


■20:13

夕食は「地球の歩き方」に載っていた「チャントーン」にした。

高級タイ料理レストランと言うだけあって、田舎では良い感じの店内だ。

昼食の魚料理が美味しかったので、ここでも魚料理を中心に頼む。

さすがに味は良い。

夕食代は、チップ込みで650バーツ。


■20:53

店内ではライブ演奏やカラオケが始まり、食べるだけでなく客も参加している。

「yayo」も、そんな雰囲気を感じて楽しんでいる。

「ふうみん」は、念願の「宿駅」を9つ全部を見学出来て満足だ。

美味しいタイ料理にビールが進む。

今夜の仕上げには、ホテルの部屋に泡盛のクースが待っている。
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イサーンの大地走行2000キロプラス クメールの残滓を探しに
イサーンの大地走行2000キロプラス クメールの残滓を探しに