行程6日目>ロイエット、カラシンを経由して、コンケーンへ
走行DATA

 当日走行距離 352 km
 累計走行距離 2014 km
 当日給油 34.0 ℓ
 累計給油 108.3 ℓ
「ふうみん」の走行一口メモ
・タイでレンタカーに乗って3万キロ、初めて洗車をした。

・イサーンのガソリンスタンドでは、洗車機を見かけた事が無く、今まで洗車をしたくても出来無かった。

・洗車は高圧ホースによる水洗いから始まって、機械洗車、室内清掃とすごく丁寧であり、見ていて感激ものだった。洗車代金の100バーツは安いな!と思った。

■6:20 目が覚めて何気なく窓のカーテンを開けると、素晴らしい朝焼けだ。思わず、まだ寝ている「yayo」を起こす。



■7:01 ホテルの2階にある広いテラスに出ると、その目の前はバスターミナルだ。早朝から、大勢の人で賑わっている。


■ 7:10

ホテルのレストランは別棟になっているので、一旦ホテルを出て歩く。

このレストランは、食事の種類も多く美味しい。

ここで、日本人のビジネスマンが3名ほど朝食を摂っているのを見かけた。


■8:28

今朝の予定は、スリンの国立博物館に見学に行く。

博物館は9時の開館だから、食後はホテルの部屋でゆっくりしていた。

先ずは、ガソリンスタンドに入り給油をする。

★給油DATA

給油価格 820 (B)
給油量 34.0 (L)
ガソリン1L当り 24.1 (B)


■ 8:36

ガソリンスタンドの裏に洗車機を見つけた。

係員のお兄ちゃんに洗車を頼む。

昨日までのダート走行で、車の汚れは酷い。

こちらがビックリするほど丁寧に、お兄ちゃんは2人がかりで洗車してくれた。

洗車料金、100バーツ。


8:57

「地球の歩き方」の地図に載っている、スリンの国立博物館の建物に来たが、どうも様子が違うようだ。

そういえば、確か新しい国立博物館が出来たと聞いたが…

この建物に居た人に聞くが、国立博物館の場所は分からず。


9:03

隣の県庁に入り、スリンの国立博物館の場所を偉そうなお役人に聞く。

214号線を南に5キロほど行った、左側にあるとの事。

何だい、この最新の「地球の歩き方 ’08~’09」の地図は、だから「地球の迷い方」何て言われるんだ!と、怒る「ふうみん」であった。


■ 9:23

教えてもらったスリンの国立博物館に行く。

外見は素晴らしい外観の建物だ。

「それにしても、駐車場に車が1台も無いわね?」と、「yayo」。

「まだ開館したばかりだからだろう!」と、「ふうみん」。

その内に警備員が寄って来て、まだ博物館がオープンしていないとの事。



■9:51 ガッカリする「ふうみん」に対し、「yayo」は、「おかげ様でガソリンスタンドで洗車出来て、車がきれいになったから良かったじゃないの」と、慰める。

スリンから214号線を北上し、26キロ先の Chom Phra を目指す。



■10:25
クメール遺跡  No.39
遺跡名 Prasat Chom Phra
様 式 Bayon Style
AROKAYASALA (Hospital)
Prasat Chom Phra 遺跡は、Wat Pa Prasa Chom Phra の中にあり、13世紀のジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」だ。



■10:28 「経蔵に聖水を流すソーマスートラ」が、設けられているか?を調べる。残念ながら、この施療院にはその痕跡は無かった。


■ 10:29

遺跡のラテライトの石組みの間から、大木が立っていた。

なかなか雰囲気のある遺跡だ。



■11:06
クメール遺跡  No.40
遺跡名 Prasat Nang Bua Toom
様 式
Chom Phra から、214号線を26キロ北上しTha Tum の町を左折し、10キロほど走った寺の境内にPrasat Nang Bua Toom 遺跡はあった。

ちょうど迎えの時間なのか、保育園の児童を迎えに来た保護者がたくさんいた。



■ 11:12 ラテライトの基壇の上に、ラテライトの3基の祠堂が建っている。ヨニが置かれていたのでシヴァ神殿だろう。



■11:16 うれしい事に、まぐさ石が4本あった。どれも磨耗が激しくレリーフの内容は判然としないが、上記のまぐさ石は「シヴァ神と妻のウマ」ではないかと思う。



■11:39 Tha Tum まで戻り、214号線を33キロ先の Sawannaphum を目指す。



■11:55
クメール遺跡  No.41
遺跡名 Ku Phra Kona
様 式 Baphuon Style
2086号線の交差点の横の猿寺と呼ばれる仏教寺院の中にKu Phra Kona 遺跡はあった。

中央の祠堂は1928年に漆喰を塗った仏塔に改築され、左の祠堂はトタン屋根のお堂になっている。右の祠堂だけが、創建当時のオリジナルを保っている。


■11:57

遺跡の中に入ると煉瓦が積まれていた。


■ 11:57

その横の地面の上に、まぐさ石が無雑作に置かれていた。

ガルーダに乗るヴィシュヌ神が彫られている。


■11:59

左側のトタン屋根のお堂に入る。

前回の訪問時には、このお堂に入らなかった。


■12:00

左側のトタン屋根のお堂に入って驚いた。

破風には、猿王スグリーヴァと兄のヴァリーンの戦い、サブリンテルには、横たわるヴィシュヌ神が彫られている。

そして、まぐさ石は中央が崩落して分からず、カーラの手の部分が辛うじて残っていた。

田舎のレリーフとしては、なかなかの見事なものだ。

前回来た時に、外見だけでガッカリしてお堂の中に入らなかった。

…と、反省しきりの「ふうみん」であった。。



■12:04 彫りかけの寝釈迦のまぐさ石があった。11世紀に造られた当時の遺跡の物ではなく、後世の仏教の影響下で彫られた物ではないか?と、思う。

このレリーフの美術的な価値は少ないが、歴史的な価値は大いにあると思う。


■ 12:19

215、202号線を走り、Kaset Wisai に向う。

Kaset Wisai の街中を走り、Ku Kradon 遺跡を探すが、遺跡の標識も無いし、場所も分からない。

寺院の中にあるとの情報で、街中で一番大きな寺院に入るが見当たらず、その隣にある警察署に入って聞く。


■ 12:52

警察に入り、Ku Kradon 遺跡を訪ねるが、受付の男性(警官)は分からず、隣の部屋で昼食中の3人の婦人警官に聞くが、それでも分からず。

近くにいた若い警官も参入して調べるが、やはり分からず。

その内、留置場(牢屋)に拘留されている、こそ泥風のおじさん(本当に、この牢屋に入っている人の写真を撮りたかった!)まで参加して、喧々諤々の議論を10分ほどする…

「ふうみん」は、途中であきれ果て…やっとの思いで警察を出た。

車では「yayo」が怪訝な顔をして待っていた。



■13:19
クメール遺跡  No.42
遺跡名 Ku Kradon
様 式 Baphuon Style
狭い街中だ、寺院を全部当たろう!と思い寺院を回る。

2軒目の寺院の中にKu Kradon 遺跡はあった。立派な看板が出ているではないか、それに、先ほど訪ねた警察署から500メートルも離れていないヨ!


■13:21

ラテライトの一基の祠堂が建っており、祠堂の左右の地べたに1本づつのまぐさ石が置かれている。



■ 13:23 向って、右側のまぐさ石。案内板の説明には、ラーマーヤナ物語が彫られているというが、レリーフの磨耗が激しく判然としない。

「ふうみん」は最初に見た時、踊るシヴァ神と妻のウマかな?と思った。それにしては、シヴァ神の腕が2本(通常踊っている動きを表現する為、多数本描かれる)は少ないのかな~あ。


■13:31

バスステーションの奥に、「ドラえもん」が手を挙げて呼んでいるレストランが在る。

日本人なら、あそこに行って食べよう!


■ 13:40

ソムタムと、揚げ緬のあんかけを注文。なかなか旨い。

ビールとコーラを入れて、昼食代175バーツ。


■ 14:16

214号線を21キロ走り、Chaturaphak phiman を通り過ぎる。


■ 14:49

ロイエット市街に入り、国立博物館に着いた。




■ロイエット国立博物館(Roi Et National Museum)に入る。

ここも、入場料は30バーツから、100バーツに値上げされている。

おまけに、1階の入口付近にあるまぐさ石を撮ろうとしたら。「ノーフォト!」と怒られた。


■ 14:50

駐車場横に置かれたヨニ。


■15:03

2階に飾られた、クメール遺跡から出土した金片。


■ 15:08

ピンボケの写真だが、ヨニの石の組み合わせ図。

この図の赤丸の中の部分を見て、今まで疑問だった、この石(写真・下)の正体が分かった。

この図を見て、石の謎が解明出来ただけでも、この博物館に来た甲斐があったと思う。



■15:50 214号線をカラシンに向けて北上し、2116号線を左折する。


■15:57 

そして9キロほど走り、2367号線を右折し、数キロ走ると左側に Phra That Yaku がある。

「ふうみん」は以前カラシンに来た時に、この遺跡に興味を持って調べたが、ドヴァラヴァティー様式と知りスルーしていた。

今回、TAT(タイ国政府観光庁)発行のイサーン紹介の小冊子を読んでいたら、この地域で唯一残るクメール式仏塔と紹介されている。

確かめて見なくては!



■16:13
クメール遺跡  No.43
遺跡名 Phra That Yaku
様 式 Dvaravati Style
実物を見ると、残念ながらクメール様式ではないと思われる。

八角錐の煉瓦造りが特徴の仏塔で、ドヴァラヴァティー時代、アユタヤ時代、バンコク王朝時代の三時代に渡って建てられたと言う。


■16:15

イサーンを代表する仏塔のプラタートヤークーとプラタートパノムの写真入の横断幕。

タイ語のため、横断幕の意味は不明だ。


■16:19

プラタートヤークーを囲むように、セーマー石(結界石)が立っている。

釈迦のさまざまな前生の物語の本生話(ジャータカ物語)に関する絵が彫られている。



■16:20 プラタートヤークーの敷地内には、煉瓦造りの基壇がいくつも残されているので、見て回る。素人目には、やはりクメールではないようだ。



■16:36
クメール遺跡  No.44
遺跡名 Wat Pho Chai Semaram
様 式
プラタートヤークーに入る道の反対側に、Wat Pho Chai Semaram があった。



■16:26 この寺院に、地元の人々は発見されたたくさんのセーマー石を持ち込んだと言う。これらのセーマー石は、他の地方では見られない事から、この地方独特の物である可能性が考えられる。


■16:27

この図柄はどこかで見たな!この寺院の物だったんだ。

それにしては、彫がいやに新らしい感じがするし、稚拙だな…と感じた。

翌日分かったが、本物はコンケーンの国立博物館にあり、これはレプリカだった。


■16:29

寺院の庭の奥のトタン屋根の小屋の中に、状態の良いセーマー石が十数本安置されていた。

入口に鍵がかかって居ないので、勝手に入り写真を撮る。

仏陀伝や本生話に関する絵が彫られている。


■16:32

裏庭に回ると、セーマー石とニワトリの像が並べて置かれていた。

このニワトリの像は、ガイヤーン食堂の前に置かれているのと同じだ。

歴史ある遺物のセーマー石と近代の大量生産のニワトリ像が同一の価値観?…この感覚が理解できない。



■16:58 今日のクメール遺跡の見学は終りだ。夕暮れの209号線を一路コンケーン目指して走る。


■17:22 

荷物を満載のトラック。

横を通るのが怖い。


■17:49

コサホテル(Kosa Hotel)にチェックイン。


■ 17:58

部屋の窓から見えるホテルは、プルマンコンケーンラジャオーキッドでイサーン第一の格式を誇る最高級ホテルだ。

「ふうみん」も、前回はこのホテルに泊まった。

その評価は★5だが、同じホテルでは面白くないので、今回は隣のコサホテルにした。

見劣りがするのは致し方ないと思い、デラックスルームにグレードUPした。

宿泊料、1600バーツ。


■18:26

近くのフットマッサージにかかる。

以前にも入った店でなかなか上手。

マッサージ代、1時間200バーツ+チップ100バーツ。



■19:52 夕食に行こうとロビーに出ると素敵な置物に出会った。


■20:18

夕食はどうしょうかな?…と考えていると、Kosa Steek house との看板が目に付いた。

たまにはステーキも良いだろうと、ウエスタン調の店内に入る。

店内ではメキシコ人の二人組が歌っていた。


■ 20:19

ボーイのオススメのTボーンステーキを二人前注文。

一人前600バーツと良い値段だ。

出て来たステーキの大きさにビックリ!400gはあるだろう。

「yayo」は、とても食べられないわ!などといいながら、8割方食べた。


■20:42

窓越しに外の景色を眺めていたら、象がいた。

食事代は、飲み物代を含めて1460バーツ。


■ 21:05

ホテルの前のビアガーデンは、煌々と明かりが燈され、ホテルの建物が暗闇に浮かんでいた。

手前はコサ、後はプリンセスホテルだ。

さあ~、部屋に帰ろう。
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イサーンの大地走行2000キロプラス クメールの残滓を探しに
イサーンの大地走行2000キロプラス クメールの残滓を探しに