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■5:56 「ふうみん」と家人の「yayo」は、早朝に相模原の自宅を出て「横浜ベイブリッジ」の上を走る。 |
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■6:21
「海ほたる」の5階のマリンコートで朝食を摂る。
早朝のため、営業しているのは入り口近くの「海風」のみ。 |
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■6:25
「あさりそば」を食べる。
あさりがなかなか美味しかった。 |
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■6:39 海ほたるからの展望を期待していたが、濃霧のため視界悪し。 |
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■7:06 「圏央道」を走る。千葉県内の圏央道を走るのは今回が初めてだ。思っていたより緑が多い快適な道だった。ただし、途中から対面2車線になるので注意が必要。 |
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■8:35 圏央道の「横芝光インター」を下りて、今回の最初の訪問地である匝瑳市の「飯高寺檀林跡」へ向かう。飯高寺は、天正8年(1580年)から明治7年(1874年)までの300年近くわたり、法華宗(日蓮宗)の檀林(学問所)として多くの学僧を輩出した。
南駐車場に駐車して、まずは「飯高寺」の「総門」を目指して歩く。思っていたより立派な総門に感激する。 |
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■8:37
総門をくぐると、朝靄の中に静謐な雰囲気が漂っている。
圧倒される巨大な杉並木に囲まれた無人の参道を歩く。 |
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■8:42 参道の突き当りに立派な屋根を持った重要文化財の「講堂」が現れる。この講堂は木造入母屋造で、間口約27m、奥行16m。1580年に建立後、火災で焼失し1651年に再建された。1997年からの「平成の大修理」により再建当時の姿に復元されている。 |
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■8:42
重要文化財の「鼓楼」。 |
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■8:42
こちらは、重要文化財の「鐘楼」。 |
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■8:52
飯高寺の次は、「天神の森」に向かう。
飯高寺の階段を下りて、少し歩くと「法福寺」がある。
この寺の境内を抜けると、天神の森に向かう急な階段が見えた。 |
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■8:54 急な階段を登り切ると、スダジイを主体とした自然林と「天神社」がある。一番の巨木の根っこには「板根」が見られる。板根は熱帯雨林地域では多く見られるが、日本では珍しく学術的にも貴重だという。 |
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■9:10
天神の森から、長閑な山里の田舎道を歩くと「飯高神社」の標識があった。
飯高神社への山道が、昨日までの大雨の落葉で滑る。
足元に細心の注意を払いながら歩く。 |
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■9:15 「飯高神社」は、明治に神仏分離がなされ「妙福寺」より分けられた神社。本殿と拝殿が建ち並ぶ。建物は三間社流造で、周囲には玉垣を巡らしている。 |
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■9:17 「本殿」の外面の全体に彫刻が彫られている。昭和62年(1987年)の修理の際、屋根に使われていた銅板に宝暦8年(1758年)の墨書が発見された。 |
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■9:18
本殿屋根の雨だれ受け。
クメール遺跡好きの「ふうみん」には、これが「ヨニ」に見える。
こんな事を見つけるのが面白い。 |
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■9:19 「玉垣」には、中国の説話にもとづく二十四孝等の彫刻が施してある。 |
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■9:25
飯高神社の長い階段を降りると「妙福寺」に出る。
妙福寺は、延慶3年(1310年)進藤太縦空が守護神として妙見尊を祀り建立した。 |
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■9:35
南駐車場に戻ると観光協会の人が居て、色々な話をしてくれた。
「ふうみん」はパンフレットを貰い、「yayo」は御朱印を購入。 |
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■10:07
「佐原」の「街並み観光無料駐車場」に駐車する。
この駐車場は、名前の通り無料なのがうれしいね。 |
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■10:14 佐原は水運を利用して「江戸優り」といわれるほど栄えていた。その面影を残す町並みが小野川沿岸に残っている。散策には持って来いだ。 |
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■10:18
消火栓の纏の図柄。 |
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■10:29 佐原の町並み。前回の訪問時には、「小堀屋本店」で名物の黒切り蕎麦を戴いた。 |
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■10:33
「伊能忠敬の旧宅」を見学。 |
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■10:51
今回の旅の目的一つは東国三社巡りだ。
東国三社とは、鹿島神宮、息栖神社、香取神宮。
まずは、「香取神宮」から見学。 |
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■10:54 参道の正面にある「第二の鳥居」。鳥居の朱色と周囲の緑とが調和している。この鳥居をくぐった左手に護国神社への参道があり、その先に「要石」がある。 |
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■11:00
護国神社の裏にある石垣に囲まれた「要石」。 |
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■11:00
要石は、直径約30cm、高さ約30cmの小さなものだ。
香取神宮の要石は「凸形」であり、ヒンドゥー教のリンガにあたる。
この要石と対になる、鹿島神宮の要石は「凹形」をしており、地下で繋がっているともいわれる。
後程、鹿島神宮の要石を訪ねて見よう。 |
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■11:10 「拝殿」は黒地に金縁で、朱の塗り楼門とのコントラストが見事だ。 |
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■11:13
樹齢千余年、目通り7.4mという見事な「御神木」。 |
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■11:56
続いて「息栖(とす)神社」を見学。
東国三社の中で、この鳥栖神社のみが場所を移動している。
元は下流にあった神社を大同2年(802年)に、この地に 遷座した。
何故なのだろう? |
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■12:00 鉄筋コンクリート造の「社殿」は有難味に欠けるね。 |
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■12:07
「ふうみん」には、こちらの方が興味深い。
この鳥居の下に清水の湧出する「忍潮井(おしおい)」がある。
忍潮井は、男瓶・女瓶と呼ばれる二つの井戸からなり、神功皇后の3年(194年)に造られたといわれる。
日本三霊泉の一つとされている。三霊泉とは、忍潮井の他に伊勢の明星井・伏見の直井との事。 |
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■12:08
右側の井戸。
案内板には、「男瓶」は径2m弱、白御影石で銚子の形をしている。「女瓶」はややこぶりで土器のかたちをしている。
と書かれているが、右か左か具体的な表示はなく判別できない。 |
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■12:08
左側の井戸。 |
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■12:33
昼食は124号線沿いの「ビックボーイ」で摂る。
ビールはもちろんノンアルコールだ。 |
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■13:32
東国三社の最後の見学は「鹿島神宮」。
「大鳥居」は、東日本大震災により倒壊した御影石の鳥居に替わり、境内に自生する杉の巨木を用いて平成26年に再建された。 |
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■13:34 日本三大楼門の一つに数えられる「楼門」は、高さ約13m、寛永11年(1634年)に水戸徳川初代藩主により奉納された。 |
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■13:41 赤い楼門をくぐると右手に「拝殿」がある。拝殿は、後方にある「本殿・御神木・鏡石」とが一直線上に並んでいる。 |
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■13:47 「奥宮」の現在の社殿は、慶長10年(1605年)に徳川家康が関ヶ原戦勝の御礼に現在の本殿の位置に本宮として奉納。その14年後に新たな社殿を建てるにあたり、この位置に移したという。
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■13:49
鹿島神(タケミカヅチ)が大鯰の頭を刀剣で押さえつけている「石碑」。
かつて、地震は地中に棲む大鯰が起こすものと考えられていた。
要石は、その大鯰を押さえつける地震からの守り神として信仰された。
要石は、大鯰の頭と尾を抑える杭であるという。 |
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■13:52
鹿島神宮の要石は「凹形」で、直径約30cm、高さ約7cm、ヒンドゥー教のヨニにあたる
拍子抜けするほど小さなものだった。
しかし、見た目は小さいが地中部分は大きく決して抜くことはできないと言い伝えられている 。
水戸黄門が掘らせて見たが、鹿島の要石は「七日七夜」、香取の要石は「三日」掘っても根元を見る事ができなかったという。 |
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■13:55
カラスの鳴き声がうるさい。
近くに寄ってみると、カラスと蛇が格闘していた。 |
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■14:32 東国三社巡りを終えて、北湖沿いの県道18号線を走る。気持ちの良い快適な道路だ。 |
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■16:14
「アパホテル水戸駅北」にチェックイン。
ホテルの駐車場の入口が分かりづらいので、注意が必要だ。 |
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■16:28 「弘道館」に行くと、古希を迎えた「ふうみん」は入場料が無料だった。
弘道館は、水戸藩第9代藩主徳川斉昭によって創立された日本最大規模の藩校。藩士とその子弟が、学問と武芸の両方を学んだ場所。
「二大字・尊攘」の書。この書は、安政3年(1856年)に徳川斉昭の命により、水戸藩医で能書家として知られていた松延年が書いたもの。 |
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■16:33
「徳川慶喜肖像画」。
この肖像画を描いた羽石光志は、昭和に活躍した歴史画家。 |
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■16:33
「要石歌碑の拓本」。
石碑は孔子廟の南側に建っている。
斉昭詠「行末毛 富美奈太賀幣曽 蜻島 大和乃道存 要那里家流」(行く末も 踏みなたかへそ あきつ島 大和の道そ 要なりける)の歌が、自身の文字で書かれている。 |
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■16:48
水戸城の「大手門・二の丸角櫓・土塀」の復元工事が行われていた。
「ふうみん」は水戸城に来たのは初めてだが、この周辺の歴史的景観は素晴らしいので、復元後は一層の魅力が増すだろうと思った。 |
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■19:18
夕食は「魚誠」に行く。
残念ながら、アンコウの時期は過ぎていた。
仕方がない、一般的な料理を頼む。
味は普通だった。 |