第24部 タイのシルクロードをゆく
◆行程14日目 ロッブリーから、プラチンブリーへ
       ロッブリーからプラチンブリーの国立博物館を見学   2019/12/15(日) Google map 
ザテンポロッブリー(The Tempo Lopburi)



■6:42 ホテルの外に出て、美しいロッブリーの日の出を撮る。


■6:44

ザテンポロッブリー(The Tempo Lopburi)の駐車場が一杯で、通路まで車で埋まっていた。

2年前のタイ旅行で感じた事が、このホテルのような日本で云う「ビジネスホテル」が増えたと思う。

タイの経済発展と国民所得の上昇によるものだろう。


■7:00

ホテルのレストランは、清潔でこじんまりしている。


■7:04

一応の種類があるので、満足の朝食を摂る。


サーンプラカン(San Kan Shrine)



■8:08 ホテルを出て、ロッブリーの市内を走る。


■8:11

正面に、サーンプラカン(San Kan Shrine)の小山が見えて来た。

「ふうみん」は、ロッブリーに来るのは3度目になる。

クメール遺跡の探訪が目的なのに、何故だかこの遺跡を見逃していた。

その原因は、この駅近くのロータリーは交通が激しく車が駐車できなかった事と、サルの大群に辟易したからだ。

今朝は、日曜日の朝なので混雑はしていない。



■8:12 サーンプラカン(San Kan Shrine)の横に有料駐車場(20バーツ)があり、車を停める。サーンプラカンは、11世紀に建てられたクメール遺跡。手前には、1953年に新しく造られたヴィシュヌ神を祀る廟がある。


■8:13

新しい廟の中には、中央にクメールのヴィシュヌ神が置かれている。

このビシュヌ神は頭が欠けていたので、アユタヤ時代の頭を取り付けたという。

脇には古い時代の神像が並んでいるが、金箔を貼れて時代を判別できない。

何しろ、ここは現役の廟なので朝から熱心な信者であふれている。

「ふうみん」は完全に邪魔者なので、退散する。



■8:14 小山の頂上には、ラテライト造りの高い基壇が残されている。


■8:17

階段を登り遺跡の頂上へ行く。

ここにはクメールの祠堂が建っていたのだろう。

その後、アユタヤ時代にレンガ造りの祠堂に変更されたが、その祠堂も崩壊してしまった。



■8:17 「ふうみん」が遺跡の上に乗って調べている時、「yayo」が遺跡を東南方向から写す。この角度から眺めると、意外と大きな建築物だったと思う。


プラーンサムヨート( Prang Sam Yod)



■8:22 プラーンサムヨート( Prang Sam Yod)は、ロッブリー駅近くの踏切際に3基の祠堂が建っている。この遺跡を撮る左下の「ふうみん」。



■8:22 プラーンサムヨートは、13世紀(11世紀のヒンドゥー教寺院の建立説あり)に、ジャヤヴァルマン7世の治世下に建てられた大乗仏教寺院といわれている。その後、レンガの建物部分はアユタヤ時代に付け加えられた。


ワットナコンコサ(Wat Nakhon Kosa)



■8:26 ワットナコンコサ(Wat Nakhon Kosa)は、駐車場から線路沿いを歩いて行ける。

この遺跡は、12世紀のクメール様式の寺院だったが、その後修復工事が加えられた。最近の発掘調査で、遺跡の下からドヴァーラヴァティー時代の基部が発見された。


■8:27

基壇のレンガと手前の上のレンガ、そして奥の小山のレンガが、それぞれ違うことが分かる。



■8:28 手前のレンガの基壇はドヴァーラヴァティー時代、右上のレンガ造りの建物はアユタヤ時代、左奥のレンガ造りの祠堂はクメール時代と、この遺跡の建設は時代が複合している面白い遺跡だ。


プラーンケーク(Prang Khack)


■8:37

プラーンケーク(Prang Khack)は、道路に囲まれた三角地帯に位置する。

11世紀のヒンドゥー教のシヴァ神を祭るレンガ造りの3基の祠堂が建っている。

レンガ造りの他の建物は、アユタヤ時代の物だ。



■8:37 レンガ造りの3基の祠堂が青空の下、堂々と建っている。


ナーラーイ国立博物館(Phra Narai National Museum)


■8:41

ナーラーイ国立博物館(Phra Narai National Museum)に入る。

この博物館には3度目の訪問となるが、過去2回は門の周辺に駐車していた。

今日は朝早いので、門を入った右側の駐車場に駐車できた。

9時前に来たのは、Google Map に開館時間が Open now:8:30AM–4:30PM と書いてある。

タイの国立博物館の開館時間は9時のはずだが、この博物館だけは違うと思って早めに来館した。



■8:45 ナーラーイ国立博物館のある建物は、アユタヤ王朝のナーラーイ王が1656年に離宮として建設したもので、広大な敷地は公園として市民に開放されている。

この公園の開園時間が 8:30AM–4:30PM なのだ。仕方がない、博物館の開園は9時なので公園内を散策する。


■入場料、150バーツ。



■9:08 まぐさ石(Lintel) 「カーラの顔」 プリアコー様式 10世紀



■9:08 まぐさ石 「アイラーヴァタに乗るインドラ神」 バプーオン様式 10世紀



■9:09 まぐさ石 「横たわるヴィシュヌ神」 バプーオン様式 11世紀

このまぐさ石は、先ほど見学した「サーンプラカン廟」に置かれていたものだ。新しい廟を建築する際にナーラーイ博物館に移された。その為、金箔の貼られた跡がある。


■9:18

ナーガ上の仏陀

ロッブリー様式

13~14世紀

プラーンサムヨートで発見


■9:31

この博物館にもありました「銅鼓」が!

古代の交易ネットワークの広さを感じますね。


・・・直射日光が当たる場所に展示しておいていいのかな?



■9:34 宝輪( Dharmachakra)の基台部分 ドヴァーラヴァティー様式 7~8世紀

今回の見学では、おざなりに見ていたドヴァーラヴァティーを中心に見学したい。


■9:35

ヴィシュヌ

ドヴァーラヴァティー様式

7~8世紀

サーンプラカン廟で発見


いや~あ!ビックリしましたね。

先ほど見学した「サーンプラカン廟」で発見された。それも、ドヴァーラヴァティー時代の7~8世紀のものです。

と云う事は、あの遺跡は11世紀のクメールが建造したものではなく、それ以前の7世紀ごろドヴァーラヴァティーの建造したものだ。・・・直ぐ隣の「ワットナコンコサ」と同じですね。

このヴィシュヌ像の金箔の意味も分かったし、ドヴァーラヴァティーとヒンドゥー教の関係も今回の旅で納得した。


■9:37

テラコッタ製の人形

ドヴァーラヴァティー様式

7~8世紀


いかにもドヴァーラヴァティーのやさしさにあふれた人形たち。

子供を抱く母親像はとくに有名です。


■9:39

テラコッタ製の人物像

ドヴァーラヴァティー様式

7~8世紀


■9:42

テラコッタ製の
馬蹄形の窓から覗く顔

ドヴァーラヴァティー様式

7~8世紀


■9:43

テラコッタ製の異人像

ドヴァーラヴァティー様式

7~8世紀


この像は、先日見学したクーブア遺跡から出土したもの。

本来は、ラチャブリー国立博物館で展示されるべき物なのでしょう。


ワットプラシーラタナマハタート(Wat Phra Sri Rattana Mahathat)



■10:11 ワットプラシーラタナマハタート(Wat Phra Sri Rattana Mahathat)は、12世紀のクメール様式の寺院だったが、その後増改築が繰り返されたので、スコータイ様式やアユタヤ様式などが混在して今の形になった。


■10:11

広い遺跡の敷地内には、たくさんの遺物が並べられていた。

この遺跡は、ロッブリーの駅の真ん前にある規模の大きな遺跡。


ワットラーチャー(Wat Racha)


■10:15

ワットラーチャー(Wat Racha)は、ロンプラに詳細不明の遺跡と書いてあったので寄ってみた。

北側のレンガ造りの小山(仏塔?)の上には石が置かれている。


■10:15

南側には、方形の基壇が残されている。

アユタヤ時代の遺跡だろう。


ワットインドラ(Wat Indra)


■10:20

ワットインドラ(Wat Indra)もロンプラに詳細不明の遺跡と書いてあったので寄ってみた。

レンガ造りの建物が、大分破損しているが残っている。

これも、アユタヤ時代の遺跡だろう。


■10:20

正面から本堂らしき建物内を覗くと、基壇の上に胴体のない仏像が置かれていた。

それと、柱の基礎が残されている。

遺跡の名前からインドラ神を祀る寺院だと思うが、詳細不明だ。


サラブリーから、ナコーンナヨークへ


■10:46

朝からのロッブリー市内の見学を終えて、カフェアマゾンで一休み。

カフェアマゾンの最近のお気に入りは、「抹茶のスムージー」と「ラテアマゾン」。

量が多いので、二人で半分ずつ摂ると味が変わってなかなかいい。


飲み物代、130バーツ。



■11:33 ロッブリーから、1号線を走り、サラブリー市内を走る。


■11:33

この辺りの右側に2年前に泊まった「Kyo-Un Hotel」がある。

あれから、もう2年も経ってしまった。

・・・時間の経つのは早いものだ。


この先のインターチェンジで2号線に合流する。

「ふうみん」たちは、1号線を直進して、ナコーンナヨークに向かう。


ドンラコーン(Mueang Boran Dong Lakhon)


■12:31

1号線から33号線を走る。

33号線を右折して、ドンラコーン(Mueang Boran Dong Lakhon)遺跡の入り口に着いた。


■ドヴァーラヴァティー王国都市図


ドンラコーン古代都市(Dong Lakhon Ancient Town)は、地図の右側に位置する。

ドンラコーンは、6~13世紀にかけてドヴァーラヴァティーとクメールによって造られた都市。

クメール時代は王妃が直轄統治していた。

当時この辺りは、クメール王妃の所有物であったことから、外部の者は容易に入ることが出来なかった。


■12:32

ドンラコーンの森の中の狭い道を走る。

この辺りは、古代にはムアンラッブレー(見えぬ町)と呼ばれた。

この深い森で中に入ると、出口が分からずに迷うと言われていたらしい。


■12:33

外側の環濠には水はなかった。


■12:34

環濠の脇に小さな社があった。


■12:43

こちらの内側の環濠には水が溜まっていた。


■12:43

内側の環濠の横にある井戸から水を汲み、子供たちは頭から掛けている。

聖水で頭がよくなるのかな?

ドヴァーラヴァティーの井戸を復活させたのか、ラテライトが新しい。


■12:44

井戸の横の社に安置された仏像。


■12:51

案内所には、パネルが置かれ説明文が載っている。

ここから発掘された、仏像、アザラシ、宗教的な工芸品は、プラチンブリー国立博物館に展示されている。


■12:51

ドンラコーンの地図模型が、案内所に置かれている。

ドンラコーンは二重の環濠で囲まれた古代都市で、楕円形の環濠の直径は600メートルほど。


■12:54

案内所の横には、ドヴァーラヴァティーの基礎が発掘保存されている。



■12:54 レンガ造りの基壇が復元されている。


■12:57

駐車場の横で、ジャックフルーツを売っていた。

初めて食べたが、程よい甘みで「yayo」のお気に入り。


一袋、20バーツ。


ナコーンナヨークの食堂


■13:15

ナコーンナヨーク市内の道路沿いの食堂に入る。

店の名前はタイ語で読めず。


■13:24

先ずは、チャンビールだ。

そして、ガイヤーンとソムタムとカオニャオのイサーン料理の3点セットを注文する。

ガイヤーンが旨かった。


昼食代、チップ込みで200バーツ。


プラチンブリー国立博物館(Prachinburi National Museum)



■13:58 33号線を走り、プラチンブリーの歓迎ゲートを潜る。


■14:20

プラチンブリー国立博物館(Prachinburi National Museum)に到着。

プラチンブリー国立博物館は、タイで最も古いクメール様式のまぐさ石(カオノイ出土)が5本も展示されている。

クメール遺跡好きには必見の博物館。

素晴らしいクメール様式の美術品だけでなく、ドヴァーラヴァティー様式の彫像等も見応えがある。


入場料、150バーツ。


この博物館は、2008年以来2度目の来館となる。

前回は、クメール中心だったので、ドヴァーラヴァティーも詳しく見たい。

中に入ると、レイアウトが全面的に変わっていた。



■14:22 まぐさ石  Sanbor Prei Kuk Style 7世紀前半 Prasat Khao Noi 出土 No1
カオノイ遺跡出土のタイで一番古いまぐさ石の一つ。



■14:22 まぐさ石  Sanbor Prei Kuk Style 7世紀前半 Prasat Khao Noi 出土 No2
カオノイ遺跡出土のタイで一番古いまぐさ石の一つ。



■14:27 まぐさ石  Sanbor Prei Kuk Style 7世紀前半 Prasat Khao Noi 出土 No3
カオノイ遺跡出土のタイで一番古いまぐさ石の一つ。



■14:27 まぐさ石  Prei Kmeng Style 7世紀後半 Prasat Khao Noi 出土 No4
カオノイ遺跡出土のサンボールプレイクック様式の次に古いプレイクメン様式のまぐさ石。



■14:29 まぐさ石  Prei Kmeng Style 7世紀後半 Prasat Khao Noi 出土 No5
プレクメイン様式で、マカラの場所に神像を配置してある。これも、カオノイ遺跡の出土で硬質の緑青色砂岩製。「ふうみん」は、タイで一番素晴らしいまぐさ石ではないかと思う。


■14:29

門衛神

Angkor Wat Style

1100-1175年

アランヤプラテート出土



■14:37 ガネーシャ ドヴァーラヴァティー美術 クメール様式 7世紀 シーマホソット サイト22出土
前回見学時には無かった巨大なガネーシャ像。新しく発掘されたのだろう。


■14:39

ヴィシュヌ

ドヴァーラヴァティー美術
クメール様式

7世紀前半

ワットボット出土

全高165センチ


■14:40

ヴィシュヌ

ドヴァーラヴァティー美術
クメール様式

7世紀前半

シーマホソット出土
サイト25出土

全高146センチのヴィシュヌ神像の手を支えるのに、支柱が使用されているのは古い様式で、9世紀に入ると見られなくなる。


■14:42

円柱(Stone Column)

ドヴァーラヴァティー様式

6世紀

シーマホソット出土


■14:42

仏陀

ドヴァーラヴァティー様式

7~8世紀

シーマホソット出土


これは大変優れた彫像だ。今まで見てきたドヴァーラヴァティー様式の中でトップクラスである。


■14:45

仏陀

ドヴァーラヴァティー美術
クメール様式

7世紀

シーマホソット出土


シーマホソット(Muang Boran Si Mahosot)


■14:54

プラチンブリーの国立博物館を出て、シーマホソット(Muang Boran Si Mahosot)遺跡へと向かう。


■シーマホソット(Si Mahosot)の地図


この地図は翌日見学した、サモラコット(Boran Sathan Sa Morakot)の小さな博物館に展示されていた。

番号の所は見づらいため「ふうみん」が加筆した。


・・・実際に遺跡巡りをすると、ほとんどの遺跡の番号が異なっていた。いかにもタイらしいね。


■ドヴァーラヴァティー王国都市図


シーマホソット環濠遺跡は地図の右下にあり、ドヴァーラヴァティー王国の都市として5世紀ごろから13世紀のクメール帝国まで繁栄した。

シーマホソットは、仏教やヒンドゥー教を信仰し、ペルシャや中国とも盛んに交易をしていた。

この遺跡の発掘品は、プラチンブリーの国立博物館に収蔵されている。

環濠遺跡の中からは100ヶ所以上の建物の跡や石切り場、池、井戸等が点在している。


ゴールデンマウントパゴダ(มืองโบราณ ภูเขาทอง ศรีมโหสถ)


■15:15

遺跡番号12

ゴールデンマウントパゴダ(มืองโบราณ ภูเขาทอง ศรีมโหสถ)


■15:15

このパゴダの跡から黄金仏でも発掘されたのか?


遺跡番号29


■15:24

遺跡番号29

この遺跡は上記地図に乗っていない。


■15:25

長いラテライトの基礎が残っていた。


遺跡番号194


■15:29

遺跡番号194

この遺跡も上記地図に乗っていない。


■15:29

環濠の跡のようだ。


遺跡番号7 サケオ遺跡


■15:32

遺跡番号7
サケオ遺跡(Boran Sathan Sa Kaeo)

5~6世紀のドヴァラヴァティー時代のラテライトの石切り場。

その後にはレリーフが残されている。



■15:32 石切り場の跡は貯水池として使われた。なお、サケオとはタイ語で「宝石のプール」という意味。


■15:33

池への入り口。



■15:34 ドヴァーラヴァティー時代のレリーフ。


遺跡番号10


■15:41

遺跡番号10

Sa Krathon

สระกระท๊อน 翻訳すると、クラトンプール



■15:41 石切り場の跡らしい。


遺跡番号223


■15:44

遺跡番号223



■15:44 長方形のラテライトの基壇が残されている。


遺跡番号27


■15:47

遺跡番号27



■15:47 環濠の跡。丸いラテライトのブロックが残されている。


遺跡番号22


■15:51

遺跡番号22



■15:51 シーマホソット環濠遺跡の最大の建造物。プラチンブリー国立博物館に展示してある巨大なガネーシャ像が、この場所から発掘された。


■15:52

一番奥の聖室跡か?


■15:52

聖なる井戸のようだ。


遺跡番号86


■15:54

遺跡番号86

上記遺跡番号22の反対側にある大きな遺跡。

この86と22が、シーマホソット環濠都市の中心だったと思われる。



■15:54 長いテラスを持った堂々たる建造物の基壇が残されている。


■15:55

入り口の対の獅子像。



■15:55 夕日を浴びた遺跡の建造物。


โบราณสถานฝายน้ำโบราณ 古代のダム


■16:02

โบราณสถานฝายน้ำโบราณ 翻訳すると、古代のダム。



■16:02 丸いラテライトのブロックが環濠の中に密集している。


■16:02

これは何だったのだろう?

橋の橋脚の跡という説とダム説がある。


遺跡番号19


■16:08

遺跡番号19



■16:08 長方形のラテライトの基壇が残されている。


Wat Pa Phrathat Pho Thong


■16:15

シーマホソット遺跡の環濠の外に出て、ダート道を走り、郊外の遺跡へと向かう。



■16:20

遺跡番号21

วัดป่าพระธาตุโพธิ์ทอง 翻訳すると、Wat Pa Phrathat Pho Thong 。



■16:20 方形のラテライトの基壇が残されている。多分上部には仏塔が築かれていたのだろう。


■16:21

遺跡の上に登ると、2、3個のラテライトブロックが置かれていた。


ボーナムボーランバンハウサ(Bo Nam Boran Ban Huasa)



■16:31 夕日を浴びて村の中の道を走り、今日最後の遺跡へと向かう。


■16:35

ボーナムボーランバンハウサ(Bo Nam Boran Ban Huasa)。

タイ語の看板なので詳細不明。

ドヴァーラヴァティー時代の聖なる池で、沐浴場などの宗教施設として造られたと思う。



■16:36 一番大きな池でエメラルド色の水が溜まっていた。「yayo」も思わず神秘的できれいと呟いた。



■16:37 小さな池があり、階段が設けられていた。


■16:37

こちらの池も同規模だが、最近ラテライトで補修されたらしい。


プラチンブリーの irabbit Hotel へ



■16:51 今晩の宿はプラチンブリーの「irabbit Hotel」だ。319号線を走りプラチンブリーに向かう。


■17:18

ホテルの近くで給油する。


★給油DATA

給油価格 870 (B)
給油量 32.45 (L)
1L当り 26.81 (B)



■17:34 ホテルの駐車場で車を降りたら、すばらしい夕日に出会った。


■17:35

今晩の宿 irabbit Hotel が夕日に照らされていた。

プラチンブリーは、小さな県都だ。

ホテルも適当なところがなく、このホテルを選択した。


バンクワンレストラン ร้านอาหารบ้านขวัญ


■18:49

夕食を摂ろうと Google Map で見つけた、「タン」というベトナム料理店に来たが見当たらない。

近所の人に聞いたら、営業は昼間だけという、近くにあったこの「バンクワンレストラン ร้านอาหารบ้านขวัญ 」に入る。


■19:04

写真のイカの鍋が美味しそうだったが、イマイチだった。


■19:09

鳥のから揚げと空心菜の炒め物を注文した。


■19:20

「yayo」はカオパッドを注文。

それと、ビールを2本注文。


夕食代、チップ込みで730バーツ。


■19:55

irabbit Hotel に帰った来たら、色とりどりの椅子のお出迎えを受ける。


レンタカーの走行距離
本日の走行距離 226キロ
累計の走行距離 3656キロ
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