ザテンポロッブリー(The Tempo Lopburi) |
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■6:42 ホテルの外に出て、美しいロッブリーの日の出を撮る。 |
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■6:44
ザテンポロッブリー(The Tempo Lopburi)の駐車場が一杯で、通路まで車で埋まっていた。
2年前のタイ旅行で感じた事が、このホテルのような日本で云う「ビジネスホテル」が増えたと思う。
タイの経済発展と国民所得の上昇によるものだろう。 |
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■7:00
ホテルのレストランは、清潔でこじんまりしている。 |
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■7:04
一応の種類があるので、満足の朝食を摂る。 |
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サーンプラカン(San Kan Shrine) |
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■8:08 ホテルを出て、ロッブリーの市内を走る。 |
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■8:11
正面に、サーンプラカン(San Kan Shrine)の小山が見えて来た。
「ふうみん」は、ロッブリーに来るのは3度目になる。
クメール遺跡の探訪が目的なのに、何故だかこの遺跡を見逃していた。
その原因は、この駅近くのロータリーは交通が激しく車が駐車できなかった事と、サルの大群に辟易したからだ。
今朝は、日曜日の朝なので混雑はしていない。 |
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■8:12 サーンプラカン(San Kan Shrine)の横に有料駐車場(20バーツ)があり、車を停める。サーンプラカンは、11世紀に建てられたクメール遺跡。手前には、1953年に新しく造られたヴィシュヌ神を祀る廟がある。 |
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■8:13
新しい廟の中には、中央にクメールのヴィシュヌ神が置かれている。
このビシュヌ神は頭が欠けていたので、アユタヤ時代の頭を取り付けたという。
脇には古い時代の神像が並んでいるが、金箔を貼れて時代を判別できない。
何しろ、ここは現役の廟なので朝から熱心な信者であふれている。
「ふうみん」は完全に邪魔者なので、退散する。 |
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■8:14 小山の頂上には、ラテライト造りの高い基壇が残されている。 |
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■8:17
階段を登り遺跡の頂上へ行く。
ここにはクメールの祠堂が建っていたのだろう。
その後、アユタヤ時代にレンガ造りの祠堂に変更されたが、その祠堂も崩壊してしまった。 |
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■8:17 「ふうみん」が遺跡の上に乗って調べている時、「yayo」が遺跡を東南方向から写す。この角度から眺めると、意外と大きな建築物だったと思う。 |
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プラーンサムヨート( Prang Sam Yod) |
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■8:22 プラーンサムヨート( Prang Sam Yod)は、ロッブリー駅近くの踏切際に3基の祠堂が建っている。この遺跡を撮る左下の「ふうみん」。 |
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■8:22 プラーンサムヨートは、13世紀(11世紀のヒンドゥー教寺院の建立説あり)に、ジャヤヴァルマン7世の治世下に建てられた大乗仏教寺院といわれている。その後、レンガの建物部分はアユタヤ時代に付け加えられた。 |
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ワットナコンコサ(Wat Nakhon Kosa) |
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■8:26 ワットナコンコサ(Wat Nakhon Kosa)は、駐車場から線路沿いを歩いて行ける。
この遺跡は、12世紀のクメール様式の寺院だったが、その後修復工事が加えられた。最近の発掘調査で、遺跡の下からドヴァーラヴァティー時代の基部が発見された。 |
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■8:27
基壇のレンガと手前の上のレンガ、そして奥の小山のレンガが、それぞれ違うことが分かる。 |
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■8:28 手前のレンガの基壇はドヴァーラヴァティー時代、右上のレンガ造りの建物はアユタヤ時代、左奥のレンガ造りの祠堂はクメール時代と、この遺跡の建設は時代が複合している面白い遺跡だ。 |
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プラーンケーク(Prang Khack) |
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■8:37
プラーンケーク(Prang Khack)は、道路に囲まれた三角地帯に位置する。
11世紀のヒンドゥー教のシヴァ神を祭るレンガ造りの3基の祠堂が建っている。
レンガ造りの他の建物は、アユタヤ時代の物だ。 |
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■8:37 レンガ造りの3基の祠堂が青空の下、堂々と建っている。 |
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ナーラーイ国立博物館(Phra Narai National Museum) |
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■8:41
ナーラーイ国立博物館(Phra Narai National Museum)に入る。
この博物館には3度目の訪問となるが、過去2回は門の周辺に駐車していた。
今日は朝早いので、門を入った右側の駐車場に駐車できた。
9時前に来たのは、Google Map に開館時間が Open now:8:30AM–4:30PM と書いてある。
タイの国立博物館の開館時間は9時のはずだが、この博物館だけは違うと思って早めに来館した。 |
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■8:45 ナーラーイ国立博物館のある建物は、アユタヤ王朝のナーラーイ王が1656年に離宮として建設したもので、広大な敷地は公園として市民に開放されている。
この公園の開園時間が 8:30AM–4:30PM なのだ。仕方がない、博物館の開園は9時なので公園内を散策する。 |
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■入場料、150バーツ。 |
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■9:08 まぐさ石(Lintel) 「カーラの顔」 プリアコー様式 10世紀 |
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■9:08 まぐさ石 「アイラーヴァタに乗るインドラ神」 バプーオン様式 10世紀 |
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■9:09 まぐさ石 「横たわるヴィシュヌ神」 バプーオン様式 11世紀
このまぐさ石は、先ほど見学した「サーンプラカン廟」に置かれていたものだ。新しい廟を建築する際にナーラーイ博物館に移された。その為、金箔の貼られた跡がある。 |
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■9:18
ナーガ上の仏陀
ロッブリー様式
13~14世紀
プラーンサムヨートで発見 |
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■9:31
この博物館にもありました「銅鼓」が!
古代の交易ネットワークの広さを感じますね。
・・・直射日光が当たる場所に展示しておいていいのかな? |
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■9:34 宝輪( Dharmachakra)の基台部分 ドヴァーラヴァティー様式 7~8世紀
今回の見学では、おざなりに見ていたドヴァーラヴァティーを中心に見学したい。 |
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■9:35
ヴィシュヌ
ドヴァーラヴァティー様式
7~8世紀
サーンプラカン廟で発見
いや~あ!ビックリしましたね。
先ほど見学した「サーンプラカン廟」で発見された。それも、ドヴァーラヴァティー時代の7~8世紀のものです。
と云う事は、あの遺跡は11世紀のクメールが建造したものではなく、それ以前の7世紀ごろドヴァーラヴァティーの建造したものだ。・・・直ぐ隣の「ワットナコンコサ」と同じですね。
このヴィシュヌ像の金箔の意味も分かったし、ドヴァーラヴァティーとヒンドゥー教の関係も今回の旅で納得した。 |
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■9:37
テラコッタ製の人形
ドヴァーラヴァティー様式
7~8世紀
いかにもドヴァーラヴァティーのやさしさにあふれた人形たち。
子供を抱く母親像はとくに有名です。 |
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■9:39
テラコッタ製の人物像
ドヴァーラヴァティー様式
7~8世紀
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■9:42
テラコッタ製の
馬蹄形の窓から覗く顔
ドヴァーラヴァティー様式
7~8世紀 |
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■9:43
テラコッタ製の異人像
ドヴァーラヴァティー様式
7~8世紀
この像は、先日見学したクーブア遺跡から出土したもの。
本来は、ラチャブリー国立博物館で展示されるべき物なのでしょう。 |
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ワットプラシーラタナマハタート(Wat Phra Sri Rattana Mahathat) |
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■10:11 ワットプラシーラタナマハタート(Wat Phra Sri Rattana Mahathat)は、12世紀のクメール様式の寺院だったが、その後増改築が繰り返されたので、スコータイ様式やアユタヤ様式などが混在して今の形になった。 |
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■10:11
広い遺跡の敷地内には、たくさんの遺物が並べられていた。
この遺跡は、ロッブリーの駅の真ん前にある規模の大きな遺跡。 |
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ワットラーチャー(Wat Racha) |
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■10:15
ワットラーチャー(Wat Racha)は、ロンプラに詳細不明の遺跡と書いてあったので寄ってみた。
北側のレンガ造りの小山(仏塔?)の上には石が置かれている。 |
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■10:15
南側には、方形の基壇が残されている。
アユタヤ時代の遺跡だろう。 |
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ワットインドラ(Wat Indra) |
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■10:20
ワットインドラ(Wat Indra)もロンプラに詳細不明の遺跡と書いてあったので寄ってみた。
レンガ造りの建物が、大分破損しているが残っている。
これも、アユタヤ時代の遺跡だろう。 |
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■10:20
正面から本堂らしき建物内を覗くと、基壇の上に胴体のない仏像が置かれていた。
それと、柱の基礎が残されている。
遺跡の名前からインドラ神を祀る寺院だと思うが、詳細不明だ。 |
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サラブリーから、ナコーンナヨークへ |
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■10:46
朝からのロッブリー市内の見学を終えて、カフェアマゾンで一休み。
カフェアマゾンの最近のお気に入りは、「抹茶のスムージー」と「ラテアマゾン」。
量が多いので、二人で半分ずつ摂ると味が変わってなかなかいい。
飲み物代、130バーツ。 |
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■11:33 ロッブリーから、1号線を走り、サラブリー市内を走る。 |
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■11:33
この辺りの右側に2年前に泊まった「Kyo-Un Hotel」がある。
あれから、もう2年も経ってしまった。
・・・時間の経つのは早いものだ。
この先のインターチェンジで2号線に合流する。
「ふうみん」たちは、1号線を直進して、ナコーンナヨークに向かう。 |
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ドンラコーン(Mueang Boran Dong Lakhon) |
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■12:31
1号線から33号線を走る。
33号線を右折して、ドンラコーン(Mueang Boran Dong Lakhon)遺跡の入り口に着いた。 |
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■ドヴァーラヴァティー王国都市図
ドンラコーン古代都市(Dong Lakhon Ancient Town)は、地図の右側に位置する。
ドンラコーンは、6~13世紀にかけてドヴァーラヴァティーとクメールによって造られた都市。
クメール時代は王妃が直轄統治していた。
当時この辺りは、クメール王妃の所有物であったことから、外部の者は容易に入ることが出来なかった。 |
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■12:32
ドンラコーンの森の中の狭い道を走る。
この辺りは、古代にはムアンラッブレー(見えぬ町)と呼ばれた。
この深い森で中に入ると、出口が分からずに迷うと言われていたらしい。 |
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■12:33
外側の環濠には水はなかった。 |
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■12:34
環濠の脇に小さな社があった。 |
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■12:43
こちらの内側の環濠には水が溜まっていた。 |
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■12:43
内側の環濠の横にある井戸から水を汲み、子供たちは頭から掛けている。
聖水で頭がよくなるのかな?
ドヴァーラヴァティーの井戸を復活させたのか、ラテライトが新しい。 |
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■12:44
井戸の横の社に安置された仏像。 |
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■12:51
案内所には、パネルが置かれ説明文が載っている。
ここから発掘された、仏像、アザラシ、宗教的な工芸品は、プラチンブリー国立博物館に展示されている。 |
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■12:51
ドンラコーンの地図模型が、案内所に置かれている。
ドンラコーンは二重の環濠で囲まれた古代都市で、楕円形の環濠の直径は600メートルほど。 |
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■12:54
案内所の横には、ドヴァーラヴァティーの基礎が発掘保存されている。 |
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■12:57
駐車場の横で、ジャックフルーツを売っていた。
初めて食べたが、程よい甘みで「yayo」のお気に入り。
一袋、20バーツ。 |
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ナコーンナヨークの食堂 |
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■13:15
ナコーンナヨーク市内の道路沿いの食堂に入る。
店の名前はタイ語で読めず。 |
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■13:24
先ずは、チャンビールだ。
そして、ガイヤーンとソムタムとカオニャオのイサーン料理の3点セットを注文する。
ガイヤーンが旨かった。
昼食代、チップ込みで200バーツ。 |
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プラチンブリー国立博物館(Prachinburi National Museum) |
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■13:58 33号線を走り、プラチンブリーの歓迎ゲートを潜る。 |
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■14:20
プラチンブリー国立博物館(Prachinburi National Museum)に到着。
プラチンブリー国立博物館は、タイで最も古いクメール様式のまぐさ石(カオノイ出土)が5本も展示されている。
クメール遺跡好きには必見の博物館。
素晴らしいクメール様式の美術品だけでなく、ドヴァーラヴァティー様式の彫像等も見応えがある。 |
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入場料、150バーツ。
この博物館は、2008年以来2度目の来館となる。
前回は、クメール中心だったので、ドヴァーラヴァティーも詳しく見たい。
中に入ると、レイアウトが全面的に変わっていた。 |
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■14:22 まぐさ石 Sanbor Prei Kuk Style 7世紀前半 Prasat Khao Noi 出土 No1
カオノイ遺跡出土のタイで一番古いまぐさ石の一つ。 |
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■14:22 まぐさ石 Sanbor Prei Kuk Style 7世紀前半 Prasat Khao Noi 出土 No2
カオノイ遺跡出土のタイで一番古いまぐさ石の一つ。 |
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■14:27 まぐさ石 Sanbor Prei Kuk Style 7世紀前半 Prasat Khao Noi 出土 No3
カオノイ遺跡出土のタイで一番古いまぐさ石の一つ。 |
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■14:27 まぐさ石 Prei Kmeng Style 7世紀後半 Prasat Khao Noi 出土 No4
カオノイ遺跡出土のサンボールプレイクック様式の次に古いプレイクメン様式のまぐさ石。 |
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■14:29 まぐさ石 Prei Kmeng Style 7世紀後半 Prasat Khao Noi 出土 No5
プレクメイン様式で、マカラの場所に神像を配置してある。これも、カオノイ遺跡の出土で硬質の緑青色砂岩製。「ふうみん」は、タイで一番素晴らしいまぐさ石ではないかと思う。 |
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■14:29
門衛神
Angkor Wat Style
1100-1175年
アランヤプラテート出土 |
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■14:37 ガネーシャ ドヴァーラヴァティー美術 クメール様式 7世紀 シーマホソット サイト22出土
前回見学時には無かった巨大なガネーシャ像。新しく発掘されたのだろう。 |
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■14:39
ヴィシュヌ
ドヴァーラヴァティー美術
クメール様式
7世紀前半
ワットボット出土
全高165センチ |
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■14:40
ヴィシュヌ
ドヴァーラヴァティー美術
クメール様式
7世紀前半
シーマホソット出土
サイト25出土
全高146センチのヴィシュヌ神像の手を支えるのに、支柱が使用されているのは古い様式で、9世紀に入ると見られなくなる。 |
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■14:42
円柱(Stone Column)
ドヴァーラヴァティー様式
6世紀
シーマホソット出土 |
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■14:42
仏陀
ドヴァーラヴァティー様式
7~8世紀
シーマホソット出土
これは大変優れた彫像だ。今まで見てきたドヴァーラヴァティー様式の中でトップクラスである。 |
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■14:45
仏陀
ドヴァーラヴァティー美術
クメール様式
7世紀
シーマホソット出土 |
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シーマホソット(Muang Boran Si Mahosot) |
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■14:54
プラチンブリーの国立博物館を出て、シーマホソット(Muang Boran Si Mahosot)遺跡へと向かう。 |
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■シーマホソット(Si Mahosot)の地図
この地図は翌日見学した、サモラコット(Boran Sathan Sa Morakot)の小さな博物館に展示されていた。
番号の所は見づらいため「ふうみん」が加筆した。
・・・実際に遺跡巡りをすると、ほとんどの遺跡の番号が異なっていた。いかにもタイらしいね。 |
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■ドヴァーラヴァティー王国都市図
シーマホソット環濠遺跡は地図の右下にあり、ドヴァーラヴァティー王国の都市として5世紀ごろから13世紀のクメール帝国まで繁栄した。
シーマホソットは、仏教やヒンドゥー教を信仰し、ペルシャや中国とも盛んに交易をしていた。
この遺跡の発掘品は、プラチンブリーの国立博物館に収蔵されている。
環濠遺跡の中からは100ヶ所以上の建物の跡や石切り場、池、井戸等が点在している。 |
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ゴールデンマウントパゴダ(มืองโบราณ ภูเขาทอง ศรีมโหสถ) |
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■15:15
遺跡番号12
ゴールデンマウントパゴダ(มืองโบราณ ภูเขาทอง ศรีมโหสถ) |
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■15:15
このパゴダの跡から黄金仏でも発掘されたのか? |
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遺跡番号29 |
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■15:24
遺跡番号29
この遺跡は上記地図に乗っていない。 |
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■15:25
長いラテライトの基礎が残っていた。 |
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遺跡番号194 |
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■15:29
遺跡番号194
この遺跡も上記地図に乗っていない。 |
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■15:29
環濠の跡のようだ。 |
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遺跡番号7 サケオ遺跡 |
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■15:32
遺跡番号7
サケオ遺跡(Boran Sathan Sa Kaeo)
5~6世紀のドヴァラヴァティー時代のラテライトの石切り場。
その後にはレリーフが残されている。 |
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■15:32 石切り場の跡は貯水池として使われた。なお、サケオとはタイ語で「宝石のプール」という意味。 |
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■15:33
池への入り口。 |
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■15:34 ドヴァーラヴァティー時代のレリーフ。 |
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遺跡番号10 |
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■15:41
遺跡番号10
Sa Krathon
สระกระท๊อน 翻訳すると、クラトンプール |
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遺跡番号223 |
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■15:44
遺跡番号223 |
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■15:44 長方形のラテライトの基壇が残されている。 |
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遺跡番号27 |
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■15:47
遺跡番号27 |
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■15:47 環濠の跡。丸いラテライトのブロックが残されている。 |
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遺跡番号22 |
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■15:51
遺跡番号22 |
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■15:51 シーマホソット環濠遺跡の最大の建造物。プラチンブリー国立博物館に展示してある巨大なガネーシャ像が、この場所から発掘された。 |
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■15:52
一番奥の聖室跡か? |
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■15:52
聖なる井戸のようだ。 |
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遺跡番号86 |
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■15:54
遺跡番号86
上記遺跡番号22の反対側にある大きな遺跡。
この86と22が、シーマホソット環濠都市の中心だったと思われる。 |
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■15:54 長いテラスを持った堂々たる建造物の基壇が残されている。 |
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■15:55
入り口の対の獅子像。 |
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โบราณสถานฝายน้ำโบราณ 古代のダム |
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■16:02
โบราณสถานฝายน้ำโบราณ 翻訳すると、古代のダム。 |
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■16:02 丸いラテライトのブロックが環濠の中に密集している。 |
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■16:02
これは何だったのだろう?
橋の橋脚の跡という説とダム説がある。 |
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遺跡番号19 |
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■16:08
遺跡番号19 |
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■16:08 長方形のラテライトの基壇が残されている。 |
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Wat Pa Phrathat Pho Thong |
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■16:15
シーマホソット遺跡の環濠の外に出て、ダート道を走り、郊外の遺跡へと向かう。 |
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■16:20
遺跡番号21
วัดป่าพระธาตุโพธิ์ทอง 翻訳すると、Wat Pa Phrathat Pho Thong 。 |
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■16:20 方形のラテライトの基壇が残されている。多分上部には仏塔が築かれていたのだろう。 |
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■16:21
遺跡の上に登ると、2、3個のラテライトブロックが置かれていた。 |
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ボーナムボーランバンハウサ(Bo Nam Boran Ban Huasa) |
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■16:31 夕日を浴びて村の中の道を走り、今日最後の遺跡へと向かう。 |
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■16:35
ボーナムボーランバンハウサ(Bo Nam Boran Ban Huasa)。
タイ語の看板なので詳細不明。
ドヴァーラヴァティー時代の聖なる池で、沐浴場などの宗教施設として造られたと思う。 |
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■16:36 一番大きな池でエメラルド色の水が溜まっていた。「yayo」も思わず神秘的できれいと呟いた。 |
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■16:37 小さな池があり、階段が設けられていた。 |
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■16:37
こちらの池も同規模だが、最近ラテライトで補修されたらしい。 |
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プラチンブリーの irabbit Hotel へ |
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■16:51 今晩の宿はプラチンブリーの「irabbit Hotel」だ。319号線を走りプラチンブリーに向かう。 |
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■17:18
ホテルの近くで給油する。
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★給油DATA |
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給油価格 |
870 |
(B) |
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給油量 |
32.45 |
(L) |
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1L当り |
26.81 |
(B) |
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■17:34 ホテルの駐車場で車を降りたら、すばらしい夕日に出会った。 |
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■17:35
今晩の宿 irabbit Hotel が夕日に照らされていた。
プラチンブリーは、小さな県都だ。
ホテルも適当なところがなく、このホテルを選択した。 |
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バンクワンレストラン ร้านอาหารบ้านขวัญ |
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■18:49
夕食を摂ろうと Google Map で見つけた、「タン」というベトナム料理店に来たが見当たらない。
近所の人に聞いたら、営業は昼間だけという、近くにあったこの「バンクワンレストラン ร้านอาหารบ้านขวัญ 」に入る。 |
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■19:04
写真のイカの鍋が美味しそうだったが、イマイチだった。 |
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■19:09
鳥のから揚げと空心菜の炒め物を注文した。 |
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■19:20
「yayo」はカオパッドを注文。
それと、ビールを2本注文。
夕食代、チップ込みで730バーツ。 |
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■19:55
irabbit Hotel に帰った来たら、色とりどりの椅子のお出迎えを受ける。 |
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