ナナビーチホテル |
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■6:10 トゥンウァレーンビーチ(Hat Thung Wua Laen)の美しい朝焼け。 |
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■6:11 振り返ると、ナナビーチホテルがライトアップされていた。 |
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■6:17 トゥンウァレーンビーチの外れの岬と朝焼け。この砂浜をジョギングしたり、散歩する人を見かけた。 |
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■6:25
このビーチには、タイ人向けのビーチホテルが点在している。 |
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■6:34 ホテルのプールの水面はかすかに揺らぎながら、朝焼けの光を反射していた。 |
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■6:40
朝食の時間は7時なので、それまでの間デッキでくつろぐ「ふうみん」。 |
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■7:03
朝食を摂りにレストランに向かう。 |
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■7:04
宿泊客が少ないのでメニューは期待していなかったが、ビュッフェスタイルで種類も揃っていた。 |
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■7:11
冬瓜の肉詰めがおいしかった。 |
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■8:25
今日の最初の予定は「チュンポン国立博物館」だ。
開館時間は9時なので、ホテルの出発は8時半でいいだろう。
それまでの時間、のんびりと過ごす。 |
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チュンポン国立博物館(Chumphon National Museum) |
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■8:52
チュンポン国立博物館(Chumphon National Museum)。
写真を撮っていると、男性の職員が開館時間前だが「入っていいよ!」という。 |
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入場料、100バーツ。
この博物館に、それほど期待していない。
ドヴァーラヴァティーかシュリーヴィジャヤの遺物があれば儲けもの!という気持ちで入館した。 |
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チュンポンは、ラノーンとの間に半島を横断する交易路があった。 |
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■8:59
金とビーズのネックレス
紀元前7世紀~紀元1世紀
Khao Sam Kaeo 出土
この Khao Sam Kaeo とは、この博物館が建っている辺りの遺跡。
古代の交易路(シルクロード)で運ばれてきたのだろう。 |
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■9:00 この博物館の目玉は「銅鼓」だ。銅鼓とは、中国南西部から東南アジア島嶼部まで幅広く出土する楽器、祭器でドンソン文化を特徴づける遺物。
青銅で作られた片面の太鼓で、主に雨乞いや祖先祭祀の際、精霊に働きかける目的で作られたとされる。最古のタイプの銅鼓は、紀元前5世紀頃に雲南地方で作られ、メコン川、紅河流域の交易路を通じて各地に伝播したほか、東南アジア島嶼部にまで幅広い広がりをみせた。 |
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■9:00
向かって右側の銅鼓。
罅が入っているのが残念。 |
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■9:00
左側の銅鼓。
非常にいい状態だ。 |
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■9:06 このジオラマは、チュンポンの Khao Sam Kaeo の5世紀ごろの交易シーンを再現している。 |
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■9:10
ありました!シュリーヴィジャヤの遺物が。
Terracotta Votive Tablet
シュリーヴィジャヤ
7~11世紀 |
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■9:13
この写真を見ると、昔の交易路も象やラバを使用していたのだろう。 |
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■9:14
子供たちがお行儀よく、説明を聞いていた。 |
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チュンポンから41号線へ |
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■9:45 博物館を出て41号線に向かうと、踏切で貨物列車と遭遇した。 |
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■10:04 41号線を南下する。目的地のワットプラタートサウィーは2キロ先を右折だ。 |
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ワットプラタートサウィー博物館(Wat Phra Borommathat Sawi Museum) |
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■10:11
ワットプラタートサウィー(Wat Phra Borommathat Sawi )の博物館。
建物はまだ新しい。 |
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■10:14
Wat Phra Borommathat Sawi Museum に入館する。
入場料は無料。 |
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■10:16
大きく破損した銅鼓があった。
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■10:17
古代のビーズのネックレス |
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■10:22 パゴダの小尖塔。真ん中の丸い石は何だろう?この博物館はすべてタイ語の説明文しかないので、全く分からず。 |
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■10:25 パゴダの建設風景のジオラマ。 伝説によれば、スリタマソカラト王(ナコンシータマラートの王)が、1260年にサウィーを通過したとき、レンガの塚の上に一羽の白いカラスがいるのを見た。王はこれを吉兆と思い、この塚を発掘したところ仏陀の骨を発見した。そして、仏陀の骨を安置するためサウィーパゴダを建設した。 |
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■10:32
スリタマソカラト王が建設した、アユタヤ時代の高さ30メートルのサウィーパゴダ。 |
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チャイヤー(Chaiya)へ |
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■10:48
今回の旅で、初めての給油。 |
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■10:50
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★給油DATA |
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給油価格 |
870 |
(B) |
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給油量 |
32.03 |
(L) |
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1L当り |
27.16 |
(B) |
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■10:55 チャイヤー(Chaiya)へ向かって41号線を走っていると、助手席の「yayo」が荷台にサルが居る!という。 |
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■10:55
「ココナッツモンキー」だ。
「ブタオザル」という種類のサルで、この猿をヤシ木に登らせてココナッツの実を採る。
動物虐待!などと、直ぐいいだす連中が居るから、サルも生きづらい世の中だね。 |
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■11:02 一路、41号線を南下していると石灰岩の山が見えて来た。 |
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■11:04 41号線と4006号線の分岐点。この辺りのクラ地峡の幅は70~80キロほどだ。地峡とは、両側から海が迫り大陸の一部が極端に狭まった地形のこと。この地峡が、古代のシルクロード(横断路)を生んだ。 |
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■11:55 左折して、チャイヤー市街に入る。チャイヤーは紀元前からの居住地で、中国やインド、西アジアや遠くローマまでの交易があり、大乗仏教とヒンドゥー信仰がもたらされた。盤盤国の中国とインド間の交易路(海のシルクロード)の需要な地点である。 |
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ワットロン(Wat Long) |
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■12:00
チャイヤー国立博物館に行くつもりで、間違えて一本先の道路を右折したら、ワットロン(Wat Long)に出会った。
ワットロンは、シューリヴィジャ時代の9~10世紀ごろの建造らしい。
この遺跡は、廃墟同然のレンガを発掘して再現したが、タイ式の修理だから再現性に疑問は残る。 |
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■ ワットロンの図面。方形の基壇を持ち東側に広い階段を設けてある。 |
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■12:05
階段を登って聖室に行くが、中の部分には何もなし。 |
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■12:06 ひし形の基壇がシューリヴィジャ建築の特徴なのかな?何しろ、シューリヴィジャについては何もわからないからね。 |
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チャイヤー国立博物館(Chaiya National Museum) |
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■12:15
チャイヤー国立博物館(Chaiya National Museum)。
この博物館は、ワットプラボロンマタートの元修道院長によって発見された膨大なコレクションを展示している。
1932年に設立され、1935年に国立の博物館となった。 |
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入場料、100バーツ。 |
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■12:18
博物館の入り口に飾られた、8~9世紀に造られた「タイのヴィーナス」といわれる観世音菩薩の青銅像。
このシューリヴィジャ美術の傑作はバンコク国立博物館にあり、残念ながらこれはレプリカだ。
・2009年・・・バンコク国立博物館で本物を見たが、撮影禁止だった。
・2017年・・・撮影がOKとの事で、訪れたが、貸し出し中らしく無かった。
・2019年・・・今回の旅では、休館日に当たり見学できず。 |
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■12:20 モンスーンの風向きを示した図。港市国家の位置が参考になる。 |
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■12:21
菩薩(Bodhisattva)
ワットプラボーロマタート出土
9世紀
レプリカで、本物はバンコク国立博物館に展示されている。
9世紀というが、この「支え棒」を持った石像は6~8世紀ごろの物ではないのかな?
この「支え棒」は、扶南と真臘初期の石像に見られる。
カンボジアやタイの砂岩の強度が弱かったからだといわれる。 |
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■12:22
この博物館にも、もきれいな銅鼓があった。 |
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■12:23
Terracotta Votive Tablet
シュリーヴィジャヤ
8~13世紀 |
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■12:26
ドーヴァーラヴァティーの仏像もあった。
仏陀の頭部
Wat Phra Phrom 出土
9世紀 |
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■12:27
瞑想する仏陀(Buddha in Meditation)
Wat Phra Boromathat 出土、6世紀
この仏陀像は、アンコールボレーのプノンダ様式の仏像で大変重要だと思う。
この扶南様式の仏像の特徴は
1 |
丸い顎 |
2 |
弓なりの眉 |
3 |
杏仁の目 |
4 |
頭部の螺髪 |
5 |
王子時代の重い宝石による耳たぶ |
6 |
下着からはみ出た胴回りの肉 |
7 |
組んだ足の大腿骨 |
8 |
右肩がむき出しの薄い外衣 |
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6世紀半ば真臘に敗れて、盤盤に逃れた扶南が船で運搬したか、仏師がこの地で制作した像だろう。
扶南→盤盤 の証の仏像だと思う。 |
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■12:30
先ほど見学した「ワットロン遺跡」からの出土品。
10世紀 |
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■12:33
これから見学する「ワットケーオ遺跡」からの出土品。
ガネーシャ
10世紀 |
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ワットプラボーロマタート(Wat Phra Boromathat) |
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■12:41 博物館の隣にある、ワットプラボーロマタート(Wat Phra Boromathat)を見学。本堂は修理中だった。 |
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■12:44
「ふうみん」は、シューリヴィジャ時代の遺物がないかと探す。
この色の砂岩彫刻はシューリヴィジャ様式で10世紀ごろの作か。 |
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■12:44
これは何なのだろう?
ヨニだと思ったが、両端に溝が彫られている。
そして、中央のほぞ穴の隣にも小さなほぞ穴がある。
先ほどの、チャイヤー国立博物館でも同様の遺物を見たが、疑問はつのるばかりだ。 |
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■12:44
こんな、隅の遺物ばかり探す。 |
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■12:46
シューリヴィジャ建築の傑作、ワットプラボーロマタートのチェディー(仏塔)にも敬意を表さなくては。 |
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■12:48
チェディーに向かって熱心に拝む人たち。 |
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ワットケーオ(Wat Kaew) |
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■12:57
ワットケーオ(Wat Kaew)。
先ほどのワットロン遺跡の道を戻り、その奥にワットケーオ遺跡がある。
この遺跡もワットロンと同じく、シューリヴィジャ時代の9~10世紀ごろの建造。
このチェディーには、林邑(チャンパ)とジャワの影響がみられるらしい。 |
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■ワットケーオ遺跡の図面。
チェディーの正面の入り口は聖室に繫がっており、他の三方繫がっていない。 |
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■チャイヤー国立博物館に展示してあった、ワットケーオ遺跡の模型。 |
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■13:00
正面のチェディー内には、破壊された大仏と思われる痕跡がある。
他の仏像は首を落とされている。 |
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■13:00
左右の壁龕にはやはり首を落とされた仏像が安置されている。 |
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■13:01
チェディーの正面左側の柱などの装飾は、創建当時の姿が見て取れる。 |
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ワットウィアン(Wat Wiang) |
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■13:10
ワットロン、ワットケーオに通じる道路の入り口にワットウィアン(Wat Wiang)がある。
このワットウィアンから、「タイのヴィーナス」といわれる観世音菩薩の青銅像が発掘された。
その他にも、リゴール碑文や重要な遺物も発掘されている。 |
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■13:13
12年前にこの民俗博物館を見学した。
その時には、重要な遺物があったとは思えなかったが、もう一度確認したいと思い訪問した。 |
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■13:17
しかし、博物館と思われる建物は閉まっており、数人の僧侶に尋ねたが分からず。 |
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■13:29
色々さがしたが、この博物館の見学を断念する。 |
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レムポー岬(Laem Pho) |
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■13:25
チャイヤーの鄙びた街中を走り、4011号線の突き当りのレムポー岬(Laem Pho)へ向かう。 |
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■13:35
4011号線の突き当りには、2軒のシーフードレストランがあり、その真ん中にコンクリート製の橋が架かっている。
最初、駐車場に居たおばさんに従って左側の橋のレストランに入ったが、右側の橋の方のレストランが流行っているので、歩いてきた橋を戻る。 |
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■13:40
こちらの右側の橋のレストラン「Phlapphla Seafood」に入る。 |
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■13:42
海産物も新鮮だ。 |
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■13:47 展望台の右側に見えるのがレムポー岬(Laem Pho)だ。タイ語で Laem は岬の事だから、正しくはポー岬というのかな。ここは、シュリーヴィジャヤの初期である盤盤国の港だった。
今でも、唐代の陶磁器片が砂浜から発見されるという。「ふうみん」も探し行こうと思っていたが、満潮で砂浜は海の底だ。ここは、港市国家「盤盤国」の「海のシルクロード」の需要な港である。 |
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■13:54
シーフードのカオパッド。 |
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■14:01
カニカレー。 |
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■14:09
エビの入った、クンオプウンセン。 |
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■14:38
カニカレーを食べて満足そうな「yayo」。 |
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■14:56
ビールを2本のみ、美味しいシーフードを食べてご満悦の「ふうみん」。
代金は、チップ込みで900バーツ。 |
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スラターニー(Surat Thani)へ |
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■15:13
ビールを飲んだのでドライバーは「yayo」と交代し、スラターニー(Surat Thani)を目指す。 |
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■15:31
いやだな~あ!
これから、大切なカオシューリヴィジャ遺跡の見学があるのに。 |
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カオシューリヴィジャ(Khao Srivijaya)またはカオプラナライ(Khao Phranarai) |
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「ふうみん」は、今回の旅の目的である「海のシルクロード」のKEYになる港市国家「盤盤」のタイ湾とインド洋の各拠点の証拠となる遺跡を見学したいと思っていた。
サイト上の情報は少なく、Google Map で目を皿のようにして探した。
そして、タクアバのコカオ島に盤盤の交易所跡の「Thung Teuk archeological site」がある事を知った。
反面、チャイヤーからスラターニー周辺は Google Map で調べるも難航した。
何気なく開いたマレンポーさんのブログ「泰国の変なスポット」で見つけた時はとても嬉しかった。
是非とも、このスラターニーの「Khao Srivijaya」遺跡を見学したいと思った。 |
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■カオシューリヴィジャ(Khao Srivijaya)またはカオプラナライ(Khao Phranarai)。
この遺跡はスラターニーの北西20キロの海抜33メートルの丘の上と裾野にあり、現在も発掘が続いている。
ここからは、8世紀頃にさかのぼるヴィシュヌ像と、中国やペルシャの陶器、ガラス製品、家庭用品、ビーズ等が、10を超える宗教建築の遺跡から回収された。
カオシューリヴィジャ遺跡の図にはタイ語の番号が記されていたので、アラビア数字を挿入した。 |
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■15:50
雨のため裾野の遺跡から見学しようと思い、上図黄色の寺院 Wat Khao Si Wichai の境内に入ったが、遺跡への道はなかった。
境内から道路に戻り、遺跡近くの道を探して進入した。 |
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■15:53
第18遺跡
タイ語の看板では、遺跡の地図と発掘品の写真しかわからない。 |
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■15:53 レンガの基壇の上に石が積み上げられている。 |
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■15:54
第15遺跡 |
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■15:56
第16遺跡 |
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■15:57 ここもレンガの基壇のみ。雨に濡れながらの写真撮影だった。 |
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■16:02 これからが本番の丘の上の遺跡巡りだ。雨が止まず「yayo」が明日にしたらと提案してきた。「ふうみん」は、折り畳み傘をスーツケースに入れたのを思い出して、車のトランクを開けてスーツケースから傘を取り出す。
このカオシューリヴィジャ遺跡は、1936年に史跡に指定され、考古学研究チームによる発掘は1998年に開始された。現在、90%以上の発掘が終了したという。 |
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■16:10
第1遺跡 |
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■16:10
レンガの丸い基壇。祭祀用のものかな? |
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■16:10 屋根の下は発掘されたレンガで一杯だ。 |
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■16:10
第2遺跡 |
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■16:14
半円形に積まれたレンガ。 |
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■16:18
第17遺跡
この遺跡は第2遺跡から100メートル以上離れていた。 |
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■16:18 ここが、第3遺跡ではなく第17遺跡という事は、最近発掘されたのだろう。 |
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■16:19
第3、第4、第5遺跡と三つの遺跡が連なってある。 |
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■16:19 石組みされた基壇にレンガの階段がある大きな遺跡だ。 |
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■16:20 第3遺跡 階段を登ると目の前にレンガの基壇が現れた。 |
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■16:20 第4遺跡 こちらもレンガの基壇だが古いレンガが残されていたようだ。 |
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■16:20 第5遺跡 こちらは新しいレンガで基壇が造られていた。 |
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■16:21
第6遺跡 |
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■16:22 「ふうみん」の見たかった大きなヴィシュヌ像が見えて来た。 |
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■16:22 ここから発掘された8世紀ごろに造られたヴィシュヌ像は、バンコク国立博物館に展示れている。この像は扶南で造られたか、その系統の工人によつて造られたのだろう。そうすると8世紀以前と思われる。 |
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■16:24
第7遺跡 |
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■16:24 第7遺跡 この遺跡は新しいレンガで修復されていた。 |
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■16:24 この第7遺跡の階段の下にもレンガの基壇がある。下りて見よう。マレーンポーさんのブログによると、2019年3月時点では、この先は工事中で降りられなかったいう。 |
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■16:25 階段降りて、振り返ると第3遺跡に登る階段に似ている。という事は第3~第7遺跡がメインの遺跡と思われる。 |
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■16:25
階段の下に石鐘が吊るされていた。
この石鐘って、ドーヴァーラヴァティー様式のものだが? |
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■16:42
雨に濡れながら、遺跡の入り口の駐車場に戻る。
いや~あ!12月の乾季のタイでこんな雨に見舞われるとは思ってもいなかった・・・と、愚痴りたくもなる。 |
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オーキッドリバービューホテル(Orchid Riverview Hotel) |
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■16:59
スラターニーのオーキッドリバービューホテル(Orchid Riverview Hotel)に到着。 |
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■17:05
部屋に入るとハートの白鳥のお出迎え。
「ふうみん」は、遺跡巡りで雨に濡れて少し風邪気味になった。
熱いシャワーを浴びて、葛根湯を飲んで2時間ほど熟睡した。 |
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■20:29
オーキッドリバービューホテルは、リバービューというだけあってすぐ近くをタピ川が流れている。
目の前の橋(Tapi Bridge)を渡ると、市の柱(ラクムアン)がある。 |
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■20:30
最初、タピ川沿いのシーフードレストランの「Crossroad Restaurant」で夕食を摂ろうと思っていた。
目の前を同じホテルから歩いてきた4人連れのファランが、そのレストランに入って行った。
「ふうみん」たちは、3時ごろまで昼食を摂っていたのでお腹が空いていない。 |
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■20:44
ホテル横の「セブンイレブン」で、ビールやサンドウィッチやヨーグルトなどを購入して夕食とする。
夕食代、258バーツ。 |
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