|
■5:45 アマンダヒルホテルのテラスから眺めた情景。中央のメルバブ山には雲がかかっているが、右側のムラピ山はくっきりと見える。 |
|
|
■6:06 アマンダヒルホテルを朝の散歩。2泊したこのホテルとも、もうすぐお別れだ。 |
|
|
■6:08 写真で見ると、きれいなリゾートホテルの様だが、実際の中身は現地人仕様だ。 |
|
プランバナン(Prambanan)へ |
|
|
|
■7:24
朝食を部屋で摂り、今日は今回の旅のメインディッシュである、プランバナン(Prambanan)を目指す。 |
|
|
|
|
■7:33 朝の活気のある、バンドンガン(Bandungan)の市場を抜ける。 |
|
|
■7:44 バンドンガンから、凄い急坂を下りてアンバラワ(Ambarawa)に出る。突き当たりの国道14号線を左折して、アンバラワの市場を抜ける。この市場も混雑していた。 |
|
|
|
■7:49
逆光で標識が見づらいが、突き当りを右折してソロ方面に国道16号線を走る。
ちなみに国道14号線は、ここを左折してスマランまでになる。 |
|
|
|
|
■8:13 幼稚園か保育園か?どちらか分からないが、お揃いの赤の上下服の子供たち。 |
|
|
|
■8:53
昨日戸惑った、Boyolali の街での一方通行の道路標識。
昨日は左折して、スラカタ(ソロ)に向かったが、今日は直進してクレートン(Klaten)に向かう。
クレートンに出た方が、プランバナンには近い。 |
|
|
|
|
■9:20 地方道の田舎を走ると、途中で田植え作業していた。 |
|
|
|
■9:23
もう直ぐ、クレートンの街中に出るはずだ。 |
|
|
|
|
|
■9:29
クレートンの街中にあるガソリンスタンドに入る。
ここで、気が付いたのだがインドネシアのガソリンスタンドは、すべて国営の Pertamina という会社だ。
だから、何処で入れても値段は同じだ。 |
|
|
|
|
|
■9:31
★給油DATA |
|
|
|
給油価格 |
175,010 |
(Rp.) |
給油量 |
23.65 |
(L) |
軽油1L当り |
74,00 |
(Rp.) |
|
|
|
|
|
|
|
■9:40
ガソリンスタンドから、右折して国道15号線に出る。 |
|
|
|
|
■9:42 国道15号線はクレートンの街中なので、一方通行になる。 |
|
|
■10:00 プランバナン史跡公園(Prambanan Archeological Park)を右側に見て、国道15号線を直進する。 |
|
|
■プランバナン周辺の遺跡地図。
現在、右側のソロ方面から来て「プランバナン史跡公園」の前にいる。今日は「プランバナン史跡公園」以外の遺跡を出来るだけ見学したい。最初に、一番左側にあるサンビサリ寺院(Candi
Sambisari)に行こう。 |
|
サンビサリ寺院(Candi Sambisari) |
|
|
|
■10:01
サンビサリ寺院(Candi Sambisari)へは、「プランバナン史跡公園」から7キロほどジョグジャカルタ方面に進む。
しかし、なかなかUターンレーンがない。 |
|
|
|
|
|
■10:17
やっとUターンして、サンビサリ寺院(Candi Sambisari)の標識を見つける。
標識に沿って左折する。 |
|
|
|
|
■10:28 2キロほど進むとサンビサリ寺院があった。車を民間の駐車場というか、店先に停めて遺跡に向かう。駐車場代、5,000ルピア。入場料、2,000ルピア。
サンビサリ寺院は、1966年に火山灰の中から農夫により発見された。メラピ山の爆発により、地表から約6m下に建っている。西を向いた 一基の主祠堂と、三基の副祠堂が対面しており、これらを二重の壁が囲っている。古マタラム王国時代の812~838年頃に、創建されたと考えられている。
|
|
|
|
■10:32
主祠堂の外壁の壁龕には、ドゥルガー、ガネーシャ、 アガスティアの像が彫られている。 |
|
|
|
|
|
■10:34
アガスティア像。 |
|
|
|
|
|
■10:34
ドゥルガー像。 |
|
|
|
|
|
■10:36
ガネーシャ像。 |
|
|
|
|
|
■10:37
主祠堂内には、リンガとヨニが安置されていた。
家族連れの、子供たちのおもちゃになっていた。 |
|
|
|
|
|
■10:40
インフォメーションセンターがあり、周辺遺跡の地図や出土品の一部が展示されている。 |
|
|
|
サリ寺院(Candi Sari) |
|
|
|
|
|
■10:55
サリ寺院(Candi Sari)へ向かう。 |
|
|
|
|
■10:57 サリ寺院(Candi Sari)のサリとは「美しい」を意味する。シャイレンドラ王国により、9世紀前半に建てられた仏教寺院。入場料、2,000ルピア。 |
|
|
|
■10:59
正面の入り口から、寺院の内部に入る。
残念な事に、内部に仏像等はない。
この寺院の外観は3階建てに見える。
内部には、階段跡や2階の床の張り跡があり、多くの部屋に分かれていたようだ。
このため、僧院だったとの説もある。 |
|
|
|
|
|
■10:59
荒々しいカーラと、同じく荒々しい両端のマカラのレリーフの壁龕。
仏教寺院にふさわしくない迫力と、強さを感じる。 |
|
|
|
|
■11:01 この寺院の見どころは、美しい外壁のレリーフだろう。 |
|
|
|
■11:05
天人のレリーフは、残念ながら完全な姿を保ったものは無い。
三屈法(トリバンガ)のポーズをとった姿は、均整がとれて美しい。 |
|
|
|
|
|
■11:06
美しい天人のレリーフ。 |
|
|
|
|
|
■11:07
サリ寺院の建物の上部は、9つのストゥーパで飾られ、東向きに建っている。 |
|
|
|
クドゥラン寺院(Candi Kedulan) |
|
|
|
|
|
■11:15
クドゥラン寺院(Candi Kedulan)は、現在、発掘・修復の作業中のヒンドゥー教の遺跡だ。 |
|
|
|
|
■11:16 クドゥラン寺院(Candi Kedulan)についての詳しい情報は無いが、先ほど見学したサンビサリ寺院と同じ、古マタラム王国時代の9世紀前後に創建されたと考える。メラピ山の爆発により、地表から約6mぐらい下に遺跡はある。
「ふうみん」は、サンビサリ寺院の発掘時の現場を想像してワクワクする。 |
|
|
|
■11:16
クドゥラン寺院の周りには、鉄条網が張られている。
この鉄条網沿いに歩く。 |
|
|
|
|
|
■11:18
入口の係員に許可を貰って、遺跡内部に入る。 |
|
|
|
|
|
■11:18
敷地内の片隅に組み上げられた石。 |
|
|
|
|
|
■11:18
大きな屋根の下にも、遺物がたくさん置かれていた。 |
|
|
|
|
■11:20 クドゥラン寺院は、1993年11月に砂の採掘業者により発見された。現在の所、主祠堂からリンガとヨニ、それとドゥルガー、ガネーシャ、アガスティア像が発見された。
その他にも2つの石碑が発見された。これらの碑文は、パラーバとサンスクリット語で書かれている。 |
|
|
|
■11:23
発掘現場に置かれたレリーフ。
詳しい調査結果を知りたいと思う。 |
|
|
|
カラサン寺院(Candi Kalasan) |
|
|
|
|
|
■11:39
カラサン寺院(Candi Kalasan)は、カラサン碑文によると、778年に建立された仏教寺院。
入場料、2,000ルピアと書かれた小屋があったが、誰も居ず無料だった。
シャイレンドラ王国のダルマトゥンガ王は、古マタラム王国のパナンカラン王に対し、多羅菩薩を祀るためと僧侶のための僧院を建造するよう提案し、カラサン寺院が建てられたという。
現在の建物は、9世紀前半に増築されたものだ。 |
|
|
|
|
■11:41 「ふうみん」は、仏教を国教とするシャイレンドラ王国と、ヒンドゥー教を国教とする古マタラム王国の 2 つの王国が協力し、て仏教寺院を建立した両国の関係に興味を抱く。 |
|
|
■11:41 寺院内部には、台座しか残っていない。かっては、大きな多羅菩薩像が安置されていたのだろう。 |
|
|
■11:43 祠堂脇に置かれたまぐさ石。先日、ソノブドヨ博物館で見たものに似ている構図だ。両端の人物は、ここでは中国人ではないようだ。 |
|
|
|
■11:46
南入口上部に彫られた、中部ジャワ独特の顎のないカーラは傑作とされている。
「ふうみん」は、そのカーラ上部に彫られた宮殿に注目した。
カンボジアのクメール遺跡、「サンボールプレイクック」の空中宮殿(フライングパレス)を連想させる。 |
|
|
|
|
|
■11:49
遺物のマカラ(摩褐魚)の排水口がこんなにも並んでいる。
まさに、壮観だ。 |
|
|
|
|
|
■11:53
お昼近くになった。
遺跡見学は休憩して、ホテルで昼食にしよう。
カラサン寺院の駐車場を後にする。 |
|
|
|
ポエリデファタリゾ-ト(Poeri Devata Resort) |
|
|
|
|
|
■11:59
ポエリデファタリゾ-ト(Poeri Devata Resort)に向かう。
左手の林は、プランバナン史跡公園だ。
国道15号線を左折して、史跡公園に沿った道を走る。 |
|
|
|
|
|
■12:02
800mほど進むと、カーブ際にポエリデファタリゾ-ト(Poeri Devata Resort)はあった。 |
|
|
|
|
|
■12:12
ポエリデファタリゾ-トの客室は、コテージ形式で20室ほどのホテル。
ホテルの「wi-fi」は、ロビーとレストラン周辺のみ。 |
|
|
|
|
|
■12:13
客室内は、コンパクトにまとめられている。 |
|
|
|
|
|
■12:34
このホテルの目玉は、2階のレストランから眺めるプランバナン史跡公園内のロロジョグラン(細身の処女の意)寺院だ。
ロロジョグランの中心は、高さ47メートルのシヴァ神を祀るヒンドゥー教の大祠堂だ。
レストランには他に客は居ず、一番眺めの良い席に座る。 |
|
|
|
|
|
■12:34
まずは、ロロジョグランにビンタンビールで乾杯だ! |
|
|
|
|
|
■12:54
ここの食事は、なかなか美味しかった。
クリームスープとクラブサンド。
アヤムゴレンとビンタン2本。
昼食代、276,000ルピア。 |
|
|
|
アス寺院(Candi Asu)/ ガナ寺院(Candi Gana) |
|
|
|
|
|
■14:40
昼食後は、ホテルの部屋で一休み。
何度も書きますが、熱帯のご隠居夫婦の遺跡巡りに無理は禁物だ。
休息後の遺跡巡りは、アス寺院(Candi Asu)から始めよう。
ポエリデファタリゾ-ト前から、プランバナン史跡公園に沿った道を走る。
途中で迷子になり、やっとアス寺院を見つけた。 |
|
|
|
|
|
■15:03
アス寺院(Candi Asu)は、ガイドブックや遺跡本にも紹介されていない遺跡。
アス寺院はセウ寺院の東方に位置する仏教遺跡で、崩壊した状態で発見された。
ところで、現地の看板にはガナ寺院(Candi Gana)と書かれている。
・・・どちらの名前が本当なのかな? |
|
|
|
|
■15:05 調べたところガナ寺院が正式名称で、アス寺院のアスはジャワ語で犬の意味で、遺物に犬に似た彫刻のある事から、近所の人たちは「アス(犬)」寺院と呼んだらしい。
空き地には、無造作に寺院の建造物の石やレリーフのある石などが放置されている。 レリーフはたくさん見つかったというが、どこかに保管されたのか見当たらなかった。 |
|
|
■15:08 祠堂入口の彫刻。ガナ寺院はセウ寺院を囲む4つの守護寺院だったというが、復元にはパーツが足りず困難を極めているらしい。 |
|
|
|
■15:08
子の獅子像が「犬(アス)」と思われたのかな? |
|
|
|
北プラオサン寺院(Candi Plaosan Lor) |
|
|
|
|
|
■15:14
北プラオサン寺院(Candi Plaosan Lor)に向かう。
ガイドブックや遺跡本には、プラオサン寺院(Candi Plaosan)と紹介されているが、南にある遺跡の復元が進んだことから、現在では「北プラオサン寺院」と呼ばれる。
畑の向こうに、巨大な大祠堂が2基見えてきた。 |
|
|
|
|
■15:17 北プラオサン寺院(Candi Plaosan Lor)は、9世紀の半ばに古マタラム王国のラカイピカタン王(Rakai Pikatan)によって、王妃のプラモダヴァルダニへの贈り物として建設された仏教寺院。
ラカイピカタン王は、ヒンドゥー教のロロジョングラン寺院の建立者である。ヒンドゥー教を国教する古マタラム王国の王は、仏教を国教とするシャイレンドラ王国の王の娘のプラモダヴァルダニ王妃のために仏教寺院を建立した。両国の融和を象徴する寺院であると言える。
この北プラオサン寺院は、囲繞壁によって区切られた2基の大祠堂と、116 基の小祠堂(ペルワラ)と 236基のストゥーパから成る。 |
|
|
■15:18 南側の主祠堂は、長方形の2層構造で内部は3つの部屋に分かれており、入口には門衛神のドヴァラパーラ像が彫られている。 |
|
|
|
■15:19
入口の美しい三屈法で彫られた、門衛神のドヴァラパーラ像。 |
|
|
|
|
■15:19 祠堂内部の中央の部屋には、左に「金剛手菩薩」と右に「観世音菩薩」が安置されいる。この脇侍像の配置から、中央には「釈迦牟尼仏」が安置されていたと考えられる。この中央の仏坐像は青銅製だったというが、後に運び出されてしまった。
右側の部屋には「文殊菩薩像」と「虚空蔵菩薩像」、左側の部屋には「地蔵菩薩像」と「弥勒菩薩像」が安置されているが、中央の像はどちらも無い。 |
|
|
|
■15:21
両端の部屋の左右壁面には、レリーフが残されている。 |
|
|
|
|
■15:27 北側の大祠堂は、南側の後に再建された。こちらの祠堂内の仏像には、残念な事に首が無い。 |
|
|
■15:28 再建された小祠堂(ペルワラ)。何でも、小祠堂は116基もあるという。 |
|
|
■15:30 奥に行くと修理事務所や収蔵庫がある。そこにある遺物の多さに驚く。 |
|
|
|
■15:29
収蔵庫の美しい天人像。
頭の上にカーラがあると言う事は、壁龕に彫られた石像だろう。
こんな、美品がそこいら中にゴロゴロしている。 |
|
|
|
|
■15:33 「ふうみん」は、この十数年かなりの数のアジアの石造遺跡を巡った。その中で、「二日酔い」ならぬ「石酔い」を初経験した。
もうこれ以上石を見るのは、胸も頭も一杯で少し気持ちが悪くなり写真を撮る意欲が無くなった。こんな事は、初めての体験だ。
・・・いゃ~あ、ジャワ島のこのプランバナン周辺の遺跡群には、本当に参りましたね。 |
|
南プラオサン寺院(Candi Plaosan Kidul) |
|
|
■15:38 南プラオサン寺院(Candi Plaosan Kidul)は先ほど見学した、北プラオサン寺院の南側に位置する。北に比べ規模は小さいが、複数の小祠堂(ペルワラ)が復元されている。 |
|
|
■15:39 南プラオサン寺院は、墟跡から推測すると16基の小祠堂(ペルワラ)と69基のストゥーパが主祠堂を囲んでいたとおもわれる。主祠堂は上下に別れ、上部は僧院、下部は宗教儀礼の場所であったと考えられているが、現在のところ修復作業はすすんでいない。 |
|
|
■15:42 「ふうみん」は、発掘された当時の石畳に注目した。この石畳の上を歩き、千数百年前の人々のいる情景を想像するだけでも楽しい。これが、遺跡巡りの醍醐味でもある。 |
|
ソジワン寺院(Candi Sojiwan) |
|
|
|
■15:51
ソジワン寺院(Candi Sojiwan)に向かう。
プラオサン寺院からの道の交差点を左折し、北上すると国道15号線に交わる。
その交差点を直進すると、鉄道のプランバナン駅がある。
道なりに進むと、踏切があり閉まっていた。 |
|
|
|
|
|
■15:54
踏切には、あっという間にバイクが溢れる。
車の横の家族連れのバイク。
子供が興味深そうに、「ふうみん」の車を見つめていた。 |
|
|
|
|
■15:59 踏切が開くと、一斉に渡るバイクの集団。 |
|
|
|
■16:01
道の突き当りに、ソジワン寺院(Candi Sojiwan)の標識が出ていた。
ここを、右折する。 |
|
|
|
|
■16:05 道の左側に、夕日に照らされて赤く染まるソジワン寺院(Candi Sojiwan)が見えた。 |
|
|
■16:05 ソジワン寺院は、2011年に復元された9世紀の仏教寺院。顔の半分欠けたクベラ像が一体立っている。 |
|
|
|
■16:06
入口の階段脇のレリーフが面白い。
中央には象の上に乗った力士が天井を支え、両脇には獅子に乗った仏が描かれている。
その、獅子の下には邪鬼がいる。
この様な構図は、初めて見た。 |
|
|
|
|
■16:07 2階の小窓から差し込んだ夕日の影が祠堂内を照らす。本来、仏像の置かれれる場所にまるで仏像のような尖塔の影が映る。まるで、映画の一場面を見るような神秘的な体験だ。 |
|
|
■16:08 入口の階段横には、すべての願いをかなえるという「聖樹カルパタル」のレリーフがあった。 |
|
|
|
■16:11
事務所には、ガルーダの石版が飾られていた。
多分、この遺跡のモチーフの物で、本物は博物館に収蔵されているのだろう。
しかし、仏教遺跡にヴィシュヌ神の乗り物のガルーダのレリーフとは?
・・・不可思議だ。 |
|
|
|
|
|
■16:12
だいぶ日が傾いて来た。
ソジワン寺院を後にして、次のバニュニボ寺院に向かおう。 |
|
|
|
バニュニボ寺院(Candi Banyunibo) |
|
|
|
|
|
■16:26
ピンぼけの写真で申し訳ない。
▶左折すると、ボコの丘(Ratu Boko)へ。
▶直進すると、バニュニボ寺院(Candi Banyunibo)へ。
▶右折すると、イジョ寺院(Candi Ijo)へ。
ここを、直進する。 |
|
|
|
|
|
■16:27
途中の交差点を右折して、川に沿った小道を進む。 |
|
|
|
|
■16:28 バニュニボ寺院(Candi Banyunibo)は、祠堂頂部と周囲に6か所のストゥーパがあることから、9世紀に建立された仏教寺院と判断される。 |
|
|
|
■16:31
祠堂内部には、西日が差し込んでいた。
残念ながら、仏像は安置されていない。 |
|
|
|
|
|
■16:33
外壁の壁龕には、ボリュームのある肢体を持ったハリティーのレリーフ。
ハリティーとは鬼子母神の事で、仏教における母子の守護神。 |
|
|
|
|
|
■16:38
境内の片隅に置かれたナンディン。
何で、ヒンドゥー教のシヴァ神の乗り物が、仏教寺院にあるのだろう?
・・・先ほどのソジワン寺院いい、仏教寺院とヒンドゥー教寺院の区別があいまいだね。 |
|
|
|
バロン寺院( Candi Barong) |
|
|
|
|
|
■16:49
バロン寺院( Candi Barong)は、バニュニボ寺院の先にある。
バニュニボ寺院に行くために右折した道を、今度は直進すると集落のどん詰まりに着く。
その丘の上に、バロン寺院はある。
近くの家の庭に、車を駐車させてもらい裏の山道を登る。
「yayo」は車と一緒に待機だ。 |
|
|
|
|
|
■16:54
真っ赤な夕日を背中に浴びて、山道を息を切らしながら一気に登る。
もう直ぐ5時だ!遺跡の通用門が閉められてしまうかが心配だ。 |
|
|
|
|
■16:55 バロン寺院が見えてきた。大きな基壇の上に2基の祠堂が建っている。 |
|
|
■16:59 バロン寺院は、1992年に復元された。出土品からはヴィシュヌ神像やデウィスリ女神像が出土され、シヴァ神殿が多い中部ジャワにおいて珍しい寺院と言える。
デウィスリ(Dewi Sri)は稲の女神。ラーマヤナ物語で、ラーマがシータの純潔を試すために火の中に入らせた。シータが火の中で燃えると、ラーマが水になって飛び込む。シータの灰からは、たくさんの米が溢れ出た。シータが、米を司るデウィスリの生まれ変わりであった。すなわち、ラーマ=ヴィシュヌ神、スリ=ヴィシュヌ神の妻。 |
|
|
|
■17:01
バロン寺院は、古マタラム王国時代の9~10世紀に建設されたヒンドゥー教の寺院。
2基の祠堂は、ヴィシュヌ神とデウィスリ女神を祀る祠堂。
2つの祠堂とも、内部は空洞になっているが、入り口や窓を持たない独特の構造をしている。
ともかく、謎の多い遺跡である。 |
|
|
|
|
|
■17:02
2基の祠堂のほか、一基の門が建っている。
門の中を夕日が沈む。 |
|
|
|
|
■17:04 門のフレームの中から夕日を望む。バロン寺院は、海抜199メートルにあり、眼下にジョグジャカルタの街を望める。右側の丘は、夕日の名所と言われる世界遺産のボコの丘(Ratu
Boko)。 |
|
|
|
■17:07
「ふうみん」は、バロン遺跡の裏方面から入ったようだ。
バロン寺院( Candi Barong)の入り口の事務所に行き、ノートに記帳する。 |
|
|
|
|
|
■17:09
バロン寺院( Candi Barong)の入り口から、50メートルほど離れた場所に遺跡がある。
遺跡の名前は「Dawangsari Site」という。
Dawangsari Site は、ストゥーパがある事から仏教遺跡という説と、ガネーシャ像が発見されたのでヒンドゥー教遺跡と言う説がある。
また、この遺跡名はミリ寺院(Candi miri)であると言う人もいる。 |
|
|
|
|
■17:09 多くの石が散乱されたまま、手つかずで残っている。 |
|
|
■17:10 こんな遺跡が、至るところに残っているジャワ島の遺跡の解明を待ちたい。 |
|
|
■17:13 丘の下の集落に「yayo」を置きっ放しだ。先ほど急いできた山道を、夕日に向かって急ぎ足で戻る「ふうみん」。 |
|
ポエリデファタリゾ-ト(Poeri Devata Resort) |
|
|
|
■17:39
ポエリデファタリゾ-ト(Poeri Devata Resort)に帰る。
帰宅ラッシュのバイクの群れに巻き込まれる。 |
|
|
|
|
|
■18:21
ポエリデファタリゾ-トの露天風呂に入る。
写真には写っていないが、右側にシャワ-がある。
シャワーで体を洗えるから、浴槽内ではゆったりとお湯に浸かる事が出来る。
これで、遺跡巡りの疲れをとる。 |
|
|
|
|
|
■19:16
夕食はホテルの2階のレストラン。
また、一番いい席が取れた。
ライトアップされた、ロロジョグランを眺めながらのディナーだ。 |
|
|
|
|
|
■19:21
トマトスープと鶏肉の唐揚げ。
クラブサンドと野菜サラダ。
それに、もちろんビンタンビール。
夕食代、264,000ルピア。 |