|
|
■6:50
パンチャダラーホテルの全景。
駐車場に駐車している車は少ない。
この宿泊客数では、今日の朝食はセットメニューかな? |
|
|
|
|
|
■6:51
食堂に入ると、うれしい事にビュッフェ方式の朝食だった。
それに、客は我々だけだし味も合格点だ。 |
|
|
|
|
|
■7:51
コラート市内の朝のラッシュに引っかかる。
早く2号線に出て、60キロ先にあるピマーイ遺跡まで飛ばしたい。 |
|
|
|
|
■8:07 快適な2号線を北東に120キロ超で快調に飛ばす。タイの道路を走っているな~あ!と実感する瞬間だ。 |
|
|
|
■8:45
ピマーイ遺跡に入場する。
ここも、40バーツから100バーツに値上げしている。
入場券だけは前より綺麗になった。
|
|
|
|
|
■8:48
クメール遺跡 No.9 |
遺跡名 |
Phimai Historical Park |
様 式 |
Baphuon Style |
|
|
|
ピマーイ遺跡は1964年~68年にかけて、タイ芸術局(Fine Art Department)によって修復された。
カンボジアのアンコールワットの1世紀前の11世紀末から12世紀初頭にかけて建造され、アンコールワットの原型とも言われている。 |
|
|
|
■8:48 まだほとんど観光客のいないピマーイ遺跡の境内。3基の祠堂が朝日を浴びて輝いている。 |
|
|
|
■8:54
高さ28メートルの中央祠堂が、その偉容を誇示するように、眼前に現れる。 |
|
|
|
|
|
■8:55
中央祠堂の破風(アヨデヤへの帰還)とまぐさ石(神々の集い)のレリーフ。 |
|
|
|
|
■9:11 ピマーイ遺跡の裏側の広々とした公園を歩く。涼しい木陰の間にポツリ、ポッリと置かれたまぐさ石などを見て歩くのは、クメール遺跡好きにとっては至福の時間だ。 |
|
|
|
■9:27
ピマーイ遺跡からアンコールを結ぶ「王道」沿いにある「施療院」へ向う途中に獅子舞を見た。
今、タイでは旧正月になる。 |
|
|
|
|
■9:29
クメール遺跡 No.10 |
遺跡名 |
Kuti Rishi |
様 式 |
Bayon Style
AROKAYASALA(Hospital) |
|
|
|
勝利の門から数百メートル走ると、左手に13世紀のジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」があった。 |
|
|
|
|
■9:31
Kuti Rishi(クティルースィー)サンスクリット語で仙人の小屋と呼ばれるが、うまい名前を付けたものと感心する。
「経蔵に聖水を流すソーマスートラ」が、設けられているか?を調べる。
残念ながら、この施療院にはその痕跡は無く、後世に置かれたと思われる蓮の花?のラテライトの石が置かれていた。 |
|
|
|
|
■9:45 ピマーイ遺跡からアンコールを結ぶ「王道」。正面に勝利の門があり、その先はピマーイ遺跡だ。 |
|
|
|
■10:17
クメール遺跡 探し出せず |
遺跡名 |
Prang Sol Song Kram |
様 式 |
Bayon Style
AROKAYASALA(Hospital) |
|
|
T.I.さんの「タイ クメール遺跡を探し求めて」に紹介されている施療院を探して脇道を走るが、ついに分からず。
…この遺跡の場所は「Ban Pol Song Kram にあり、2号線からPhimaiに分かれる交差から更に北上し、左に折れる」と書いてある。 |
|
|
|
|
|
■10:29
クメール遺跡 探し出せず |
遺跡名 |
Prasat Than Prasat Ku Than Prasat |
様 式 |
ー |
|
|
先史時代の墳墓遺跡で有名なバーンプラサートに、二つのクメール遺跡があると言うので探すが、これも分からず。
帰国後、上記のT.I.さんのサイトを見ると、先史時代の遺跡の上にクメール遺跡があり、発掘現場横に遺物が展示されているとの事。 |
|
|
|
|
|
■10:45
何か遺跡の空振りが続く、気を取り直して、ガソリンを給油する。
1L当たり、22.6B(約60円)と安い。久し振りの円高、原油安がうれしい。
★給油DATA |
|
給油価格 |
|
870 (B) |
給油量 |
|
38.5 (L) |
ガソリン1L当り |
|
22.6 (B) |
|
|
|
|
|
|
■11:35 2号線を左折して2160、2384、2369号線と走り、 Amphon Khong 郡の Ban Prang へ向う。
思っていたよりも、すご~く遠い。目的の場所は、ちょうど地図の分かれ目だったので、もっと近いと勘違いしていた。 |
|
|
■11:43
クメール遺跡 No.11 |
遺跡名 |
Prang Ban Prang |
様 式 |
ー |
|
|
|
ガソリンスタンドを出てから約1時間近く、チャイナプーム県の県境近くに、環濠に囲まれた Prang Ban Prang 遺跡はあった。
遺跡の詳細はタイ語の看板の為分からず。 |
|
|
|
|
■11:45
一基の祠堂には鳩除けの網がかぶせられ、そのために著しく景観を損ねている。
この網の為、往復2時間も掛けて見学しに来た割には、その価値は感じられない遺跡だった。
|
|
|
|
|
|
■13:10
2号線まで戻り、ガソリンスタンドに併設されている食堂でソムタムとクァイティアオを食べるが、両方とも旨くなかった。
昼食代、100バーツ。
ここで、ビールを飲もうと思ったが売っていない。そんなバカな!とスタンド内の他の店やセブンイレブンに行くがやはり売っていない。
昨年まではそんな事は無かった。昨晩、黒田のママが「最近タイも酒気帯び運転の取締りが厳しくなった」と言っていたので、その関係の規制なのだろう。 |
|
|
|
|
|
■13:33
仕方が無い。
アマゾンでアイスコーヒーを飲む。「yayo」と2杯で95バーツ。 |
|
|
|
|
■14:02 2号線を北上し、74キロ地点の道を左折する。そして、田舎の道を7キロほど走る。 |
|
|
■14:08
クメール遺跡 No.12 |
遺跡名 |
Prang Ku |
様 式 |
ー |
|
|
|
仏教寺院の中に Prang Ku 遺跡はあった。 |
|
|
|
|
■14:08
崩れ去った煉瓦の祠堂。 |
|
|
|
|
■14:09 その、祠堂内に納められた6体の神像。 |
|
|
■14:35 2号線まで戻り、さらに北上する。
Sida の交差点を右折し、202号線を2キロほど走った左側の寺院の中に Prang Sida 遺跡はあった。 |
|
|
■14:38
クメール遺跡 No.13 |
遺跡名 |
Prang Sida |
様 式 |
Baphuon Style |
|
|
|
環濠に囲まれたレンガ造りに漆喰が塗られ、少し傾いた一基の祠堂が建っていた。
その前には金色の2体の仏像が安置されている。 |
|
|
|
■14:40 ラテライトとレンガの複合建造物の祠堂は珍しい。 |
|
|
■14:41 漆喰の装飾が所々残っており、1000年近くの年月を経た美しさを感じる。 |
|
|
■15:13 さらに、202号線を東に向かい走る。 |
|
|
|
■ブリーラム県のクメール遺跡本の地図
202号線をブリーラム県に入った付近のBan Mai Chaiyaphot の207号線の信号付近に、2つのクメール遺跡がある。 |
|
|
|
|
■15:23
クメール遺跡 No.14 |
遺跡名 |
Prasat Ku Suan Taeng |
様 式 |
Baphuon Style |
|
|
|
BKu Suan Taeng 遺跡は、12世紀半ばに建てられた3基のレンガ造りの祠堂が静かに佇んでいる。 |
|
|
|
|
■15:24
中央の祠堂に納められた新しい仏像。
本来、中心におかれるヨニは片隅に置かれていた。
ここには素晴らしいまぐさ石のレリーフがあったが、盗難にあった事から、今は全て切り取られてバンコクやピマーイの博物館に収められている。 |
|
|
|
|
|
■15:29
遺跡の片隅に置かれた石。
この石はいろんな遺跡でよく見るが、何なのだろう?と、以前から疑問に思っていた。
この後に行った、ロイエットの国立博物館で、この長年の謎は解明できた。 |
|
|
|
|
|
■15:41
202号線を左折して Kuti Rishi Prang Ku へ行く道が分からない。
何度も間違った道に入る。
ちょうど学校が終って、帰宅の時間だ。子供たちを満載したソンテウが走る。
こんな情景を見るにつけて、タイでも少子化が進んでいると言うのは本当かな?と思う。 |
|
|
|
|
|
■15:59
それらしいカーブだな!と思ったら、この先に Kuti Rishi Prang Ku 遺跡はあった。 |
|
|
|
|
■16:01
クメール遺跡 No.15 |
遺跡名 |
Kuti Rishi Prang Ku |
様 式 |
Bayon Style
AROKAYASALA(Hospital) |
|
|
|
この遺跡は名前から分かるように、13世紀のジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」だ。 |
|
|
|
|
■16:09
施療院の前に置かれた神像を待った社。
近所の村人の信仰を集めているのだろう。 |
|
|
|
|
|
■16:09
この遺跡でも 「経蔵に聖水を流すソーマスートラ」が設けられているか?を調べる。
残念ながら、この施療院にも痕跡は無かった。 |
|
|
|
|
■16:34 202号線から、207号線に入りコラート方面に戻る。この後の見学予定の遺跡はナンラムだ。
ナンラム遺跡に行く道と確信した道を走るが、途中で違うな?と感じ、Uターンする。(…本当はこの道で合っていて、あと数キロ先に遺跡はあった。早とちりをした。) |
|
|
|
■17:18
この後に何と、1時間近くも207号線を行ったり来たり。
以前、この遺跡を探すのに1時間半も迷った事を思い出し、落ちゆく西日を見ながら少し焦って来る。 |
|
|
|
|
|
■17:32
最初の道に入った所にある、小学校の先生に遺跡の場所を聞き、車を飛ばす。
何だったのだろう?
この、1時間のムダな時間は! |
|
|
|
|
■17:34
クメール遺跡 No.16 |
遺跡名 |
Prasat Nang RamⅡ |
様 式 |
Bakheng Style |
|
|
|
ナンラム遺跡は2つの遺跡からなり、奥にある古い遺跡から見学する。 |
|
|
|
■17:35 この遺跡には、入口のフレームの上にいくつものまぐさ石が残されている。以前に来た時は、このまぐさ石の写真を全て撮っていなかった。 |
|
|
|
■17:36
落ちゆく夕日と競争するように、駆け足ですべてのまぐさ石の写真を撮って行く。
フレームの中に夕日が納まる。 |
|
|
|
|
■17:39
クメール遺跡 No.17 |
遺跡名 |
Prasat Nang RamⅠ |
様 式 |
Bayon Style
AROKAYASALA(Hospital) |
|
|
|
ナンラム遺跡の入口にある遺跡は、13世紀のジャヤヴァルマン7世が102ヶ所造った「施療院」だ。 |
|
|
|
|
■17:42
砂岩のフレームを赤い夕日が照らし出す。
この遺跡でも 「経蔵に聖水を流すソーマスートラ」が設けられているか?を調べる。
残念ながら、この施療院にも痕跡は無かった。 |
|
|
|
|
■17:45 イサーンの大地の片隅に、忘れ去られたようにポッンと佇むクメール遺跡とオレンジ色に空を染めて落ちてゆく夕日。
先ほどまでの焦った気持ちは、すでにどこかに吹き飛び、ただ、ただ…黙って夕日を見つめるのみ。 |
|
|
|
■18:19
暮れ行く夕日を追いかける様に、207号線をコラート目指して走る。 |
|
|
|
|
|
|
|
■黒田で貰った地図
今晩は「ロンプラ」オススメのレストラン「Rabiang Pa」に行こう。 |
|
|
|
|
|
■19:28
レストラン「Rabiang Pa」の前に車を停めて、中に入る。
客は我々のみ。 |
|
|
|
|
|
■19:29
照明に照らし出された緑が美しい、いい雰囲気のレストランだ。
「ロンプラ」オススメと言うことは、ファラン(西欧人)好みのタイ風の味付け料理かな?
と、味の方はあまり期待しなかった。 |
|
|
|
|
|
■19:50
先ずは、生蠣だ。
新鮮で美味しいし、この薬味がまたいい。 |
|
|
|
|
|
■19:52
ソムタムも唐辛子は控えめに注文。
その他に豆腐のスープや青菜の炒め物や春雨のサラダなどを注文。
「yayo」もここのレストランの味に感心。ビールやコーラの飲み物を含め、夕食代はチップ込みで680バーツ。
食事の途中、日本人の現地駐在員が作業着姿のまま10人ほど奥の部屋に入って行った。
多分、現地でも評判の店なのだろう。 |
|
|
|
|
|
■20:58
夕食に満足し、パンチャダラーホテルの駐車場に車を停めていたら… |
|
|
|
|
|
■
20:59
その時、轟音とともに直ぐ目の前を列車が通って行った。 |
|
|
|
|
|
■21:33
いったん部屋に戻り着替えて、KSホテルのマッサージに向う。
フットマッサージを受ける。
マッサージ代は、1時間250バーツ+チップ50バーツ。 |