■行程7日目>パイを退散し、アンカーン山へ



走行DATA



ホテル(8:30) → R1095 → メータン → R107 → チェンダオ
ガソリンスタンド(12:00)
49.0L×25.3B=1240B
R1178 → 昼食(12:25~13:25)R1178 → アンカープロジェクト見学(14:49~14:58) → R1249 → R107 → R1089
ワットタートン見学(16:20~16:40)
R1089 → タートンシャレー(16:45)



7日目・走行距離 321キロ
累計走行距離 1985キロ
当日給油 49.0L、1240B
累計給油 220.9L、5585B





■7:14 レストランから眺めた、バーンクラティンパイの朝霧に包まれた早朝の風景。


■7:14

バーンクラティンパイのレストランに行く。

朝霧の中、ひんやりとする気温だ。


■7:25

朝食はセットメニューだった。

これは、宿泊客が少ないので仕方がない。

フルーツも付いており、なかなかおいしかった。まずは合格。

それにしても、タイにしてはすごく寒い。

給仕の女の子はヤッケを着ていた。


■8:56

8時半にホテルを出発し、ホテルの前の道を右折して、TATでもらった地図に載っている Old Town Wall に向う。

村の中を行ったり来たりして捜すが、目指す遺跡は無い。

仕方が無い、Old Town Wall をあきらめる。

そして、山沿いの道を走り、ワット・プラタートメイヤン(Wat Phra That Mae Yan)に来た。


■8:57

この寺院からは、パイの街を一望出来るという。

残念ながら、朝霧でよく見えない。



■9:04 パイの山沿いの道や川沿いの道を走る。ファランのバックパッカー向けのゲストハウスが至る所に建っており、この静かで風光明媚なパイの街並みの景観を破壊している。

そして、パイの中心の街並みは英語の看板が乱立し、これではまるでカオサンだ。これが、彼ら(ファラン)の言うエコツーリズムなのだろうか?


■9:12

まあ、パイの街並みについて色々と文句を行っても始まらない。

「ふうみん」の感性に合わない、このパイからは早々に退散するに限る。

1095号線に出る。

チェンマイまで134キロだ。



■9:22 パイ川の橋のたもとに、日本軍の建造した鉄橋があった。


■9:22

メモリアルブリッジと書かれた標識には、1942年(昭和17年)に建造されたと書いてある。


■9:23

日本軍は、1941年末から1943年にかけて、ビルマ戦線への補給を目的とした北部タイの道路建設を始める。

Chiang Mai~Pai~Mae Hong Son~Khun Yuam を結んでいた狭い旧道を、日本陸軍の工兵部隊等が戦車も通れる軍用自動車道路として、拡張・改修の工事した。

この道路は「北兵站線」と呼ばれた。


■9:49

牛の夫婦?が、仲良く道端で日向ぼっこをしていた。

すごくのどかな光景だ。


■9:55

警察のチェックポイント。

かなり厳重にチェックしていた。


■10:04

急な山道、狭い道路、悪い舗装。

コンディションの悪い1095号線を走る。


■10:50

前を走る赤バスを追い越す。


■11:20

1095線は、メータン(Mae Taeng)で107号線に繋がる。

ここを左折して、チェンダオ(Chiang Dao)方面に向う。



■11:30 この107号線は工事中だった。近い将来、片道2車線の道路に変貌するだろう。


■11:49

いたる所で砂埃をあげている107号線を走る。

運転していた「yayo」が、メーターにガソリン補給の赤ランプが点いたと言う。

チェンダオに行けばガソリンスタンドがあるはずだ。


■11:57

チェンダオで、ガソリンスタンドに入り給油する。

なんと、ガソリンは49Lも入った。


★給油DATA
1240バーツ、
49.0L、1L/25.3バーツ。


■12:00

スタンドの向かいには、独得の形をしたチェンダオ山が望めるが、霞がかかりよく見えない。


■12:24

チェンダオの街の外れに、1178号線の分岐点がある。

左折して、アンカーン山(Doi Ang Khang)に行こう。


■12:42

1178号線は、思ったよりいい道だった。

一直線の道を快調に走る。



■12;43 稲の刈り入れ作業に、大勢の農民が従事していた。


■12:53

道端にきれいな食堂があった。

ここで昼食を摂ろう。


■12:26

食堂のおばちゃんに言葉は全く通じない。

失礼して、隣のテーブルで食べている人たちの頼んだメニューを指差しで注文する。


■13:04

ソムタムがあるので指差すと、少し困った顔をした。

そうすると、客の中の女の子が道路の反対側の屋台から買って来てくれた。感謝。

料金は、ビールとコーラを入れて183バーツ。

200バーツを出してお釣りはチップ。


■13:33

少し走ると、国境警備隊の厳重なチェックポイントがあり、ゲートのバーが閉まっている。

「アンカーン山に行く」と言い、ゲートのバーを上げてもらう。

地図で見ると、ビルマ国境が直ぐそばだ。

そこに「大谷地村旭日幼児園」との看板。ここは、KMTの村か?


■13:33

アンカーン山まで48キロの看板。



■13:43 誰もいない、ビルマの国境への一直線の道を走る。


■14:01

KMTの村に入ると、「唐窩学校」と書かれた学校があった。


■14:03

こちらは、「唐窩客棧」と書かれたゲストハウス。



■14:10 その近くのビューポイントから眺めた山並み。ここには、KNTの村の物産を売る売店が数店出ており、ファランのアベックが焼き芋を食べていた。

「ふうみん」は旨そうなアボガドを買うが、食べる機会が無く、日本に持って帰れず最終日に空港で破棄せざるを得なかった。残念!


■14:16

アンカーン山(Doi Ang Khang)まで、20キロ地点。


■14:27

ファン郡は、去る10月8日の午後4時から7時までの3時間で、110ミリの雨量を記録する集中豪雨に見舞われた。

その豪雨が土石流となり、死者7人が出たと言う。

その、10月の大雨の崖崩れの場所を通る。


■14:32

大雨の爪あとは大きい。



■14:47 アンカーン山の駐車場に着く。たくさんの土産物屋や食堂ゲストハウスがある。


■14:49

アンカーン山王室プロジェクト(Doi Ang Khang Royal Project)に入る。

入場料50バーツ。




■14:50

王室プロジェクトとは、この地域では以前ケシが栽培されていた。

ケシの栽培は現地住民の生活手段だったが、王室のプロジェクトによってケシに変わる食材や花の栽培などをする様になった。

中に入ると、山岳民族の人たちがゴザの上で作業をしていた。


■14:53

アンカーン山王室プロジェクトのよく手入された庭園や農地。


■14:58

その隣に、アンカーンネーチャーリゾート(Ang Khang Nature Resort)がある。

最初ここに宿泊しょうと思ったが、一泊5000バーツもするので断念し、1/3で泊まれるタートンのホテルにした。



■15:08 標高1500メートルのアンカーン山のビューポイントよりファン方面を望む。遠くは残念ながら、霞がかかりよく見えない。


■15:09

幾つかのトーチカがあった。

やはり、国境なのだな。


■15:16

10月の大雨の被害は甚大だ。

とりあえず、道路上の土砂だけは取り除いてある。



■15:49 ファン(Fang)の街中を走る。思っていた以上の近代的な街並みだ。


■15:52

その先には、古い街並みがあった。


■16:09

メ-アイ(Mae Ai)の街中を走る。

今夜の夕食は、タートンで食べるかメーアイで食べるか迷う。



■16:20 タートン(Thaton)の村に入る。ここは、すごくひっそりとした小さな村だ。この村を一望出来るワットタートンの参道を登る。思ったより奥が深く、一番奥の仏塔まで行く。



■16:22 一番奥の仏塔の展望台から眺めたタートンの街並み。下を流れるのはコック川(Kok River)で、ここの船着場からチェンライに向けての船が出ている。時間は4時間ほどかかると言う。



■16:36 コック川側沿いにはゲストハウスがあり、その先はビルマ国境だ。


■16:38

ワットタートンの仏像。

有り難味は全く無い。



■16:38 橋を渡った袂にあるホテルが、今晩の宿タートンシャレー(Thaton Shalet)。その手前隣のゲストハウスが、昨年昼食を摂ったタートンガーデンリバーサイド(Thaton Garden Riverside)になる。


■16:51

タートンシャレーにチェックイン。

部屋の窓からは、コック川を挟んだ対面のワットタートンを眺められる。



■16:54 ワットタートンに夕日が沈む。テレビを付けると、こんな田舎のホテルなのにNHKの衛星放送を放映していた。久し振りに「yayo」以外の日本語を聞いた。


■19:26

タートンの小さな村の中を散歩がてら歩くが、適当なレストランが無い。

またタートンシャレーに戻り、川沿いのビヤガーデンに入る。

生演奏が8時からあると言う。


■19:48

川沿いなので、温かいスープを中心に注文する。


■21:06

生演奏を聞きながら夕食を摂る。

客は他にファランのカップルが一組のみ。

夕食代は447バーツ、500バーツだしてお釣りはチップ。

そして、演奏者に100バーツのチップを渡して部屋に戻る。

部屋に戻っても、外の生演奏がズゥ~ット聞こえていた。





  Shinji さんから掲示板への投稿 Shinji さんのプロフィール

[620] Shinji 2006/12/09 23:02:21

> 行程7日目> パイを退散し、アンカーン山へ

地名についてですが、
 大谷地村 = Nong Ook = Arunothai
です。けっこう大きな村で、国境に隣接しており、タイ人とビルマ人のみが通行できる国境検問所があります。ちなみに前述の Mae Aw は、この村から分離独立しました。

また、ゲストハウス「唐窩客棧」というのは、おそらく唐窩村にあるのだと思いますが、
 唐窩村 = Tham Ngop = Santi Wana
です。メーサロンがKMT第5軍(段将軍)の本拠地とするならば、この村は第3軍(李将軍)の本拠地なのですが、その後の発展・分散のパターンの相違には、個別の事情もさることながら、指揮官の方針やビジョンに違いがあったのでしょう。

参考文献:冷戦期タイにおける中国国民党軍と山地民
http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/seas/42/2/420204.pdf


さてドイアンカーンですが、南ルートのR1340、東ルートのR1249の他に、あまり地図には載っていない北ルートがあり、なかなかのアドベンチャー道路です。

ドイアンカーンの北端には、二つの隣接した丘にそれぞれタイ軍とビルマ軍のキャンプが200メートルぐらいの近距離でお互いの様子を伺っている、ちょっとした観光スポットがあります(添付画像)。

本来の分水嶺(国境線)は各々のキャンプの中心を通るのですが、それでは具合が悪いので、国境線をちょっとずらしてこういう状況になっています。

ここらへんの稜線はタイ・ビルマの国境であると同時に、メコン・サルウィンの分水嶺でもあります。道路が峰沿いを走る区間では、道路の東端で立小便をすればメコン河経由で南中国海に達し、道路の西端で立小便をすればサルウィン河経由でアンダマン海に達します。ちょっとしたロマンです。









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