■行程2日目> 一路、国境の街メーソットへ



走行DATA



アユタヤ(8:25) → R32
ガソリンスタンド(9:34)
34.5L×24.6B=850B
R32 → R1
ターク市内観光、昼食(12:40~15:00)
ターク(15:00) → R1 → R105 → メーソット(16:16)
ガソリンスタンド(16:29)
38.6L×25.1B=970B
モエイ川国境、Wat Phra That Doi Din Kiu探索(16:34~18:15)
R105 → セントラルメーソットヒルホテル(18:25)



2日目・走行距離 540キロ
累計走行距離 634キロ
当日給油 73.1L、1820B
累計給油 73.1L、1820B





■5:59 クルンシーリバーホテル4階の部屋の窓から眺めた、暁のアユタヤ市内の光景。



■6:18 レンタカーを駆ってアユタヤ遺跡を巡ろう。早朝のアユタヤ遺跡には静寂が漂っていた。


■6:28

ワット・ラーチャナブラナ(Wat Ratchaburana)は、1424年に建てられた。

創建当時は、ニ基のクメール式の仏塔が建っていたと言うが、一基はビルマ軍により破壊されたとの事。

残されたクメール式の仏塔の横から朝日が昇る。

「ふうみん」の好きな瞬間だ。



■6:31 アユタヤ遺跡に朝日が昇る。しばし、見とれる。

早起きて来た甲斐がある景色だ。今日は、ビルマ軍を撃退したタクシン王の廟をタークで見よう。


■6:36

ワット・プララーム(Wat Phra Ram)は、1369年に建てられた寺院。

クメール式の仏塔が朝日を浴びて輝く。

「ふうみん」は、クメールの塔が大好きなのだ。


■6:39

アユタヤ駅に向う途中、道路わきの名も知らぬ仏塔が朝日を浴びて輝く。

古都アユタヤを実感する。


■6:44

早朝のアユタヤ駅。

乗客が列車を待っていた。

やはり、駅のホームは旅情を感じる。

何処の町に行っても早朝の駅に行ってしまうのは、列車の旅が好きな習慣の名残か、それとも単なる年寄りの回顧趣味か。



■6:44 アユタヤの駅前のパサック川に通じる道には朝市が立ち沢山の人々で賑わっていた。タイの朝は元気だ。だから、好きだ。


■7:18

3年前、このホテルの朝食のレストランには沢山の日本人観光客がいたが、今回は一人の日本人にも出会わなかった。

どうしてなんだろう?ベストシーズンなのに?

…そして、その後スアンナプーム空港に戻るまで一人の日本人にも出会わなかった。

…と言う事は「ふうみん」たちが、すごくマイナーな場所ばかりを走って来たと言う事なのかな。


■8:25

クルンシーリバーホテルを出発する。

これから向うのは、北タイのビルマ国境沿いの旅の出発だ!

思わず武者震いする。


■8:53

国道32号線を走る。

もともと通行量が多いのに工事中の区間が多く、また幹線道路なのに2車線しかないので常に混んでいるので、嫌いな道路だ。

この32号線は、ナコンサワン(Nakhon Sawan)手前で1号線に合流する。

1号線はロッブリー方面を大きく迂回するため、どうしても北方面には32号線を利用するしかない。


■9:04

32号線の横を見ると、道路の面近くまで水が来ている。

数週間前に、バンコク在住で一時帰国中の友人「よこはま」さんに会った時、「チャオプラヤー川が氾濫しそうだ」と言っていたのを思い出した。

と言う事は、上流のこれから向う北タイの辺境の山道は大丈夫?なのかな。


■9:12

シンブリー(Sing Buri)の歓迎ゲートを潜る。


■9:34

ケンタッキーの看板があるスタンドで給油をする。

今年の6月に比べて、ガソリンの値段は1~2割安くなった感じだ。


★給油DATA
850バーツ、
34.5L、1L/24.6バーツ。


■10:25

ウタイターニ(Uthai Thani)の歓迎ゲートを潜る。

この辺りまで来ると、車は快調に流れる。


■11:07

セブンイレブンでトイレ休憩。


■11:24

カンペーンペット(Kamphaeng Phet)に入る。

看板の右側が取れたままになっている。

…タイだな~あ。



■12:38 1号線はピン川の橋を渡りターク市内に入る。川の東に面した静かで由緒ある県都で、人口は5万人ほどだ。


■12:58

ターク市内を走る。

旧市内は道路も狭く、一方通行になっている。

川に沿って大きな道路があり賑やかだ。


■13:06

タクシン王廟(Shrin of King Taksin)が街の北にある。

タクシン王は、ビルマ軍をアユタヤから奪還し、トンブリ王朝を開いた英雄だ。

熱心に参拝する人々が絶えない。


■13:24

タクシン王廟の近くに、TAT(タイ国政府観光庁)があった。

そこに寄るが、地図やパンフなどで旅の参考になるものが無く残念。

イサーンのような観光地図がほしかったのだが。



■13:30 ピン川には、大きなつり橋が架かっていた。この橋は、市民の自慢の橋だ。


■13:39

タークの旧市街。


■13:39

旧道に面して、チーク材の古い民家があった。

欄間の浮き彫りが素敵だ。


■13:43

川に面したレストランでゆっくりと昼食を摂りたいと思う。

レストランを探して街中を走っていたら、中国寺院があった。

色彩が淡くとても可愛い。

思わず車を止めてパチリ!

タークの街は、ピン川面した活気のある好ましい印象だ。


■13:46

ターク市内に入る1号線の下流に、ピン川に面たレストランがあった。

レストランの名は Chid Chon Restaurant 。



■13:48 女主人が出て来て案内される。早速に入ると、客は誰もいない。


■13:56

早速ビールとコーラを頼み乾杯。

川面を伝ってくる風が心地よい。


■14:13

春雨のサラダと女主人推選のピン川の魚の香草煮を注文。

地元の味付けで辛いが美味い。

特に魚は激ウマだ。


■14:57

あまりに美味しく、骨だけを残して綺麗に食べてしまった。


■14:59

女主人に美味い!美味い!と言うと、帰りにその魚のところまで案内して見せてくれた。

なまず見たいだ。ぷらーぶく(大なまず)の親戚かな?

勘定は、715バーツにチップ35バーツ。

少し高かったが非常に満足。

よい旅になりそうな予感。



■15:05 レストランを出て1号線を右折する。105号線に入り、メーソット(Mae Sot)を目指す。


■15:07

105号線を90キロほど走ると、ビルマ(ミヤンマー)国境のモエイ川に到達する。

この105号線は、アジアハイウェイとして将来はアジアを横断してヨーロッパへ通ずる。

しかし、それは果たしていつの頃やら。


■16:03

面白い形の岩山が見えた。



■16:07 国境が近づいたせいか、検問所があった。


■16:11

タークを出てから1時間半。

山の間の快適な道を走ると、メーソットの街のゲートが見えて来た。



■16:16  メーソット市街の一方通行の道路を走る。タナカ(顔に塗る白い日焼け止め)やロンジー(筒状になった巻きスカート)をはいている人を見かける。ビルマとの国境の町を痛感。


■16:29

メーソットの街を出たスタンドで、明日のビルマ国境沿いの辺境のドライブのため満タンにする。

給油のお兄ちゃんの顔にもタナカが塗られていた。


★給油DETA
970バーツ、
38.6L、1L/25.1バーツ。


■16:34

メーソット(Mae Sot)のイミグレ。

モエイ川のタイ・ビルマ国境に、1997年にモエイ川友好橋(Moei River Friendship)が架けられた。


■16:35

イミグレ横には、装甲車が停車していた。


■16:35

イミグレを行き交う人々。


■16:36

のどかな国境の光景。


16:36

イミグレの直ぐ横を見ると、タナカを塗った女の子の屋台やイスラム教徒の屋台が出ていた。

やはり、普通のタイの街角の光景と何か少し違う。



■16:37 イミグレから、メイソットの街を望む。



■16:39 夕暮れの中を、ビルマのミャワディー(Myawadi)に帰る人々。



■16:44 モエイ川対岸のビルマのミャワディーの街並み。なかなかに風情がある。


■16:46

そんな感慨を持って眺めていたら、大きな袋を持った男が階段を降りて来て、川にゴミを捨てて帰って行く。(一番上の男)

慌ててカメラを構えて撮ったが遅かった。

せっかくのよい気分が台無しだ。



■17:40 この国境沿いで是非行きたいところがあった。ワット・プラタートドイディンキゥ(Wat Phra That Doi Din Kiu)と言う。

崖際に巨岩がバランスを保ち、その巨岩の上に仏塔が在ると言う。ビルマのゴールデンロックを彷彿とさせるらしい。

ところが、そこに行くのに何度も道を間違える。しかし、普通の旅行者が通らない村落の中を行くのはまた楽しい。日常生活の人々に対しての写真は遠慮した。その内に日が沈んできた。


■17:47

それらしき寺院を見つける。

近くの人に聞くとワット・プラタートドイディンキゥに間違えはないとの返事。

明日また来よう。

それにしてもすごく悪い道だ。

「yayo」が、車高の高いCR-Vの底を擦ってしまった。

注意してホテルに行こう。


■18:25

セントラルメーソットヒルホテル(Central Mae Sot Hill Hotel)にチェックイン。

ロビーには木の輪切りが飾ってあった。

リゾートムードたっぷりのいい感じのホテルだ。

ターマッサージを聞くと、部屋に呼ぶとの事。

19時30分から、二人でターマッサージに掛かる。

なかなか上手だ。長旅の疲れを揉み解す。

料金は、二時間350バーツにチップ100バーツ。


■21:23

マッサージを受けたので遅くなったが、夕食に出かける。

このホテルにもいいレストランがあるが、「ふうみん」はメーソットの街中のレストランで食べたい。


■21:48

メーソットの一方通行の街中を走る。

初印象は暗い街だ。

適当なレストランが無い。

2周ほどして、「yayo」が気に入った「HIFI」と言うレストランに入る。

中にはファラン(白人)が2組と現地の人が2組ほどで、大画面のテレビのサッカーを見ている。


■21:57

タイマッサージでほぐれた体にビールが旨い。

また、オープンエアの室内を吹き抜ける風が気持ちがいい。

サラダ、野菜炒め、オムレツにビールとコーラを注文。

代金は、235バーツと安かった。


■22:40

レストランの前の果物屋で、大好きなソムオーを買う。

さあ、明日のドライブに備えホテルに帰ろう。





  Shinji さんから掲示板への投稿 Shinji さんのプロフィール

[608] Shinji 2006/12/01 08:34:32

> 行程2日目> 一路、国境の街メーソットへ

タクシン王の歴史上の扱いについて、チャクリ王朝最初の150年間は微妙に無視、時に酷評という感じでしたが、1932年のクーデター以後はチャクリ王朝を叩く材料として、英雄として名誉挽回されました。「歴史」が時の為政者によって都合のいいように書き換えられるいい見本です。

タクシン王については私も興味を持って文献を漁って読んだのですが、少なくともアユタヤ王朝にとってはタクシン王はトンでもない裏切り者だったようです。まず、アユタヤ陥落を予想して、部下を引き連れて敵前逃亡しました。その後の「戦国時代」を切り抜けて大勢力となってからは、アユタヤ王朝の子孫を抹殺する事に精力を注ぎました。

ちなみにラマI世も即位後にタクシン王の親類縁者を150人ほど処刑していますので、まあ、そういう時代だったのでしょう。






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