旅のはじめに



展望台からサルウィン河とメーサムレップ村が一望できる。向って左側がビルマで右側がタイ。




「ビルマ辺境を走る」についての少し長いまえがき


「白骨街道」

「ふうみん」は1999年に友人と初めてチェンマイを訪れ、レンタカーで郊外をドライブした。その時、チェンマイからパイを経由してメーホーソンまで延びる1095号線を、日本陸軍の工兵部隊等が建設した事を知った。そして、またの名を「白骨街道」と呼ばれたという事も。

昭和19年3月、日本陸軍十万の将兵がアラカン山脈を越えてインパール近くまで突入したが、弾薬・食糧の補給が途絶し飢餓と悪疫が重なって撤退した。そして1095号線には、ビルマからの日本軍敗走兵の屍が累々と続き、その為「白骨街道」と呼ばれたと云う。

インパール作戦は杜撰な作戦だったが、結果として東南アジア諸国の植民地からの独立という歴史的な事実が残った。その事に触れなくては、まさに白骨街道に散った日本軍の英霊も浮かばれないだろう。

2003年11月、最初のタイのドライブ旅行をこの「白骨街道」か「イサーン」にするか迷った。その時点では、山奥の辺境の道路情報の全く無い「白骨街道」は選択肢からは外さざるを得なかった。

その後、タイの道を1万キロ以上走りビルマとの国境近くの道路に対する懸念が遠のき、機会があれば「白骨街道」を走破し戦死者へ哀悼の念をささげたいと思った。





「ビルマの竪琴」

講談社
ポケット日本文学館
竹山道雄


白骨街道を走るため、竹山道雄著の「ビルマの竪琴」を読んだ。原作が児童文学として書かれたと言う事なので、あえて子供向けの講談社「ポケット日本文学館」を選定した。

本の内容は稚拙で、子供向けに人食い人種などが登場したり、イギリスの歌曲が奏でられたり、安っぽい推理部分等もあり、期待していた内容と全く異なり、戦後間もなく書かれた本とは思われなかった。

残念ながら評価に値しないし、資料的にも今回の旅の参考にはならないと思った。





「サルウィン河」…(上記の写真)

サルウィン河はチベットを源流とし雲南省を流れ、ビルマ北東部からアンダマン海に注ぐ河で長さは2815キロ。

「ふうみん」がメーサムレップに行きたかったのは、タイとラオスの国境のメコン沿いの道を走り切り、タイの地図を見ていて無理だと思っていたタイとビルマ国境のサルウィン河に、このメーサムレップで出会える事を知った。その時からこの地に憧れていた。





「ビルマ」の国名使用について

「ふうみん」は上記の「白骨街道」や「ビルマの竪琴」を斟酌し、ビルマの現在の正式名称はミャンマーであるが、長きに渡って日本で慣例的呼称となっている「ビルマ」を使用した。


2006年12月吉日 「ふうみん」敬白



■写真のサイズを幅500ピクセルとし、サイトをリニューアルしました。
2014年3月 「ふうみん」




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