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■5:42
寝坊の「yayo」を置いて、早朝の街角ウオッチングに出かける。
まずウドンターニーの駅に行く。
トクゥトクゥが整然と並び到着列車の客を待っている。
運転手が暇そうに話し込んでいる。
早朝の駅のホームには人の気配は無く、犬が一匹寝転んでいた。 |
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■5:44
ウドンターニー駅から、中年のファランのバックパッカーが出てきた。
トクゥトクゥの運転手の呼びかけを無視し、セブンイレブンに入る。
着ている物はこざっぱりしているが、長年の旅の疲れと無気力感が体中から漂っている。
多分、ハッパでもやっているだろう。
一連の行動を見ていたが、ああはなりたくないと思う。 |
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■5:47
時計台のロータリーに行く。
プミポン国王の在位60周年のきらびやかに飾りつけられたロータリーも、早朝のため行き交う車も少ない。
昨日混んでいたプラジャツク通りも、まだ眠りから覚めたばかりだ。
このプラジャツクは、町の建設者の名前。 |
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■5:56 ウドンターニー市民の憩いの場であるノーンプラジャツク公園に行く。ちょうど、朝日が顔を出してきた。早朝にもかかわらずかなり多くの市民がいる。ジョギングする人、体操する集団、散歩する人、中にはオカマちゃんもいる。
タイの人々の公園ウオッチングを終え、市場に行って見よう。 |
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■6:04
近くのポーシー通りに市場があった。
ここは眠りから覚め、人々の熱気が渦巻いている。
さすが大きな都市だ。色々な店が出ている。
魚を売っている前を通ったら、魚が跳ね水しぶきが飛んだ。
生きがいい。魚も野菜もとても新鮮だ。 |
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■6:13
面白いものを見つけた。
メコンに生息する大なまずのプラーブクだ。
体長1メートル位の多分養殖物なのだろう。
天然物では2メートルぐらいの大物が捕れたらしいが、乱獲と環境破壊で今はほとんど採れないという。
日本もタイ、何処も同じだ。
雨季の間がこの魚の旬なので、今回の旅でも食べようと思う。 |
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■6:23
チャルンシーグランドに戻る。
堂々たる建物が、朝日を浴びて輝いている。 |
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■6:55
朝食に行く。
さすがに、品数も多く味も良い。
ただし、気になったのがファランと現地の女性のカップルだ。
我々の周りだけでも3組も居る。
何か、とても食事の目障りだった。 |
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■7:45 ホテルを出発し、幹線の22号線を順調に走る。 |
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■8:14
バーンチアン遺跡の標識に沿って走る。順調だ。
8時半ごろ「ふうみん」が、交通違反で捕まる。
後、数キロでバーンチアン遺跡のはずだ。左折しなくてはならない。
前の大きなトラックがゆっくり走るので、車体が邪魔で標識が見えない。中央線は黄色の追い越し禁止だ。しかし、対向車は居ない。
仕方ない。「ふうみん」は安全を確認し、スムーズに加速してトラックを追い越す。その前方に警官の姿。そして、停止の合図。マズイ!捕まった。
まず、パスポートの提示を求められる。そして、警官は反則切符を出して違反内容を説明する。書かれているのはもちろんタイ語だ。
「ふうみん」は「ノー・タイ・ランゲージ!」と言い、恭順の態度を現す。警官は困惑の表情を浮かべて黙考の後、行って良いと言う。そして、ひと言日本語で「気をつけて!」
昨年の24号線での「yayo」のスピード違反に続いて、22号線で「ふうみん」も捕まった。どうも、タイの20番台の道路は鬼門だ。
今回も罰金は取られなかった。タイのやさしい警官に感謝!し、今後の安全運転を再確認だ。 |
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■9:05
バーンチアン国立博物館に到着。 |
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■9:08
バーンチアンの土器は、独特の渦巻き紋様特徴だ。
最近の研究では、紀元前3600年~紀元200年頃の物だと言う。 |
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■9:13
「ふうみん」は、売店で「KHMER MYTHOLOGY」と「CHAM ART」の2冊の本を買う。
値段は1800バーツ。
「yayo」は、10バーツのミニチュアの土器2ツと10バーツの石の粒の腕輪。
帰国後、見せてと言う友人にあげたら、あまりの安さに絶句。
この石の粒の腕輪を輸入して、大儲けしようと盛り上がったそうな。 |
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■9:31
バーンチアン国立博物館前の土産物屋。
バーンチャン独特の渦巻き紋様の入った壺がたくさん売られていた。 |
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■10:13
安全運転で22号線を走る。
2091号線の交差点と言う事は、もうサコンナコンに入ったのだ。
もう直ぐ、パンナ村にあるクメール遺跡を目指す。 |
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■10:32
Ku Phannaという標識を右折する。
そして、イサーンの小さな貧しいパンナ村に入り、クメール遺跡のku Phannaを捜す。
見当たらない。
村人に聞くと、もっと22号線寄りだと言う。
来た道を戻ると、何だ先程通った水田の中にクーパンナ遺跡があった。 |
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■10:47 クーパンナは、ジャヤヴァルマン7世の造った102ヶ所の施療院の一つだ。残念なことに祠堂は半壊していたが、十字型の入口もバライも綺麗に残っている。「ふうみん」の知る限り、タイで一番北にある施療院だと思う。 |
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■10:49
中央祠堂のラテライトの石組み。 |
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■10:51 クーパンナ遺跡から、眺めたイサーンの風景。水田の緑とクメール遺跡のラテライトの褐色の対比が大好きだ。 |
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■11:34
次にPhra That Phu Phekを目指す。
22号線を右折して、十数キロ入った突き当りの山の上に目指すクメール遺跡はあるはずだ。 |
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■11:59
現地に来てガッカリした事がある。
このプーペク遺跡は、何と五百段の階段を登るという。
「ふうみん」は、車で登れる裏道があるのでは?と一筋の望に賭けていた。
それは、階段の下に寺院があるという情報を得、もしかしたら参道が頂上まで通じているのでは?そして車で登れるのでは?との考えを持っていた。 |
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■12:00
当然の如く「yayo」はパスし、エアコンの効いた車内でオカリナの練習をすると言う。
「ふうみん」は覚悟を決めて、ミネラルウオーターとタオルを首にかけて登る。
階段には、写真の鐘が数十メートル毎に置かれている。
タイ人も多分辛く、この鐘を鳴らしながら登るのだろう。
半分ぐらいで心臓が破裂しそうだ。
最後の急な50段ぐらいに3度ほど休んで登る。 |
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■12:15 やっと頂上だ。細い道の向こうにクメールの石組みが見える。今までの疲れが吹き飛ぶような達成感が体を包む。ヤッタぞ! |
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■12:16
11~12世紀頃に建てられた18メートル四方の上に、砂岩の上部が崩れた祠堂が建っている。
基壇部もしっかりとした石組みだ。
残念な事に、クメールのレリーフが無い。
砂岩だから、何処かに彫られていてもいいはずだ。 |
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祠堂には、聖水を流すソーマスートラが設けられていた。
この近くには、こんな山頂なのにバライ(池)がある。
その他に、お堂と僧院があり洗濯物が干してあった。 |
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■12:18 頂上からの眺めは絶景だ。パノムルンやカオノイの頂上神殿を思い出す。1000年もの昔、クメールの人々はこの頂上に何を感じて祠堂を建てたのだろう。 |
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■12:21
面白い物を見つけた。
日時計だと言う人もいるが、「ふうみん」は、ヨニの最深部リンガを支える Deposit Stoneだと思う。 |
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■12:37
階段を下るのが一苦労だ。
何しろ日本と違って、階段の角度が急で幅も狭い。
良い事を思いついた。階段を数えながら降りれば良い。
そうすれば、足をつく段に注意が集中できる。
この考えは正解だった。階段は、491段だった。
麓の寺院の横を通ったら僧は中座していたが、作りかけのお守りがあった。 |
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■13:11
何しろ凄い汗をかき、喉もカラカラだ。ビールが飲みたい!
サコンナコン県都のレストランに行こう。と車を飛ばす。
サコンナコンとは「完全な町」という意味だそうだ。
この交差点を、左に行くとナコンパノム、右に行くとカラシンだ。
我々は直進して、サコンナコンに向かう。 |
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■13:14
サコンナコンの歓迎ゲートを潜る。 |
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■13:20 サコンナコンの市内には、タイで最も大きな自然湖のノーンハーン湖がある。その湖に隣接するサバートーン公園に行く。そこの傍には、きっと食堂があるはずだ。と思って行ったが良い食堂がない。 |
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■13:44
ロンリープラネットに載っていた、近くのレストランに来た。
ステーキハウスみたいだが、ピザもあるし、小ぎれいな感じのレストランだ。
迷わずに入る。
そしてビールを飲む。旨い、生き返ったようだ。 |
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■14:08
しかし、料理は期待を裏切られた。
固い牛肉(何がプライムビーフだ!)と生地の固いピザ。
その上、無愛想な白人の店主?だから、タイのファラン(白人)は嫌いだ。
値段も660バーツもした。
タイ人のウエイトレスに罪は無い。お釣りの40バーツをチップに渡し店を出る。
今回の旅の唯一の悪い思い出。 |
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■14:47 サコンナコン市内随一の名刹、プラタートチューンチュムに行く。この白い仏塔は、11世紀に造られたクメールの祠堂の上にアユタヤ時代レンガと漆喰でラオス風の仏塔に作り変えられたものだ。
この仏塔を見て、タートパノムにあるワットプラタートパノムが、元はクメールの祠堂で後に作り変えたものだと言う推測が確信に変わった。この事だけでも、来た甲斐はあった。 |
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■14:50 庭に面白いものがあった。球形の大きな石が並んで置かれていた。これは、聖職授与式の境界線指標との事。 |
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■14:55
仏塔に続いて建てられている本堂に入ると、仏塔の入口があった。
入り口の周りの石の彫刻は間違いなくクメールの物だ。
残念ながら入口の戸は閉まっており、ロンリープラネットには「僧の誰かに開けるように頼むといい。僧達は観光客に馴れている。」と書いてある。
ちょうど近くの僧に開けるように頼むが、返事はつれなくNOだ。
その上タバコが無いかタカル。その返事はNOだ。生臭坊主め。 |
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■15:10
プラタートナライチェンウェンを捜すのに、手間取ってしまった。
市内にあるから直ぐに分かると思い、場所の下調べを全くしていなかったせいだ。
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■15:47
やっと到着。
市内の西の外れの仏教寺院の中に、高さ12メートルの砂岩の祠堂が建っていた。
11世紀のパーブオン様式の祠堂だ。
写真を撮る「ふうみん」と大きさを比べて下さい。 |
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■15:51 この祠堂には、シヴァ神とヴィシュヌ神のレリーフがある。「ふうみん」は、南側のまぐさ石の象に乗った人物と行進する人々のレリーフが面白いと思った。 |
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■15:54
入口の柱の下には、行者が彫られている。
すごく良い表情だ。 |
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■16:06
もう4時になってしまった。
今晩のホテルのカラシンまでは、213号線を通って130キロもある。
213号線沿いのガソリンスタンドで給油する。
面白い事に日除けが覆っていた。
★給油DATA
950バーツ、
32.8L、1L/28.8バーツ。 |
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■16:26
213号線の木立の中を快調に飛ばす。
地図を見てもなだらかな山道だ。 |
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■16:30
道端を象が歩いていた。
今回の旅で始めてみる象だ。
車を停めて、助手席の「yayo」に窓を開けて写真を頼む。
怖いと言いながら撮った及び腰の写真だ。
もう少し身を乗り出せば、迫力のある写真が取れたのに! |
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■17:04
カラシンに入る。
カラシンとは「黒い水」と買う意味だそうだ。
カラシンは、恐竜の化石が発掘されたことで有名で、いたるところに恐竜の像があるみたいだ。
先程の象の後は、恐竜とは全く驚かせる。 |
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■17:51
夕暮れのカラシン県都を走る。
静かな市内だ。
今晩の食堂を探しながら、今晩の宿リンパオホテルを捜す。
ナムダム川(黒い川)沿いに、ホテルはあるはずだ。 |
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■18:11
川を渡って、数百メートル行った左側にリンパオホテルがあった。
こんな鄙びた県都に不似合いな立派なホテルだ。
駐車している車も多く、この小さな県都の唯一の社交場なのだろう。
入口の向こうにプールがあり、数人の人が泳いでいた。
ファランみたいだ。 |
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■18:19
チェックインし、部屋に入りシャワーを浴びて着替える。
目指すは、地下にあるタイマッサージだ。 |
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■19:35
店の名前はモナリザ。
先程の500段の階段を登った疲れを取らなくては…
昨日のウドンの中途半端のマッサージの仇も取らなくては…。
マッサージは上手だで、「yayo」もいたく満足。
二時間240バーツと良心的で、チップを100バーツあげるとすなおに喜んだ。
これだからイサーンはいい。 |
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■21:31
かなり遅くなったが、夕食に出かける。外に出るとスコールの後なので、道はかなり濡れている。
昼食の固いステーキのせいか腹持ちがよく、そんなにお腹が空いていない。
市内を走る。暗い。本当に鄙びた県都だ。
中心のロータリーの傍に、かなり人の入っている食堂を見つけた。
こう云う店は旨そうだ。早速、車をUターンさせて店に入る。 |
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■21:42
まずは、定番の氷り入りのビールとコーラ。
それに、空心菜のオイスターソース炒め。
店のオススメの野蒜と豆腐の炒め物(これが絶品でお替りした)。
隣の人たちのが食べていたスープを指差しで注文した。
これは、店頭の鍋に入っていたスープだ。
それにカオパッドを注文。 |
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■22:09
この小さな県都の地元の食堂に入り、前の道路を通る車や人々を見ながら、ビールを飲みかつ食べる。
イサーンの旅をしているな~あ、と感じる幸せな時間だ。
店の中国系のママに勘定を頼んだ。330バーツという。
350バーツ出してお釣りの20バーツをチップと言ったら、ママは「マイペンライ!」と言い、20バーツ札を返した。
イサーンの人情に触れたうれしい瞬間だ。 |
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■22:30
ホテルに着いてエレベータに向って歩いていたら、3人の男性がワゴンから降りて歩いてきた。
工場の作業服姿だ。一人はJALの免税店の袋を持っているので、間違いなく日本人だ。
先にエレベーターに乗っていた「ふうみん」は、後から乗ってきた日本人に「何階ですか?」と聞いた。
3人の日本人はビックリして「ここで初めて日本の方に会いました!」と言った。
ニ三、言葉を交わし挨拶をして別れた。
まさに「知られざるイサーンをゆく」だねと「yayo」に言った。 |