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地図の左のホテル(Clarks Inn)から石窟寺院までは、徒歩で600メートル8分ほどの距離。 |
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バーダーミ石窟寺院群 |
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バーダーミの石窟寺院群は南インドで最古のものだ。第1窟~3窟がヒンドゥー教窟で6世紀後半に造られ、第4窟がジャイナ教窟で7~8世紀に造られた。岩山上部の建物は後世に造られた城砦。 |
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土曜日とあって見物客で混雑するバーダーミの石窟群の入り口。石窟寺院群の入場料は奥の三角屋根の建物で支払う。入場料は200ルピー。 |
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第1窟 |
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第1窟は4つの石窟の中で一番古く、シヴァ神を祀った寺院。 |
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石窟の右側に「踊るシヴァ神」が彫られている。この像は18本の腕を持つ躍動的な表現で、初期ヒンドゥー教美術の迫力がある。 |
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上記「踊るシヴァ神」の左側奥には、「両性具有のシヴァ神像(アルダナーリーシュバラ)」が彫られている。両脇に妻のパールヴァアティーとナンディがいる。
「ふうみん」が気になったのは左奥のチャムンダーだ。何故この場面にわざわざ居るのだろう? |
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右半身がシヴァ神、左半身がヴィシュヌ神である「ハリハラ像」。ヴィシュヌがハリ、シヴァがハラと呼ばれるため、「ハリハラ」と呼ばれている。
両脇にはそれぞれの妻、パールヴァアティーとラクシュミーが彫られている。 |
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「水牛の姿をした魔神マヒシャースラを殺す女神ドゥルーガー像(シヴァの妻)」。 |
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祀堂の前には頭部の破壊された「ナンディ像」が置かれている。 |
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石柱には製作途中で放棄された?「キールティムカ(鬼面)」。 |
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列柱ホールの見事な彫刻。僧房でないヒンドゥー教の石窟を模索中の貴重な遺跡だ。 |
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天井に彫られた、迫力のある「とぐろを巻いたナーガ像」。 |
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第2窟 |
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第2窟はヴィシュヌ神が祀られていて簡素な造りだ。初代王プラケーシンの息子の一人である第三代王マンガレーシャによって造られた。 |
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「三歩で世界を跨ぐヴィシュヌ神像」。 ヴィシュヌはヴァーマナ(小人)に姿を変えて魔王バリの都に行くと、バリは「望みの物をやろう」といった。 ヴァーマナは「三歩で歩ける土地」を要求した。
バリがうなずくと、ヴィシュヌは巨人に変身し2歩で全世界を歩んでしまった。 バリは反省したので、殺さずに地底に追放したという。 |
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「ヴィシュヌ神の野猪(ヴァラーハ)の化身像」。 とぐろを巻き龍蓋をつけたシェーシャ龍の上に、猪頭のヴィシュヌ神は牙で大地の女神ブーミを引き上げる。 |
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天井の彫刻は、「ガンダルヴァとアプサラスのミトゥナ像」。 |
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天井には卍字が彫られ、四方にはミトゥナ像が彫られている。 |
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基壇には様々なポーズをとる太鼓腹の小人の装飾が彫られている。 |
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第2窟と3窟の間 |
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2窟と3窟の間にある未完成の石窟は仏教窟とも言われている。 |
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仏教窟なのに、シヴァ神の息子の「ガネーシャ像」とは? |
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この未完成の石窟自体は何と云う事はないが、石窟をフレームとして眺める情景が好きだ。 |
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第3窟 |
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第3窟は6本の列柱が入口の天井を支える最大の石窟で、間口は21メートルもある。 この第3窟は、578年にチャールキア王朝のキルティバルマ王の弟であるマンガレーシヤが建立した寺院。 |
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右の入口付近に彫られた「三歩で世界を跨ぐヴィシュヌ神像」。 |
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「ヴィシュヌの第4の化身、人獅子(ヌリシンハ)像」。 この人獅子は肩肘をついている。 この格好が、当時の王の立居振舞いだったという。 |
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シヴァ神とビシュヌ神の「合体神ハリハラ(Harihara)像」。 |
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柱頭持ち送り部に彫られた「ミトゥナ像」。天井には創建当時の彩色が残っているのはウレシイ。 |
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入り口の梁の部分に彫られた「ガルーダとミトゥナ像」。 |
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第4窟(ジャイナ教) |
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第4窟はジャイナ教を祀ってある。7~8世紀に造られた。 |
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ジャイナ教の「第7代宗祖スパールシュヴァナータの全裸像」の前ではにかむ少年たち。 男性器が撫でられて黒光りしている。 |
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祀堂に安置された、「ジャイナ教開祖のマハーヴィーラ(Mahavira)の座像」。 |
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ジャイナ教の石窟から眺めた、対面の光景。北側の岩山の上にはシヴァラヤ寺院(上・下)が見える。 |
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ジャイナ教の石窟から眺めた、右奥の光景。プータナータ寺院(北、東)が見える。 |
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