3.東の遺跡群

東の遺跡群のメイン遺跡のヴィッタラ寺院の駐車場までは、ホテルから車で4.5キロ8分の距離。




ヴィッタラ寺院(Vitthala Temple)までの道



ハンピのメイン遺跡であるヴィッタラ寺院に向かう途中、Talarigatta ゲートが朝日を浴びて輝いていた。



8時11分にヴィッタラ寺院の駐車場の木陰に車を止める。誰もいない、一番乗りだった。



土産物の売り子も開店前のひと眠り。



ヴィッタラ寺院の参道ですれ違う現地の人。



目指すヴィッタラ寺院は参道の突き当りにある。ヴィッタラ寺院はトゥンガバドラー川のほとりにある寺院で、15世紀に建てられたヴィジャヤナガル様式の最高傑作の建築物だ。



参道の左側のにある Kudure Gombe Mantapa。



嬉しいことにヤーリに乗った騎士像の歓迎を受ける。



参道の右側にあるタンク(Pushkarini)。



タンク(Pushkarini)の前でインド人家族に写真をねだられる。


ヴィッタラ寺院(Vitthala Temple)



ヴィッタラ寺院(Vitthala Temple)のゴブラが近づいて来た。もう直ぐオープン時間の8時30分だ。ヴィッタラ寺院は、95m×164mの回廊を持った塀で囲まれて、境内の中心に寺院本体が建つ大寺院である。



チケット売り場では、係員がパソコンを立ち上げていた。入場料は最近値上げされ、外国人は500ルピーと倍になった。



入場券はレシートで、ヴィッタラ寺院とサーナーエンクロージャーと博物館と共通。ただし、同日のみ。



ヴィッタラ寺院(Vitthala Temple)に一番最初に入る。遺跡マニアにとって、誰も居ず青空に映える素晴らしい遺跡を目にするのはとても気持ちのいいものだ。

この寺院は、舞楽殿、前殿(マンダバ)、本殿そして境内の付属寺院が完備されており、ヴィジャヤナガル様式後期の建築であり、建築年は不明との事。



ヴィッタラ寺院の正面には、石の車輪がついた山車(チャリオット)があり、インドで一番素晴らしい山車の彫刻だという。この山車の中には、ヴィシュヌの乗り物であるガルーダの像が置かれている。 以前は、この石の車輪を回す事が出来たが、現在はコンクリートで固定されている。



誰もいないヴィッタラ寺院、足早に写真を撮る「ふうみん」。



ヴィッタラ寺院は、ヴィシュヌ神に捧げられた寺院だ。



張り出したオープンマンダバの柱には、ヤーリ(獅子と象が合体した神話上の生き物)に乗った騎士像が彫刻されている。



マンダバの天井には、繊細な彫刻が施されている。



雁行するプランのオープンマンダバ。56本の柱は全て単岩柱であり、それぞれが数本の柱の「束ね柱」の形をとっている。



カリヤーナマンダバ横から正面のゴブラ方向を望む。



この寺院の建物のリンテルは、全て「ガジャラクシュミー」だ。2頭の神象(ガジャ: Gaja)が女神ラクシュミーに潅水する図案が彫られていた。

このガジャラクシュミーは、ヴィジャヤナガル様式の特徴なのか?この寺院の主神ヴィシュヌの妻だからなのか?興味のあるところだ。



ヴィマーナ(本堂)の上部構造の彫刻。ハンピの寺院建築の例にもれず、基礎部分は花崗岩で上部は煉瓦で出来ている。煉瓦部分は漆喰が塗られ、レリーフが彫られている。漆喰の方が彫刻しやすいからなのか。



聖室(ガルバグリバ)の周りの饒道は、上部から光が差し込み神秘的景観を示す。


聖室内部には、神像はなく台座のみが残されていた。イスラム教徒による略奪・破壊の痕跡だ。



カリャーナマンダバの素晴らしい内部の彫刻。



ミュージックストーンを叩く家人の「yayo」。みんなが叩くので、黒くなっている。



クリシュナがヤムナー川で水浴している牧女たちの服を、木に登り隠して懲らしめている物語のレリーフ。



ハヌマーンのレリーフ。


アチュタラーヤ寺院(Achutharaya Tanple)に向かう道



アチュタラーヤ寺院(Achutharaya Tanple)に向かおう。



インスクリビドビッシュヌ寺院(Inscribed Vishnu Temple)。



キングスバランス(King's Balance)と呼ばれる不思議な門。門の上からヒモを吊るして天秤を作り、一方に王様が、他方に貢物の金銀財宝を吊るしてバランスを取ったという。



キングスバランスの向こうに、2階建ての建物(Two Storied Pavilion)が見える。



トゥンガバトラー川の向こう岸の岩山(Anjaneya Hill)の上に、白い寺院が見える。



巨木から吊り下げられた多数の布、何か気味が悪い。



一枚岩の上に階段が刻まれ遺跡が見える。まさに、ハンピらしい光景だ。また2階建ての遺跡なので、うれしくなる。2階建ての建物が、こんなにも多い遺跡は初めてだ。



ナラシンハ寺院(Narasimha Temple)。



ナラシンハ寺院(Narasimha Temple)の最上部は2階建てだ。



一枚岩を通り過ぎるとトゥンガバトラー川の向こうに、ウィルーバークシャ寺院の巨大なゴブラ見えて来た。真ん中の岩山は、昨日夕陽を見たヘーマクータの丘。


アチュタラーヤ寺院(Achutharaya Tanple)



ハンピで「ふうみん」が一番見たかった光景だ。左右の建物はスーレバザール。その先のゴブラがアチュタラーヤ寺院(Achutharaya Tanple)。目をつぶると、当時の人々の喧騒が聞こえてくるようだ。

この寺院は、クリシュナデーヴァラーヤ王を継いだ弟のアチュタラーヤ王(在位 1529~1542年)の名前をとってアチュタラーヤ寺院と呼ばれているが、ティルヴェーンガラナータ寺院(Tiruvengalanatha Temple)とも呼ばれる。



右側の岩山がマータンガの丘だ。参道わきのスーレバザールの建物が思ったより良く残っていた。このスーレとは売春婦の事で、このバザールは売春宿だったという。そして、売春婦は2万人以上いたという。

クリシュナデーヴァラーヤ王(在位 1509~1529)の治世に、ヴィジャヤナガル王国(ハンピ)は最盛期を迎え、その人口は50万にも達し当時の世界的規模を持つ首都であった。兵士の数も王国全体で100万人との記述もあり、兵士相手の売春婦も多くいたと考える。



スーレバザールの右側にあるタンク。



ゴブラの上部は崩壊している。前述のように、2階までは花崗岩で上部は煉瓦で出来ている。そのため、煉瓦造り部分が経年劣化して崩壊する。



ゴブラ内部から、次のゴブラを望む。



ゴブラの脇の肉感的な女神像。



ゴブラの脇の肉感的な女神像。



アチュータラーヤ寺院の境内。この寺院は、境内は二重に囲われ、入口にはゴブラが建つ。この様式は、後に発展する後期ドラヴィダ様式の先駆けとなる。



回廊部分の屋根や列柱がしっかりと残っているのはとてもウレシイ。



本殿が太陽の光を浴びて輝いている。



本殿を支えている石組は後世に造られた補強材なのか?



マカラのソーマスートラも、奇麗に残っている。



聖室内は基壇のみが残されていた。



聖室の左右には、門衛神ドヴァラパーラ(Dvarapala)像。



片足立ちで修行をしているアルジュナ像。



笛を吹く男性像。



払子を持つ女性像。



ミトゥナ像は、ヒンドゥー教寺院のお楽しみの一つ。



境内からゴブラを望む。この先は通って来たスーレバザールだ。



アチュタラーヤ寺院の見学を終えて、ゴブラを出たら白鷺がいた。
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イサーンの大地走行2000キロプラス ハンピへの招待
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