4 ストゥーパ以外の遺跡
第51僧院


サーンチー

●第51僧院跡

第1ストゥーパから第51僧院跡を望む。サーンチーの僧院の中で最も整った形式を伝えている。33メートル四方の中に広い中庭を囲んで回廊と僧室があり、入口の真向いは仏堂であった。


サーンチー

沐浴池。ストゥーパを参拝する前に沐浴したのだろう。


サーンチー

第51僧院跡から第1ストゥーパを望む。第1ストゥーパは、覆鉢の頂上には平頭(ひょうず)と傘蓋(さんがい)がつけられ、地上面には3.1メートルの欄楣(らんじゅん)をめぐらしている。


サーンチー サーンチー

この大きな石製の鉢は托鉢の鉢だという。手を広げて長さを測る「ふうみん」。 この鉢に入ったお供え物で、僧侶たちは食事を摂ったのだろう。


第18寺院


サーンチー

第18寺院

第18寺院は7世紀中期の建造。馬蹄形のプランをした祠堂で、列柱は残っているが内陣部のストゥーパは失われている。

仏教系の祠堂としての特徴的な構造は馬蹄形プランといえる。この第18寺院は崩壊著しいが、馬蹄形プランで内陣部を除く身廊部に石造の高い列柱を並べ、内陣と外壁を煉瓦積みにし、木造の上部構造をつけていた興味深い建築である。


第17寺院


サーンチー

第17寺院

5世紀のグプタ朝によって建てられたインドにおける、中世初期の石造寺院の典型的寺院。それまで、木造文化の国であったインドが、初めて石造建築を作り始めた最初期の建物。正方形の聖室の前に、4本柱のポーチがついているがシカラ(塔状部)はまだ無い。 

仏教においても、仏像崇拝の熱が高まるにつれ祠堂が必要となった。この第17寺院は、初期のグプタ朝のヒンドゥー教の祠堂と同じ構造を示している。ヒンドゥー教の祠堂の形態を仏教が採用したものといえる。


第37僧院


サーンチー

第38寺院跡

基壇だけが残っている。


第38僧院


サーンチー

第38寺院跡

基礎だけが残っている。


第40僧院


サーンチー

第40寺院跡

基礎だけが残っている。


第45僧院


サーンチー

●僧院45跡

残された仏像やレリーフから見て、グプタ代以降の中世期の時代(AD.4-11世紀頃)の建造と思われる。奥の仏堂の上に搭状の部屋があり、仏堂の左右には廊下が伸びて3室ずつの扉口が面している。


サーンチー サーンチー

仏殿の塔には彫刻が施されている。 仏殿右側の彫刻。


サーンチー サーンチー

片隅に置かれた釈迦坐像。 小祠堂の入口の彫刻は精緻だ。左右の女神像がまるで、ヒンドゥー教寺院のガンガー女神とヤムナー女神に思える。


第48僧院


サーンチー

第48僧院跡

残された柱が寂しい。


第25寺院


サーンチー

第25寺院

基壇と柱が残されている。


博物館とレストラン


サーンチー サーンチー

考古学博物館。残念ながら、撮影禁止。 考古学博物館の庭。


サーンチー サーンチー

ゲートウエイカフェテリア(Gateway Cafeteria)は考古学博物館の隣にある。サーンチーの見学前に昼食を摂った。残念な事にビールは無く、コーラで代用。鳥チャーハンは味付けが濃すぎだったが、まずまずの味だった。 ゲートウエイリトリート(Gateway Retreat)は駅前の交差点近くにある。こちらにはビールがあり、広くてオススメ。



サーンチーは不便な場所にあるが、レンタカーで行けば開かずの踏切も立体交差になり、ボパール市内から1時間ほどで着く。遺跡周辺にはしつこい物売りの姿もなく、静かな環境の下2000年前の奇跡のように残った遺跡の精緻な彫刻をゆったりと鑑賞できる。

イギリスのテイラー将軍によって発見された1818年当時、この仏教遺跡は何世紀も前から廃墟と化して植物におおわれていて破壊を免れたいた。その為、特に大ストゥーパのトナラの彫刻は、信じられない程の美しさを2000年の時空を超えて眼前に示してくれる。これには、本当に感動ものである。

ここまで来たら、是非ウダヤギリ石窟寺院をオススメする。ここはヒンドゥー教最古の石窟寺院で5世紀のグプタ朝最盛期の開窟である。ヒンドゥー教美術の人体表現を確立し、また図像的にも神々の神話場面はこの時期に形成されているという。



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イサーンの大地走行2000キロプラス サーンチーへの招待
イサーンの大地走行2000キロプラス サーンチーへの招待