1 サーンチー遺跡について
サーンチーの地図 ■サーンチー仏教遺跡(SANCHI)

●見学について

・世界遺産登録…1989年
・開場館時間…日の出~日没
・休み…ナシ
・入場料…250ルピー
・考古学博物館…入場料5ルピー、写真撮影は不可
・食事…博物館横に有る


●概要

・マールワー地方のサーンチー仏教遺跡は、ムスリムの破壊をまぬがれ諸遺構が多く残されている
・年代的にはアショーカ王時代以降の古代初期の時代(BC.3-AD.1世紀頃)、およびグプタ代以降の中世期の時代(AD.4-11世紀頃)の2期に大別される
・イギリスのテイラー将軍によって発見された1818年当時、この仏教遺跡は何世紀も前から廃墟と化して植物におおわれていたという


●サーンチーの塔(Wikipediaより)

インド古代史の上で最初の統一国家であるマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王は嵩仏王と呼ばれた。紀元前3世紀にアショーカ王は8万4千もの釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆(ストゥーパ)を建立した。

そのうちの8つがサーンチーに建てられた。現在、3つが残っている。それぞれ「第一塔」・「第二塔」・「第三塔」と名前がつけられている。アショーカ王の造立したストゥーパは、マウリヤ朝の次のシュンガ朝・アーンドラ朝になって、石材によってみごとに変貌する。

第一塔は紀元前3世紀頃の仏塔を紀元前後に増拡したもので、もっとも完全な形を保っている。第一塔がサーンチーの塔(サーンチーのとう)である。サーンチーの塔は、ドームのような形をしている。直径は約36.6mで、高さは約16.5mである。もともと釈迦の骨を収めるために盛られた塚だった。その後、盛られた土の上に煉瓦を積み重ねた。

銀白色と金色のしっくいを塗り、てっぺんには長方形の台と3段の傘を加えた。また下の部分には壇と手すりを設けた。周囲には二重に欄楯(玉垣)が巡らされ、東西南北の四方に「トラナ」と呼ばれる塔門が配置されている。

トラナの高さは約10m。塔門は日本の鳥居に似ているが、二本の方柱に三本の横梁が渡されている。この塔門には仏伝図や本生図などが多数彫刻されており、工芸的に大変すぐれたものである。

方柱の上で梁を支える彫刻は塔門によって異なり、北門と東門がそれぞれ趣向を変えた象、南門が獅子、西門が財宝神クラーベ(または豊饒神ヤクシャ)である。

南門の獅子像は二本の柱に四頭ずつ丸彫りされていて、サールナートのアショーカ王の石柱の上の獅子像とよく似ている。他の塔門の梁の上や浮彫にも多数の獅子像や有翼獅子像が見られる。 ストゥーパはシャカムニの遺骨を安置したものであるから、これらの獅子像は、ストゥーパへの入口を守護する役割を担っていると考えられる。

王墓を守護するスフィンクスや王城守護の獅子門の流れがここにあり、有翼の獅子が見られることにも、西方からの影響が強く感じられる。






「サーンチーへの招待」について


2012年11月、ムンバイからレンタカーを駆って2週間ほどデカン高原を中心としたインド中部の遺跡巡りをした。

その時の旅行記は  に載せたが、載せきれない膨大な量の遺跡の写真が残った。

そこで、大きなサイズの写真を多用した「インドの遺跡シリーズ」を制作しようと思い、この「サーンチーへの招待」を作成した。

2015年2月 「ふうみん」


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イサーンの大地走行2000キロプラス サーンチーへの招待
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