1 アジャンタ遺跡について
■アジャンタ (AJANTA)

●概要
・世界遺産登録…1983年
・開場館時間…9時~17時30分
・休み…月曜
・入場料…250ルピー
・トイレ…バス乗り場と16窟の階段下にある
・食事…チケット売り場近くにある
・その他…半分位の窟で靴を脱ぐ必要あり

●遺跡について
・第1期窟は、紀元前2世紀~1世紀にかけて開窟
・第2期窟は、5世紀~7世紀初めにかけて開窟
・石窟のタイプは、祠堂(チャイティヤ)と僧院(ヴィハーラ)がある


●開窟年代と石窟の種類(Wikipediaより)

仏教窟であるこの石窟の種類は2種類あって、平地に木造か煉瓦造で建てられていた僧院(ヴィハーラ)を石窟におきかえたヴィハーラ窟とブッダを象徴する「聖なるもの」(チャイティヤ)として仏塔などが据えられたチャイティヤ窟がある。

アジャンターでは、9,10,19,26,29窟の5つがチャイティヤ窟で残りはすべてヴィハーラ窟である。平地では中庭を囲むように僧室をつくるが、ヴィハーラ窟では、一面を採光のために外部に開き、中庭を列柱で囲むようにして僧室との間に回廊をつくる。一方チャイティヤ窟は、2層分の高さに天井を高くして、天井は断面半円形をなし、平面プランは細長い馬蹄形で奥の半円形部分に仏塔を配置する。

共通する特徴は、元来木造である僧院とチャイティヤ堂を模倣することにこだわり、柱や梁や垂木を彫り込んでいる。

また開窟年代は、前期(第1期)と後期(第2期)に区分される。前期は紀元前1世紀から紀元後2世紀のサータヴァーハナ朝時代に築かれている。ヴィハーラ窟としては第12窟、第13窟、第15A窟で、チャイティヤ窟では第9窟、第10窟で、おそらく比丘たちの生活、修行の空間であったためにいずれも装飾が少なく小型で簡素な造りであったと考えられる。

後期である5世紀後半から6世紀頃になると、ヴィハーラ窟は、奥壁中央に仏殿が設けられ、本尊として説法印を結んだ仏陀座像が脇侍菩薩を従えて安置され、仏殿としての性格が強くなる。つまり寄進者は、聖なる存在としての仏陀に永久に残る住居である窟院をささげることに功徳を見いだすという目的で石窟を築いたと考えられる。

後期の年代であるが第16窟、第17窟は、ヴァーカータカ朝(英語版)のハリシュナ王(位462-481)の治世に寄進されたこと、アシュマカ族を制圧したことが銘文から読みとれる。

またより新しい時期と思われる第26窟では、アシュマカの大臣をたたえる銘文が見られ、ヴァーカータカ朝の支配が揺らいだことを示唆していると思われる。6世紀半ばと考えられるアウランガーバードの石窟寺院に見られる特徴がアジャンターで見られないことを考えるとアジャンターの年代は6世紀半ばくらいまでに築かれて一部開窟途中のまま放棄されたと考えられる。


「西インド016アジャンタ」より






「アジャンタへの招待」について


2012年11月、ムンバイからレンタカーを駆って2週間ほどデカン高原を中心としたインド中部の遺跡巡りをした。

その時の旅行記は  に載せたが、載せきれない膨大な量の遺跡の写真が残った。

そこで、大きなサイズの写真を多用した「インドの遺跡シリーズ」を制作しようと思い、この「アジャンタへの招待」を作成した。

2015年2月 「ふうみん」


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イサーンの大地走行2000キロプラス アジャンタへの招待
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