イサーンの大地走行2000キロプラス 「掲示板」ログ保存倉庫
2006年 下半期

[273] ふうみん 2006/07/01 18:46:54   

アクセス10000回突破!

先程気がついたのですが、この掲示板のアクセスが10000回を突破していました。

何と10025回にもなっていました。サイトを開設して2年半。これも皆様のご声援の賜物だと思います。

これからもどうぞよろしくお願いします。





[274] toshi-ba 2006/07/03 20:03:54   

ふうみんさん 「知られざるイサーン」ついに読ませていただきました 参考にさせてもらってます  しかしいまだ 何所行くか決まりません
ナーン? トウセン.コンチアム?からラウー? も捨てがたいし ロムサク? 困ったです

 Shinji さん Google earth  入れました ありがとうございました





[275] ふうみん 2006/07/05 19:58:12   

toshi-baさん

訪タイは確か10日頃でしたね。まだ何処に行くかお迷いですか?たいしたアドバイスは出来ませんが、目的の場所を絞った方がいいと思います。

昨日Tさんからメールが来ました。15日から8日間ウボンとサムイに行くそうです。Tさんのウボンでの行き先はコンチアムで、トーセンリゾートについての質問が「ふうみん」にありました。このTさんように2ヶ所に絞るのもいいと思います。

タイの天気が雨季に入り少し心配ですね。タイのベテランのtoshi-baさんですから楽しい旅をしてください。結果はまた書き込んでくださいネ。





[276] 富森 栄美   2006/07/07 12:31:47   

織物を収集してかれこれ20年ほどになります。
ウボンには織物が目的で行きます。
サムイは主人の希望ですが、あまり人のいないボプットビーチという所に行きます。後日談をお楽しみに。


[277] ふうみん 2006/07/07 19:26:39   

富森さん、書き込みありがとうございます。

ウボンに織物ですか。私は織物には詳しくありませんが、2店ほど行ったことがあります。
「メイビー」は綿のマットミーが多く、頼むと裏の倉庫に案内してくれました。確か値段も安かった。
「カンプン」は高級な店でシルクの手織りマットミーがたくさんありました。靴を脱いで店内に入ります。

後日談を楽しみにしています。写真はメイビーです。





[301] 伊藤 伸一   2006/07/16 15:30:27   

現在マハサラカンに日本の草刈機機のメーカーの駐在員として滞在しています。 来週からは、コンケン ウドンタニー ノンカイ経てサコンナコン ナコンパノム ムッダーハンと 行く予定です。

先週までは、ナコンシータマラト プケット方面に 2週間ほどおりました。

仕事で各地行っているので 観光地は知りませんが、タイ人の田舎の生活は良く知っています。


[302] toshi-ba 2006/07/16 21:34:54   

ハーイ伊藤さん 今度はメコンを下るのですか?  忙しそうですね 頑張っててください?
今度9月には行って会いタイです

所で 電話した次の日 1番の飛行機で帰りました オヤジの葬儀にヤット間に合いました(涙)

ふうみんさん  すいません と言う事で今回は2泊3日? 弾丸ツアーで 何所にもいけず 残念でした

BKKへ着いたのが夜で 次の日はカオパンサーでお寺へタンブンに行っただけで しかも酒も飲めず 次の日にはすぐとんぼ返りで 今日ヤット落ち着いて一段落しました

次回は9月ごろ ふうみんさんの旅行記を参考にさせてもらい 行かせてもらいたいです





[303] ふうみん 2006/07/16 22:31:25   

伊藤さんはじめまして
マハサラカームに駐在して居られるのですか?
先月の旅「知られざるイサーンをゆく」で、隣のカラシンで日本の電気メーカーの現地工場に勤務している日本人の方にお会いしましたが、マハサラカームにも日本の方が居られるとは!驚きです。確かホテルも無いですよね。

来週から、コンケン・ウドンタニー・ノンカイ・サコンナコン・ナコンパノム・ムクダハーンと私にはとても懐かしい名前の所に行かれますね。

そこで、一つお願いがあるのですが。実は先日「メコン回廊」の地図を作りました。その中の「東西回廊」のムクダハーンで、メコンに架かる「第二メコンの国際橋」が今年完成の予定ですが、進行具合はどんな状況ですか?もし分ればお教え下さい。


toshi-baさん
お父様のご逝去。つつしんでご冥福をお祈り申し上げます。
今回の旅行が2泊3日とは、残念ですが改めて9月頃に、是非楽しいタイ旅行をなさって下さい。





[318] ヌワット 2006/07/22 18:21:16   

ふうみんさん はじめましてヌワットと申します。いつも楽しく、そしてまるで自分も行った気になって拝見しております。私はまだタイに行き始めて3年とかけ出しですが,いつかはお二人の様な旅をしたいと思っております。今後もお体に気をつけて頑張って下さい。新しい企画楽しみにしております。


[319] ふうみん 2006/07/22 23:16:06   

ヌワットさん書き込みありがとうございます。

失礼ですが、ヌワットさんはマッサージ(ヌワット)がお好きとお見かけしました。私もタイマッサージは大好きです。地方によって少しずつ違うのも、また面白いですよね。

今回の旅「知られざるイサーンをゆく」を終えて、イサーンの19県都の総てを巡ることが出来たので、これからの旅はイサーンに拘らず、タイへの旅を続けて行きたいと思います。

次の旅は、11月から12月の乾季に入った頃に行きたいと思っています。何処に行こうか?と地図と首っ引きの今日この頃です。





[324] 伊藤 伸一   2006/07/23 13:51:22   

私は現在タイ全土を担当していますので、あるとあらゆる所に行っています。タイ人の女性事務員も2名雇用しています。観光客が接する タイの女性とは 全く 別なタイ人が そこには あります。

イサーンについて、殆んどは 間違って認識されています。タイの田舎で一番豊かなのはイサーンです。その辺の詳しい事情は書面でご説明するのは、難しいのでいずれ お会いする時ありましたらご説明したいと思います。

当社の本社のタイ担当は、マレーシアも担当していますが、イサーンに来て見て マレーシアより、ずーと豊と驚いていました。この件は、バンコクなどに、出稼ぎに出ている 人も多いため 誤認されていると思います。

生活しなければ、解らない 旅行では、感ずる事が出来ない事が イサーンには 沢山あります。マハサラカンには、バンコクから室内設備は負けないホテルとその他もあります。

ムックダーハンの橋は 見て来ましたが、写真撮らないでしまいました。来週も行くので 写真撮って置きます。忙しくて 中々 マハサラカンにおりませんが、時折情報お送りしたいと 思います。


[329] 富森 栄美   2006/07/24 12:56:49   

22日に戻ってきました。
織物をたんまり買ってきました。OTOPで五つ星の生地は、バンコクに流れてしまうので、産地で手に入れるのは大変です。出来る限り産地で買い続けていきたいと思います。
サムイのボプットビーチは人が少なくてなかなか良いビーチでした。


[330] ふうみん 2006/07/24 19:07:07   

>富森さん、お帰りなさい。

ウボンで織物をたんまり買ってこられたとの事、OTOP(タイ国の一村一品運動)でいい織物はバンコクへ買ってしまうのですか? 少しも知りませんでした。

織物収集歴20年のベテランの方なので、一度マットミーの上手な買い方でもレクチャーしていただければ幸甚と思います。


>伊藤さん、お願いしてすみませでした。

ムクダハーンのメコンに架かる「第二メコンの国際橋」の写真楽しみにしております。“タイの田舎で一番豊かなのはイサーンです。”とのお言葉を聞けて、とてもうれしく思いました。

イサーンといえば貧困、やせた土地、バンコクへの出稼ぎなど劣悪なイメージばかりですが“タイの田舎で一番豊かなのはイサーンです。”とは、思わず嬉しくなりました。これからもイサーンの色々な情報お待ちしております。


昨日から、1泊で山中湖に行って来ました。曇り空から覗いた富士山をUPします。





[347] 伊藤 伸一   2006/07/29 01:10:12   

イサーンの結婚について、以前から女兄弟が実家近くに、家作り夫と住んでいるので 不思議に思っていました。

例外もありますが、通常は、一番末娘が跡継ぎです。日本で言う婿を迎えて 家系を維持します。最近は色々な事情で 末娘でない場合もあります。でも、大体は 家の近所に女兄弟住んでいます。結婚式も女の家に 男が入ると 儀式的に見ると 日本の反対です。

しかし、男がお金(結納金)を持って行くので、私には 男が分が悪いと思いますが、女社会なので、そんな 習慣です。女が家系のすべてを知っていて 日本で男の役目とされている事 女がやっています。

タイの女性は最初はやさしいですが、自分の物になったら、急変します。でも、一家の主人の立場ですから、仕方ないと 諦めるか、逃げるかそのどちらかしか 無いと思います。
写真はノンカイの橋の近くのホテルです。


[355] ふうみん 2006/07/29 19:00:18   

伊藤さん、早速イサーン情報をありがとうございます。

イサーンは末娘が婿を迎え家を継ぐ女系なのですか。日本でも明治のはじめまでは、一般庶民は「婿入り婚」が多かったといわれています。これは、どちらも農耕民族だからなのでしょうか?

それにしても、「諦めるか」、「逃げるか」と二つの選択肢しかないとは、イサーンの婿さんも大変ですね。

写真を送られたようですが、画像サイズが大きいようですね。誠に申し訳ございませんが画像サイズは150KB以内でしか送れません。


[356] ふうみん 2006/07/29 21:47:14   

「Ku Noi遺跡の木柱の化石?」について

「T.I」さんから下記のメールが来ました。「ふうみん」も添付の写真を見て、ガッカリするとともに、何か一杯食わされた唖然とした複雑な気分です。「T.I」さんのご指摘のとおり、多分あの木柱はプラスチックの張りぼてなのでしょう。皆様はどう思われますか?

なお、写真は1枚しかUPで来ませんので2回に分けます。

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「T.I」さんからのメールの概略

私も「ふうみん」さんのHPがきっかけで、Ku Noi遺跡へ行って来たところです。

木柱が化石化しているということで、驚くとともに、いろんな木柱を観察していたところ、一部、木の肌状の表面が欠けた部位があり、ガラス繊維に似た繊維状を含んだ黄色の樹脂が見えました。

黄色の樹脂は、読んで字のごとく、琥珀等に代表されますが、人工的なプラスチックではなく、昔は木の汁が固まった状態のものを言っていたので、こんな色もあるかなと一瞬思いましたが、でも化石なのに白い繊維が見えるのは少しおかしいと感じました。

更に、他の木柱を見ていたら、表面がたたき割られ陥没している木柱がありました。割れた部位を見ると板厚が2,3mmで、個人的には化石ではなく、良くできた木柱のイミテーションと考えてます。

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写真1は、白いガラス繊維のようなものが見える。
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[357] ふうみん 2006/07/29 21:48:55   

「Ku Noi遺跡の木柱の化石?」について(2)


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写真2は、割れて中に陥没。板の厚さ2〜3ミリ。
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[358] 大和   2006/07/29 22:03:39   

ありがとうございます T.Iさんの観察が無ければ永久の間違ったままで
私のHPも間違って記載していますので訂正をしておきます。

さて 私 相変わらず アンコール ワット遺跡群に 又 9月に行こうと考えています
今 ため池を回り 農業には使用していなかったのではを 
ただ 好きだけの素人 T.Iさんみたいな方はありがたい 今回の件 感謝 


[361] ふうみん 2006/08/02 22:08:37   

「Ku Noi遺跡」その後について

>大和さん、早速HP「カンボジアの魅力」http://www.kume-ru.com/のKu Noi遺跡の項を訂正なさいましたね。

>「ふうみん」もHPの「イサーンのクメール遺跡」のKu Noi遺跡に訂正文を載せました。

>「T.I」さんは、タイに5年ほど駐在しており、今年の6月からクメール遺跡巡りを始めたそうです。メールでは、私と異なったクメール遺跡の見解もあり、とても参考になります。例えば、「ふうみん」はPhra That Narai Cheng Wengで基壇には亀の頭。と言う事は祠堂全体が亀の背に乗っている。と書きましたが、「T.I」さんは、リンガに注ぐ聖水が北に向けて排水される。その排水口のマカラの可能性もあると思う。とのご指摘等など。

先週はSri Thep Historical Parkに行かれたそうなので、是非「掲示板」に書き込みください。

>とてもマイナーなタイのクメール遺跡で、先輩の「大和さん」、新鋭の「T.Iさん」、に負けぬように「ふうみん」も研鑽に励みたいと思います。また、自論のある方も是非述べて頂きたいと思います。大和さん曰く「ただ、好きなだけの素人」の我々ですから。

>hra That Narai Cheng Wengの亀?、マカラ?の写真UPします。





[364] T.I.   2006/08/05 07:37:10   

皆さん、はじめまして。T.Iです。
先日、Sri Thep歴史公園へ行ってきました。目当ては、ふうみんさんのHPで見たシバとウマーのまぐさ石です。
ナンディン、ウマーと比較して、ひときわ大きく感じるシバのたくましさ、ウマーを抱きしめる誇らしさ、なんだか滑稽さも感じますが、実物を見て更に大好きになりました。
ここは、環濠を持った大きな古い町の遺跡公園でした。
今週もどこか出かけたいと思ってます。





[365] ふうみん 2006/08/05 21:25:34   

T.Iさん、私もSri Thep歴史公園のシバとウマーのまぐさ石のいかにも田舎のおおらかさが出ているレリーフはとても好きです。

今週末も出かけるとの事ですが、いい写真があれば是非書き込みください。
タイに在住の方には、とてもかないませんね。


[366] ふうみん 2006/08/08 21:52:45   

T.IさんがUpしてくれた、シヴァ神と妻のウマの写真がとても良かったので、他の遺跡の同じ写真を探して見ました。カオプラヴィハーンの写真がありましたのでUpします。

このカオプラヴィハーンと比較しますと、シーテープのレリーフの稚拙さが分ります。しかし、T.Iさんご指摘のシヴァ神の大きさとたくましさ。なんと聖牛のナンディンと同じぐらいの大きさです。でもこのおおらかさがとてもいいのですネ。

この聖牛のナンディンの顔は何処かで見たなあ〜と考えていましたら、やっと思い出しました。明治製菓のカールに出てくる動物のキャラクターにそっくりですね。

同じ構図のレリーフを遺跡ごと、時代ごと、地域ごとに分類して比較してみるのも面白いなあ〜と思いました。





[368] T.I.  2006/08/10 00:50:19   

T.Iです。
先週は、月曜日有休をとって土日月3日間で遺跡めぐりに行ってきました。

写真は、シンハと思います。Prasat Tam Nak Saiにありました。古いものかどうか良くわかりませんが、人間のような泣きそうな顔をしています。こんな顔で本当にシンハ?

今回は、ふうみんさんの情報がありましたので、たくさんの遺跡に行く事ができました。ありがとうございました。

Ban Yai Yaemと言う町にあるPraibatと言う山の上の遺跡にも行きましたが、簡単に行けるか、蛇がでないか心配している内に、近くにいた子供達が案内してくれました。道無き山を登り、子供達がいないと、とても行き着けない所でした。子供達にも感謝です。





[369] ふうみん 2006/08/11 23:34:42   

T.Iさん、Prasat Tam Nak Saiの面白いシンハの写真ありがとうございます。

この写真を見た瞬間、これは「人面」の獅子像だと思いました。人面獅子像といえば、直ぐに思い当たるのがスフインクスですよね。私は、これが古代エジプトから古代インドへ渡りヒンドゥー教に取り入れられて、アンコールへそしてイサーンのシーサケットのTam Nak Sai遺跡に伝播した。との仮説を立てました。すごく壮大ですよね。私も考えながら、すごいロマンを感じました。

そして、インドのヒンドゥー教に人面獅子像があるか調べましたが、該当するものがありません。ヴィシュヌ神は10の化身をするといわれていますが、6番目の化身に人獅子(ヌリシンハ)がありますが、これは獅子面人像ですから反対ですので違いますネ。

それならばと、タイ・カンボジア・チャンパ・ビルマ・インドネシア等の人面獅子像を蔵書やネット等で調べましたが、該当する物は見当たりませんでした。

そこで、この像は人面なのか?という基本に経って考え直し、Prasat Tam Nak Sai遺跡から調べ直しました。そうすると「高杉等」さんの書いた「白塗りの間の抜けたシンハ(?)が2体狛犬のように置かれている。これはさして古いものではないようだ。」という文章に出会いました。これが結論のようですが、何か十分に納得できません。

浅学の「ふうみん」ですので、ご存知の方ご教授願えれば幸甚です。何はともあれ、いろいろと推理出来た面白い2日間でした。T.Iさんありがとうございました。


[370] T.I.   2006/08/16 02:17:52   

こんにちは。T.Iです。
先週末も、遺跡めぐりに出かけて来ました。今回は、消え入りそうで、忘れ去られそうで、わずかに石が草むらの中に残っているような、遺跡を多くまわって来ました。行ったけど既に無くなった(池になった等)と言う遺跡もあり、これから数年後には、跡形もなくなるものがあると思うと少し残念に思います。

写真は、カトリック教会の敷地内にあった遺跡です。この遺跡は、大切に保存されてましたので、これからも残って行くと信じてます。マリア様が置かれたクメール遺跡と言う事で、珍しく思いましたのでUPします。

先日の写真について、ふうみんさんの御意見ありがとうございます。人の顔に似ていると思いましたが、人面の獅子像とは考えつきませんでした。確かにスフィンクスも人面の獅子像ですよね。事実は判りませんが、今は意図的に人の顔を意識してつくられたものと信じる事にしました。

昨日、家族が日本から帰ってきました。もう、遺跡めぐりは、ハードなのでできなくなると思います。でも、今後は家族サービスと、たまのゴルフの生活を楽しみたいと思います。





[371] ふうみん 2006/08/19 08:33:12   

T.Iさん、面白い写真ありがとうございます。

カトリック教会の敷地内のクメール遺跡の上に安置されたマリア像。この写真を見てビックリしました。何とヨニ(女性器)の上にマリア像が、本来そこにはリンガ(男性器)が置かれるべきところに処女のマリア像。一神教のカトリックの信者は何とも思わないのでしょうか?まさにいかにもタイらしい情景ですね。このくらい宗教的な寛容さがあれば、現在世界各地で起こっている宗教的な対立が緩和されるのでは何て思いました。

ご家族が日本から帰国され遺跡巡りはしばし中断ですね。今までの遺跡巡りでの面白い写真があれば是非ご投稿下さい。それから、上記のマリア像の置かれたクメール遺跡名をお教え願えないでしょうか。私も機会があれば是非とも訪問したいので。


[375] T.I.   2006/08/20 08:39:23   

T.Iです。
確かに、ヨニの上にマリア像が置いてありました。ヨニの意味を知らなければ、ヨニって何かを置きたくなる形状をしてますよね。ヨニの上にお供え物が置いてあるケースも良く見かけます。
深く考えませんでしたが、世の中平和になれば良いですね。

8/16にUPしたアリア様の遺跡は、Buriram県、Ban Kok Prasatと言う町にあったPrasat Ban Kok Prasatです。頂いた情報の中でPrasat Ban Mai Thai Chreamと言う名前の遺跡と同じ遺跡と思います。教会の前の家の人に名前を聞いたら、そう言う名前は知らないけど、この遺跡は、Prasat Ban Kok Prasatだと言う事でした。私はキリスト教会を良く知りませんが、教会にキリストの物語?の破風があり、クメール風と感じました。

本日UPした写真は、マリア様の遺跡の数キロ先のBan Nong Nam Kunと言う町にあったPrasat Bo Thongと言う遺跡です。四つ角の交差点の真ん中に遺跡の石らしき石と社があったので、この近くにPrasat Bo Thongが絶対あると確信を持って、この交差点の30m程先の家の人に聞いたら、これそのものがPrasat Bo Thongとの事。昔は、ここに小さなPrangがあったとの事でした。
この社の中には、5基の祠堂?をイメージする「先が尖った三角の石」が5つ埋め込まれてました。
近所の人に聞いても知らない人が多く、一部の人のみ知っている遺跡です。
遺跡と言うより石と言うべきかも?





[376] ふうみん 2006/08/20 11:03:58   

T.Iさん、写真ありがとうございます。

マリア像の遺跡はBuriram県のPrasat Ban Kok Prasatですか。それに、今回の写真のよりマイナーな遺跡のPrasat Bo Thong。

この両方の遺跡のあるBuriram県のPhakham郡は面積の小さな郡ですが、数えてみるとクメール遺跡が10箇所ほどありますネ。その総てがマイナーなクメール遺跡であり、私も行った事がありません。

地図で調べていると、私の中の「遺跡捜しの虫」がモゾモゾと蠢いて来ました。それにしても、忘れられ、朽ち果てて、イサーンの大地の片隅に放置されたクメール遺跡を捜す行為は、子供の頃の昆虫採集や宝探しみたいで、何か病みつきになりますね。


[378] Shinji 2006/08/23 21:50:31   

ブリラムのクメール遺跡というと、在野の考古学者の Asger Mollerup 氏が遺跡のGPSデータを公開しています↓
http://www.sundial.thai-isan-lao.com/buriramkhmersites.html
GPSと地図を頼りに遺跡を目指してオリエンテーリングするのも一興がありそうです。

彼とはたまにメールのやり取りをするのですが、なかなか精力的に遺跡調査をしているようです。レアモノとしては、Ta Phraya の北、ダンレック山脈の頂に位置する Prasat Sra Chaeng や、Ta Muan の東12km、やはりダンレック山脈の頂に位置する Prasat Ta Khwaiの話が面白かったです。

前者はサケオ観光地図(サケオ県の主要観光地に設置されている看板)には載っているものの、けっこうな山登りが伴う超マイナースポットです。後者は国境線を跨ぐような位置にあるので、訪れるには然るべき紹介状と国境警備官のエスコートが必要です。


[382] ふうみん 2006/08/25 23:03:27   

Shinjiさんならではの、とてもディープな遺跡情報ありがとうございます。

>Prasat Sra Chaengはサケオ観光地図に載っているとの事ですが、意地になって探しましたが分りませんでした。よっぽどマイナーな遺跡なのですね。

>Prasat Ta Khwaiの位置をやっと探り当てました。Ta Muan の東12km、ダンレック山脈の頂でタイとラオスの国境上に位置していました。この遺跡に行く道は認められませんでした。
Asger Mollerup 氏のサイトは特に Sdok Kok Thom へ行くときに参考にさせて頂きました。「王道」等とても参考になるサイトですね。
Prasat Ta Khwaiには、道路が整備されたら是非とも行きたいと思います。ただし地雷の除去が完全に終ってからですが。

>遺跡とは別にShinjiさんにお尋ねしたいのですが、この11月にメーサリアンからR1194でメーサムレップに行こうと思います。R1194の道路状況(4WDを借りられなかった場合、普通車でも通行可でしょうか?)とメーサムレップの町の状況についてお教え願えれば幸甚です。


[383] Shinji 2006/08/26 17:39:23   

メーサムレップですか。基本的には全舗装路なので、セダンで十分です。が、しかし、11月というと雨季恒例の土砂崩れで通行がやや困難な箇所があるかも知れません。もしかしたら今でも、村へ入るためには砂利の河原と浅い小川を横切る必要があるかも知れませんが、よほど水嵩が増していなければ、セダンで渡れます。

メーサムレップというと対岸のカレン相手に(密)貿易で栄えた村ですが、1995年にビルマ軍が侵攻して来てからはそれもままならず、なんとか観光客を誘致しようとサルウィーン河に沿った観光ボートに力を入れていますが、まあ難しいでしょう。

自動車で入れるのは観光客向けの表玄関までで、エキゾチックな居住区はそこからちょっと河上(北)の方にあります。カレンの村だけあって、キリスト教会もあります。





[384] ふうみん 2006/08/27 13:01:15   

Shinjiさん、メーサムレップの貴重な情報をありがとうございます。普通車で通行可能みたいですね。昨年11月のナーンの山道も雨季の末期の集中豪雨で橋が流されているのが散見されました。道路状況に十分注意して行きたいと思います。

それから、北タイの道路に非常に詳しいShinjiさんにお尋ねしたいのですが、来る11月にMae Sot 、 Mae Sariang 、 Mae Hongson 、 Pai 、 Chiangmai の街を宿泊しながら、北タイを周遊したいと考えています。そこで普通車でも行けるオススメのポイントをお教え願いたいのですが。出来れば、ガイドブックやツアーで行かないようなShinjiさん好みのディープでマイナーな場所がいいのですが。

お尋ねするのに色々注文を出して申し訳ございませんがよろしくお願いします。


[386] Shinji 2006/08/30 04:34:57   

このコースは主要ルートを走っているだけで色々なモノに出会う事ができる、面白いコースです。参考資料として、
http://www.budget.co.th/travel_worldclass.php
のページから
Chiang Mai - Golden Triangle Loop
をダウンロードして下さい。データは最新のものではありませんが、要所は押さえてあります。印刷して持っていくと心強いです。

メーソットの一番の目玉は国境の橋ですが、二番目の目玉は特にありません。国境マニアならば Moei 川にへばりつく様に裏道を北上すると面白い風景に出会えますが、通常の旅行者はR105を一気に走り抜けるのがいいです。メーソット・メーサリアンの距離は220kmほどですが、特に後半がクネクネしているので、ノンストップで4時間、のんびりドライブで6時間かかります。途中1箇所、毎年のように雨季にがけ崩れする急勾配の難所があるので、覚悟が必要です。

R105の魅力は道路そのものと周辺の景色にあるので、あえて寄り道をしなくても十分に面白いです。途中 Mae Usu Cave がありますが、特にお勧めはしません。国立公園も2個ありますが、キャンプで一泊するのでなければ入る意味はありません。あ、ちなみに新聞によりますと、9月15日から国立公園の外国人料金が400Bになるそうです。

メーサムレップは、サルウィーン河を見たという達成感があるのでお勧めです。一般の旅行者がタイ側からサルウィーン河を見られるのはここだけです。メーサムレップのちょっと北、Salween National Park 経由で行く方法もありますが、これは本格的な4WDチャレンジコースとなります。

メーサリアンからメーホンソンまでは「比較的」ゆるやかな山岳コースで、距離が稼げます。途中クン・ユアムの「戦争博物館」は、歴史に興味があれば立ち寄るだけの価値はあります。

メーホンソンに到達する10kmほど手前に公園風の温泉保養地があります。特に情緒はありません。温泉はパイにもあります。

メーホンソンというと、首長族の村(計3箇所)が観光目玉になっています。人間動物園という根強い批判はありますが、社会学的な見地からも見ておいて損はありません。おそらく今でもアクセス道路は雨季にはドロドロになるダートだと思いますので、ツアーの形で行くのが無難です。

メーホンソンの北、ボーダー沿いにある Mae Aw は旧国民党軍の村で、そっちの方面に関心がある人には面白い目的地です。お茶と中華麺が(外れなければ)美味しいです。

メーホンソンから先、ボーダーに向かって何本かの横道が目に付きます。セダンで入っていけるような舗装道路もあります。横道に入れば入ったで面白い風景や素朴な村を見ることができますが、特に国境マニアでなければ一切無視してかまいません。

ソッポン(パンマパ)では、Lot Cave を見物するかどうかの選択を迫られる事になります。今回のルート上でどこか一つ洞窟見物を入れるとしたら、ここでしょう。ただし、当然観光ズレしていますので、それなりの割り切りが必要です。

パイはなんともいえない独特の雰囲気があります。これも一つの文化現象でしょうか(西洋人バックパッカーの巣)。

繰り返しになりますが、このコースは主要ルートに沿って走っているだけで面白いモノが勝手に視界に飛び込んできますので、その時々で随時小停止・小休止をすれば北タイを堪能できるという御機嫌コースです。北タイ旅行の一つのテーマとして山岳民族のナマの実態を見聞するというのがありますが、これは乾季+4WDという好条件でないと、なかなか難しいです。


[387] ふうみん 2006/08/30 21:31:01   

Shinjiさん、思っていた以上の詳細で的確で丁寧なご回答、誠にありがとうございました。

参考資料のBudgetのドライブ案内は、私も前にプリントアウトして手元にありましたので、それと愛用の地図を手元に置いて、ご回答された文章を読みながら地点の確認していました。

確認作業をしていると、頭の中で色々なイメージが湧いて来て、もう北タイの辺境をドライブしているみたいな錯覚に陥ります。ご回答を参考に、これからルートの選定に入ろうと思います。音楽を聴きながら、こんな事をしている時間が今の私にはとても楽しいのです。

本当にありがとうございました。感激の至りです。


[388] Shinji 2006/08/31 08:06:20   

蛇足ですが、今回のルートの近傍の紹介をいくつか。


1.メーソットの南、Waley と Umphang
Ban Waley はメーソットの南60km、メーソットで3時間ばかり半端な時間があれば往復できる位置にあります。メーソットの橋を表玄関とすれば、Waley の橋は裏玄関という事になりましょうか。まあ、面白い光景です。

Umphang へ足を伸ばそうとすると、メーソットから1泊2日の寄り道になります。Umphang を訪れる大多数の観光客は、Tee Lor Su Waterfall を見に行くタイ人で、12月〜1月に殺到します。Umphang へ至るR1090は、タイでも有数の奇景・絶景を誇りますので、マニアックな旅行者にはお勧めです。ただし、マニアックな旅行者は Umphang の先も探検したくなるでしょうから、そうなると最低3〜4日は必要です。

Waley と Umphang については、私がちょっと前にまとめたページを参考にして下さい↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/westernfrontier/i
ndex.html



2.R1095/R107の交差点からをボーダー沿いに北上する
チェンダオまではポピュラーな観光コースですが、その先R1178に入ると、完璧なマニアコースです。派手なアトラクションはありませんが、背筋がゾクゾクするような緊張感は堪能できます。また、しょっちゅう検問で止められて荷物検査をされます(麻薬所持のチェック)。

R1322は Wiang Haeng を経由して、 Ban Lak Taeng という、ちょっと大きな村に到達します。ここまでは全舗装なので運転は楽ですが、得体の知れないビルマ国境の村へ向かうというのは、強靭な精神力を必要とします。折り返してのR1178は、現在舗装工事がどの程度進んでいるのか私は情報を持ち合わせていませんが、舗装完了ならば魅惑的なループを形成します。未完了の場合は間違ってもセダンで乗り入れてはいけません。

さて、R1340を北上して Doi Ang Khang に到達するのは、基本的に全舗装です。が、雨季には土砂崩れで通行が困難になる事があります。途中いくつかの旧国民党村を通過するので、ワビ・サビの世界に浸かれます。

Doi Ang Khang を北側から降りる道路は物凄い急勾配ですが、四輪車ならば問題はありません。ここから Fang に右折しないで直進しますと、タイで二番目に高い山 Doi Pha Hom Pok の裏側を回って Mae Ai に到達する、かなりエキゾチックな道路に入ります。この道路は軍用道路として1995年には完成していましたが、数年前までは観光客はシャットアウトでした。今でもほとんどの地図に記載がありませんし、雨季にはよく道路が陥没して物理的に通行不能となります↓
http://www51.tok2.com/home/cafemondiale/Chiangrai2.htm





[389] ふうみん 2006/09/01 21:44:31   

Shinjiさん、南のUmphang から北のDoi Ang Khang までのご紹介ありがとうございます。北タイのミヤンマー国境のディープな所をこんなにも詳しくご紹介いただき、誠に恐れ入ります。

Umphang周辺のボーダーはとても興味があります。以前にお尋ねしたR1117が開通していれば少しは楽に行けるのですが、今の様な袋小路ですと最低1泊2日が必要ですね。機会があれば4WDで走破したいゾーンだと思います。

Doi Ang Khangに行く途中のR1178とR1322のループは、地図を眺めているだけでも、とても魅力的なコースですね。そして、その先のDoi Ang KhangへのR1340を走り、Doi Ang Khangにある豪華なAngkhang Nature Resortで宿泊というのも素敵なプランですね。

今回の予定は1週間ぐらいですので、このコースを含めるとなると2週間位は必要と思われますので断念し、今回はMae SotからMae Sariang 、 Mae Hongson 、 Pai 、 Chiangmaiの主要ルートのコースで行きたいと思います。

Shinjiさんご指摘の、「主要ルートに沿って走っているだけで北タイを堪能できるという御機嫌コースです。」というお言葉に百万の味方を得て、のんびりと走って来たいと思っています。

また、非常に参考になるサイトと紹介文で地図と首引きの楽しい時間を過ごしました。ありがとうございました。


[398] Shinji 2006/09/06 05:04:40   

Bankok Post によりますと、Emerald Triangle の国境ゲートが先週末にオープンした模様です。といってもこれは独立した記事ではなく、「Emerald Triangle で狩猟禁止の野生動物が食肉用に取引されている」という記事の中の一文でさりげなく国境ゲートのオープンについて記されていました。詳細は不明ですが、文脈から推察するに、Emerald Triangle の西側1kmほどの位置でタイ・カンボジアの国境が開かれたのだと思います。今のところ外国人の越境は不可で、それで英字紙での扱いが地味なのでしょう。

タイ・ラオス・カンボジアの国境が交わる Emerald Triangle というのは観光用のキャッチフレーズで、地名としては Chong Bok です。Chong (峠)というくらいなので、昔から人の行き来はあったのでしょう。私が推定した国境越えルートを画像上に白線で示しました。タイ側の国境線は分水嶺ですが、カンボジアとラオスの間の国境線は Tonle Repou というメコン支流です。

1979年には、ベトナム軍侵攻の煽でカンボジア難民13,000人が Chong Bok 経由でタイに逃げ込み、タイ政府は難民キャンプ2個 (Chong Bok, Nam Yuen)を造って対応しました。ところがこの中に相当数のクメールルージュ兵士が紛れ込んでいたようで、難民キャンプを拠点に反ベトナム活動を行いました。怒ったベトナム軍は難民キャンプを攻撃するためにタイの領土に侵攻し、タイの軍隊とかなり派手な交戦を行ったそうです(1985−1986)。

おそらく数年の内には外国人も行き来できる国境ゲートに格上げされ、お定まりのカジノやゴルフ場が建設されて情緒もへったくれもなくなるでしょうから、鄙びた国境の雰囲気を味わうのは今が旬だと言えます。





[404] ふうみん 2006/09/07 22:17:17   

Shinji さん、Emerald Triangle の国境ゲートの情報ありがとうございます。

私も2005年6月にR2248から、Emerald Triangle の標識にそって走りましが、Shinji さんのUpしていただいた地図の大きな湖の所で道路が工事中のため、やむなく引き返しました。(写真Upします)

手元の地図で確認するとその先にChong Bokがありました。あの道路が開通したのでしょうか? 確かR2248から入った道は、まだダートで舗装されていませんでした。Chong Bokはウボンから飛ばしても、多分2時間ぐらい掛かる辺鄙な場所ですね。観光開発でも何か?マークがつくのではと思いますが、機会があれば、「鄙びた国境の雰囲気を味わいに」是非行って見たいですね。


今一つ困惑している事があります。それは9月28日に予定されているスワンナプーム空港の開港です。私はタイの事だから、11月に予定している北タイ周遊には多分間に合わないと高をくくっていましたが、この所の情報では9月28日開港の信憑性が高くなってきたようです。

そうすると、北タイへの往復はバンコク市内の混雑の中を通らなくてはならないし、それに新空港周辺の土地勘はないし、まして夜だったら?と憂鬱です。さらに、新空港の唯一のホテルに泊まろうにも、Novotel Suvarnabhumi Airport Hotelの一番安い部屋でも190ドルもするし、どうしょうかとあれこれ思案中です。

私としてはスワンナプーム空港の開港が半年ぐらい延期になる事を祈っていますが〜虫のいい話なのでしょうか?





[409] Shinji 2006/09/09 20:40:51   

新空港とバンコク都内を結ぶアクセス手段については、おそらく土壇場になるまではっきりしないと思いますが、空港でレンタカーを借りられれば比較的自由に行動が取れます。空港から北に2kmのモーターウェイに入れば、9号線(有料)経由で1号線に出る事もできますし、そのまま高速道路に入ればドンムアン方面へ出る事もできます。

ちなみに、Sukhumvit 道路周辺は、BTSの延長工事のために大変渋滞しておりますので、避けた方が無難です。


[412] ふうみん 2006/09/10 14:55:15   

Shinji さん新空港の情報ありがとうございます。

スワンナプーム空港の9月28日開港について、色々と情報収集しましたがはっきりしません。困惑しています。

Shinji さんご指摘の「空港でレンタカーを借りられれば比較的自由に行動が取れます。空港から北に2kmのモーターウェイに入れば、9号線(有料)経由で1号線に出る事もできますし、そのまま高速道路に入ればドンムアン方面へ出る事もできます。」というお言葉に勇気を得て改めて地図を眺めました。

新空港のガイドのhttp://www.bangkokairportonline.com/にSuvarnabhumi Airport Mapが載っていました。この新空港の車での利用のコツは7号線や9号線のモーターウェイを利用して、バンコク市内を通過しなければいいのですね。あの市内の大渋滞を考えると憂鬱でしたが、少し気分が晴れました。ありがとうございました。

野次馬的に眺めると、スワンナプーム空港の9月28日開港はどんな結果になるか楽しみです。やはリ、ドタバタしてタイだな〜と、ある面そんな期待を裏切らないでほしいのですが?この時に空港を利用する方にはとても申し訳ないのですが!





[424] きこり 2006/09/15 01:10:16   

久しぶりにイサーンへ行ってきました。
バンコク(1泊)−ウボン(1泊)−コンジアム(2泊)−サバナケット−ナコンパノム(1泊)−タケク−パクサン(1泊)−ビエンチャン−ウドンタニ(2泊)−バンコク(3泊)(全11日)
コンジアムのトーセンよかったです。
今回の旅でなにより、うれしかったのは、7年前にウドンタニで世話になった人の家に突然訪問したら、そこの家の奥さんが、僕を見つけて名前で呼んでくれたこと。チャルンシーに1泊したあと、ウドン2泊目は、そこの家に泊まりました。7年前は小さかった娘も170センチぐらいのモデルような女の子に変わっていたびっくりしました。隣人も交えて、手作りイサーン料理に舌鼓をうち、最高でしたね。
そこの主人に「次はいつ来る?」といわれたので、また行かないわけにはいきません。
こんなイサーン、やっぱり好きです。
しかし、バスや飛行機、電車を使っての強行軍でしたので、ちょっと疲れましたね。


[428] ふうみん 2006/09/15 22:13:32   

きこりさん、はじめまして、そしてお疲れ様でした。

イサーンとメコンを挟んでのタイ側とラオス側。面白そうなルートの旅でしたね。そして、コンチアムのトーセンが良かったとは、私にとってもうれしい話です。

文面から、イサーンのほのぼのとした感じが受け取れます。ウドンタニでの歓迎、とてもうらやましい。こんなに歓待されたら、また行かなければなりませんね。

私も先日「ひとりごと」欄に「イサーンの心地よさ」と題する文を載せましたが、きこりさんのイサーンの旅もまさに「イサーンの心地よさ」ですね。


[458] T.I.   2006/09/23 00:29:27   

タイでクーデターが起こりましたが、一応通常の生活をしております。
Shinjiさんのクメール遺跡の情報を見て、まだ行った事の無い遺跡がたくさんあるのがわかり、先週思わず遺跡めぐりに行ってきました。
ChamniのKuti Rushiは、驚くべき事にタイ語が通じない小さな集落の中にありました。人里離れた山間の民族ならいざ知らず、確かに田んぼの中のゴルフ場の浮島のような小さな集落ですが、すぐ周りはタイ語の社会なのに、なぜ?
黄色と黒色のトラ縞の衣装を着た仙人像があり、祠堂は黒色のペンキで塗られてました。そして、私は宗教上の無礼をしたのだと思いますが、祈祷氏のような女性の怒りを買う羽目になってしまいました。反省。
でも私にとって本当に驚くべき体験でした。
写真は、Prasat Yoei Prasatのまぐさ石で「大蛇アナンタの上に横たわるヴィシュヌと、そのおへそから伸びる蓮の花から生まれたブラフマー」です。こんなはっきりしたまぐさ石があるなんて?そして花で綺麗に飾ってありました。





[461] ふうみん 2006/09/23 14:05:05   

T.I.さん、クーデターで大変だったと思います。私も11月の訪タイを控え早く正常化される事を祈っております。マ〜ア!実のところ、タイの事なので余り心配しておりません。

ChamniのKuti Rushiのタイ語が通じない小集落の話、面白いですね。T.I.さんの仰る通り、イサーン高原の真只中ですよね。タイ北部の山奥のムラブリ族とかだったら分りますが!そこにいた祈祷師と黒色のペイントされた祠堂。よろしかったら是非写真upしてください。とても見たいです。

それから、Prasat Yoei Prasatのまぐさ石の写真を拝見しました。そして、この有名な構図のレリーフを今までたくさん見て来て気が付かなかったのですが、「大蛇アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神」のアナンタを見るとこれはどう見ても蛇ではないですよね。普通に見ると「シンハ(獅子)」十歩譲っても「龍」としか私には見えません。

そこで、今まで撮った写真やアンコールの書籍で調べたところ、Prasat Yoei Prasatのまぐさ石と同じ「シンハ?」見たいなアナンタの写真が多いのですが、解説にはナーガ、アナンタと明記されています。そして、あの有名なパノムルン(写真up)の「ヴィシュヌ神」もPrasat Yoei Prasaとそっくりですね。

「アナンタ」を調べますと…ナーガ族の王でその名は「無限」を意味し、千の頭をもつ竜王である。永遠ともいえる時を乳海の中で過ごしヴィシュヌ神のベッドとなる。

そうすると、アナンタは千の頭を持つナーガでなくてはなりませんね。そうしたら、カオプラヴィハーンにありました(写真up)。古い時代は多頭のナーガのアナンタが、時代とともにシンハに似た龍のアナンタに変わっていったものと考えられます。

来年「ふうみん」は定年を向えます。有り余る時間の中で「大蛇アナンタの上に横たわるヴィシュヌ神」のアナンタの変遷を調べるのも面白いな!なんて思いました。





[462] ふうみん 2006/09/23 22:05:27   

すみません、先程の写真のコメントを間違えました。クープアノイ(KU PUAY NOI)では無く、パノムルン(PRASAT PHANOM RUNG)が正当です。

申し訳ございません。


[468] T.I.   2006/09/24 22:03:08   

タイのクーデターについては、こちらで生活している限りでは、国民に受け入れられているようです。でもクーデターそのものが民主的では無いので、抗議集会があると言う情報もあり、大した事にはならないと思いますが、制圧の可能性もあり近寄らないようにしております。

Briram県ChamniのKuti Rushi Bang Nong Thaoの写真をUPします。
この写真を撮った直後、基壇の内側へ入ろうとした時、どこからとも無く大きな怒鳴り声が聞こえ、祈祷師のような女性が現われ、その怒りの迫力は、説明できません。
もちろん、その女性にカメラは向けれませんでしたし、主祠堂の内部は確認してません。
逃げ帰った次第です。
後で写真を見ると、その時は気になりませんでしたが、黄色と白色の旗と、紐で旗竿が結ばれてましたので、もしかするとこの領域に入る事自体に問題があったかもしれません。
日頃気をつけているつもりですが、信仰心が希薄なところがありますので、何気なくする行動が地元の人の心を傷つけていたのかもしれません。
以後、気をつけたいと思います。

アナンタについては、光文社新書に山際素男さんの「踊るマハーバーラタ」と言う本があり、その中に「ヒンズー教徒が一番怖がったナーガ族」の話があります。
美しい娘カドルーが1000個の卵を産み、沢山の頭を持つ千人の息子ナーガが誕生した。その千人の息子達は、蛇供犠で焼き殺される運命にあったが、シェーシャと言う息子は、呪われた蛇の身から抜け出るため徳を積もうとした。そのシェーシャがアナンタ(無限)と呼ばれる竜王になった。
でも何も考えませんでしたが、Prasat Poei Prasatのアナンタはたてがみと手足があり、尻尾があり、シンハみたいです。アナンタでは無いのかも?
River Booksに「Images of the Gods」と言う本がありますが、’The sleep of Vishnu’ on Anantaの項があり、ガンボジアのPreah Khanに手足がついた動物に横たわるVishnuの写真があります。また、The Birth of Brahmaの項にも、手足がついた動物に横たわるVishnuの写真があります。
これがアナンタであれば、なぜ手足がついたのか?なぜ手足があるのか?
昨日、遅くまで、本を探し出して調べてしまいました。
何かわかりましたら、また、教えてください。





[484] ふうみん 2006/09/26 22:03:46   

●T.I.さん、早速の写真UPありがとうございます。

>ChamniのKuti Rushiの写真。いやあ!不気味ですね!面白いですね!
分厚い黒色のペンキで塗られた千年近く昔のクメールの祠堂。多分、屋根は抜け落ちたため木で葺いてあると思われます。そして、横の黄色いテントとそれらを取り巻くラテライトの壁。

壁の外側に黄色と白色の旗が竿と紐で結びついています。これは結界(聖なる領域と俗なる領域という二つの世「界」を「結」びつける役割)のシルシだと思われます。

その結界に間違って入ってしまった為に、祈祷師の女性のすごい怒声。しかも、そこの集落の人々にはタイ語が通じない。…何か横溝正史の世界ですね。行ってみたくなりますね。わたしもタイのクメール遺跡を60ほど巡りましたがこんな場所は在りませんでした。

>アナンタについてはもう一度資料を見直しました。やはり、古い時代(7世紀から11世紀頃)のレリーフはインド伝来の多頭の「大蛇」アナンタが、12世紀頃以降のレリーフは中国の影響?もある「竜」のアナンタに変わっていったものと考えられます。

そして、「竜」ですが、一説によると起源・または伝承の元は、古代に黄河流域にも実在したワニではないかとも言われています。そうすると、足が4本ついていてもおかしくありませんね。

UPした写真は、ダナンのチャンパ博物館収蔵の「耳石竜」です。砂岩で造られた12世紀の物です。この他にもシンハに似た像もあります。…と考えると「竜」にワニ(から)→獅子(に)変化した「竜」がアナンタに用いられたと考えられます。…これは、あくまでも大雑把な推測ですが。アナンタについては今後とも調べていきたいと思います。


●上の件と全く違う話題です。

最新のレポートを読みました。その中で、今回のクーデターによるバーツの切り下げについての記述がありましたので紹介します。

2006年6月末のタイ中央銀行の外貨準備高は564億ドルであり、これは同時点のタイ政府の対外債務192億ドルの2、9倍の規模である。よって外貨準備不足によるバーツ切り下げのリスクは小さい。

不謹慎かもしれませんが、私としてはこの所のバーツ高が少し切り下がって、1バーツ3円以下になってほしいと思っていましたが、すこし無理なようですね。





[519] toshi-ba 2006/10/02 20:32:58   

 28日に帰ってきました
新しい空港は すばらしいすごく大きい空港でした
混むかと思って早めに行ったのですが空いてた

南の島 富森さん 参考にさせてもらって ボプットビーチ 行ってきました スマイルハウスへ泊まったのですが素敵で楽しかった
その後 ペチャブーン行ってきました
チャイヤブーンと間違えて 苦労しました
でも奇麗ですばらしかった あの辺り少し高原のようで イサーンとは違って山があって 奇麗だった

タマリンド買って帰りました ふうみんさん ありがとうございました
美味しかったです
名物なんですね  その後コラートで田んぼで釣りしました
ソムタムのカニが釣れた もっともソムタムは 辛くて好きではないです 失礼しました CIAO


[525] ふうみん 2006/10/03 23:19:42   

toshi-baさん、お久し振りです。前回の7月のタイ旅行はご不幸の為、確か2泊3日のとんぼ返りでしたね。

今回のタイ旅行は、toshi-baさんらしい楽しい旅の様子が文面から分ります。それにしても、クーデターやスワンナプーム空港の開港と劇的なタイミングの旅行期間でしたね。面白い写真があれば是非UPしてください。それと伊藤さんにお会いしましたか?

コラートでソムタムのカニを釣ったとの事、楽しそうですね。カニ入りのソムタム(ソムタムプゥー)は美味しいですが、寄生虫が湧く事があるので要注意ですね。

私も先日バンコクから帰国中の「よこはま」さんに会い、タイの地図をプレゼントされました。その地図を眺めながら、もう心は11月のタイ旅行に飛んでいます。





[532] 富森 栄美   2006/10/05 12:36:49   

タイとは関係ないのですが、来週、伊勢崎絣を購入するため、群馬へ行ってきます。布のためならどこへでも。次のタイ行きは12月になりそうです。


[536] toshi-ba 2006/10/06 08:45:45   

サムイで泊まったタイ・スタイルの バンガローハウスです 夕方テラスで ビール飲むのが 夢でした

所で 僕には まだトイレがうまく使えない
伊藤さん曰く 「それではイサーンには住めませんよ」でもイサーンは好きです





[543] ふうみん 2006/10/07 17:44:40   

>富森 栄美さん、タイ行きは12月ですか。目的がある旅はいいですね。

>toshi-baさん、早速の写真UPありがとうございます。テラスで飲むビール最高ですね。

私も11月の北タイ旅行のホテル予約をしたところ、メーホーソンのホテルが満室とのメールが来ました。タイでは11月からピークシーズンに入りますが、観光面でのクーデターの影響は無いようですね。


[582] toshi-ba 2006/10/19 20:06:18   

 涼しくなりましたね もうすぐ11月ですね ふうみんさんが羨ましいです
僕も12月には行きたいナー 

そこで一句 金が無い 夢はイサーンを駆け巡る

写真ですが 吉備路の秋 日本もまだ捨てたもんじゃ無いな

と 慰めています 





[589] ふうみん 2006/10/21 09:05:06   

toshi-baさん、芭蕉もビックリの迷句ですね。

この所、タイ北部の天気が気になり、毎日のようにチェンマイ在住の方のブログを見ていたら、やっと乾季に入り毎日快晴のようです。私は雨季が明けたら乾季だと思っていたら、冬季(ルドゥー・ナーオ)到来と書いていました。タイで「冬」の字が付くとなんか変な感じですネ。

私の11月の旅の行程でパイからチェンマイに行く予定でしたが、チェンマイには行かずにShinjiさんの推薦のR1340を北上して Doi Ang Khang に到達する行程に変更しました。そしてAngkhang Nature Resort 宿泊しょうと思ったら、10月からのハイシーズンは、なんと!一泊5000バーツもします。勿体ないので諦めて、その先のタートンの35ドルのホテルにしました。

このあたりのチェンマイ県ファン郡では10月中旬に大雨による大きな土石流災害があり、たくさんの被害が出ているようですので道路状況が少し心配です。


[592] トゥッ・ムー   2006/10/29 23:14:22   

ふうみんさん こんばんは。
27日にイサーンから帰って来ました。
旅のレポートをブログの方にぼちぼちアップしていきますので見てやってください。

なお、私のブログよりリンク貼らせて頂きましたので、ご連絡まで。


[593] ふうみん 2006/10/30 20:50:44   

トゥッ・ムーさん、今晩は

イサーンの旅からお帰りなさい。私もトゥッ・ムーさんのブログ「アライナ!.....泰国生活記」http://blog.livedoor.jp/arainathai/のリンクを貼らしていただきました。

どんな旅をして来たのか?
これからのイサーンの旅のUPを楽しみにしています。


[594] ふうみん 2006/11/02 22:47:53   

待ちに待った!
11月の上旬から「第六部…ビルマ辺境を走る」と題した旅に出ます。

ルートは、Ayutthaya 、Mae Sot 、 Mae Sariang 、 Mae Hongson 、 Pai 、 Thaton 、Phraeの街に宿泊しながら、ビルマ国境沿いの北タイの辺境をレンタカーで周遊して来ます。

レンタカーの車種はHONDAのCR-V(4WD)ですので少々の悪路でも大丈夫だと思います。

帰国後、旅行記等をUPする予定ですのでよろしくお願いします。


[597] ふうみん 2006/11/14 18:26:45   

日曜日に延べ10日間のタイ旅行から無事に帰国しました。

メーサムレップでサルウィーン河をボートで遡上して来ました。受付でタイ軍の兵士に国籍はJapanと言ったら、同僚の兵士達に向ってJapan!と大声で言うと皆ビックリしていました。こんな所に来る日本人は少ないのでしょう。

おまけに、チャーターしたボートに途中までタイ軍の兵士5人が同乗して来ました。兵士達は武装して銃口はビルマに向けています(写真)。とても緊張感のある面白い体験でした。

これから2000枚のデジカメ写真を整理しながら、また楽しみながらホームページを作成しょうと思いますのでよろしく。





[598] Shinji 2006/11/15 17:50:02   

写真が2000枚ですかっ!メモリーカードをたくさん持っていくのでしょうか?

ちなみに私は近頃ようやく初めてのデジタルカメラを購入したのですが(SONY Cybershot S-600, 6メガピクセル)、512MBのメモリーカードに150枚ぐらい記録可能です。

頻繁に旅行に出られた頃にはデジカメは無く、デジカメがある今ではなかなか旅行に出られないです。


[599] Shinji 2006/11/15 20:00:54   

カオプラヴィハーン付近の詳細な衛星画像が手に入ったので、これまで不思議に思っていたカオプラヴィハーンの国境線についての考察をまとめてみました↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/khaophraviharn/in
dex.html


画像の出展はタイを拠点とする Point Asia で、数ヶ月前から Google Earth に類似したサービスを提供しています。登録(無料)が必要で、インストールの方法がやや煩雑ですが、興味のある方は次のページを参考にチャレンジしてみて下さい↓
http://www.geocities.com/satelthai/resources/pointasia/index.html
あっ、ただしタイ国外からの登録やアクセスの可否については不明です。





[600] ふうみん 2006/11/16 22:30:54   

Shinji さん、北タイ辺境の情報ありがとうございました。とても参考になりました。

写真の件ですが、私はPanasonic のFX5とFX01の2台のデジカメに1GBのメモリーカードを入れて行きます。Panasonicにしたのは手ぶれ防止が付いているので、車の中からの撮影に最適だったからです。(今はみんな付いているようですが)

サイトに使用する写真は3MBか2MBあれば十分ですので、3MBでクオリティを普通にすれば1180枚も撮れますので2台で2千枚以上撮影できます。(念のため一応予備のメモリーカードは持って行きますが)

撮影は助手席の者がメモ代わりにバシバシ撮ります。日付が出ますから後の処理が簡単です。また、ガソリンスタンドなどのメーターを映しておけば後でとても便利です。

旅行後、2枚のメモリーカードを日付の時間別にソートして、日にち毎にファイルします。そして、1日毎のファイルを開き、200枚位の写真を見ながらホームページを作ります。

カオプラヴィハーンの国境線についての詳細な衛星画像、素晴らしいですね。カンボジアからの道がどう繋がっているか初めて分りました。

入り口の階段の後ろに通じていたとは全く分りませんでした。苦手な英語ですので少しづつ、楽しみながら見ていこうと思っています。


[601] Shinji 2006/11/18 15:34:05   

なるほど... なるほど... (唖然)

ちなみにタイでの購入価格は、
Cybershot S-600 ... 5990B
Memory Stick Pro Duo 512MB ... 1490B (互換製品 Sandisk、ソニー製は2倍ぐらい高い)
でした。

それにしても、昔キャノンの一眼レフカメラで気合を入れて撮った写真よりも、今のデジカメでテキトーに写した写真の方が綺麗なのは、腕が悪かったせいなのか、印画紙代をケチっていつもサービスプリントで甘んじていたせいなのか。


[602] ふうみん 2006/11/19 10:43:03   

今から3年前、イサーンのレンタカー旅行(ムーンリバー誘惑)に出かけましたが、この時はホームページを作ろうなんて全く眼中にありませんでした。

それでも、もう二度と行く事は無いだろうと、APS(懐かしい)の40枚撮りのフィルムを5本持って行きました。

そして、ひょんな事からホームページを作る羽目になったのですが、困ったのは使用する写真です。道路の標識や状況、日常の町の風景など普段の旅行ではまず撮りませんから非常に困りました。

そんなことから、デジカメにして非常に便利なのは良いのですが、現在撮りすぎた写真を前に新しい旅行記の作成に四苦八苦しております。

それにしても思うのは、デジカメ関連の進歩のスピードが非常に速いことですネ。ついていくのが大変です。これも、まあ〜、老化防止のためにはいい事だと思っています。


[604] ふうみん 2006/11/29 22:35:50   

やっと、「第六部…ビルマ辺境を走る」をUPしました。写真を400枚も取り込んだ為にファイルのサイズが20MBにもなってしまいました。

サーバーの容量を最近200MBから500MBに増やしましたので、増えても全然大丈夫なのですが、本当はもう少し簡潔にしたいと思っています。

しかし、現実にはあれもこれも入れたいとファィルが増大する一方です。まあ、道楽でやっているのでご容赦願います。

今回は、ビルマ国境沿いと言う事なので、どうしても旧日本軍や現在のビルマ難民等の問題があり、少しテンションが高くなって作成しました。

それと、11月27日付けの日経の文化欄にカオプラヴィハーンで地雷除去に活動した「JAHDS」の冨田さんの話が大きく載っています。「JAHDS」は当日付けで解散したそうです。どうもお疲れ様でした。

写真はメーラーの難民キャンプです。





[608] Shinji 2006/12/01 08:34:32   

> 行程2日目> 一路、国境の街メーソットへ

タクシン王の歴史上の扱いについて、チャクリ王朝最初の150年間は微妙に無視、時に酷評という感じでしたが、1932年のクーデター以後はチャクリ王朝を叩く材料として、英雄として名誉挽回されました。「歴史」が時の為政者によって都合のいいように書き換えられるいい見本です。

タクシン王については私も興味を持って文献を漁って読んだのですが、少なくともアユタヤ王朝にとってはタクシン王はトンでもない裏切り者だったようです。まず、アユタヤ陥落を予想して、部下を引き連れて敵前逃亡しました。その後の「戦国時代」を切り抜けて大勢力となってからは、アユタヤ王朝の子孫を抹殺する事に精力を注ぎました。

ちなみにラマI世も即位後にタクシン王の親類縁者を150人ほど処刑していますので、まあ、そういう時代だったのでしょう。


[609] Shinji 2006/12/01 08:41:16   

> 行程2日目> 一路、国境の街メーソットへ

タクシン王の歴史上の扱いについて、チャクリ王朝最初の150年間は微妙に無視、時に酷評という感じでしたが、1932年のクーデター以後はチャクリ王朝を叩く材料として、英雄として名誉挽回されました。「歴史」が時の為政者によって都合のいいように書き換えられるいい見本です。

タクシン王については私も興味を持って文献を漁って読んだのですが、少なくともアユタヤ王朝にとってはタクシン王はトンでもない裏切り者だったようです。まず、アユタヤ陥落を予想して、部下を引き連れて敵前逃亡しました。その後の「戦国時代」を切り抜けて大勢力となってからは、アユタヤ王朝の子孫を抹殺する事に精力を注ぎました。

ちなみにラマI世も即位後にタクシン王の親類縁者を150人ほど処刑していますので、まあ、そういう時代だったのでしょう。


[610] ふうみん 2006/12/02 15:10:23   

Shinjiさん、タクシン王の評価の変遷を調べるだけでも面白そうですね。トンブリ王朝に興味が沸いてきました。

「メーラ難民キャンプの絶景は、語弊を恐れずに極言するならば、R105沿いでの最大の観光アトラクションといえます。」と言う文章は、まさに、的確にメーラ難民キャンプを言い表していますね。

私も家人もその絶景の前では言葉を失いました。それにしても、3Dの衛星写真は素晴らしいですね。こんな所を走って来たんだなと改めて思い返しました。

ビルマ国境沿いの緊張感からタイ以上に平和ボケの日本に帰って来て、テレビや新聞を見るのがイヤになる今日この頃です。


[611] Shinji 2006/12/02 23:21:57   

> 行程4日目> サルウィン河を遡上せよ!

それで、メーサムレップでR1194(の延長)をそのまま進むとどうなるかというと、サルウィン河に沿って数キロほど南下して国境警備のキャンプのような施設に辿り着きます。そこで道路はサルウィン河を離れ、東南に方向を変えて生い茂るジャングルの中に入って行きます。路面はワイルドで、雰囲気的には地の果てです。

サルウィン河とR105の間には添付写真に示すように多くの村が点在しており、一応ダート路でつながっています。探検好きな旅行者にはたまらないエリアです。





[612] ふうみん 2006/12/04 22:30:10   

いゃあ〜。 R1194の先の道(写真)をそのまま進む勇気はありませんでしたね。

Shinjiさんの添付写真をつくづく見ましたが、ジャングルの中に、まさに探検隊の覚悟で入らなくてはならない場所ですね。

最近、パヤオ県にトラが出たというニュースを聞きましたが、こんなジャングルの中は少し怖いですね。





[613] toshi-ba 2006/12/05 12:50:17   

 読んだです
すぐ読むと 勿体ないから3回に分けて読んだのですが今回は結構重かったです 
難民キャンプとか 日本軍の足跡ーー 日本軍はカンチャナブリだけかと思ってました
「ふうみん」さんは良く調べられてて 僕ももっと勉強しなければと考えさせられました  調べれば調べるほど楽しい事が実感出来ます
サルウィン川 地図で見た事有りますが 行って見たいです 

ビールとその地方の食べ物 楽しそうで僕も体験したような気になって 楽しくて ありがとうございました
次は何所かな?


[614] 朝太郎   2006/12/05 17:50:53   

はじめまして!
読ませて頂きました。本当に面白い。
イサ−ンだと長距離バスでサコンナコンまで二度。
そこから東へ22号、223号でメコン川沿いの町タートパノムヘトラックに18人乗って行ったり。
今回11月後半はカンチャナブリーに行き北西端のサンクラブリーでちょっぴりミャンマー側入国、その他県内やナコンパトムヘ。いくらも運転はしていませんが移動距離は1000kmほどです。
今後は、頑張ってふうみん様ご夫婦の何分の1かでも真似をしてみたいと思っています。
次も期待しています。


[615] ふうみん 2006/12/05 22:19:11   

>toshi-ba さん、早速のご感想ありがとうございます。ご指摘のように今回の旅は、なかなか「重い」ものがありました。

普段、安逸な生活を送っている日常から離れて、「重い」ものに向き合い、何かを感じる事も旅の醍醐味の一つかな? …と、思っています。

なお、今回の旅が終ったばかりなので、次回の旅は今の所、全くの白紙です。


>朝太郎さん、はじめまして、とても過分なお褒めのお言葉ありがとうございます。

朝太郎さんもイサーンに良く行かれているようですね。サコンナコンに二度も行かれたとは! 朝太郎さんのタイの旅に、私の体験が少しでも参考になれば光栄です。

なお、上にも書きましたが次回の旅は白紙の状態です。今後ともよろしく。


[616] Shinji 2006/12/07 09:21:19   

> 行程5日目> ひまわりの群生を見にゆこう

クンユアムの博物館が改装中だったのは残念でした。展示品はこんな感じです↓
http://maehongson.payap.info/KhunYuam/index.html
上ページからダウンロードした地図(博物館で撮影?)に色を付けてみたのが添付の画像です。

私も歴史の面影を求めてクンユアムの西のエリアを探索した事があります。下調べもなく、詳細地図も持ち合わせていなかったのであまり収穫はありませんでしたが、「もしかしたらこの道路が...」という緊張感はありました。

戦争当時と同ルートかどうかはわかりませんが、クンユアムからビルマへ抜ける「道路」は存在します。私は到達できませんでしたが、国境検問所があって、タイ人とビルマ人のみが通行できるそうです。





[617] ふうみん 2006/12/07 23:07:29   

クンユアムの旧日本軍博物館が休館中なのは本当に残念でした。

インパール作戦の敗走兵は、ビルマ東部シャン高原からサルウィン河を渡ってタイ側のクンユアムに退却したといいます。Shinji さんの捜した道路がそれに当たるわけですね。私も、存在するという道路を走り「歴史」を体感したいな!と思います。

それにしても、60数年前にあんな辺境に行かなくてはならなかった、兵隊さんに思いを馳せるとすごく重いものを感じます





[618] Shinji 2006/12/08 21:43:07   

> 行程6日目> KMTの村にへお茶を買いに

Mae Aw については、こういう村が観光地図に載っている事自体に首を傾げるものがありますが、それだけ観光資源の発掘にやっきになっているのでしょう。添付写真が示すように、国境に隣接しています。貯水湖から15分ほどのハイキングで国境の丘に上がれますが、治安状況や国境警備兵の機嫌が悪い時には近づけません。

丘の上にはささやかな観光スポットである Communist Jail という穴ぼこがあります↓
http://www.onasia.com/system/preview.aspx?pvp=ath01265





[619] ふうみん 2006/12/09 16:12:38   

写真を見ますとMae Aw の村の貯水池からビルマ国境までは、ほんの1キロぐらいしかないのですね。

私はビルマ国境までもう少し距離があるとばかり思っていました。この位の距離なら少し無理をしても行って見れば良かったと思います。





[620] Shinji 2006/12/09 23:02:21   

行程7日目> パイを退散し、アンカーン山へ

地名についてですが、
 大谷地村 = Nong Ook = Arunothai
です。けっこう大きな村で、国境に隣接しており、タイ人とビルマ人のみが通行できる国境検問所があります。ちなみに前述の Mae Aw は、この村から分離独立しました。

また、ゲストハウス「唐窩客棧」というのは、おそらく唐窩村にあるのだと思いますが、
 唐窩村 = Tham Ngop = Santi Wana
です。メーサロンがKMT第5軍(段将軍)の本拠地とするならば、この村は第3軍(李将軍)の本拠地なのですが、その後の発展・分散のパターンの相違には、個別の事情もさることながら、指揮官の方針やビジョンに違いがあったのでしょう。

参考文献:冷戦期タイにおける中国国民党軍と山地民
http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/seas/42/2/420204.pdf


さてドイアンカーンですが、南ルートのR1340、東ルートのR1249の他に、あまり地図には載っていない北ルートがあり、なかなかのアドベンチャー道路です。ドイアンカーンの北端には、二つの隣接した丘にそれぞれタイ軍とビルマ軍のキャンプが200メートルぐらいの近距離でお互いの様子を伺っている、ちょっとした観光スポットがあります(添付画像)。本来の分水嶺(国境線)は各々のキャンプの中心を通るのですが、それでは具合が悪いので、国境線をちょっとずらしてこういう状況になっています。

ここらへんの稜線はタイ・ビルマの国境であると同時に、メコン・サルウィンの分水嶺でもあります。道路が峰沿いを走る区間では、道路の東端で立小便をすればメコン河経由で南中国海に達し、道路の西端で立小便をすればサルウィン河経由でアンダマン海に達します。ちょっとしたロマンです。





[621] Shinji 2006/12/10 21:33:51   

行程8日目> 北タイの静かな県都へ

タートンですが、ここでコック川がビルマから流入し、チェンライを経由してメコンに合流します。こうして川が国境線を横切るのは、私の見落としが無ければ北タイでは3箇所あり、他の2箇所はメーホンソンのパイ川とクンユアムのスリン川(共に流出、サルウィンに合流)です。タートンのコック川で特筆すべきなのは、タイ・ビルマ間の国境線争いです(添付画像参照)。黄色線がタイの主張で、赤線がビルマの主張です。ここはタイで最もホットな紛争地帯で、両国軍の数十の前哨部隊と数百の兵士が肩を並べあっています。そういう事もあって、観光客がコック川に沿ってうっかり国境に近づかないように、厳しい検問が敷かれているわけです。

ちなみに前述したドイアンカーンの北ルートは、途中 Fang に抜けなければ、標高2000メートル級の尾根に沿って Doi Pha Hom Pok の裏側を回り、この国境紛争地帯のまさに南端をなぞってタートンに到達します(8月31日投稿の画像参照)。





[622] ふうみん 2006/12/11 00:02:10   

北タイのタイとビルマ間の国境線が画定されていないと言う事は聞いていましたが、タートンの北側がこんなにもホットな紛争地帯だとは少しも知りませんでした。

タートンからコック川沿いの狭い道をビルマ国境に向って走って行くと、1キロ足らずの検問所で追い返されましたが、これで納得出来ました。

写真は検問所でUターンした、コック川沿いの風景です。





[624] にんじゃ Q   2006/12/14 12:27:31   

はじめまして。にんじゃQといいます。
ついこのごろインターネットをつないだばかりで、まだその使い方も知らないドシロウトです。タイのクメール遺跡について知りたくて検索したら、ふうみんさんの「イサーンの大地走行2000キロプラス」に出会いました。

 まだ、ほんの少しのぞいただけで全容は分かりませんが、日本にいてタイのことがまるで手に取るように分かっておられることに、ただただ感歎しております。
 わたしは、ふうみんさんの記録の中に出てくる国道219号線の終点(と思っていたら延長されていると書かれていたので昨日確かめに行ったらそのとおりでした。)だった、プラコンチャイの町に住んでいます。(記録の中ではプラホンチャイと誤植されています)
 クメール遺跡に特に関心があるわけではなく、小学校3年、4年で地域の地理や歴史を習うていどに地域のことが知りたいという興味から、近くのクメール遺跡は全部見ておきたいと思って探しています。

 バイベーグ遺跡は覚えておられますか。この遺跡を私は知りませんでした。
 おととい、早速探しにいきました。Shinjiさんが紹介されていたブリラムのAsger Mollerupさんのリストとふうみんさんのゴム林のある全景の写真から大体見当がつきました。簡単に見つかるだろうと時間の余裕のないまま探しに行ったら、見つからないうちに時間切れになって引き返しました。

 昨日もう一度行ってみました。ふうみんさんの通られただろう道は、昨年できたダムに沈んでいました。水際に立っていたら近くの部落の婦人がバイクに乗ってきてそのまま水に入って行きます。水の中がくぐっていけるのかと驚いて「どこにいくの」と聞いたら「バイクを洗いに来た」というので思わず苦笑。
 遺跡の所在を聞いたらダムの向こうと教えてくれました。

長くなるので、もし続きを書いてもよければあした書きます。


[626] ふうみん 2006/12/14 22:20:52   

にんじゃQ さん、うれしいメールありがとうございます。

イサーンの大地の片隅に忘れられた様に佇む「クメールの遺跡」に惹かれ、遺跡めぐりの道楽を始めました。その走りまわった資料が少しでもお役に立てれば幸いです。あの、バイベーグ遺跡への道にダムが出来たのですか?少しも知りませんでした。あすこの北海道のような風景がとても好きです。

にんじゃQ さん、遠慮なさらずに続きを書き込んでください。楽しみに待っています。写真はバイベーグ遺跡です。





[627] にんじゃ Q   2006/12/15 05:18:32   

お返事ありがとうございました。掲示板への書き込みは初めてのことで届くかどうか、届かなくてもともと、と言う気持ちでいました。
 無事届きましたので、今後よろしくお願いします。

国道まで戻って、サイトー4タイから回りなさいと教えてくれました。国道224号のサイトー4タイ小学校の案内板から南進。学校の前で舗装が切れますがそのまま南進するとT字にぶつかり、左折するとすぐ右手に国境警備隊の駐屯地があります。東進800メートル、左折して北進300mで、ふうみんさんの見かけた緑色の看板の着きます。(ふうみんさんはこの道を南進してきています。) この看板は遺跡には関係のない、地域開発の計画書です。

 遺跡はヤブの中。草丈が高く、塔の頭しか見えません。ヤブをかき分けて中に入っても、写真には遺跡は写らず、草だけ写るという状態でした。家に帰ってふうみんさんの写真をみて、「なんと運のいい人よ」と思いました。

 帰りは、北進して坂を下るとダムの水の向こうにさっきの道が続いているのがみえました。ダムのふちを回って帰りましたが、途中水路の上の道幅がせまく、車幅一杯のところがあるので、ダムサイトの道は通らないほうがいいです。
 今日は1時間の余裕をみておいたのですが、遺跡探しに時間がかかり、出勤時間を過ぎてしまったので場所の確認だけで、また引き返しました。

 いただいた写真の石は手が入っているように見えましたが、くわしく見ている暇もなくさっと見て通り過ぎました。同じような石がごろごろしていますが、今のところ遺跡には関係がないように思います。日を改めて確かめに行くつもりです。
 私も写真が送りたいのですが、どうすると送れるのかわからないので残念です。


[628] ふうみん 2006/12/15 22:26:14   

にんじゃQ さんの仰るとおり、私は224号線からダート道を南進して緑色の看板にたどり着きました。

バイベーグ遺跡の緑色の看板(写真)は総てタイ語でしたので、私はバイベーグ遺跡の案内看板だと思っていましが、あれは、地域開発の計画書だったのですか?私はあの看板の所を左折して、運良く遺跡にたどり着きました。それにしても、あすこがダム湖になってしまったとは驚きです。

「東南アジアの遺跡を歩く」の著者の高杉等さんのWEB(今はもう無い)に確か、
…人の踏み跡すらない荒れた灌木の間に、埋もれるように建っている。…カンボジア国境に近く地雷でも埋まっていそうで再び行く気がしない。
と言う様な文言で紹介されていました。何か、昔のその時に帰ってしまったようですね。

ある面、これが「クメール遺跡」探しの醍醐味だといえます。シラチャに駐在していられるT.I さんもそんな仲間の一人です。


なお、写真の投稿方法ですが、旨く説明できませんが箇条書きにします。
・写真をパソコンに撮り入れる
・写真のサイズを150KB以下にする(例えば800×600ピクセル)
・投稿欄のメッセージ左の画像の「参照」ボタンをクリック
・ファイルの場所とファイル名を指定して「開く」をクリック
・そうすると画像の「窓」に指定したファイル名が表示される
・確認して(メッセージも一緒に!)、「送信」をクリック
 
私も何度も間違えました。間違えたら「削除」をクリックすれば削除されますので、是非チャレンジしてください。





[629] にんじゃ Q   2006/12/16 04:55:07   

おはようございます。また書き込みします。
 タイには至る所に○○計画という緑色の看板がでていて、どんな事業を費用いくらで、いつ行なうかと書き出しあります。高杉等さんの行かれたときにはまだこの開発事業が行われる前で密林だったのではないでしょうか。

 ふうみんさんがバイベークの前に立ち寄られた「タ・ムアン」遺跡も、私が初めて探しに行った時には行き着けませんでした。国道から最後の部落までおよそ10q、わだちのついたぬかるみ道で、自動車の腹がする状態でした。最後の部落を過ぎてから一度谷に下って上りますが、道は車の幅一杯でしかも水の流れで道路が寸断されています。最初の遺跡につくかなり前、今は多分右側に軍隊が駐屯していたと思いますが、その辺まで行くのがやっとで道はさらに狭くなり、どくろマークと、「ここから先許可が必要」という看板があったので引き返しました。

 ずっと気にしていたのですが、2年ほどしてパンフレットが出たので再挑戦したら、なんと遺跡の直前まで舗装道路になっていました。遺跡の補修、保護は必要ですが、ひっそりとたたずんでいてもらう方が、何か神秘的で、この方が好きです。

 写真の送り方 手段はわかりましたが、写真を150KB以下にするということのやり方を知りません。これができれば送れると思います。


[630] ふうみん 2006/12/16 12:12:09   

写真の縮小については、私は専用のソフトを使用していますが、Windowsに標準添付の「ペイント」で簡単に出来ます。

下記のサイトをご参照下さい。↓
http://www5d.biglobe.ne.jp/~kp-room/digicame/digirepairstep.htm


[631] Shinji 2006/12/16 18:17:58   

今回のふうみんさんのドライブルートに沿った標高グラフを作ってみました(添付画像)。

バンコク→タークは限りなく平坦です。標高差は100メートルしかありません。このわずかな標高差によってピン川→チャオプラヤ川の緩やかな流れが形成されます。

ターク→メーソットは御機嫌な山岳コースです。途中尾根を2個越えますが、最初の尾根はチャオプラヤ・サルウィンの分水嶺です。ここから先は当分サルウィン河流域を走る事になります。文化圏としては圧倒的にカレンです。

Ban Tha Song Yang を過ぎると、荒涼とした山道になります。地理的には、モエイ川流域からユアム川流域への峠越えです。この道路は人によって評価が分かれるところですが、私の大のお気に入りです。

クンユアムからはシャンの文化圏に入ります。隣接しているのはカレニー州なんですが、カレニーが歴史的に居住しているタイの地区が思い浮かばないです。(ちなみに私の自称専攻は歴史と社会学で、民俗学には疎いです。)カレニーは国際的な知名度ではカレンに押されて影が薄いですが、独自の文化と歴史をもち、もっと注目に値します。メーホンソンにはカレニーの難民キャンプと亡命政府があり、首長族部落(カレニーの亜族)への入村料はこの亡命政府(の幹部)の貴重な収入源です。

パイを過ぎてからの山越えで、サルウィン流域からチャオプラヤ流域へ戻ります。が、Mae Taeng から北上を続けて Arunothai 経由でドイアンカーンに登り、Fang に降りてくるとそこはもうメコン流域です。

今回思いつきでメコン・サルウィン・チャオプラヤの流域を色分けした地図も作ってみたのですが、これら三つの分水嶺が会するピークはどこかと探してみたところ、どうやらそのような点は存在せず、ドイアンカーンの窪みの縁からベンツのマークよろしく三方向に分水嶺が伸びているらしいという意外な結論に達しました。これで完全にハマッテしまい、ここ一週間ばかりドイアンカーン関連の画像処理と資料収集に明け暮れていました。だいたいまとまったので、数日中に発表します。





[632] Shinji 2006/12/17 06:03:51   

Asger 氏の遺跡リストで Prasat Bai Baek を探し出し、Google Earth に
N14.34611, E103.16309
と打ち込みますと、添付画像のような詳細衛星画像が見られます(もう少し拡大可能)。画像の日付は Google Earth では分からないんですが、他のソースによると 2004-02-11 です。

おそらく数年先にはGPS機能を備えたブロードバンド携帯電話が出回って、旅先でこういう操作がいとも簡単にできるようになると思いますが、便利な反面、限られた情報を元に苦労して目的地に到達するという推理の楽しみは失われます。

ところで Prasat Bai Baek から東南方向わずか数キロの位置に、まだ一般には開かれていない国境ゲート Chong Chan Chahom があります。ダンレック山脈を越えてカンボジア平原に降りる道路も完成していて、Google Earth で追跡可能です。タイ政府が Google Earth を嫌がる所以です。





[633] にんじゃ Q   2006/12/17 07:39:16   

Shinjiさん Prasart Bai Baek の情報をありがとうございました。画面中央が遺跡ですね。遺跡から西に出てぶつかる道路を画面の下に走ると、逆T字にぶつかります。そこの西700〜800mのところに軍の駐屯地があります。国境ゲートが開かれていると聞き軍の駐屯に納得がいきました。この道を反対に東に行くと、ダムの東端を通るSaito6から来る舗装道路にぶつかるのだろうと思います。方角と距離から類推すると多分そこがChong Chan Chahomではないかと思います。この間来た時は、無人でしたが検問所があったのでその先には行かずに引き返しましたが、今度確かめに行って来ます。多分軍隊が警備していると思うので用もないのに行くのはちょっと気が進まないのですが。

 カンボジアへの抜け道はいくつかあるようで、夜こっそりと抜け道を通ってカンボジアに行ってきたという武勇談も聞いた事があります。また、最近カンボジアからくるこそ泥が多いという噂もききます。けれども正規ルートを通らないと地雷がかなりあるようで危険らしいです。

 ここの国境ゲートからさらに10q?程東にあるSaito8Tai小学校に行ったときに、地雷で傷害を受けた人のために学校で特別に給食を作っていると聞きました。国境を越えてカンボジアに行ったということではなくて、牛の放牧に国境近くを歩いているからだと思いますが。

最初に掲示板を見たときからShinjiさんって素晴しい方だと感じていましたが、素晴しい方ですね。私は言葉もできない、知識もない、ただ周りを見てああそうかと納得するだけですが、それでも目新しい情報が入ると見てみようという気になります。情報は少なく、道を走っていて、Prasartという地名があると遺跡があるのではないかと探してみる程度です。


[634] ふうみん 2006/12/17 13:15:11   

>Shinjiさん、標高グラフありがとうございます。

バンコク→ターク間のグラフを見て、平坦な平野を改めて実感しました。こんなに高低差が少ないから、バンコクのチャオプラヤ川の水が、なかなか引かず洪水騒ぎになる訳ですね。それから、ドイアンカーン関連の画像楽しみにしています。

Google Earth は何か敬遠気味でしたが、今朝Bai BaekのN14.34611, E103.16309で検索した所、思っていた以上の画像が出てきたので、見事ハマッテしまい午前中見っぱなしで目が痛くなりました。総てが鮮明な画像ではないのが残念ですが、これから使用方法を勉強しようと思います。

Bai Baek 遺跡から近いTa Muen 遺跡群の写真も鮮明で感激しました。画像アップします。


>にんじゃ Qさん、Ta Muen 遺跡に道路が完備する前に行きつけなかったとの事ですが、私が2005年の6月に遺跡に行く前に、コラートマガジンの関口さんからお話を聞いたら、会社の運転手が大学の先生を乗せて行った時に、大変だったと言っていたのを思い出しました。道路の整備前には、本当に山賊が出たらしいですね。

現在はGoogle Earthで見る通り、整備された2407号線沿いに点在するのが分りますね。確かに仰るとおり、あまりにも整備され過ぎた遺跡もいやですね。そして、Shinji さんの仰るとおり、数年先にはGPS機能を備えた携帯電話で遺跡の場所に間違いなく到達できるのも、何かロマンがなくていやですね。…でも、仕方が無いですね。





[635] にんじゃ Q   2006/12/18 11:44:32   

私も昨日Google Earthをやってみました。ところが一旦切ったらインターネットがつながらないようになってしまいました。時間を置いて何回も入れたり切ったりしたのですが、「サーバーが見つかりません」との表示で、どこをどうするといいのかわからないし、あちこち触って変なことになるといやなのでこのまま使えなくなったらしばらく中止して日本に帰ったときに聞けばいいと、あきらめました。

 でも、今朝またやってみました。何回目かにふうみんさんのホームぺージが出たのですが、全部開くのに20分以上かかりました。きっと私の方の問題ではなくて、回線が込み合っているせいでしょうね。
 さて、ふうみんさんは今度いつタイにこられるのですか。


[636] ふうみん 2006/12/18 21:05:33   

日本に住んでいてとても有り難く感じることがあります。その内の一つが、ブロードバンド・インターネットの料金の安さと環境の良さでしょう。

何しろ、100Mbpsの光回線で定額制のインターネット接続。それで接続料金は世界で一番安いそうですね。失礼ながら、タイでインターネットを使うと遅さにイライラします。

次回のタイ訪問ですが、私の次ぎの旅のプランは幾つかの候補を検討中でが、まだ白紙の状態です。もしタイに行くとしても来年の6月以降になります。


[637] Shinji 2006/12/19 19:36:25   

というわけで、ドイアンカーンです↓
http://www.geocities.jp/shinji_th/satelthai/projects/riverinetriangle/
index.html


今回はあまり一般受けする内容ではなく、けっこうマニアックな仕上がりになりました。

私はドイアンカーンには2度行きましたが、こうして資料を整理してレポートを書いてみると、行ったというよりはただ通り過ぎただけのように思えてきました。今度また行く機会があったら、国道から30分のハイキングで登れるという頂上に立って、360度のパノラマを堪能したいです。


[638] ふうみん 2006/12/19 22:30:56   

早速、拝見いたしました。

前回のカオプラヴィハーンも良かったですが、今回のドイアンカーンの画像のあまりの素晴らしさ(マニアック過ぎる?)には賛辞の言葉もありません。よくここまでやるな〜あ!と言うのが卒直な感想です。

Shinjiさんとは、掲示板を通じてちょうど2年のお付き合いになりますが、今後とも素晴らしい画像とディープな示唆をぜひともお願いします。


[639] にんじゃ Q   2006/12/23 09:26:47   

 掲示板を最初から全部読ませていただきました。様々な情報が載っていてとても面白いでした。
 カオ・プラウィハンを作ったのがクーイ族だということで、カンボジア族の中のクーイ族の位置を改めて認識しました。[191]
 クーイ族はイサーンではスワイ族ともいわれています。タイ人からもカンボジア族からもさげすまれています。南部から来た女の先生が「スワイ」と言われて、やはり私は美人だと気をよくしていたらスワイ族にひっかけてからかわれていたことを後で知ったという笑い話もあります。

 読んでいて私がクーイ族に引っかかったのは、たまたま私がソロバンを教えている学校のある部落がクーイ族の部落だからです。50年前にスリンの象使いの村から、象は連れずに分村してきたという歴史のはっきりしている部落です。区長が自給自足をすすめ、貯蓄を奨励しバンコクへの出稼ぎ者が少ないイサーンでは珍しい生活の安定した部落です。見上げることはあっても、さげすむ理由は何もありません。懐かしい言葉を聞いた気持ちで読みました。

 きのう学校が休みだったので子守がてら子どもを連れてパノムルングにいってきました。遺跡の目録や地図を持っていないかと聞いてみたのですがありませんでした。うららかな秋日和のような日で、遺跡見学の子ども達でにぎわっていました。ウィークデーとしてはかなり人出が多いと感じました。
 今回は噴火口をのぞいてみたらバライとして使われていたことがわかりました。


[640] ふうみん 2006/12/24 14:56:01   

にんじゃ Qさん、掲示板を最初から全部読まれたそうですね。先日、「ひとりごと」に「過去ログの整理保存」と題して掲載しましたが、その中に…
自分で言うのも何だが、なかなかに実のある「掲示板」ではないかと自負している。
と、書きましたが、認めてもらえてうれしく思います。

にんじゃ Qさんはクーイ族の人々にそろばんを教えているのですか。そして彼らが、安定した生活を送っているとは、いい話ですね。

パノムルンに行かれたとの事ですが、あの小山は死火山なのですか?初めて知りました。あすこの頂上から眺めるイサーンの田園風景がとても好きです。





[641] にんじゃ Q   2006/12/25 06:54:56   

 ふうみんさん
 他の人のホームページは見たことがないのですが、あなたのホームページは内容が豊富で、写真が豊富で読み応えがあります。まだ、『第一部のムーンリバーの誘惑』と『掲示板』が読めただけで、あとはチラッと覗き見しただけです。
 私は自分の目で見たことや耳に挟んだことしか分かりませんが、イサーンの情報のうち、自分が珍しいと感じたものをお知らせします。

 旧暦4月の満月の日、パノムルングフェスティバルが催されます。ピマイ遺跡でも同じような催しがあります。古代を再現した行列が遺跡にのぼり、その年の干支などが奉納され、夕方食事がふるまわれ(有料)、舞台では高校、大学のタイ舞踊課の学生のテンラム(タイ舞踊)が披露されます。夜はライトアップされた遺跡の前でアンコール時代の王朝劇が演じられます(有料)。
 夜店には、地元の業者の作った踊りの衣装や冠の売られていたのが印象に残っています。

 この日、朝日が遺跡の東から西に射し通す事は存知ですね。遺跡中央の通路の西側から通路を通して日の出が見えるというのです。
 私は同じ日に、遺跡の東側から夕日の沈むのが見えるのかと思っていました。夕日が射し通すのは2週間前だそうです。『朝日が通れば夕日も通る』と思っていた私の『常識』がくつがえされました。(遺跡に常駐する学芸員の説明です。)


[642] ふうみん 2006/12/25 22:49:03   

色々なサイトや本に、春分の日と秋分の日にアンコールワットの中央祠堂から朝日が昇ると書いてありますが、実際は少しずれて昇るらしいですね。なぜならば、アンコールワットは「真東」を向いていなからです。同じくパノムルンやピマーイも「真東」を向いていません。

これは、創建当時はコンパスを使用して「真東」に向いて建てられても、現在は10〜20度ずれているそうです。原因は地磁気の永年変化だそうです。
詳しくは京都大学のサイトにて↓
http://kagi.coe21.kyoto-u.ac.jp/jp/tidbit/tidbit20.html

内容は難しくてよく分りませんが、時代とともに方位は少しずつ変わっていて、現在の遺跡の状況と創建当時とはかなり違うという事だそうです。


[643] 朝太郎   2006/12/31 10:50:59   

本当に勉強になりましたし、いろいろ楽しませて頂きました。
皆さんお話(?)を読んでいるだけでたいへん面白いです。
また来年もよろしくお願いします。


[644] ふうみん 2006/12/31 18:53:22   

先日、書店で何気なく、アンコール・ワット 旅の雑学ノート(ダイヤモンド社・樋口英夫著)という本を手に取ったら、何と最初のページに春分の日にアンコールワットの中央祠堂の真上から朝日が昇る写真が出ていました。それで思わず買ってしまいました。

と言うことは、[642]で述べた事は訂正しなくてはなりません。もう一度良く調べて見ます。本当は当日(春分の日か秋分の日)に私がアンコールワットに見に行けば問題解決なのですが…。そんな理由をつけて、来年はアンコールワットに行こうかな?と思っています。

本年も色々な方々にたくさんの面白い情報を書き込んでいただきました。また来年もよろしくお願いします。それでは皆さんよいお年をお迎え下さい。





[645] にんじゃ Q   2006/12/31 19:54:49   

「あけましておめでとうございます」と、昨朝、隣の旦那さんにあいさつされて、とっさに「おめでとう」と挨拶が返せなくてどぎまぎしました。タイでは年の暮れから新年おめでとうなので、それをいうタイミングがまだつかめません。年が明けなければ「新年おめでとう」にならないという感覚はまだ失っていないので、感覚的に日本人でいられることに安心しています。

 パノムルングの祠堂を朝日が刺し通す件、当時の方位と今の方位が20°ずれているという研究結果を大変興味深く読みました。一年のうちにいつか太陽がさしておす日があるので、それを計算して設計されたことがすばらしいことだとおもいます。
 私の書いた旧暦の4月15日満月では、毎年違いすぎるので、もう一度調べなおす必要あり、と思います。

 ぼつぼつと遺跡めぐりをはじめました。新しい遺跡を3箇所みつけました。2つは宮殿、1つは宿泊所です。宮殿はいずれもつぶれていて、彫刻のある砂岩塊が少しあるだけです。いずれも藪の中で状態はつかめません。野焼きがすむころまた行ってみます。それまでに写真圧縮の仕方を勉強しておきます。