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2006年 上半期 | ||
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> The Northern-most Point of Thailand これもまた旅行者の受けを狙った看板だと思いますが、本当のタイ最北端はメーサイから国境のメーサイ川に沿って8キロほど東にあります。聴くところによると、そこには最北端の石碑が立っているそうです。私は一度バイクで最北端を目指した事がありますが、当時まだGPSを持っていなかった事もあり、道に迷って断念しました。 メコン川はゴールデントライアングルで支流の Nam Ruak に分岐し、さらにそれがタイの最北端付近で Nam Mae Sai に分岐してメーサイに至ります。いずれも麻薬交易の最前線なので、旅行者がうっかり近寄らないように数多くの検問所が設けられています。 |
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Shinjiさん、少し遅くなりましたが 明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 早速、手元のあるタイの地図を数種類見比べましたが、ご指摘のように本当のタイ最北端はメーサイから国境のメーサイ川に東にあるようですね。 見比べていて、それぞれの地図が少し違うのに気がつきました。国境地点なので国家の機密事項に関するのでわざと曖昧なのか、それともタイのいい加減さなのかの判断に迷うところですね。 ゴールデントライアングルではまだ麻薬交易をしているのですか!私はただの観光地に成り下がったのだとばかり思っていてその辺の緊張感は皆無でした。 メーサイのThe Northern-most Point of Thailandの観光の碑の写真Upします。 |
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MapMagic Thailand の国境線はタイ政府発行の L7017 に準拠しているので、国境不確定のいくつかのエリアを除いては信頼性は高いです。ただ、やはり国境付近の道路網については微妙に端折っているようです。 タイの最北端への道路に関しては、SmartMap Thailand (マニア向け、やや難点あり) に軍配が上がるようです。私はとにかくメーサイ川になるべく沿うようにして最北端を目指したのですが、ある地点で何かの施設のゲートに阻まれて迂回せざるを得なくなり、それ以後メーサイ川に戻る事ができませんでした。 |
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北タイを理解するキーワードの一つとして、旧(中国)国民党軍があります。メーサロンは最も有名な例ですが、それ以外にも大小無数の旧国民党村が点在しています。そういう村々を訪れて未だ残存する漢字文化を目撃し、タイの近代史に思いを馳せるのは、私にとって北タイを訪れる楽しみの一つでもあります。 添付の地図は北タイの旧国民党村の分布を示したものです。漢字表記を解読するのも一興があり、 金三角 - ゴールデントライアングル 美賽 - メーサイ 美斯樂 - メーサロン といったところでしょうか。地図のタイトルに「泰北難民村」とありますが、旧国民党軍の存続とタイ定住を賭けた必死なまでの苦悩と苦闘は、まさに難民という表現が当てはまっていたといえます。 ここも参照↓ http://www.2008online.org/village/25village/25village01.htm |
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添付画像のサイズ制限が150KBとの事でしたので、サイズを落として再アップします。 |
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Shinjiさん 色々と貴重な情報ありがとうございます。 国民党の村はメーサロンだけだと思っていましたが、こんなにも多数点在しているとは思いませんでした。地図にKNTの印がある村がそうなのですね。 また、今回の旅でタイ近代史における「ナーン王国の悲劇」にも考えさせられました。今までクメール王朝の歴史を始めスコータイ、アユタヤ史しか興味がありませんでしたが、今後は近代史にも少し興味を持とうと考えています。 それからSmartMap Thailand の画像は素晴らしですね。こんなに詳しいタイの地図があるなんて全く知りませんでした。 |
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すいません。いい忘れましたが、台湾の外省人(国民党)のテレサ・テンがチェンマイのメーピンホテルに長期滞在していたのも、北タイの国民党軍の残党と関係あるかも知れませんね。 私はテレサ・テンの中国共産党による暗殺関与説を半分ぐらい信じています。 |
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「ナーン王国の悲劇」というのは要約するに、19世紀末の「タイ」(=バンコク王朝)とフランスの武力衝突の顛末として、ルアンプラバン以西の広大な土地がフランスに譲渡された事が「タイ」の歴史的屈辱として記憶されているが、実際の敗者はバンコク・フランスという大国間の交渉によって領土の半分を失ったナーン(半独立)王国だったという話ですね。 近代国家「タイ」の統合過程において、同様の悲劇は至る所にあります。チェンマイ(ランナー王国)も格好の例で、バンコク王朝とイギリスとの交渉の結果、ランナーの材木はイギリスに売りさばかれる事になり、イギリスの材木商を保護する為(イギリスに武力侵攻の口実を与えない為)にランナー王国をなし崩し的にバンコクの直接支配下に置きました。 ちょっと前に、カオプラヴィハーンの領有についての1962年の国際司法裁判所の判決をレビューした面白い論文 Borders on the Fantastic: Mimesis, Violence, and Landscape at the Temple of Preah Vihear を読んだのですが、やはりあれは司法裁判というよりは政治裁判だったようです。この論文の中で著者は、 「カオプラヴィハーン付近のエリアは、近代国家のエゴイズムが国境紛争を持ち込むまで、クーイ族を代表とする地元原住民の居住地だった」 と指摘し、 「いっそのこと、自然とクーイ族の人類学的遺産を保護する緩衝地帯にしたらどうか」 という、心情的には納得できる提案をしています。著者の推測によると、 「カオプラヴィハーンの建築に実際に従事したのはタイ人でもクメール人でもなく、クメール人の指揮の下に奴隷のように扱き使われたクーイ族だった」 との事で、 「カオプラヴィハーンの正当な継承者はタイでもカンボジアでもなく、現在タイからもカンボジアからも除け者扱いをされているクーイ族ではなかろうか」 との事です。私はこれを読んで、目から鱗が落ちる思いをしました。 |
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Shinjiさん いつも面白い話をありがとうございます。 カオプラヴィハーンの判決は司法裁判というよりは政治裁判だったのですか? 私、個人的にはカオプラヴィハーンはコラート高原に続いてる地政学的に見てタイ領ではないかと思っていました。政治裁判と聞いて何か納得が出来ました。 クーイ族はスリンの象使いという認識しかなかったのですが、過去にこんな歴史があったのですね。 ナーン、チェンマイ、カオプラヴィハーンとタイの近代史も奥が深く面白そうですね。 |
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カオプラヴィハーンの領有についての双方の主張は、 タイ: フランスとの条約で分水嶺と決めてある。また、実際にタイ政府の実効支配下にあった。 カンボジア: フランスが作成した地図ではカオプラヴィハーンはカンボジア領となっている。タイはこの地図を入手していながら否認しなかったのだから、認めた事になる。 1919年のベルサイユ条約以降、「国境確定に関する条約の条文と付随地図に食い違いが見られる場合には、条文が優先する」という国際慣行があり、ましてやカンボジアの主張する地図は条約に付随したものではなく、一般的な用途のものでした。こういった状況でカンボジアがカオプラヴィハーンの領有を主張し、国際司法裁判所に提訴までしたというのは、多分に当時のカンボジアの内政事情がからんでいました。すなわち、シハヌークが政治基盤を固めるためには、カンボジア国民の歴史的な反タイ感情を煽る事が手っ取り早かったのです。 タイにとっては寝耳に水の言い掛かりで、「絶対に勝つ」と楽観視していたのですが、当時のインドシナ情勢が災いしました。シハヌークはアメリカから既に相当の援助を受けていながら、「さらなる援助と支持がなければ共産中国やソ連に頼らざるを得ない」とカマをかけました。タイは既に政治・経済的にアメリカの援助にドップリと浸かって「釣った魚」状態だったので、カンボジアを西側陣営に引きつけておくためにはカオプラヴィハーンをカンボジアに進呈するのが得策だったのです。 判決の後、タイでは全国的に激怒の抗議集会が開かれ、サリット首相は判決を拒否すると宣言しましたが、最終的にはラマ9世の助言によってカオプラヴィハーンを明け渡す事になりました。ただし、判決に対する不服と、将来の失地回復への決意を留保しました。 明け渡しの日、カオプラヴィハーンに揚げられていたタイの国旗は降ろされる事無く、旗竿に揚げられたままの状態で撤退され、そのまま博物館に収められたそうです。 |
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今日の地図は、近頃刊行された PN Map Chiang Rai (90B) です。なるほど、第二メーサイ橋が載っています。 この PN MAP シリーズはランドマークが多く、眺めていて楽しい地図なのですが、間違いも多いので鵜呑みにはできません。 それにしても、メーサイのメインロードをあれだけ立派に改装しておきながら第二メーサイ橋を造るというのは、メーサイ・チェントゥン新道路の完成と、将来の中国への連結により増大が予想される貨物トラックをバイパスさせるためでしょうか。 |
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カオプラヴィハーンについて 昨晩バンコク在住で一時帰国中の友人と飲みながら、Shinjiさんからのカオプラヴィハーン国境政治裁判説を披露したところ、友人はすぐさま『タイとカンボジアの関係は日本と韓国の関係と同じだ』といいました。まさに韓国が日本に対する反日キャンペーンは韓国の国民感情を煽り政治基盤を強固にするためと韓国国民の経済的劣等感とそれを裏返す歴史的優越感の複雑な感情が背景にあります。 タイとカンボジアの関係をそのキーワードで考えるとまさに良く分かります。なぜ猛烈に判決に抗議しなかったのかと言う事が私にとって長年の謎でしたが、国王の助言があったのですね。当時のタイを囲む4国の内ミャンマー、ラオス、カンボジアと3国の社会主義国家に囲まれ孤立状態にあったタイとしては最大の援助国のアメリカの意向には逆らえなかったのですね。それで疑問が解決しました。 カオプラヴィハーンの国境について私ながら調べましたが、このような明確な解説を聞いたのは初めてでした。まさに「目から鱗が落ちる」思いです。ありがとうございました早速ホームページの方でも使わせていただきます。 メーサイ「第二友好橋」についって ゴールデントライアングルから1290号線を走っていくと1号線の4キロ手前に新しい1号線に平行して走る道路が完成しており(写真の交差点)道路標識も上に張られたテープを剥がすだけになっていました。PN MAPを見ると3差路で1290号線は「第二友好橋」に行く道になっていますが、ここは写真のように立派な交差点で左側にも立派な道路が出来ていました。そうすると1290号線は直進も右左折も全てが1290号線になってしまいますね? 1号線をチェンライ方面」にかなり走った所に左折方面に「第二友好橋」の標識が出ていましたので、そこが新しい道路の分岐点と思われます。ご指摘のように多分に間違いが多い地図だと思います。マイペンライなのでしょう。もしタイでカーナビが普及しても今のベースになる地図では危なくて使用する気にはなれませんね。 「第二友好橋」は第1橋の東2.5キロの所に建設中との事で、そんなに近くならどうして行って写真を撮らなかったのかと反省しきりです。ムクダハーンに建設中の第二メコン橋や開通したばかりのタリの友好橋に行ったのに、このメーサイの「第二友好橋」だけは何故か行かなかった。思い返すと残念でなりません。 |
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ウボンの南東端、ナムユン郡ドームプラディット村の学校で一年間、日本語教師をしていました。ワリンの街、ネヴァダホテルなどの映像を拝見し、感激です。 ありがとうございます。 |
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ヒデさん HPに対して激励の言葉ありがとうございます。ウボンのナムユン郡を早速地図で調べましたら、タイとカンボジアとラオスの三国の国境線が交わるエメラルドトライアングルの所なのですね。 そして、ドームプラディット村は2248号線から南奥に入り、まさにそのエメラルドトライアングルの場所でしたので改めてビックリしました。 2248線のナムユンの町と思われる写真をUPしました。(クリックすると拡大します。) タイ好きの友人からHPに「イサーン」なんて知名度の低いローカルな名前を付けるのを止めれば、少しはアクセス数も増えるのではなんて忠告されていますが、ローカルな場所にいた方からの激励があると「イサーン」の名前は外せませんよね。 |
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どうも、ヒデさん、「タイ辺境の学校へ赴く」の方も興味深く読ませていただきました。URLをここで紹介しても差し支えないと思いますが、 http://blog.livedoor.jp/journalist_net/archives/cat_10002488.html ウボンの田舎の学校というと、田舎の教師(カムマーン・コンカイ著)という面白い本を英語訳 (The Teachers of Mad Dog Swamp) で読んだ事がありますが、なかなかインパクトが強かったです。 ところで、ふうみんさん、第二メーサイ橋が1月22日にオープンしたそうです。写真はバンコクポストからです。やはり第一メーサイ橋は徒歩の観光客、第二メーサイ橋は貨物トラックなどの車両を主な対象としているそうです。 |
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ヒデさんのブログ拝見させていただきました。ウボンのまさに辺境の地。その学校に日本人の教師が居るなんて、傍を走りながら夢にも思いませんでした。 Shinjiさん、第二メーサイ橋オープンの情報ありがとうございます。写真を見て、何であんなに近くまで行きながら第二メーサイ橋に寄らなかったのかと反省しきりです。 昨日、銀座で「ふうみん」が会長をしている「タイ同好会」を開催しました。話が弾み、何と7時間もの間飲んで話していました。その中でのタイへの各自のこだわりを「ひとりごと」欄に「タイ同好会開催〜それぞれのタイランド〜」としてUPしました。写真は左から「よこはま」、「ふうみん」、「ひさし」です。 |
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やっと見えました カオハビハーン!! ダナン 過ぎて10分位メナムコーン下に見て5−6分後 見えました 嬉しかった 長年の恋人に会えたみたいです 左の向こう 山の上ゴツゴツした所 絶対そうです 左側山脈 切れてました だから タイ通いやめられません |
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toshi-baさん、またタイ通いですか!とても羨ましい。 機内から見えたのはカオブラヴィハーンに間違いないと思います。「ふうみん」も先日JALの機内のモニターを見ていて航路がカオブラヴィハーンの上空なのを確認しました。 ただし、座席はいつも通路側ですので機内から確認した事はありません。今度は地上から是非訪問して下さい。 先日、このサイトを見てカオブラヴィハーンに行かれた方からメールがありましたので紹介します。 …………… カオ・ブラ・ヴィハーンへ1月24日に行って来ました。ふうみん様の案内を片手に持って行きました。 長い急な階段を登り、第一、第二、第三、第四と十字形の楼門を越えて最後の神殿に着いた所の風景と、その後の絶壁から見たカンボジア平原を見た時の感動は忘れることが出来ません。 ふうみん様の資料を見た時にはすごいと思いましたが、あれほどのものとは予想はしておりませんでした。 たいへん貴重な資料を公開していただきましてありがとうございました。 …………… と、とてもうれしいメールでした。 |
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カオプラ・ヴィハーンの写真と原稿を楽しく拝見しました。ナムユンからだと「すぐそこだ」と同僚の教師が言い「そのうち連れてってやるよ」と約束してくれたのですが、結局、訪ねることはできませんでした。クメールとタイの双方からオミットされた少数民族がいるのだということも、改めて知りました。ありがとうございます。 |
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ヒデさん今晩は カオプラビハーンの直ぐ傍に1年間も居て、1度も行かなかったなんてすごく勿体ないですね!それにしてもShinjiさんのメール参考になりますね。 「ふうみん」も滋賀県に居た時、隣の京都にはあまり行きませんでした。今思うともっと行っていたら良かったと思いますが、近くに居ると何時でも行けると思ってなかなか行けないんですよね! 今日の日経の夕刊の1面にムクダハンの第二メコン国際橋が今年の12月に完成するとの記事が大きく載っていました。イサーンの辺境も大きく変わりそうですね。日経の写真とホームページの「メコン街道をゆく」の文章をUPします。 ……………… 第二メコン友好橋は2003年12月16日、三井住友建設とタイとラオスの建設会社とのJVで着工した。片側1車線で2050メートルの長大橋だ。面白いのはタイが右側通行、ラオスが左側通行の為タイ側にトラフィックチェンジオーバーという車線を交差させるレーンを設ける。 この橋は対岸のラオス第2の都市サバナケットを結ぶアジアンハイウェーになる。今注目の「メコン回廊」の重要施設だ。完成は2006年12月との事。日本の建設会社だから大丈夫だろう。建設現場には日本とタイとラオスの国旗がはためいていた。 |
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すみません。写真150KB以上でしたので、150KB以下にしてUPします。 |
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ふうみんさん、shinjiさん、いつも貴重な情報をありがとうございます。お二人がウボン県を旅することになりそうなら、ぜひ、ワリンの町にもお立ち寄りください。ウボンの街中にあるアチワ(職業訓練校)か、中学・高校を探して、そこの教師に尋ねれば、美馬さんという日本人のことがわかるはずです。 彼はウボン・シーサケット両県の中等教育機関に日本語ボランティアを派遣するNPO団体「国際セーヴァの会」の現地責任者。イーサーン在住十年余り。気さくで陽気な独身の中年男性で、ふらりとたずねてくる日本人に、いつも無料で宿舎を提供しています。 ウボン・シーサケット両県では、日本語ボランティアだけでなく、エイズの蔓延を防ぐボランティア団体もあり、現在でもざっと二十人近い日本人ががんばっております。 |
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ヒデさん今晩は あの辺境のウボン周辺にボランティア団体の日本人の方が20人近くも居て、頑張っているとは初めて知りました。これまでのウボンの認識を新たにしなくてはいけませんね。 第一部の「ムーンリバーの誘惑」の「あとがき」にこんな文を載せました。その後2回行きましたが同じ認識です。 >タイへは1991年の初訪以来8回目の旅になるが、イサーンのような観光地でない場所は初めてだった。 ウボンラチャターニーに4日間滞在したが一人の日本人にも遭遇しなかった。 観光地では簡単に出来る両替や言葉も通じず、こんな事は初めてであるとともにとても新鮮な体験だった。 2004年1月吉日 |
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ムーン川は、毎年10月頃になると、洪水に襲われます。水位はワリンとウボンを結ぶ橋の欄干を越え、町の人たちはタイ国軍の特殊車両(タイヤの径が人の背丈くらいある)の荷台に乗って、行き来します。学校はお休み。洪水の最中だというのに、橋上で投網を使って魚を獲る人がいたり、泳いでる人もいます。不便なはずなのに、洪水まで楽しんじゃうんですから、愉快です。 写真は、ウボン駅でしょうか。展示してあるはずの蒸気機関車は見えませんが。 懐かしい映像です。有難うございます。 |
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ヒデさん今晩は ムーン川の洪水を楽しんでしまうなんていかにもタイの人たちですね。面白い話ありがとうございます。 [213]の写真はウボン駅です。蒸気機関車は右手前の広場にあります。ウボン駅構内の写真をUPします。 それにしてもウボンラチャターニー駅が、隣の市のワーリンチャムラープにあるなんておかしいですね。と書きながら品川駅が隣の港区にあるのを思い出しました。 |
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ウボン駅の写真、懐かしく拝見しました。啄木に「故郷のなまりなつかし停車場の…」という句がありますが、ラーオ語の飛び交う様子が彷彿として、胸がせつなくなりました。 この駅でも毎日午後6時になると、国民歌が流れてきて、人々はその場で立ち止まり、厳粛な面持ちで中空を見上げていました。 ホームの北端に、飯と飲み物を売る店が並んでいましたね。とても懐かしい画像です。ありがとうございました。 |
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JAL703便の廃止。残念! この4月からのJALの成田〜バンコク間の運行スケジュールから、アメリカン航空とのコードシェア便であるJAL703便が廃止された。推測するにJALのワンワールド加盟の為かそれともアメリカン航空の経営危機の為か? 現在、JALの成田〜バンコク間には3便就航している。 ・JAL717 成田発10:55 バンコク着15:55 ・JAL703 成田発15:55 バンコク着20:55 ・JAL707 成田発18:45 バンコク着23:45 「ふうみん」は昨年も二度JAL703便を利用した。理由は午後便になる為、午前便より1万円安いからだ。家人の分も含めると2万円にもなる。また、バンコクに着いてからレンタカーで10時頃にはタイ飯にありつける。その後の便ではホテルに直行し寝るだけだ!といい事とばかりだった。 今年もまた利用しょうと考えていたが、廃止になり残念だ。 写真は成田でJAL703便の搭乗を待つ乗客(15:08) |
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「タクシン首相が国会下院を解散」のレポートとイサーンの貧困 タクシン首相は2月24日、国会下院を解散した。総選挙の投票日は4月2日。 野党にとって総選挙までの期間が短期間のため準備不足であるのと下院500議席のうち比例代表は100議席に過ぎないため、与党の愛国党が有利とのレポートを読みながら、最後のページの図表を見たら面白い数字に出会ったので紹介しよう。 ・イサーン 人口 2,176万人 一人当たりGDP 31,351バーツ ・バンコク 人口 1,114万人 一人当たりGDP 259,871バーツ ・タイ全体 人口 6,420万人 一人当たりGDP 101,304バーツ (国家経済社会発展委員会の2004年の統計) イサーンの人口はタイ国の1/3を占めるのに、一人当たりのGDPは3割にしかならず、バンコク首都圏に対しての一人当たりのGDPは実に1割強である。これではバンコクに働きに出る訳だ! この数字を見て、改めてイサーンの貧困を実感した次第だ。 |
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第四部まで読了。いずれまた、間を置いて読み直したいと思っています。僕は車のライセンスも持たない男ですが、文章を読ませていただいていると、ふうみんさんの車の後部座席にでも乗せてもらっているような、すてきな旅気分に浸ることができました。多謝謝! また、ご夫婦のイーサーン学も興味深く読ませていただきました。 |
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ヒデさん今晩は 第一部から第四部までご愛読ありがとうございます。 2年前にホームページを作った時には、こんなにレンタカーの旅が続く何て全く思っていませんでした。タイトルも「イサーン」、「2000キロ」なんて限定した地方や距離を付けたので、今になって少し後悔しています。とりあえず「yayo」のアイデアで「プラス」をつけました。 第五部の旅も計画中ですのでよろしくお願いします。今週初め下賀茂に友人の墓参りに行ってきました。「みなみ桜」がきれいでしたのでUPします。 |
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いよいよ4月。新年度ですね。そこで近況報告です! ★旅立ち >友人の「よこはま」さんはバンコクから一時帰国して、やっとの事で1年間滞在出来る「ロングスティビザ」を取得しました。飲みながら話を聞くと本が一冊かけるほど大変だった様子だ。昨日の30日の午前便でバンコクへ旅立った。 >友人の「ひさし」さんは同30日の午後便の格安航空券でバンコクへ出発した。パタヤ・ラヨーンへ2週間の休暇だ。バンコクでは「よこはま」さんと会うとの事。帰って来てからの土産話が楽しみだ! ★デジカメの購入 >PanasonicFX01を購入しました。購入の決め手は次ぎの通りです。 広角28mm…クメール遺跡の撮影に便利 手ブレ補正…車の走行中の撮影が多いので助かる 高感度…ナイトマーケットなどでフラッシュを焚かないで済む 軽量コンパクト…ポケットに入れて持ち運べる(携帯と同サイズ) >今迄使用していたPanasonicFX5が2年も持たないなんて、改めてデジカメの進歩の速さを痛感しましたネ。 >今、相模原の夜桜を「高感度」で撮影してきました。UPします。 |
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イサーンをいろいろ見てまわっているのですね!私はほんの1部しか見ていません。遺跡もピマーイとかパノムルンなどごく一部しかみていません。大きな町のコラート、ウボン、ウドンコンケーン、ノンカーイ、ルーイなど主要な町などしか行ってないです。 タイ人の奥さんの車でタイの各地を見に行きました。想い深く残っているのは、まったくの田舎のナームナオというナショナルパークのロッジに泊まって見渡す限りのジャングルから日の出を見た時のことでしょうか。その時に居たのはみなタイ人のみだったような?変な光景が心に残っています。ですから変にマイナー所に行っていたりします。でも今は奥さんも日本にいますので、旅行の機会が減りました。 |
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ご無沙汰しております。よこはまさん、そろそろ「バーンコーク滞在記」を発表されるのでは? 楽しみにしております。 |
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>ウエンさん 始めまして、タイ人の奥さんはイサーンの方ですか?掲示板によく投稿下さる「さわでぃ」さんの奥さんはコラートの方です。 なお、「ナームナオ」というナショナルパークを調べて見ましたが分りません。ナショナルパーク地図をUPしましたので、お教え願えれば幸いです。 これからもよろしくお願いします。 >ヒデさん 今晩は。先日「よこはま」さんと飲んだ時、この掲示板ではなく「メール」の方に来ている「よこはま」さんのファンの方のメールを紹介して原稿を依頼しましたので、落ち着いたらきっとメールが来ると思います。バンコクでの近況は明19日に「ひさし」さんが帰国しますので早速聞いてみたいと思います。 |
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Nam Nao National Park についてですが、ペッチャブーンにあり、1972年の制定(4番目)です。例の国立公園地図でいうと、東北部でなく、北部の画像に記されています。 添付画像は Loei - Lom Sak のエリアで、赤線が私の(2回分の)ツーリングルートです。Nam Nao NP のちょっと右上に Phu Kradueng NP が見えますが、なんとも面白い地形になっています。 |
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Shinjiさんいつも貴重な情報ありがとうございます。 >Nam Nao National Parkは、イサーンにあるとばかり思い込んで捜していました。早速、北部のNational Park地図を見たところ載っておりました。ありがとうございます。 偶然ですが、この6月に予定しているドライブの旅に、バンコクからR21でペッチャブーンを通り終点のロムサクまで行き、R12でNam Naoを通りますので、よく見てこようと思っています。 >Shinjiさん一つ教えてください。 今年の乾季(12月頃)にミャンマー国境沿いのドライブを計画中です。そこで、なるべく早く国境沿いの道を走りたく、R1117でUm Phangに行きたいと思っているのですが、このR1117はUm Phangへ通じているのですか? 私の持っている数冊の地図では半々になっていますので、どうなっているのか?お教え願えれば幸いです。 ShinjiさんのツーリングレポートChiangmai is just about 3,300km awayを読むとMae Wong National Parkのゲートで残念ながら引き返したようですが、どうしてなのですか?(すみません、私は英語が苦手なもので) >問題の地点の地図を添付します。 |
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R 1117 ですか。結論からいうと、道路が完成していないので通行は不可能です。1985年に工事が始まりましたが、根強い反対運動(環境保全)があって、1987年に工事が中止されました。現在でも地元の商工会を中心として工事の再開を求める声はありますが、まず難しいでしょう。 ちなみに私はタイの国立公園で外国人料金が導入された2000年以来、基本的に国立公園のボイコットを続けていますので、料金所で引き返すパターンが多いです。たまに無料で入れるケースがあって、そういう時には遠慮なく大自然の雄大さを堪能してきます。 |
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Shinjiさん早速のご返事ありがとうございます。 R1117の道路は未完成ですか!とても残念です。 昨年の12月タイでTHAILAND ROUTE ATLASと云う地図を買ったのですが、その地図には道路が完成していました。この地図を参考に走行したら大変な事になっていましたネ。 問題(完成?)の地点の地図を添付します。 私も、[16] ふうみん 2004/02/20 に書きましたが、タイの国立公園の外国人入園料が200バーツとタイ人の10倍もするのはとても納得できません。観光立国タイに一考してもらいたいですね。 |
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ついに 道に迷ったりしながら行かせてもらいました しかし 遠かったです ウボンから2時間もかかった でも ふうみんさん のお勧めどおり すばらしかったです ありがとうございました |
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すいません 写真 入れます 大阪からSQだと 上を通るのですが 地上から始めてみました |
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toshi-baさん ついにオススメのトーセンコンチアムリゾートに行かれましたか!道に迷いながらウボンから2時間とはお疲れ様でした。ホテルを気に入って貰って、うれしく思います。 「ふうみん」も来月にこのホテルに行こうと思い、今から楽しみにしています。toshi-baさんの撮った写真がメコンで一番好きな光景です。ところで一つ気になります。真ん中の赤いのは何でしょう?こんな物はありませんでした。ジャマですネ。 ところで話は全く変わりますが、今日本を騒がせている平塚の殺害事件の岡本千鶴子容疑者(54)に「ふうみん」は22年前に会っています。今日はその頃を思い出してTVとネットに釘付けの1日でした。当時の千鶴子容疑者はすごい美貌でした。 |
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そういえば青いのも有りました 何だろー? それにしても次回は 1週間位 藤沢周平でも持って行きぐらいのんびりとしたいです 美しい景色に心洗われるようで もう1つ僕の好きな写真 カオサン近くのワット・カオトーン?の写真も |
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toshi-baさん トーセンコンチアムリゾートで1週間ぐらい藤沢周平三昧ですか!イイデスネ。 「ふうみん」も藤沢周平が好きで小説の舞台の海坂藩こと鶴岡に何度も足を運びました。致道博物館辺りを歩くと、今でもその雰囲気を残していますね。 「ふうみん」が持って行くのだったらだったら村上春樹かな? でも残念ながら、来月の予定は2泊なのでその余裕はなさそうです。 |
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すごく綺麗な写真が拝見でき、とても感動しました。バンコクに行って、飲み屋の女の子に出身はって聞くとイサーンって答える時のイサーンしか知らず、こんな良いとこなんやと思い知らせらされました。 一昨年位からアジアにはまり、去年は月に1度、週末を利用してBKKに行きました。実は、その旅行の中で、アジアのアンティークにこれまたはまり、チャトチャック、シーロム、リバーシティーに入り浸りです。(笑)タイでは概ねタクシを移動に使ったり、地方ではドライバー付きをチャーターしたりしてるんですが、と言って運転に自信ない訳でなく、ただ、道に迷って無駄な時間をしたくないって言うのが本音です。 でも、イサーンはやはりレンタカーですね! ところで、イサーンって何かアンティーク的な物って売られてるんでしょうか?? |
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nazonazoさん始めまして イサーンのホームページを運営していて、イサーンのフアンが増える事はとてもうれしい事です。 イサーンのアンティーク事情については残念ながら存知ません。クメール遺跡の片隅に落ちているレンガや砂岩のホンの小さな欠片をコレクションボックスに入れて飾ってあるぐらいです。(本当はいけない事なのでしょうが) この件については、このBBSにも書き込みのある大和さんの運営する「カンボジアの魅力」 http://www.kume-ru.com/ が日本で一番詳しいと思いますので、メールされたら良いと思います。気さくな方です。 1991年発行の雑誌「ガリバー」に”運河の汚水で加工。ニセ古美術が出来るまで”という記事が載っていますので参考までにUPします。くれぐれもニセ古美術にご用心あれ! |
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早速のご回答、ありがとうございました。僕もこの記事、読みました。僕はいつも限られたトコでしか買ってないのですが、騙されるのも良い勉強と思ってます。 ところでイサーンっていつ、行くのが良いのでしょうか? このGWを使って行こうと思ったのですが雨季との指摘をタイの友人から教えてもらい、結局BKKステイになりました。以前、カンボジアのシェリムアップに行って、乗っていた車が、ドロドロの泥濘に入り難儀したので、出切ればそんな時期は外したいものです。。。 |
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>nazonazoさん 雨季に行っても、イサーンの道路はすごくよく整備されていますから、カンボジアと違って大丈夫です。 タイのご友人の言うとおり、乾季の11〜1月がいいと思いますが、雨季の稲穂の緑のイサーンも大好きです。 「ふうみん」は特に、何時いったらいいとは考えません。それぞれのイサーンが好きです。 |
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先日、国際運転免許証の更新手続きをして来ました。 これはパスポートを更新したので国際運転免許証も更新しなくてはと思ったからです。(本当は1年更新なんですけれどもネ) バンコク在住のShinjiさんの「バンコク運転マニュアル」http://www.geocities.co.jp/Outdoors/6825/driving.htmlを読んでいたら面白いことが書いてありました。 >ちなみに、タイでは運転免許の管轄は警察ではなくて陸運局であるが、この管轄の違いも警察が無免許運転をあまり厳しく取り締まらない理由なのかも知れない。一般的に警察官は外国語や法律に弱いので、期限切れの国際運転免許証を見せても、あるいは日本の運転免許証を見せても、それ以上追求されない事が多いらしい。ただし、無免許で人身事故を起こした場合、相当タイの裏事情に通じた人でないと厄介な立場に置かれるだろうから、運転する前にきちんと有効な免許証を用意しておいた方が無難である。 今回はきちんと有効な国際免許証で6月上旬にタイに出かけます。今回の旅は「知られざるイサーンをゆく」と題して交通の便が悪く、知名度の低い県を中心に走行する予定です。 タイ北部の山岳地帯を中心とした豪雨の被害が心配な今日この頃です。 |
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イーサーンへの出発が近づいていますね。羨ましい限りです。 ところで、ワリン在住の友人から「雨季に入りました。デッドウドムからナムユンまでの道はぬかるんでとても危険です」とのメールが届きました。国道はまだましでしょうが、四桁の道はデコボコですから、くれぐれもご用心ください。 ご帰国後の旅行記を楽しみにしております。 |
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>ヒデさん 今晩は、貴重な情報ありがとうございます。 今年の梅雨、イサーンや北部はすごい大雨で異常気象みたいですね。気をつけて走行したいと思います。4桁の道は特に気をつけます。 先程、愛車のハリアーを修理に出してトヨタの営業所から帰ってきました。修理代が三十数万!修理期間が10日間!と言われ旅の出鼻をくじかれた気持ちです。 出発までには、気分を変えて行きたいと思っています。とりあえず、成田までどう行こうか?思案中です。 |
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ふうみんさま HPでははじめまして。 毎日お世話になっております。 前にお名刺(というかHPの紹介カード)を頂いてたのですが初めての書き込みです。 タイにすごくお詳しいんですね! 私はプーケットとバンコクに1度行ったきりで また遊びに行きたいなーと思っております。 まだまだ新人なので(2Fの、昨年10月からの者です)お休み取れるか謎ですが・・・ いつもと違ったお顔を拝見できておもしろいですね! またじっくり読ませていただきたいと思います。 |
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今日無事帰国しました。 雨季のイサーンでしたが、毎日が素晴らしい天気の連続で予定通りの3000キロを走行してきました。最終日はコンチアムからバンコクまで700キロの走行でした。6時に友人の「よこはま」さんと待ち合わせのために少し飛ばしましたので、その疲れがまだ抜けておりません。 今回は「ふうみん」が追い越し違反で警官に捕まったり、500段の階段を登ったクメール遺跡を見たり(死にそうでした!家人はもちろんパス!)コンチアムでメコンを船で渡りラオスに入国したりして楽しい旅でした。 カラシン県都のホテルで現地の電気会社に勤める3人の日本人に遭遇しました。その人たちがここで「日本人」にあったのは始めてだと驚いていました。まさに「知られざるイサーン」ですね。 メコン対岸のラオスの写真をupします。のどかな田舎ですヨ。 >紙袋の女さん今後ともよろしく。 |
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楽しかったようですね 羨ましいな バンファイとかもやってましたか? 写真ですが 自然が一杯で のどかな田舎風景ですね 僕の夢は 早く引退して こんな所で晴耕雨読と しかし 嫁さんに聞いてみたら アホー 一人で行けと 3日もすれば 死ぬほど退屈するかな しかし 自然と共に住んでみたいです |
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toshi-baさん早速の書き込みありがとうございます。 写真のラオスはコンチアムから船を頼んで行って来ました。料金は300バーツ+チップ100バーツでした。メコンの二色川やトーセンリゾートを回ってもらい、ラオスに入国しました。入国料は一人50バーツでした。とてものどかな所ですが、「ふうみん」は半日いたら飽きると思いますネ。 前にtoshi-baさんがピサヌロークから山越えでペチャブンに行きましたが、このペチャブン県のロムサクに夕食に行きました。もとロムサクは独立した県で、ペチャブンに併合されたとの事で中々大きな街でした。 ここの屋台で食べた豚の炭火焼は絶品でした。ドラム缶を半切りにし、網をかけて炭火で串焼きの豚肉を焼きます。焼きあがった豚肉は皮はカリッとし、脂肪の脂は網から下に落ち柔らかい旨みが残ります。そして屋台のオヤジさんの出してくれた水がすごく美味しく、また果物も美味しく、街中屋台だらけでした。豊かな自然とのどかな人情のとてもいい町でしたネ。 イサーンではありませんが、前回の旅のナーン、今回のペチャブとチェンマイやチェンライの観光化された北部と違い素朴な北部もいいなと思いました。屋台の写真をUpします。 |
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無事のご帰国にほっとしました。天候にも恵まれたご様子。旅行記を楽しみにしております。 |
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ヒデさんご心配をおかけしました。 ウボンの4桁道は大雨の影響の心配をしていましたが全く大丈夫でした。 旅行記の方はワールドカップの対オーストラリア戦の惨敗で気持ちが乗らずなかなかはかどっていません。本当にひどい試合でしたネ。 気を取り直して、少しづつ書こうと思います。ムーン川に昇る朝日をUpします。 |
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旅行記 まだかな? すいません催促して 僕ですが 来月10日位から 行こうと思っています イサーン回る予定です 雨の事とか少し心配ですが これから本降りになるのでしょうか? ナーンへも行きたいのですが それとロムサクも地図で調べました 遠いけど 良いとこみたいですね ぜひ行って見たいです ふうみんさん また参考にさせて貰って すいません |
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toshi-basaさん 旅行記、ただ今作成中です。出来れば今日中にUPしたいと思っています。もう少しお待ち下さい。 |
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toshi-basaさん やっと、第五部の「知られざるイサーンをゆく」をUPしました。 校正が不十分かも知れませんがご容赦願います。 |
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近頃 Google Earth
の詳細エリアが増えて、タイについても今まで見られなかった画像が見られるようになりました。 [写真上] ふうみんさん御用達の Felix Tohsaeng Resort です。 [写真中] 最果ての村 Ban Woen Buek の学校です。 [写真下] そこから2kmほど下流(東)にある、メコン支流の Huai Cham Nak です。この小川がタイ・ラオスの国境になっています。国境線は小川に沿ってその水源まで5kmほど南下し、そこから先は分水嶺(尾根)に沿ってエメラルド・トライアングルに到達します。 |
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Shinjiさん いつも貴重な情報をありがとうございます。Google Earth は、国境など微妙な場所の詳細な画像が見れないものだと思い込んでいました。 Ban Woen Buek の小学校のグランドとメコンがくっきりと見れ感激しました。この小学校のグランドの直ぐ向こうのがタイ・ラオス国境だと思っていましたが、まだ2キロも先の熱帯雨林の中の小川とは?思いもしませんでした。 日本のような島国に住んでいますと「国境」と言う言葉に、何か特別の思い入れをしてしまうのは私だけなのでしょうか? |
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