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第二楼門まで距離は270メートルもの石畳が続く。 |
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石畳の直ぐ横には地雷埋設の警告の立て札がある。 |
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参道の両端にはリンガの石柱が少し残って建っている。
昔は60余柱が林立していたという。 |
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リンガの石柱のほぞ穴。 |
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やっと第二楼門が見えて来た。
この辺の売店でミネラルウオーターを買う。 |
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振り返って眺めるとタイ側の展望台が見える。
左は221号線の舗装された道路だ。 |
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参道の右側にトイレがあった。カンボジア側の唯一のトイレと思われる。
やはりタイ側のトイレで済ましておきたい。
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「I HAVE PRIDE TO BE BORN AS KHMER」と書かれた看板が立っていた。 |
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第二楼門の階段手前の左手にバライがある。
深さは4メートルだ。 |
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バライの脇の獅子の像。
ここにも獅子像がたくさんあったとの事だが、盗難に遭い今は数体を残すのみだ。
雨季の為かバライには水が多かった。 |
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参道の石畳には岩盤を削って利用している。 |
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第二楼門の階段の崩壊は激しい。
最初の訪問時から気になっていた。これは内戦の爆撃の跡なのか?
その激しい崩壊の階段にも、また木の階段が設けられていた。 |
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帰国してから調べてみた。
1974年の写真にも同じ崩壊の跡がある。少なくともカンボジア内戦で破損されたのでは無いことが分った。
階段の前に座る子供達は何を売っていたのだろう? |
Preah Vihear Sri Sikharesvara より |
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階段の手前の砂岩の岩盤に掘られた穴。何かの柱の跡なのか? |
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第二楼門の破風の内側。
木造建築だった屋根を支える梁の穴と屋根の跡がはっきりと残っているのが分る。
この上には瓦が葺かれていたのだろう。
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上記の破風の下のまぐさ石の「毒蛇カーリヤを退治するクリシュナ神」のレリーフ。綺麗に残っているしレベルも高い。 |
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「乳海攪拌」のレリーフを家人に説明する「ふうみん」。 |
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下記の「乳海攪拌」と「大蛇アナンタ上に横たわるヴィシュヌ神」のレリーフのある破風。 |
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第二楼門の破風の「乳海攪拌」のレリーフ。とても有名な図柄だ。
■乳海攪拌(にゅうかいかくはん)
ヴィシュヌ神が大海の底にある「アムリタ(甘露)」という不死の薬を得る為に、神々と阿修羅達に命じて須弥山を軸としてナーガを綱として大海を攪拌すると、海は乳海に変わりアムリタが生じたという一場面。 |
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「乳海攪拌」の破風の下のまぐさ石の「大蛇アナンタ上に横たわるヴィシュヌ神」のレリーフ。
ヴィシュヌ神のお臍から伸びる蓮華の上には、プラフマー神が座る。 |
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頭の無い、一対の獅子像。 |
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東南方向から見た第二楼門。
十字型をしているのが良く分かる。 |
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鼻の欠けて、愛嬌のある木に絡まれた物見の塔を見ると、カンボジアに来たな!と思わず思う。
タイのクメール遺跡は、手を入れ過ぎている。
この像は1000年もの悠久の時間を見つめてきた。 |
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北西方向から見た第二楼門。
建物の柱が綺麗に残っているが屋根は無い。
屋根は木造建築で葺かれていたので、熱帯の気候の中では現在まで残っていない。 |