イサーンの大地走行2000キロプラス ひとりごと
37、裏口入学的、クメール遺跡入門 2009.12.13

一般的と言おうか、正統的と言うのか、クメール遺跡との最初の出会いは、大部分の方がシェムリアップを基点としたアンコールワットやアンコールトムとの出会いだろう。あの、一ノ瀬泰造がアンコールワットを目指したように。

「ふうみん」のクメール遺跡との出会いはそれとは異なり、タイの東北地方のイサーンだった。それまで、タイには1991年以降10回近く訪れていたがリゾート地でのゴルフが目的で、リゾート地の無いイサーンはまさに未踏の地だった。

ゴルフ好きの友人の死もあって、ゴルフから引退した「ふうみん」はタイへのレンタカーによるドライブ旅行を計画した。そのターゲットがメコンに会いにイサーンの大地を走ることだった。

タイの1/3を占める広大なコラート高原にはところどころに、クメール遺跡が点在していた。それも、有名なクメール遺跡を除くと忘れられたように、大地の片隅に荒れ果ててポッンと佇んでいた。そして、最初のうちはドライブ旅行の刺身のツマだったクメール遺跡の面白さに徐々に嵌り込んでいった。

そんな訳で、クメール遺跡についての知識はゼロからの出発だった。せっかく苦労の果てにクメール遺跡を探しだしても、まぐさ石やレリーフの写真も撮らず、後で写真を見直すといろいろと不足だらけだった。

帰って来てクメール遺跡関連の本も読んでも、最初は、まぐさ石(Lintel)の「まぐさ」は「牛や馬の飼料」のことだと思っていたぐらいの全くのド素人だった。

だから、「ふうみん」のクメール遺跡への入門は正面玄関からではなく、イサーンという裏口からだった。アンコールと言う正面玄関から入った正統的クメール遺跡マニアのウェブサイトやブログ等を見ていると、どこか少し感覚が違うように思えるのは、裏口入学者の宿命なのか、それともたんなるひがみなのかも知れない。



イサーンの大地の片隅に佇むカオノイ遺跡


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