イサーンの大地走行2000キロプラス ひとりごと
17、ホームページ開設2周年と1969年の日記帳 2006.01.15


ユニバックの日記帳
ホームページ開設2周年を記念して何を書こうかな?と思い巡らしていた。

正月に実家に年始の挨拶に行き、ついでに押入れを漁り、「ふうみん」の懐かしの昭和30〜40年代をテーマにした「蔵出し昭和缶」の資料を捜していたら、電子計算機のユニバック社の1969年の日記帳が出て来た。

その日記帳をパラパラと捲っていたら面白い巻末資料に出会った。それは当時の「外国為替相場」とJALの「国際線料金表」である。ついては、以下にご紹介したい。



外国為替相場表

国名 通貨単位 日本円換算@
(1968年当時)
日本円換算A
(2006/1/15)
A/@比率
タイ バーツ 17.19 2.98 0.17
南朝鮮 朝鮮円 0.72 0.12 0.17
中国(台湾) 台湾元 14.53 3.61 0.25
米国 ドル 360.00 115.75 0.32

1969年(昭和44年)は1ドル360円の固定相場(1973年に変動相場制へ移行)だった。現在は1ドル115円だから、単純計算で円の価値は1/3でした。

今から37年前、韓国の国名は「南朝鮮」、ウォンの呼称は「朝鮮円」の標記で問題なかった様ですね。多分、今だったら抗議殺到だと思います。過去に問題にされていなく、現在になって問題になっている「靖国参拝問題」みたいですね。

中国(当時は中共)はまだ1972年の日中国交回復前なので掲載されておらず、中国=台湾となっています。

ターバーツは1円が17.19バーツと今の6倍もしていました。この頃タイに遊びに行っても今のような格安感は無かったかのかも知れませんね。それにしてもバーツとウォンの現在の比率が偶然にも同じとは驚きです。



JALの「国際線料金表」

東京⇔バンコク間 往復普通運賃(1968年) 155,150円

現在の様な格安な割引運賃は無い時代ですから、定価で購入するしか方法はなく、ずいぶんと高かったようですね。まさに海外旅行は憧れの翼「高嶺の花」でした。

ちなみにこの年の巡査の初任給は26,270円ですから、単純に10倍すると155万円の感覚です。これではとても夫婦揃って気軽に旅行なんて出来ませんね。

偶然というか1年前の「ひとりごと」に為替の問題を取り上げましたが、新年の経済誌を見ても円安論者、円高論者バラバラです。「ふうみん」としては1バーツ3円以下の出来るだけ安くなってほしいと願っていますが、反面ドル高を予想した投資信託を買っていますので言行不一致です。

今までの経験上、為替の予想は本当に難しくまさに「神のみぞ知る」ですね。1年後の「ホームページ開設3周年」にまた為替の問題と取り上げたいと思います。





ユニバック社1969年の日記の巻末資料




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