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都ホテル |
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■7:10
都ホテルのバイキングレストラン「ル・プレジール」で朝食を摂る。 |
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■7:10
ホテルの中庭には、雪だるまが置かれていた。 |
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東福寺 |
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■8:29
京都駅からJR奈良線に乗り、一つ目の東福寺駅で降りる。
ホームの狭さと、早朝からの観光客の多さに驚く。 |
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■8:40
大勢の観光客と一緒に歩いてくると、東福寺の入口参道に架かる「臥雲橋」に出会った。 |
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■8:40 臥雲橋から通天橋にかけての渓谷「洗玉澗」の紅葉を望む。 |
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■8:46 境内には、散り紅葉が絨毯のように敷き詰められていた。 |
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■8:47 散り紅葉に覆われる境内に、木漏れ日が差し込んでいた。 |
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■8:48
渓谷「洗玉澗」から通天橋を望む。 |
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■8:58
「通天橋」は、早朝から大勢の観光客でにぎわっていた。 |
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■9:01 通天橋から眺めた渓谷「洗玉澗」の紅葉。 |
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■9:01 通天橋の柱をフレームにして散り紅葉を望む。 |
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■9:06
「東福寺」は嘉禎2年(1236年)、摂政九条道家がこの地に高さ5丈(約15メートル)の釈迦如来像を安置する大寺院を建立することを発願した。
寺名は、奈良の東大寺、興福寺の二大寺から一字ずつ取って「東福寺」とした。
この方丈は、明治23年(1890年)の再建。 |
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■9:08 庭園は、近代の造園家、重森三玲によって昭和14年(1939年)に作庭され、方丈を囲んで四方に配されている。釈迦成道を表現し、「八相の庭」と命名されている。
「南庭」。荒海の砂紋の中に蓬莱、方丈、瀛洲、壺梁の四仙島を表現した配石で、右方には五山が築山として表現されている。 |
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■9:11
「北庭」。かの有名な市松模様の庭で「小市松模様の庭」とも呼ばれている。 |
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■9:12 南の恩賜門内にあった敷石を利用し、石と苔を幾何学的な市松模様に配している。「永遠のモダン」の中に禅の思想を追求した重森三玲の代表作だ。 |
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■9:27
「本堂」は、昭和9年(1934年)に再建された。
昭和期の木造建築としては、最大級のもの。
入母屋造、裳階付きで、高さ25.5メートル、間口41.4メートル。 |
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■9:31 「三門」は 、応永32年(1425年)に足利義持が再建し、現存する禅寺の三門としては日本最古のもので国宝。 |
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■9:41 帰りに臥雲橋から、もう一度紅葉をパチリ。 |
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三つ寺周辺散策 |
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■9:48
昔懐かしいタバコ屋。 |
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■9:59
今熊野のJR線の鉄橋を渡る。 |
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■10:11
歩き疲れたので、ハイアットリージェンシー京都の「Trattoria sette」にて、コーヒーでも飲もう。 |
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■10:15
Trattoria sette のトラットリアは「イタリア風軽食堂」、セッテは「7」。
7条通りに面しているからでしょうね。
ゆったり出来て、おススメの処です。 |
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豊国神社、方広寺など |
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■10:53 「豊国神社」。豊臣秀吉を祀る豊国神社の国宝の「唐門」は、伏見城 → 二条城 → 豊国神社と移築された。 |
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■10:56 「方広寺」は、豊臣秀吉が東大寺に倣って大仏を安置するために、天正14年(1586年)から十年もの歳月をかけて造られた寺院。現在の鐘楼は、明治時代に再建されたもの。 |
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■10:56
大阪の陣の発端となった梵鐘。
梵鐘の銘文には、「国家安康」、「君臣豊楽」と書かれていた。
それが、豊臣氏の家康への反逆の意志とされ、大坂の陣を引き起こし、豊臣氏滅亡の原因となった。 |
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■11:18
法観寺の「八坂の塔」は、人通りと車のため良い写真が撮れなかった。 |
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高台寺 |
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■11:26 高台寺から八坂の塔を望む。「高台寺」は慶長11年(1606年)、豊臣秀吉の正室、ねね(北政所)が秀吉の菩提を弔うために創建した。 |
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■11:36
「遺芳庵」。
この吉野窓の可愛い茶室は、江戸時代の豪商灰屋紹益が夫人を偲んで建立した建物。 |
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■11:41 「波心庭」は四季毎に庭園のテーマが変わり、この秋のテーマは「飛龍」。「龍はどんな困難をも突き破って、自分に備わった力を存分に発揮する」とのこと。 |
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■11:47 「臥龍廊」は、龍の背に似たところからこの名がつけられた。開山堂と霊屋の間を繋いでいる。残念ながら通行禁止だ。 |
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■「霊屋内陣」は、撮影禁止のためパンフレットより、秀吉と北政所像。 |
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■11:54
「勅使門」。
勅使門とは、天皇の代理としてつかわされた人(勅使)を迎えるためにつくられた門。
大正元年(1912年)に、方丈とともに再建された。
門扉には、「五七桐」と「太閤桐」が彫られている。 |
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八坂神社 |
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■12:07
八坂神社の「南楼門」。
「八坂神社」の創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656年)に高麗使節の伊利之が新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
また、一説には貞観18年(876年)に僧円如が建立ともいう。 |
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■12:08 「八坂神社本殿」。大きな屋根で拝殿と本殿を覆った建築様式は「祇園造」という。この本殿は、1654年に徳川家綱が再建したもので、重要文化財に指定されている。 |
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■12:11 八坂神社の「西楼門」から、四条通を望む。 |
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権兵衛 |
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■12:19
お昼は、「権兵衛」で摂ろう。
権兵衛に入るのは、数十年ぶりだ。 |
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■12:26
ビールが大瓶なのはうれしいね。
あては、漬物の盛り合わせ。 |
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■12:29
釜揚げうどんをいただきました。 |
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四条大橋 |
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東寺 |
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■13:41
近鉄京都線の京都駅から、一つ目の東寺駅へ向かう。 |
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■13:54
東寺駅で下車して、九条通りを歩いていると東寺の五重塔が姿を現した。
「東寺」は、桓武天皇による平安遷都後の延暦15年(796年)、西寺とともに王城鎮護の官寺として創建された。
弘仁14年(823年)、嵯峨天皇のときに弘法大師空海に託され、我が国初の密教寺院となった。 |
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■14:05 瓢箪池と五重塔は、池泉回遊式庭園の要素になっている。 |
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■14:09
「五重塔」は、天長3年(826年)に創建されたが、落雷等によって焼失すること4回に及ぶ。
現在の塔は、正保元年(1644年)徳川家光の寄進によって建造された。
総高55メートルは、現存する日本の古塔中で最も高い塔。 |
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■14:15
「金堂」(国宝)。
東寺が空海に下賜された弘仁14年(823年)までには完成していたと推定される。
現存の建物は慶長8年(1603年)、豊臣秀頼の寄進によって再建したもの。
内陣には、薬師三尊を安置してある。 |
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■14:32 「講堂」は、延徳3年(1491年)に再建された。ここには、かの有名な「立体曼荼羅」が安置されている。 |
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■「立体曼荼羅」。
須弥壇中央には、大日如来を中心とする五体の如来像。向かって右には、金剛波羅密多菩薩を中心とする五体の菩薩像。向かって左には、不動明王を中心とした五体の明王像が安置されている。須弥壇の東西端には、それぞれ梵天・帝釈天像。須弥壇の四隅には、四天王像が安置されている。
全部で21体の彫像が整然と安置され、立体曼荼羅を構成しており、全体の構想は空海によるものとされる。21体の仏像のうち、五仏のすべてと五大菩薩の中尊像は、室町時代から江戸時代の補作であるが、残りの15体は講堂創建時の像である。 |
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■14:45
東寺の拝観を終えて、ホテルに戻る。 |
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京もつ鍋 秀虎 |
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■17:25
ホテルの部屋で夕食の店を選択し、京もつ鍋「秀虎」にした。
秀虎に予約の電話を入れたら、予約で一杯なのですぐ来ていただければ7時まではOkとのこと。
タクシーを飛ばし、秀虎に着く。 |
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■17:37
ビールは、京都謹製と表示されたプレミアムモルツ。 |
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■17:41
サラダ。 |
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■17:41
キムチ。 |
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■17:50
もつ鍋は、名物の「秀虎の白」。 |
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■18:09
海鮮チヂミと高砂の熱燗。
京都の夜を満喫。
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