行程2日目>湖東三山などを巡り、福井へ



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彦根市内


■6:57 ホテルの窓から朝焼けの彦根市内を望む。今日は湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)と永源寺を巡ろう。


西明寺

■8:02

ホテルを出て、開場時間の8時少し前に「西明寺」に着いた。

入り口には、もう10人程の観光客が並んでいた。



■8:05 「西明寺」は、平安時代初期の三修上人の創建という。


■8:06

庭園には、早咲きの県天然記念物の「不断桜」が咲いていた。

紅葉と桜が、一緒に見れるとは思わなかったので、うれしいね。


■8:10

「二天門(重文)」には、木造二天王立像が置かれている。


■8:12

「三重塔(国宝)」の高さは20.1m。

元亀2年(1571年)、比叡山延暦寺を焼き討ちした織田信長は、近江国にある比叡山傘下の天台寺院の焼き討ちを命じた。

西明寺を始め湖東三山の寺院は、この焼き討ちの運命にあった。

この時、山門近くの房舎を燃やし、全山焼失のように見せかけたため、山奥に位置する本堂や三重塔は焼失をまぬがれたという。


■8:12

「鐘楼」と紅葉。


■8:13

「本堂(国宝)」は、鎌倉時代前期の和様建築で、中世天台仏堂の代表作として国宝に指定されている。



■8:29 名勝庭園「蓬莱庭」の緑の苔と紅葉のコントラストが素晴らしい情景を醸し出す。


金剛輪寺


■8:57 「金剛輪寺」は、聖武天皇の勅願で奈良時代の行基の開創とされ、創建は天平9年(737年)または天平13年(741年)と伝えられる。


■9:11

長い参道の奥に「二天門(重文)」が見えてきた。

この二天門は、元来は楼門(2階建て門)だったが、2階の部分が失われたという。


■9:12

二天門の両脇には、「大わらじ」が吊るされている。この大わらじには、七難即滅を願うという意味があるといわれる。

大わらじの奉納は、室町時代から住民の手によって連綿と続けられてきた。

今の大わらじは、2010年12月に掛け替えられた。大きさは、縦2.5m、幅0.8m、重さ70kg だという。


■9:19

「三重塔(重文)」は、鎌倉時代の寛元4年(1246年)の建立。

現状の塔は、1978年に修理復元された。

この辺りの「血染めの紅葉」と言われる真っ赤な紅葉も必見だ。


■9:20

「本堂(国宝)」は、中世の天台仏堂の代表作として知られている。

桁行7間、梁間7間、約21m四方で正面には蔀戸(しとみど)を入れた、和様建築の堂々とした建物だ。


■9:22

本堂の内部から、窓をフレームにして眺めた見事な紅葉。



■9:41 千体地蔵と赤い風車が異様な迫力を醸し出している空間だ。この赤い風車はどんな意味があるのだろうか?以前から不思議に思っている。


■9:49

「明寿院」は、金剛輪寺の本坊。

安土桃山時代から江戸時代にかけて整備された池泉回遊式庭園。



■9:51 明寿院から奥の庭を望む。


百済寺

■10:27

「百済寺」は、推古天皇14年(606年)の聖徳太子の建立。

百済の龍雲寺にならって寺を建てたので百済寺と号したという。



■10:36 本坊の「喜見院」の庭園は、池泉回遊式庭園で「天下遠望の名園」と称される。見はらし台から西の方向を見ると、近江平野が一望できる。

百済寺は北緯35度線上に位置し百済国も同じ35度線上にあり、太郎坊・比叡山・次郎坊も同一ライン上に意図的に並んでいるという。「ふうみん」は、このような説が大好きだ。



■10:44 「仁王門」。先に訪問した2寺院は二天門だったが、ここ百済寺では仁王門という。


■10:47

「本堂(重文)」は、江戸時代初期、慶安3年(1650年)に再興された。


■10:54

鐘を撞く「yayo」。


■11:03

「喜見院」の見事な紅葉。

ここは、「最後の山城」とも呼ばれる趣を今に残す寺院でもある。



■11:07 ルイス・フロイスが「地上の天国 一千坊」と絶賛した百済寺は、織田信長によって天正元年4月11日に焼討された。そんな感慨を持って眺めると、重厚な石垣に覆われた参道の紅葉の落葉が悲しい風情を誘う。


永源寺

■11:30

「永源寺」の入り口の愛知川沿いにある茶店で昼食を摂ろう。


■11:36

缶ビールと蕎麦と名物のこんにゃくの田楽を食す。

味はノーコメント。



■11:56 「永源寺」は、康安元年(1361年)に近江守護佐々木氏頼が創建した臨済宗永源寺派の大本山。


■11:56

「山門」は、寛政7年(1795年)に井伊家の援助により7年の歳月を費やし、享和2年(1802年)に完工した。

楼上には、釈迦牟尼佛・文殊菩薩・普賢菩薩並びに十六羅漢を奉安している。


■11:59

「本堂」は、康安元年(1361年)に佐々木氏頼が創建。

しかし度重なる兵火、火災により消失の難にあった。

現在の建物は、明和2年(1765年)に井伊家の援助により建立された。

この屋根は、国内屈指の葦葺きである。


■12:07

「開山堂」の紅葉。

湖東三山の紅葉は何処も見事だったが、永源寺はそれ以上だった。


■12:08

永源寺の逆さの標識が、水に映って読める。

洒落た物だね。



■12:18 「開山堂」の言葉を失う見事な紅葉。


八日市の杜

■12:59

「八日市の杜」は、クラブハリエの経営店舗だ。

2017年1月にオープンしたという。

市役所近くの若松天神社の境内の森の隣に位置する。


■13:06

「yayo」は、八日市の杜限定の「焼きたてショコラバームセット」を注文。

「ふうみん」は、コーヒーを注文。


■13:15

昨日の近江八幡の店舗と異なり、客は「ふうみん」達のほか1組のみ。

午後のコーヒータイムをゆったりくつろいで過ごす。

そして、お土産のバームクーヘンを買い込む。


太郎坊宮

■13:50

「太郎坊宮」は「阿賀神社」とも呼ばれ、古来から巨岩を磐座として祭祀が行われていた。

延暦18年(799年)、阿賀神社の神徳に感じ入った最澄が薬師如来を本尊とする成願寺を阿賀神社の神宮寺として麓に建立した。


■13:52

「夫婦岩」は、山側を男岩、谷側を女岩といい幅80㎝の参道が12m続く。

神の神通力によって開かれたと伝えられ、悪心のある者が間を通ると挟まれるとされる。

また、ここには天狗が住んでいるともいわれる。



■13:53 夫婦岩をくぐると、眼前に近江平野とその彼方に鈴鹿山脈の絶景が望める。


■13:54

「夫婦岩」を含む「赤神山」の山肌は赤色っぽい花崗岩がむき出しになっている。


富山へ


■14:47 名神八日市ICから、米原JCTを経由して北陸自動車道を福井に向かって走る。


毛谷黒龍神社

■15:51

福井ICを降りて市内に向かう。

「毛谷黒龍神社」は、創祀年代は不詳。

福井大空襲を免れた神社で、龍神パワースポットだという。

「yayo」が御朱印を集めているので、竜神の御朱印をもらおう。



■16:01 社務所の中にスマホの待ち受けにすると「運気が上昇する」と評判の龍の絵がある。


えべっさん

■17:46

「ホテルフジタ福井」にチェックイン。

ホテルの窓からは、福井城の城址が眺められるが、天守閣ではなく県庁と警察の建物が建っている。

福井市街は、福井大空襲で焼け野原になった為、城下町の風情はない。

ホテル近くの居酒屋「えべっさん」に入る。


■18:30

クチコミの評判はいいが、気になるクチコミがあった。

注文してから出てくるのが遅いという書き込みだ。・・・まさに、クチコミ通りだった。

この「刺身の盛り合わせ」の味は良かったが、注文してから何と40分も掛かった。

「ふうみん」は、ここまでに簡単なつまみでビールを二本も飲んでしまっていた。


■19:25

全ての料理が遅い。この〆の「せいこ丼」も大変時間がかかった。

この店の味は良く、従業員も感じが良かったが、もう二度と行かないだろう。

・・・やはり、福井の夜の街を散策しながら、長年の経験からコレ!と感じる店に入るべきだったと、「ふうみん」は反省した。




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