行程4日目>大倉山展望台、北海道開拓の村見学と帰路へ



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■9:39

コンフォートホテルに荷物を預け、タクシーに乗り「大倉山展望台」に到着。


■9:39

とても長いエスカレーターに乗って、大倉山展望台に向かう。


■大倉山ジャンプ競技場リフト

大倉山ジャンプ台の頂上までは、二人乗りリフトに乗る。


■9:43

大倉山シャンツェは、1972年の冬季オリンピック札幌大会の90m級ジャンプの舞台となった場所。



■9:53 展望ラウンジからは、札幌市街の大パノラマが眺望できる。真正面には大通公園があり、左手には2日間通った札幌競馬場。その先には、石狩平野や石狩湾や遠くの山々までが一望できる。


■9:55

展望台の真下にあるスタート台は、着地点からの高低差が133.6mもある。

高所恐怖症の「ふうみん」は、こういう場所は苦手だ。


■10:03

札幌市街の大パノラマを眼下に眺め、「さっぽろさん」と朝ビールと行こう。

他の観光客は、ソフトクリームを舐めている。


■札幌オリンピックミュージアム

併設されている「札幌オリンピックミュージアム」に入る。

ここは、オリンピックの歴史と感動を身近に体感できる施設として、またウィンタースポーツの普及と発展を目的に開設された。

体験コーナーなどもあり、なかなか面白かった。


■11:25

大倉山展望台から、タクシーでコンフォートホテル戻り荷物を受け取る。

地下鉄東西線の西11丁目駅から乗車し、新札幌駅に向かう。



■12:20 新札幌駅からバスに乗り、「北海道開拓の村」に到着。正面に見える建物は、旧札幌停車場。


■北海道開拓の村

嬉しいことに、65歳以上は入場料無料だった。


■12:26

旧開拓使札幌本庁舎

外観は明治6年(1873)に建てられた開拓使札幌本庁舎を再現したもの。

開拓使札幌本庁舎は開拓使顧問ケプロンの構想に基づき、開拓使工業局営繕課が担当した。

築後5年目の明治12年、火災のため焼失した。


■12:27

旧浦河支庁庁舎

明治30年(1897)、北海道庁が郡区役所を廃止し支庁制度を設けた結果、浦河支庁が置かれた。

この建物は、大正8年(1919)に地元の浦河村および道庁の費用で建築され、昭和7年(1932)に日高支庁と改称された。


■12:29

旧手宮駅長官舎

明治13年(1880)、北海道で初めての鉄道として、幌内鉄道が敷設された。その職員官舎として建てられた。

骨組みや上げ下げ窓など外部の意匠に洋式の手法が用いられている。


■12:30

内部には当時の写真や資料があり、なかなか興味深い。


■12:38

旧有島家住宅

日本近代文学史上の代表作家の一人である有島武郎が、明治43年(1910)5月から翌年7月頃まで住んだ建物。


■12:54

開拓の村のボランティアの方が、昔の巡査の恰好をしていた。

髭がお似合いだ。



■12:55 旧青山家漁家住宅

青山家は、安政6年(1859)山形県から渡道し、小樽沿岸を中心に鰊建網などを経営した漁家。建網経営には番屋をはじめ網倉、船倉のほか海産干場、船入澗など多くの施設、設備を必要とした。

鰊漁場の建物が、このように集約的に保存されているところは少なく、貴重な遺構の一つ。


■12:57

何処かで見た場所だな!

映画だったのか?テレビだったのかな?

近くにいたボランティアの方に尋ねると、NHKの朝ドラ「マッサン」の風間杜夫が演じたの網元(森野熊虎)の館だった。


■12:57

明治大正期、漁場経営で財をなした網元たちは競うように豪奢な木造建築物「鰊御殿」を建てた。

特に小樽から積丹半島方面の海沿いには複数の鰊御殿が存在した。

「マッサン」に登場する森野熊虎の鰊御殿も、移築保存されているこの「旧青山家漁家住宅」で撮影された。


■13:03

「旧青山家漁家住宅」の台所の棚には箱膳が並んでいた。

当時の熱気が伝わってくるようだ。

3年前の9月に余市のニッカウヰスキーの工場を見学したとき、10月から始まる「マッサン」のポスターが貼ってあったのを思い出した。



■13:18 軽食堂でコーヒーを飲んでいたら、目の前を馬車鉄道が通って行った。




■13:29

旧本庄鉄工場

明治30年から2代にわたって営業した本庄鉄工場の仕事場として、大正14年(1925)から昭和50年代まで使用されていた。

「さっぽろさん」が本物の人と間違えたほどのリアルな人形だ。


■13:32

昔の日用品の生活陶器が素敵だ。


■13:33

旧山本理髪店

傾斜の急な切妻屋根、妻軒の棟折れマンサード、玄関の雨よけアーチなど、大正期の洋風建築の特徴を残したスマートな外観。


■13:39

旧札幌警察署南一条巡査派出所

明治18年(1885)、札幌創成橋の脇に最初に建てられた交番は木造で、札幌創成橋交番所と呼ばれていた。

同じ木造で一度改築されたが、その後個人の篤志寄付で建てかえられたのがこの建物だ。

壁のレンガは、小口面と長手面を交互に表して積むイギリス積み手法を用いている。


旧小樽新聞社

小樽新聞社は明治27年(1894)創立された。石川啄木が、かつて勤めていた新聞社だ。

建物内で手フート印刷の実演をしていた。

印刷物を記念に貰う。なかなか、味わいがありますね。


■13:52

旧三ます河本そば屋

この建物は、明治18年(1885)頃に石川県から小樽へ移住した河本徳松が、そば屋の修行を積み、三ますそば屋ののれんを継いで新築した店。

蕎麦屋の店内は、現在の蕎麦屋とあまり変わりはないとの印象だ。


■13:58

旧来正旅館

東永山兵村に屯田兵として入植した来正策馬は、明治31年(1898)退役後、開通直後の宗谷本線の永山駅前に移り、待合所を開業した。

大正7年(1918)に大水の被害を受けたため、翌年に旅館兼待合所を新築し営業を再開した。

当時は、旅人の宿泊や汽車の待合などに利用されてにぎわったという。


■14:02

店内の売店。

数年前までは、キャラメルの実物があったという。


■14:23

食堂に入り「サッポロ・クラシック」を飲む。

2時間近く歩いたので、ノドに染み渡る。


■14:25

昼食の「ざる蕎麦」。

食堂を出ようとしたら、雨が降って来た。

仕方がないな、ニシンをつまみにビールを追加して飲む。


■15:18

旧近藤染舗 

近藤染舗は、明治31年(1898)に創業された旭川で最も古い染物店。

この建物は、店の繁盛に伴い大正2年(1913)に地元の建築業者によって新築された店舗兼住宅だ。


■15:29

旧札幌農学校寄宿舎

札幌農学校(現北海道大学)は、明治9年(1876)現在の時計台付近に開学した。

明治36年に現在の位置へ移転して寄宿舎も新築され、同40年に「恵迪(けいてき)寮」と命名された。

当時は玄関棟と2棟36室および厨房棟があったが、ここでは玄関棟と2棟12室を復元してある。


■15:40

当時の畳のベッド。

恵迪寮の寮歌「都ぞ弥生」は、北大の校歌「永遠の幸」よりも広く歌われているという。

恵迪寮の落書きの傑作を一つ
「ニュートンもクソの落下に気がつかず」。



■16:09 旧札幌停車場
この建造物は、明治41年(1908)に建てられた札幌停車場の正面外観を縮小再現したもので、昭和27年(1952)まで使われてきた。外観は、米国の同じ頃の木造建築に用いられたスティックスタイルと呼ばれる形式が取り入れられ、下見板と棒(スティック)による模様付けが特徴である。


■17:12

北海道開拓の村から、バスに乗り新札幌駅に行く。

そこから、JRに乗って新千歳空港に向かう。


■17:48

JRは苫小牧行きだったので、千歳駅で新千歳空港行き乗り換える。

空港ターミナルビルのフードコートで「おかあちゃん」と「りさちゃん」と待ち合わせる。

搭乗時間は我々のJAL便が 20:00 発、女性軍のANA便が 20:30 発との事。

それまでの時間、ビールを飲みながら旅の思い出を語り合う。


■19:59

JAL526便の搭乗は10分遅れの  20:10 発になった。

「さっぽろさん」と「ふうみん」は古希を迎えた。

3泊4日の飲み続けの旅は、流石に疲れた。

帰りはクラスJを奢り、最後にゆっくりと搭乗しょう。




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