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■6:55 初めての小倉だ。「さっぽろさん」と朝の散歩を兼ねて「小倉城」に行って見よう。 |
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■6:56 紫川(むらさきがわ)に架かる橋の上から河口方面を望む。小倉城下は、この紫川で東西に二分され、西は主として侍町、東は町人や下級武士達の町だ。 |
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■7:03
「八坂神社」の鳥居から、小倉城の天守をを望む。
小倉城は、関ヶ原の戦いの論功行賞で豊前国を領した細川忠興が、1602年から7年かけて、毛利氏の小倉城を改築して居城とした。
天保8年(1837年)に失火によって焼失し、現在の天守は昭和34年に鉄筋コンクリート構造によって復興された。 |
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■7:10 この角度から眺める小倉城が一番綺麗だ。 |
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■7:24
コンフォートホテル前の交差点に差し掛かると、朝日の洗礼を受けた。 |
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■8:31
今日は下関・門司観光に出かけるので、「小倉駅」に向かう。
小倉駅から下関駅までは、15分の乗車時間だ。
・・・思っていたより早いネ。 |
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■8:43
「新日鉄住金」の高炉を眺める。
ここは、もと住友金属だったが、2012年10月に新日本製鐵と合併し、新日鉄住金となった。 |
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■9:11
「下関駅」からサンデンバスに乗り、「城下町長府」を目指す。
途中のバス停から眺めた「旧下関英国領事館」。
明治39年に領事館が建設され、昭和16年まで使用された。
設計者は、英国工務局上海事務所技師長のウィリアム・コーワンと推定されている。 |
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■9:29
サンデンバスのバス停「城下町長府」に到着。 |
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■9:30
居酒屋の駐車場に酒瓶が飾られてあった。
飲んべいの「ふうみん」は、思わずパチリ! |
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■9:34
まずは、「忌宮神社」から見学。
この階段下で、「丸ちゃん」がコケル。
メンバー全員団塊の世代、お互いの老化自慢(老人力)の話に花が咲く。
一番若く、日頃ゴルフで足腰を鍛えていると自負する「丸ちゃん」は、ショックを隠せず。 |
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■9:38 忌宮(いみのみや)神社は、仲哀天皇・神功皇后が西国平定の折、ここに「豊浦宮」を建てて、7年間滞在したといわれている伝統ある神社。 |
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■9:40
「宿禰の銀杏」。
仲哀天皇・神功皇后・応神天皇に仕えた、大臣「武内宿禰」の手植えの銀杏と伝えられる古木。 |
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■9:44
忌宮神社を出て小路を歩いていると、丸に十の字の瓦を乗せた門に出会う。
何で、薩摩の家紋をしるした瓦を持つ屋敷が長州にあるのだろう?
疑問に思って、帰ってから調べたがわからず。 |
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■9:45
「乃木神社」。
境内には、乃木将軍が幼少の頃育った家が復元されている。
「ふうみん」は、東京の乃木神社で結婚式を挙げたので、感慨もひとしお。
その時の司会は「さっぽろさん」だった。 |
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■9:55 「覚苑寺」。長府毛利藩三代目藩主綱元が建てたお寺で、毛利家の菩提寺の一つ。近くに和同開珎の鋳銭所の跡がある。 |
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■10:00
「乃木希典」の銅像。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」で、すっかり無能もの扱いされた乃木大将だが、本当は如何だったのかな。 |
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■10:02 覚苑寺の墓地の中にある「第6代毛利匡広公墓所」。門の屋根が傾いて、風情があるのがいいね。 |
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■10:04
毛利匡広公墓所内にある石柱。
クメール遺跡好きの「ふうみん」はリンガを思い浮かべる。 |
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■10:08
「第3代毛利綱元公墓所」と
「第13代毛利元周公墓所」。
NHKの大河ドラマの影響なのだろう「竜馬と下関」の説明板をいくつか見かけた。 |
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■10:11
いいお顔のお地蔵さんです。 |
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■10:23
「菅家長屋門」。
代々長府藩の藩医と侍講職を務めた菅家の長屋門。
面した通りは古江小路という。 |
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■10:26 「長府毛利邸」。明治36年(1903)、長府毛利家14代元敏によって建てられた邸宅で、明治天皇の行在所としても使われた。 |
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■10:30
「竜馬と下関」の顔出し看板。
ペンキ塗りたてだった。 |
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■10:40
「功山寺」。
韓国人の観光客で一杯だった。
そうか、下関と釜山にはフェリーが通っているからかと納得。 |
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■10:41
「高杉晋作」の銅像。
元治元年(1864)、高杉晋作が明治維新の転機となる旗揚げをしたりした所。
「功山寺挙兵」という。
この像を見ているのが韓国人ばかりとは、何か変な感じだ。 |
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■10:43 「仏殿」。鎌倉時代創建の唐様建築で、わが国最古の禅寺様式を残しており国宝に指定されている。 |
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■11:14 「みもすそ川公園」。サンデンバスの「城下町長府」から13分ほどで着いた。ここは源平合戦の舞台となった壇ノ浦に面し、国道9号と関門海峡に挟まれた場所。
この公園には、幕末の下関戦争時の長州藩の砲台跡であることから、5門のレプリカが海峡に向けて設置されている。 |
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■11:15 犬を連れた散歩の人が、「ここから写真を撮ると、大砲と橋が写るよ」と教えてくれた撮影スポットからパチリ!・・・逆光で残念。 |
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■11:17
公園内には、源義経と平知盛の両雄の像が立っている。
その像の前には、NHK大河ドラマ「義経」出演者の記念手形がある。 |
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■11:23
「立石稲荷大明神」。
みのすそ川公園から、国道9号線の海沿いの道を歩いていると朱塗りの鳥居が見えた。
この稲荷は、平家一門が都から下ってきた時に、京都伏見稲荷の分霊を祀ったと言う。 |
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■11:24 「関門橋」。関門海峡の最狭部である下関市壇之浦と北九州市門司を結ぶ。1973年に開通し、橋長1068m、最大支間長712mは、開通時点では東洋最長の橋だった。
蒼穹の空と紺碧の海に架かる橋を眺めていると、人間の成し遂げた偉大さに感動する。 |
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■11:33
「赤間神宮」。
壇ノ浦の合戦で入水された安徳天皇を祭神とする神宮。
初印象は竜宮城だね。 |
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■11:36 赤間神宮から関門海峡までを「壇之浦」と呼ぶ。平家の敗北により、平家一門とともに入水崩御された八歳の安徳天皇を祀る。
建久二年(1191年)の勅によって、霊廟を建てて阿弥陀寺と称していたが、明治の神仏分離によって安徳天皇社となり、その後、赤間神宮と改称した。 |
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■11:38
「耳なし芳一」の木像。
芳一堂に、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の怪談で有名な「耳なし芳一」の木像が祭られている。
芳一は怨霊に取り付かれ、この辺で平家物語を弾き語っていたのかな。 |
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■11:38 「七盛塚」。1185年の「壇之浦の合戦」の400年も後の、1600年前後に建立された。
壇之浦で平家が滅亡して以来、関門海峡では事故が頻発し、「平家の怨霊」と恐れられていた。そこで、散在していた墓標をこの地に集めて供養するために建てられたと言う。 |
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■11:51
「日清講和記念館」。
明治28年の日清講和会議の会場で使用された調度品や写真、資料などを展示している。 |
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■11:53
再現された日清講和会議の会場。
日清戦争後、講和交渉で全権を任された李鴻章は下関の引接寺に滞在し、春帆楼へ通って伊藤博文・陸奥宗光と講和会議の交渉を行った。 |
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■11:54
「李鴻章の書」。
科挙に合格し進士となった秀才の才気あふれる書。
「ふうみん」は、浅田次郎の「蒼穹の昴」を読んでから、李鴻章に対する見方が変わった。
しかし、現在の中国では李鴻章は国賊扱いらしい。 |
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■12:00
「春帆楼」に昼食に入る。
偶然にも予約した12時ぴったしだ。
戦災で焼失したとはいえ、重厚なロビーだ。 |
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■12:02
客室に入ると、食事の支度がしてある。 |
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■12:02 春帆楼の客室から眺めた関門海峡。この春帆楼のすぐ下に「伊藤家本陣跡」がある。
坂本龍馬はこの伊藤家の一室を自然堂(じねんどう)と名付け、お龍と過ごしていたと言う。竜馬と同じ風景を見ていると思うと感慨無量だ。 |
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■12:04
食事前の記念写真。 |
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■12:12
下関では、ふぐは「福」に通じるとして「ふく」と呼ぶ。
今日は、その「ふく会席」を食する。
御椀
ふぐ真丈 清まし仕立て
造り
鯛、鮪、生雲丹の三種盛り
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■12:12
先付
鯛わた共和え
前菜
季節の五種盛 |
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■12:15
向付
とらふぐ薄造り(個人盛七寸皿) |
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■12:15
鍋物
とらふぐちり鍋(個人鍋) |
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■12:34
焼物
ふぐ香草焼 茸とベーコンのソテー |
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■12:47
ビールの後は、もちろんこれでしょう!
「ふぐひれ酒」をいただく。
もちろん、「追酒」を注文。
仲居さんに聞いたところ、ひれ酒には「黄桜酒造」で特別注文した極辛の酒を使用しているとの事。 |
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■12:56
揚物
ふぐ唐揚げ
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■13:25
止肴
ふぐ皮サラダ
御飯
とらふぐ雑炊 香の物 |
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■14:16 満足した「ふく会席」を食べ終え、「ふぐひれ酒」でいい気持のメンバー一同は春帆楼を後にして、唐戸桟橋を目指す。 |
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■14:23 「唐戸市場」は、この時間になると後かたずけに余念がない。 |
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■14:32 左が「下関南部町郵便局」。明治33年築の国内最古の現役郵便局舎。
右が「旧秋田商会ビル」。 大正4年築の西日本初の鉄筋コンクリート造で、1階が純洋風の事務所空間、2階及び3階が格調高い書院造住宅の建物。 |
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■14:34
「唐戸桟橋」。
この1号桟橋から門司港行や巌流島行が出ている。
門司港行の「関門連絡船」は、関門海峡を10分程で結ぶ。
門司港レトロ地区とを1日40往復以上を運航している生活航路だ。 |
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■14:43 船上からの「関門海峡」の眺めは素晴らしい。この関門海峡は、壇ノ浦の合戦、巌流島の決闘、幕末の攘夷戦などの舞台で有名だ。
関門海峡は、1日に4度も流れを変える急潮の中、1日に600隻の船が行き交う。 |
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■14:53
「門司港駅駅舎」。
残念なことに門司港駅駅舎は、大規模保存修理工事中だった。
小倉に単身赴任していた「あきちゃん」曰く、「残念だ!凄く雰囲気のあるレトロな駅舎だったのに」。
サイトを見ると
工事期間:平成24年9月ー平成30年3月(予定)
と、書いてあった。 |
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■14:56
「旧門司三井倶楽部」。
この建物は、大正10年に三井物産の社交倶楽部として建てられた。
建物はハーフティンバー様式と呼ばれるヨーロッパ伝統の木造建築工法で作られ、木造の骨組みがそのまま外観デザインのアクセントとなっている。 |
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■15:04
煉瓦造りの「国際友好記念図書館」と超近代的な「門司港レトロ展望室」の対比が素晴らしい。
国際友好記念図書館は、昭和54年に大連市との友好都市締結15周年を記念して建てられた。
ロシア帝国が、明治35年に大連市に建築した東清鉄道汽船事務所を複製したもの。
門司港レトロ展望室は、日本を代表する建築家・黒川紀章氏が設計した高層マンション「レトロハイマート」の31階にある。 |
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■15:06
「旧門司税関」に入ったら、お雛さまがたくさん飾られていた。 |
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■15:12
旧門司税関から、下関方面を望む。
港町の旅情満点だ。 |
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■15:44
「松永文庫」は「旧大連航路上屋」の中にある。
松永文庫とは、昭和20年以降、松永武氏が収集した1万2千点を超える映画関連の資料を展示する資料館。
「ふうみん」も映画好きで、
「蔵出し映画館」というサイトを運営しているが、この松永文庫の資料には脱帽。 |
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■15:44 2011年10月16日に亡くなった「高倉健映画資料展」が開催されていた。映画好きでポスター等の映画資料マニアの「ふうみん」は目を輝かせる。 |
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■15:46
健さんの後を追うように、2014年11月28日に亡くなった菅原文太との共演の「神戸国際ギャング」のポスター。
とても、貴重なものだ。 |
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■16:01
歩き疲れたので、「放浪記」と看板が出ていた喫茶店で一休みしよう。
中に入ると「CHEESE」という店に替わっていた。 |
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■16:15
レトロな店内で、美味しいコーヒーを飲みながら、話が弾む。
歩き回ったのでノドが渇き、お水のレモン水をお代わりする。
食後の楽しいひと時だ。 |
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■16:48
「門司港駅の0哩標」。
碑の意訳
明治24年4月1日、この門司港駅から玉名駅まで鉄道が開通。
鉄道開業百年を記念して、0哩標を建立。
昭和47年4月10日
日本国有鉄道九州総局
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■17:11
小倉駅に到着。
目の前に「小倉競馬開催」の看板を見、明日からの競馬観戦に思いを寄せる。 |
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■18:38
今晩は、「活イカの刺身」食べたくて、評判の良い「味楽」に来た。
何と!予約で満席との事。
残念ながら、諦める。 |
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■18:51
「活イカの刺身」を探して、小倉の繁華街を探す。
「活イカの刺身」の看板を見つけ、「さかな市場」という店に入る。 |
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■19:03 目的の「活イカの刺身」。この透明感が何とも言えません。味は、看板メニューだけに美味だ。
このイカは、やりイカで重さ300g。活イカの上の上の白いのはドライアイスだ。「さっぽろさん」が、「こういう演出は嫌いだね」と言った。「ふうみん」も全くその通り。 |
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■19:05
「平目の刺身」。
美味しくいただきました。 |
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■19:05
昨日の「晴れときどき魚」で大好評だった「ゴマサバ」を注文。
これは、昨日の方が断然美味しかったと、この店のは不評だった。 |
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■19:16
大好評だったのが「サバの姿造り」。
とくに、下の方の脂の乗ったところは、絶品でメンバー全員が絶賛!
「あきちゃん」曰く「とても、サバとは思えないネ」。 |
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■19:30
昨日は「黒霧島」だったので、今日は「白霧島」をお湯割りでいただく。
この店も、うれしい五合瓶(900ml)だ。
飲んべいには、小倉は良いところです。 |
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■20:09
九州に来たので、「辛子れんこん」も注文。 |
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■21:43
今日は、昼から「春帆楼」でビールとひれ酒を堪能したので、二次会は無しとした。
そうしたら、早速、酒豪の「さっぽろさん」がお銚子を数本追加した。
その内、翌日の競馬予想に花が咲き、結局、何だかんだで二次会分まで飲んでしまった・・・ |