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■8:15
さあ、今日一日は京都観光だ。
天気も快晴でいうことナシ。
元気よく「アーバンホテル京都」を出発し、京阪本線の「深草駅」に向かう。 |
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■8:50
「七条駅」で降りて、先ずは三十三間堂へ行こう。
入り口には、朝早くから大勢の観光客が詰め掛けていた。
「三十三間堂」は、1164年(長寛2)に平清盛が建立。
その後に焼失し、1266年(文永3)に再建された。 |
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■9:33 世界一の長さの木造建築物で、その長さは約120m。正面の柱間が33あることから「三十三間堂」と呼ばれ、1001体の観音像が祀られている。
「ふうみん」は修学旅行以来の見学になるが、国宝の木像がこんなに多くあるとは思わなかった。特に面白かったのが、国宝の「風神」と「雷神」の像である。見た瞬間、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」を思い出した。宗達の絵に大きな影響を与えたと考える。 |
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■9:44 「京都国立博物館」は、1897年(明治30)に帝国京都博物館として開館した。今回は見学をパス。 |
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■9:47
「豊国神社」は、豊臣秀吉を祀る。徳川家の命により廃絶となったが、1880年(明治13)に再興された。
豊国神社の境内には、フリーマーケットが出店していた。
江戸、明治、大正、昭和の骨董や雑貨が並べられているのを、見て歩くのも面白い。 |
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■9:47
国宝の豊国神社の「唐門」。
元南禅寺金地院にあったものを、豊国神社の再建に当たって移築された。 |
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■9:52
豊国神社の境内から、方広寺に入る。
「方広寺」は、豊臣秀吉が発願した大仏(盧舎那仏)を安置するための寺として創建された。
鐘は、1614年(慶長19)に京都三条釜座ので鋳造された。
重さ83トンで、日本一重い鐘だという。 |
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■9:55
かの有名な、方広寺「国家安康」の鐘。
この「国家安康」、「君臣豊楽」の句が、徳川家康の家と康を分断し、豊臣を君主とし、家康を冒瀆すると看做され、大坂冬の陣を招いたとされる。
白く囲まれた銘文を、感慨無量に眺める「ふうみん」であった。 |
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■10:07
京都の街歩きで楽しい事は、骨董店が沢山在る事だ。 |
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■10:13
こんな景色も嬉しい。
小路の先に見える、法観寺の「八坂の塔」。
八坂の塔は、1440年(永享12)の再建で高さ49m。
東寺、興福寺の五重塔に次ぐ高さだという。 |
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■10:18
高台寺に向かう道で、修学旅行の生徒と合流する。 |
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■10:34 「高台寺」は、1606年(慶長11)に北政所(高台院・ねね)が、秀吉の菩提を弔うために開創した寺。小堀遠州作の庭の紅葉がきれいだ。 |
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■10:39
龍の背に似ているところから、名が付けられた「臥龍廊」と「臥龍池」。 |
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■11:00
8時過ぎから11時まで、3時間近くも歩き続けたので、流石に疲れた。
高台寺入り口の茶店で、ソフトクリームを頼み一休み。
腰の調子の悪い「さっぽろさん」は、腰を伸ばしてストレッチ。 |
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■11:13
「維新の道」の急坂を登り、「坂本竜馬」と「中岡慎太郎」の墓を訪れ、黙祷する。
この銅像は、昭和9年に建立されたが、第二次大戦中に供出され、昭和37年に再建された。 |
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■11:41
「八坂神社」は、古くは祇園社と呼ばれ一般に「祇園さん」の名で親しまれている。
また、商売繁盛、厄除けの神として知られている。
我々も本殿にお参りする。 |
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■12:00
京都の名物そばといえば「にしんそば」だろう。
近くの「ぎおん石」で、ビールで喉を潤し「にしんそば」を食べる。
味はマアマア、「丸ちゃん」の頼んだにしんそばは、湯がきが足りず、麺がくっついていたと不満顔。 |
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■12:39
昼食を終えて、智恩院に来た。
「智恩院」は、宗祖法然上人が1175年(承安5)に、吉水の地に草庵を結ばれたことを起源とした浄土宗の総本山。
写真の国宝の三門は、木造の門として日本一の高さを誇る。 |
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■12:47
1636年に鋳造された、日本一の大きさを誇る名鐘。
先ほど見た、方広寺の鐘より大きいが、70トンの重さは劣るという。
除夜の鐘は、17名の僧侶によりつかれ、年末のNHKの「ゆく年くる年」で有名だ。 |
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■12:52
大殿(だいでん)と呼ばれる、奥行35m、間口45mの堂々たる「本殿」は、残念ながら修理中だった。
その横にある、池越しに見る「経蔵」が美しかった。 |
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■13:07
知恩院の隣にある「青蓮院」の大楠。
白壁をバックにそびえる4本の「大楠」は、樹齢800年という。
幹周り5~6mもある、巨大で生命力溢れる立派なクスノキだ。 |
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■13:24 京都の街歩きで、見つけた嬉しくなる風景。白壁に紅葉の蔦が絡まり、自然の美しい造形美だ。 |
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■13:37
「南禅寺」は、1291年(正応4)に開山した臨済宗南禅寺派の本山。
歌舞伎で、石川五右衛門が「絶景かな絶景かな…」という、名科白を廻す「南禅寺三門」。
しかし、この三門は五右衛門の死後30年の建築という。 |
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■14:04
歩きつかれたので、近くの喫茶店「茄菲ふうじぇ」に入り、恵比寿ビールで一休み。
白人女性が二人して入って来て、「トイレを貸してくれ」という。
店主は、「注文すれば只だが、そうでなければ1ドル」と英語で答えた。
我々に、「只で貸すと、…きりが無いのでネ!」といった。 |
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■14:58 「哲学の道」を、哲学には全く無縁な「さっぽろさん」と「丸ちゃん」が歩く。しかし、明日からの京都競馬の予想は、深遠な論理と推理の積み重ねが哲学的なのかも知れないナァ… |
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■15:20
銀閣寺の手前で、黒人女性が熱心にカメラを向けていた。
何を写すのかな?カメラの先を見てみると柿の木があった。
この枝の切り方と、柿の実織り成す造形が、外国人には面白いのだろう。 |
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■15:34 「銀閣寺」は、室町幕府8代将軍足利義政が、1482年(文明14)に東山殿を造営した。
平日にもかかわらず、引きも切らない観光客の多さに驚く。「ふうみん」もその中の一人だが、改めて銀閣寺の人気の高さを実感。 |
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■特別拝観では、普段入れない本堂・東求堂・弄清亭を拝観できた。
「本堂(方丈)」は、江戸時代中期の建築で、本尊として釈迦牟尼仏が安置されている。
本堂には、江戸期の南宋画家の巨匠、池大雅や与謝蕪村の襖絵がある。 |
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■16:04
本堂から眺める銀沙灘、向月台、銀閣(観音殿)は絶景だ。
ただし、大勢の観光客はどうにもならないネ。 |
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■16:14
国宝の「東求堂」では、足利義政の像や、現在の四畳半の元になった書院「同仁斎」を見る事が出来たのは幸せだった。
東山文化は、現在の日本文化の源である事を実感。
残念ながら、内部は撮影禁止だが、紅葉の庭園はOK。 |
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■17:03
タクシーに乗り、京都を横断して東から西に移動した。
夕闇迫る北野天満宮の参道を歩く。
「北野天満宮」は、947年(天暦1)に創建され、菅原道真公をお祀りする天神社、天満宮の宗祀の神社。 |
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■17:12
北野天満宮の上に上弦の月が出ていた。
月もここで見ると、ひと味違うようだ。 |
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■17:56
花街(かがい)の上七軒を歩く。
ここ上七軒は、「ふうみん」は初めてである。
その、静かで艶やかな雰囲気の街並みがとても素敵だ。
「上七軒」は、室町時代に北野天満宮の一部が消失し、その再建時の余った部材を使用して、七軒の茶店を建てたのが始まりという。 |
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■17:56
上七軒の「鮓 芳月」に入る。
このお店は、「さっぽろさん」の紹介だ。 |
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■17:58
壁には、上七軒のお店らしく「舞妓うちわ」が飾られている。
京の花街では、夏のご挨拶に芸妓や舞妓がお得意様へ名入りのうちわを配る風習がある。
「さっぽろさん」も、数枚持っているとの事。 |
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■18:06
先附の雲丹豆腐が美味でした。 |
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■18:25
刺身の盛り合わせは、獅子貝、鯛、トロ、島鯵、カマス、サヨリ。
真ん中の四角く切ったトロが、これまた美味。 |
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18:34
ビールの後は、大吟醸の冷酒を飲み、その後は熱燗で。
いい形のお銚子です。 |
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■18:36
河豚の焼き身と白子。 |
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■19:01
日生のカキ。 |
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■19:15
河豚の天麩羅。
その他にも出たが、話に夢中になり写真を撮り忘れる。 |
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■20:10
大将は恥ずかしがり屋だ。
カメラを向けたら下を向いた。 |
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■20:23
美味い料理と酒に、ご機嫌の男三人は、大将と記念写真。 |
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■20:26
最後の〆は握りで。 |
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■20:57
アルバイトの女子大生の「しょうこ」ちゃん。
カワイイ子でした。 |
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■21:16
上七軒から、タクシーで京阪本線「三条駅」へ。
もう一軒、飲みに行こうと思ったが、明日からの競馬に備える事にした。
「深草駅」で降り、 各自コンビニで好きな競馬新聞を買って、ホテルに帰る。 |