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■5:12 東の空が明るくなって来た。これから、日の出ショーの始まりだ。 |
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■5:30 素晴しい日の出に感激。この宿に泊まった甲斐があった。 |
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■7:03
きのこ屋の朝食。
おいしく頂きました。 |
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■7:52
「あまちゃん」で一躍有名になった、「袖が浜」こと「小袖浜」に向かう。
小袖浜には、土・日・祝日はマイカー規制で入れないが、今日は月曜日なので大丈夫だ。 |
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■8:05
海岸に沿った狭い道を行くと、眼前に「つりがね洞」があった。
近くには「かぶと岩」もあり、この辺りは美しい海岸線だ。 |
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■8:19 「小袖漁港」。「あまちゃん」のヒロインの天野アキ(能年玲奈)が走った堤防と灯台。 |
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■8:25
「yayo」が、漁港の倉庫に居たおばさんから昆布を購入。
話をすると現役の海女さんで、一緒のお年寄りも元海女さんとの事。 |
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■8:28 小袖海岸のシンボル「夫婦岩」。この夫婦岩に架けられたしめ縄は、今回の大津波でも切れなかった事から、縁結びの神様といわれている。右端の小屋が海女が潜る磯場。 |
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■8:30
「北限の海女」が潜る磯場。
小屋で開店準備していた、海女さんから「ずいぶん早いですね!」と声をかけられた。 |
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■8:38
正面の倉庫が「あまちゃん」では「袖が浜漁協」の建物とされた。
その下の空き地までが、津波の被害箇所だ。 |
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■9:21
津波の浸水区間に注意を!!
国道45号線では、津波の浸水区間に標識を設置しています。 |
この先至る所で、この「津波標識」を見た。 |
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■9:21
三陸鉄道北リアス線の堀内駅近くの安家川に架かる「安家川橋梁」は、高所にあり津波の被害をまぬがれた。
しかし、その下の国道45号線の橋は流され、港も被災した。
今はきれいに復旧している。 |
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■9:24 「大沢橋梁」と三陸鉄道北リアス線の列車。この橋の上では列車が一時停止して、素晴しい景観美を楽しませてくれる。この場所は、三陸鉄道のポスターにも使用されている。 |
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■9:37 |
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「譜代水門」は、普代川の河口から300mに位置し、高さ15.5m、幅205mのコンクリート製の巨大な水門。
過去の大震災・大津波で多数の被害者を出した苦い経験から建設され、今回の東日本大震災でも、一人の死者も出さなかったという。 |
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■16:52
「北山崎」。
展望台からの景観。
「ふうみん」が10数年前にここに来た時、「やませ」と呼ばれる濃霧の為に景観を眺められなかった。
今回は、少し霞んでいるが景観を眺められて満足。 |
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■10:18
国道44号線、別名陸中海岸シーサイドラインを走る。
海岸沿いの堤防は破壊され、ガードレールは曲がっている。
津波の恐ろしさを語ってくれる。 |
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■10:48
三陸鉄道北リアス線の田野畑駅付近の鉄橋が津波により崩落し、新たな鉄橋を建設していた。 |
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■10:58
海側の道から、坂道を登って高台に出ると、そこに新しい住宅地を造成していた。
この高さの住宅地なら、大津波でも大丈夫だ。 |
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■11:11
「鵜の巣断崖」へ続く道。
足元にチップが敷き詰められ、とても歩きやすい。
隣を歩く「yayo」が、「素敵な道ね!」といった。
「北山崎」より静かで、「ふうみん」はこちらの方が好きだ。 |
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■11:15
「鵜の巣断崖」。
展望台から観た、典型的なリアス式海岸の景観。断崖の高さは200mに及ぶ。
「鵜の巣断崖」の名前の由来は、中腹にウミウ及びカワウの営巣地がある事に因んで名付けられた。 |
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■11:57 |
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「田老の防潮堤」は、1958年から24年の歳月を経て全長1350m、基底部の最大幅25m、地海面高さ10m という大防潮堤が完成した。
その後も増築が行われ、総延長2433mのX字型の巨大な防潮堤が城壁のように市街を取り囲み、別名「万里の長城」といわれた。
しかし、東日本大震災の津波では、海側の防潮堤は約500mに渡り崩壊した。 |
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■11:58
防潮堤を乗り越え、市街中心部に進入した津波のため市街は全滅状態となった。
人口4434人のうち200人近い死者・行方不明者を出した。 |
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■12:33
「浄土が浜」。
東日本大震災で、海水面が上昇したという。
「ふうみん」と「yayo」は、浄土が浜には1972年の3月以来の訪問だ。
実に41年振りなので、以前と比べての被害状況等は、比較出来ず。 |
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■12:43
さあ、昼食だ。
近くの「浄土が浜レストハウス」で、オススメの「三陸海宝丼」を注文。値段は1500円。
それと、まだ運転しなくてはならないので、ノンアルコールビールを2本頼む。 |
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■12:50
そうすると、つまみにもっと刺身が食べたくなり、追加注文。値段600円。
美味しゅうございました。 |
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■13:08
「浄土が浜レストハウス」の柱の緑の線が津波浸水ライン。
6.5mの高さにまで、津波は押し寄せた。 |
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■14:37
「釜石港」の巨大な堤防が崩落していた。
この釜石港湾口には、全長約2キロ、総工費1200億円の世界一の防波堤があった。
しかし、、今回の津波にあえなく崩壊した。 |
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■15:13
「道の駅 さんりく」で一休み。 |
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■15:20
右側の「海鮮スペシャルセット」、3800円を注文。
2日後にクール宅急便で、自宅に到着した。
その晩、新鮮なホタテと秋刀魚とイカを、今回の旅を思い出しながら堪能した。 |
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■16:34
ここには、国道45号線を行き過ぎてしまった。
戻って来ても、周辺は工事中で入れず、駐車場の標識が分からず往生した。
駐車場から、「奇跡の一本松」までは15分ほど歩く。 |
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■16:36 「奇跡の一本松」。東日本大震災の際、高田松原の約7万本もあった中で奇跡的に1本の松だけ倒れずに残った。この松は、震災直後から復興のシンボルと捉えられ、「奇跡の一本松」と呼ばれるようになった。しかし、塩害のため切り倒され、今はレプリカが立っている。手前の建物は「陸前高田ユースホステル」。
「ふうみん」は、風光明媚な7万本の「高田松原」は知らないが、現場からはいくら想像力を働かせても、元の姿は想像すら出来ない。 |
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■17:01
国道45号線で「気仙沼」に入る。
今晩の宿は魚市場の近くだ。そのホテルに向かう途中の景色は悲惨だ。 |
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■17:16 「気仙沼ホテル観洋」にチェックイン。高台のホテルの部屋から眺める景色は、復興というには言葉にはまだまだ遠い。 |
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■18:36
夕食はマンボウの酢味噌や鮫のホホ肉のしゃぶしゃぶとか、海鮮の珍味があり、皆美味しい。
さすが、気仙沼と思わせる食材が、舌を楽しませてくれた。 |
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■18:43
「秋刀魚の刺身」。
別注で500円だが、今まで食べた「秋刀魚の刺身」の中で一番旨かった。
まさに旬の絶品だ。 |
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■18:57
こちらはフカヒレの姿煮。
横浜の中華街で、特別美味いヤツを食べているので、それと比べると味は落ちる。 |
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■20:48
夕食を終え、テレビを見ながら日本酒でイッパイやっていたら、テレビで瓦礫の処理を放映していた。
2日間も瓦礫の現場を見てきたので、今までとは受ける感じが異なる。 |