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タイ湾の古代海岸線 5~11世紀 |
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(写真5) |
(写真6) |
Si Mahosot |
Kamphaeng Saen |
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(写真7) |
Si Thep |
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(写真8) |
長さ64メートル高さ20メートルの巨大遺跡、Khao Klang Nok |
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ドヴァーラヴァティーのシルクロード
●ドヴァーラヴァティーの都市は海に面していた
「ふうみん」の持っていたドヴァーラヴァティーのイメージは、6~11世紀頃まで存在したモン族による王国で、内陸部に環濠都市を築いていた。
そんなドヴァーラヴァティーの都市像が、ウートン博物館に展示されていた左記の「タイ湾の古代海岸線図」を見て、認識を新たにした。この当時、アユタヤやバンコクはまだ海の中である。
ナコンパトムを始め主要な都市の多くが海岸線に面しており、多くの交易ネットワークを持つ港市国家として成立し発展していた。
内陸部にもシーテープやムアンファデーを始めイサーン地方にも多くの環濠都市があり、海岸部の都市とは下記の図のように「交易ネットワーク」で結ばれていた。
ドヴァーラヴァティーとは、サンスクリット語で「港への通路」という意味だという。名は体を表すというが、まさにそのとおりだ。
●環濠の形が違う
ドヴァーラヴァティーの環濠都市を調べていくと、沿岸部の都市と、内陸部の都市との環濠の形が異なる事に気が付いた。
海岸部の環濠都市は方形に近いプラン(写真5)であり、内陸部の環濠都市は自然地形で丸型に近いプラン(写真6)を持っている。
これは、海岸部の環濠都市は、インドなどの外国人との直接的な交易を通じて、インドの方形プランを都市の理想とする思想の影響であろう。
内陸部の都市プランは、古くから自然の地形の中で暮らしてきた集落が発展し、そのまま都市へと発展したものであると思う。
面白いと思ったのは、内陸部のシーテープ遺跡(写真7)だ。最初は左側の円形の環濠都市だったが、交易ネットワークの重要基点として発展した結果、今までの都市が手狭になり、右側にインド化した都市プランによって方形部分が増築された。
●独自の発展を遂げたドヴァーラヴァティー
クメールのアンコールトムなどに見る正確な方形都市プランと、ドヴァーラヴァティーの自然地形の都市プランは根本的な所で異なる。
それは、ドヴァーラヴァティーの国家としてのアイデンティティなのだと思う。
「ふうみん」が、ドヴァーラヴァティーの環濠都市遺跡を見学して不思議の思ったことは、ナコンパトムの環濠の外に築かれた世界最大のチェディーのプラパトムチェディーやシーテープの環濠外の巨大建築遺跡のカオクランノック(写真8)などの存在である。
通常の都市プランであれば、重要な宗教施設と王宮などは環濠と城壁に囲まれた中に置かれているはずだ。何故、巨大な宗教施設をわざわざ環濠外に建設したのだろうか?
こんな事などを踏まえて、タイのシルクロードの環濠都市として発展した、ドヴァーラヴァティーの文明観や宗教観などを調べていくと面白いかも知れないと思う。
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