第24部 タイのシルクロードをゆく
◆行程10日目 カンチャナブリーから、ラチャブリーへ
       カンチャナブリーからナコンパトムを経由して、ラチャブリーへ   2019/12/11(水) Google map 
The 28th Hotel



■6:22 The 28th Hotel の窓から眺めた、カンチャナブリーの朝焼け。



■6:40 8階のレストランから眺めた、367号線の反対側にあるロビンソンライフスタイル。昨晩は駐車場があんなに一杯だったのに、今はガラガラだ。


■6:41

ホテルのレストランで朝食を摂る。

ここで、栃木県からボランティア活動で来たという高校生の一団と出会う。

今回の旅で出会った初めての日本人だ。


■6:50

朝食は、定番のおかゆ。


■7:06

フルーツとコーヒーをしっかりといただく。


■8:06

The 28th Hotel は、新しく快適なホテルだった。

ただし、ホテルの外観は奇抜なデザインだ。


ワットドンサック(Wat Dong Sak)


■8:14

367号線から、左折して323号線をナコンパトム方向に進む。



■8:33 焼き畑の煙害だろう、何か靄っているようだ。


■8:39

ワットドンサック(Wat Dong Sak)に到着し車を停める。


■8:39

駐車したすぐ横の木の下の仏像群を、挨拶代わりにパチリ。


このワットドンサックには、近くのポントゥク遺跡(Phong Tuk)遺跡から出土したヴィシュヌ像が安置されている。

「ポントゥック ヴィシュヌ」と呼ばれ、ドヴァーラヴァティー初期の宗教観にとって重要な神像だ。


■9:00

「ポントゥク ヴィシュヌ」を、寺院内を速足で探すが見つからない。

写真の寺男に聞いても分からない。

本堂では、朝のお勤めの読経がまだ続いている。

読経が終われば、信者の方に像の置かれた場所を聞けるだろう。

・・・とりあえず、先に遺跡の方を見学しよう。


ポントゥク遺跡(Phong Tuk)のサイト1


■9:04

ポントゥク遺跡(Phong Tuk)のサイト1

ワットドンサックから、300メートルほど南に行った右側にある。


■ドヴァーラヴァティー王国の都市図


ポントゥク遺跡は、左下にある遺跡。

ポントゥク遺跡は、6~7世紀ごろのドヴァーラヴァティー王国の初期の遺跡。


ちなみには、1500年前のタイ湾の海岸線で、多くのドヴァーラヴァティーの都市が海岸線近くにあった事が分かる。


1927年にポントゥク遺跡から発掘された青銅製のランプ。

発掘当時は1世紀のローマ帝国時代のアレキサンドリアで製作されたと話題になったが、現在の見解ではビザンチンで製作された5~7世紀のものという。

この青銅製のランプは、バンコク国立博物館に収蔵されている。



■9:04 地面から1.5メートルほど発掘されたサイト1の遺跡は、24×14メートルのラテライト造りの基壇がある。遺跡は東向きで、基壇に登る階段がある。




■9:05 遺跡を北側から眺める。ここで、気になったのが円柱形のラテライトブロックだ。この形のラテライトは、これから見学するドヴァーラヴァティー時代の遺跡の特徴的な遺物である。


■9:09

ドヴァーラヴァティーといえば石鍾だ

その、石鍾が吊り下げられていた。


ポントゥク遺跡(Phong Tuk)のサイト2


■9:11

ポントゥク遺跡(Phong Tuk)のサイト2

サイト2はサイト1から、南に700メートルほど行った左側にある。


■9:12

民家の横の狭い道を行く。

この左側の家の犬に、激しく吠えられた。



■9:13 窪地の周りを囲む鉄の鎖がなければ、ここが遺跡とは気が付かないであろう。



■9:13 サイト2の遺跡は、落葉の中にラテライトブロックが散乱していた。


再びワットドンサック(Wat Dong Sak)



■9:26 再びワットドンサック(Wat Dong Sak)に戻り、朝のお勤めが終わった村人に「ポントゥク ヴィシュヌ」の場所を聞くと、目の前の仏像群を示す。


■9:27

なあ~だ!この木の下の仏像群の一番手前にあった。

「ポントゥク ヴィシュヌ」が何故重要かというと、一般的にドヴァーラヴァティー王国は上座部(小乗)仏教を信仰していた。


・・・ドヴァーラヴァティー王国を要約すると、

ドヴァーラヴァティー王国は、6~11世紀ごろまで存在したといわれるモン族による王国。

ナコンパトムを中心としたモン族による都市国家の連合体であり、上座部仏教が信仰されていた。


■9:27

ポントゥク遺跡は、ドヴァーラヴァティー王国の中でもごく初期の都市国家と考えられている。

そこに、ヒンドゥー教のヴィシュヌ像があったということは、どういう意味を持つのか?

ドヴァーラヴァティー王国の初期においての宗教は、インドから伝来した上座部(小乗)仏教だけでなく、ヒンドゥー教も同様に伝わった。

この「ポントゥク ヴィシュヌ」は、サイト1近くの畑から1950年代の初頭に出土し、そのヴィシュヌ像には破壊の跡はなかった。

・・・と云う事は、ヒンドゥー教も一定の割合で信仰されていたとの証左であろう。


サコシナライ町立博物館(Sa Kosi Narai Community Museum)



■9:42 サコシナライ(SA Ko Si Narai)は、クメール遺跡のバライで公園として整備されている。



■9:43 サコシナライ町立博物館(Sa Kosi Narai Community Museum)に入る。 この博物館は2014年にオープンした。入場料は無料。


■9:45

観音菩薩立像(ジャヤブッダマハーナータ像)のレプリカの銅像。


■9:47

この、サコシナライ遺跡の中心にあるチョムプラサート(Chom Prasat)から出土した、観音菩薩立像の発掘現場の再現シーンのジオラマ。

発掘された観音菩薩立像は、ラチャブリー国立博物館に展示されている。


■9:48

サコシナライ遺跡の地図

地図の文字はタイ文字の為、解読不能。

この遺跡は、960×960メートルの正四角形の城塞都市で、メークローン川から運河がひかれていた。

この遺跡の中央には、チョムプラサートという祠堂が建っていた。


■9:50

チョムプラサートの模型を見ると、何と「施療院」だ。


チョムプラサート(Chom Prasat)


■10:07

SCG(サイアムセメントグループ)の製紙工場の中に、チョムプラサート(Chom Prasat)遺跡がある。

この製紙工場の入り口で、遺跡の見学を申し込む事ができるという。


■10:07

製紙工場の入り口の横に、チョムプラサートの見学案内の看板がある。

この看板があると云う事は、誰でも見学ができるはずだ。


■10:12

「ふうみん」は、タイ語は全く分からず、英語も苦手だ。

ここは、得意ではないが押しの一手しかない。

工場の入り口の窓口で、女の子に片言の英語で遺跡見学申し出、名前をノートに記帳し、車で来ていることを伝える。


■10:18

やがて、セキュリティのおじさんが自転車でのんびりと現れた。

そして、自転車の後に車でついてくるように指示される。


■10:20

チョムプラサート遺跡の前には、見学者用の駐車場が完備していた。



■10:20 チョムプラサート遺跡の正面と、左手には小さな社。


■10:21

小さな社の中の右側の石像は、クメールの遺物だ。


■10:21

小さな祠堂の階段を登る。


■10:21

周りを見渡すと、遺跡の砂岩の石片が散乱している。


■10:21

この祠堂は新しく造られたものだ。


■10:22


ただこの遺跡が「施療院」なのか?判別できない。


マレンポーさんのブログ(泰国の変なスポット)への投稿

2019年10月24日木曜日 18:44:00
Chom Prasat の見学レポートを楽しく拝見しました。製紙会社の入り口に遺跡見学の看板があるとは知りませんでした。私も12月に見学予定なのですがタイ語は全くできないので少し心配していましたが、看板もあり見学の要領もわかり安心しました。

この遺跡の Chom Prasat はクメール遺跡であり、下記の点で重要な遺跡と考えます。

クメールの王都アンコールトムから伸びる王道のルートは、全部で5街道が確認されています。その一つが、ロッブリーを経由してムアンシンに至るルートです。ジャヤヴァルマン7世により、王道沿いには宿駅(121ヶ所)や施療院(102ヶ所)が設けられました。その施療院の一つが Chom Prasat であり、王道のルートを解明する遺跡と思います。

また、発掘された石像は観音菩薩立像(ジャヤブッダマハーナータ像)で、ジャヤヴァルマン7世は23の神殿にジャヤブッダマハーナータを奉納したといいます。これまでにインドシナ半島の各地からこの像が18体見つかっており、その内の一体で歴史的に見ても重要なものだと思います。

2019年10月24日木曜日 21:31:00
ご指摘の通り、ロッブリ~ムアンシン間の王道沿いに宿駅や施療院は皆無と言っていいですね。だからこそChom Prasatが重要と考えます。なお、この王道は一般的にAルートと呼ばれています。

イサーンのピマーイに続く王道はBルートと呼ばれ、宿駅や施療院の遺跡が数多く残されており、特に施療院は王道にかかわりな居場所にも沢山残されています。これは、一説によるとイサーン地方の治世が不安定のため、ジャヴァルマン7世が民衆の信頼るために意図的に施療院を建造したともいわれています。

その様な事がなかったAルートは、最初から施療院は少なかったのかもしれませんし、1431年のアンコール王国崩壊後、西方部分をシャムに占領されため石材の転用や破壊があったのかも知れません。また、Aルートの宿駅が残されていないのは、木造で建築された可能性が指摘されています。

こんな事を考えながらの遺跡巡りは、まさに歴史のロマンを感じますね。


ナコンパトム(Nakhon Pathom)


■10:51

ナコンパトム(Nakhon Pathom)に向かう。

ナコンパトムはドヴァーラヴァティー時代の中心地だった。

その為、遺跡も多く残されている。



■10:54 左折して、ナコンパトムの市街に向かう。


プラパトムチェディ国立博物館(Phra Prathom Chedi National Museum)


■ドヴァーラヴァティー王国の都市図


ナコンパトムは左下に位置する。

ナコンパトム(Nakhon Pathom)は、タイ最古の町と言われ、パーリ語で「最初の町」を意味する。

ナコンパトムは、6世紀から11世紀にかけてタイ中央部を支配したモン族の国家で、ドヴァーラヴァティー王国の首都であった。

その後、川の流域の変化による水不足により住民は移動を余儀なくされたと言う。


■11:02

プラパトムチェディ国立博物館(Phra Prathom Chedi National Museum)に到着。

何か変だな~あ。改装中みたいだ。

作業員に聞くと「クローズ」という。


■11:03

玄関横のプレートを見ても、そんなことは書かれていない。

Googl Map で確認するも「営業中」と書かれてある。

12年前に見学し、その時に一応の写真は撮っているが、あくまでもドヴァーラヴァティー後のクメールの影響を主体に見学した。

今回は、ドヴァーラヴァティー時代の遺跡をしっかりと認識した上で撮りたかった。


■11:04

仕方がない、博物館の横庭の遺物を撮ろう。


仏陀像

ドヴァーラヴァティー様式

7~11世紀



■11:05 仏塔の尖塔部。 ドヴァーラヴァティー様式 7~11世紀。


■11:06

台座

ドヴァーラヴァティー様式

7~11世紀


・・・説明文のPEDESTAL(台座)って何だい!これは完全にヨニじゃあないか。

ドヴァーラヴァティー王国に、ヒンドゥー教の遺物があったって、いいのに。


ワットプラガーム(Wat Phra Ngam)



■遺跡見学地図 今回のナコンパトムのドヴァーラヴァティー遺跡を見学するにあたり、古い遺跡の地図から Google Map で現状を調べて、赤色マーカーの遺跡を見学することにした。


■11:16

ワットプラガーム(Wat Phra Ngam)。

この遺跡は、遺跡見学地図の左上にある。

ここに、ドヴァーラヴァティー時代の仏塔跡がある。

ここからは、多くの遺物が発掘され、プラパトムチェディ国立博物館やプラパトムチェディに保管されている。


■ワットプラガームの境内の地図


地図上部の線路脇に、円形の仏塔(ストゥーパ)が描かれている。

この地図から円形の仏塔とわかる。


■11:17

仏塔の急な階段を登る。


■11:17

階段の横を見ると線路がある。

そして、修理中なのか?発掘調査なのか?

レンガ部分が剥き出しになっている。


■11:18

頂上には、白い小さな仏塔と仏像が安置されていた。


■11:187

遺跡のレンガが組み立てられていた。

ドヴァーラヴァティーの遺跡には、円形の遺物が多い。


プラプラトーンチェディ(Phra Pra Thon Cdedi)


■11:48

上の遺跡見学地図を見てたいただきたい。

ナコンパトムの環濠は右側にあり、その中心地にプラプラトーンチェディ(Phra Pra Thon Cdedi)はある。

こんなに立派な由緒ある仏塔なのに、「地球の歩き方」にも「ロンプラ」にも載っていない。

この仏塔は、ナコンパトムのシンボルのプラパトムチェディ(何故だか環濠の外にある)と同時期の6世紀ごろに建てられたドヴァーラヴァティー王国の仏塔。

タイで一番古い仏塔だが、詳細は不明。

高さ50メートルで、建設当初の構造はインドのサーンチーの大ストゥーパに似ていたという。

その後、11世紀にクメール帝国の占領により、クメール風に改められた。


■11:49

仏塔の基壇は、2メートル近くも掘り下げられている。

それだけ古いということが分かる。


■11:49

この辺りのレンガの模様は、ドヴァーラヴァティー様式を如実に物語っている。


■11:50

仏足石があった。



■11:55 ストゥーパに登り、そこから眺めた寺院。


■11:57

ドヴァーラヴァティーの円形のラテライトの遺物。


Wat Chula Paton


■12:06

上記の遺跡見学地図だと、Wat Chula Paton だが、Google Map だとタイ語のみで、
เจดีย์จุลประโทน(ジュプラドンパゴダ)と記されている。

この看板は全く読めない。

それに、柵があり中には入れない。



■12:06 ドヴァーラヴァティー遺跡で、基壇の大きさは19メートルの正方形。ここから発掘された漆喰彫刻は、プラパトムチェディ国立博物館に保管されている。


■12:07

遺跡の横にはレンガが積まれていた。


ワットタンマサラ(Wat Dhamma Sala)


■12:16

ワットタンマサラ(Wat Thamma Sala)。

この寺院は、上記遺跡地図の環濠の右の外に位置する場所にある。

大きな境内を持つ寺院だ。



■12:16  2012年11月に発掘調査された、ドヴァーラヴァティー時代の仏塔。


■12:17

発掘された基壇には、漆喰彫刻が残されている。


■12:19

こちらにも、漆喰彫刻が。



■12:21 南側から遺跡を眺める。円形の仏塔の形態が分かる。「ふうみん」は、インドのサーンチーのストゥーパを連想した↓



■12:23 仏塔の横にも、ドヴァーラヴァティー時代のレンガの基壇がある。



■12:23 レンガの基壇の中心部分。


■12:24

仏塔の東南方向にも遺跡のレンガの基壇があり、ここは大規模なドヴァーラヴァティー時代の遺跡と考える。


 ワットプラメール(Wat Phra Meru)



■12:43 ワットプラメール(Wat Phra Meru)。先ほどの寺院から4号線を西に6キロほど走りたどり着いた。この遺跡はプラパトムチェディの南側の4号線沿いにある。周りを柵で囲んであり中には入れない。



■12:43 この遺跡は、ドヴァーラヴァティー時代の仏塔で四方に仏像を安置していた。

ラーマ6世の治世(1910年ー1925年)に、この寺院は壊れた基壇や外観から「ワットプラメール」と名付けられた。この地域の人々は、古代の君主の火葬場だと思っていたらしい。


BIG C


■13:00

ワットプラメールの4号線沿いのすぐ近くに「BIG C」があった。

ここで、昼食を摂ろう。

お昼の時間とあって、駐車場は一杯だった。


■13:03

「Tummour」という、イサーン料理店に入る。

店内の入り口のメニューで、ビールの大びんが有る事を確認した。

ショッピングモールのレストランには、ビールの置いて無い処もあるからね。


■13:09

先ずは、シンハービールだ。

今日は朝早くから沢山の遺跡を巡り、のども乾いた。

ビールがノドに染み渡る。付け出しに、野菜が付いてくるのがいいね。

「yayo」は、大好きなカオニャオを食べる。


■13:14

ソムタム。


■13:16

ガイヤーン。

この手羽先のフライが美味しかった。


昼食代、411バーツ。



・・・この後、BIG Cでお土産の「タイのコーヒー」を2000バーツほど購入した。


プラパトムチェディー(Phra Prathom Chedi)


■14:39

今日の最後の見学は、プラパトムチェディー(Phra Prathom Chedi)だ。

この高さ127メートルのチェディーは、この辺りの何処からでも見つけることができる。



■14:41 プラパトムチェディは、伝説によると紀元前3世紀にインドのアショカ王が2人の僧を派遣して、ナコンパトムにインドシナ半島で最初に仏塔を建てたと言われている。現在の仏塔の原型は、ドヴァーラヴァティー時代の6世紀ごろに建てられた。

11世紀にクメールに占領されてクメール様式に改修された。その後は放置されて荒廃していた。1853年にラマ4世の命令により建築が始まり、17年の年月をかけてラマ5世の時代に完成した。


■14:43

真っ青な抜けるような空に、オレンジ色のチェディーが美しい。


■14:47

リンガがあった。


■14:47

仏像に金箔を貼る信者たち。


■14:48

ごつごつした岩の上に建つチェディー。


ウエスタングランドホテル(Western Grand Hotel)



■15:11 4号線を南西の向かって逆光の中を走り、ラチヤブリー(Ratchaburi)の歓迎ゲートを潜る。


■15:34

メークローン川を渡り、ラチャブリーの市街に入る。


■15:39

ウエスタングランドホテル(Western Grand Hotel)に到着。


■15:47

ウエスタングランドホテルにチェックイン。

少し古いが落ち着いたホテルだ。

この旅で初めて、同じホテルで2泊する事になる。

クリーニングに出す服が、溜まっているからね。


ベトナムハウス(Vietnam House)


■18:11

夕食の前にガソリンを入れよう。


■18:11


★給油DATA

給油価格 920 (B)
給油量 33.74 (L)
1L当り 27.26 (B)


■18:25

ベトナムハウス(Vietnam House)。

今日の夕食はベトナム料理だ。

このレストランは、ホテルから100メートルぐらいの場所にある。


■18:31

「ふうみん」のサイトでおなじみの「ネームヌアン」。

ネームヌアンとは、焼いたネーム(豚肉の酸味ソーセージ)と 野菜とハーブに、生にんにく、唐辛子、スターフルーツを戻した春巻きの皮に包み、甘辛いタレをつけて食べる料理。

春巻き皮の間に、レタスの葉が挟まれているのには感心した。

ビールがススミます。


■18:35

メニューの写真で選んだ揚げ物。

これは、あまり旨くなかった。


■19:03

「yayo」の〆はフォーで。


夕食代、チップ込みで500バーツ。


レンタカーの走行距離
本日の走行距離 156キロ
累計の走行距離 2767キロ
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