■行程3日目>遺跡を巡り、ボロブドゥール内のマノハラホテルへ
…ジョグジャカルタ、Inna Garuda Hotel   …ボロブドゥール、Manohara Hotel   Google map  
■5:41

インナガルーダホテルの部屋から眺めた朝日。

ここインドネシアでは、朝の4時過ぎにコーランの大音響の放送が鳴り響くから、寝坊することはない。


■7:10

インナガルーダホテルを早朝の出発。

ジョグジャカルタの市内の渋滞に、巻き込まれたくないからね。



■7:19 ソロスウィジャン通り抜けて、トゥグ駅西の立体交差に向かう。



■7:23 14号線をマゲラン(MAGELANG)方面へ走る。早朝から交通量は多い。



■7:36 反対車線は、ジョグジャカルタへの通勤のオートバイの軍団が走る。


■7:44

ジョグジャカルタ特別州と中部ジャワとの境界の橋を渡る。



■今日の「遺跡巡りの地図」
1、Candi Gunung Wukir(グヌンウキル寺院・ヒンドゥー教)
2、Candi Gunung Sari(グヌンサリ寺院・ヒンドゥー教)
3、Candi Ngawen(ガウェン寺院・仏教)
4、Candi Mendut(ムンドゥ寺院・仏教)
5、Candi Pawon(パオン寺院・仏教)
6、Candi Borobudur(ボロブドゥール寺院・仏教)
特に、1~3はガイドブックには載っていないし、情報量は極めて少ない遺跡だ。これらの遺跡群のヒンドゥー教と仏教寺院の位置関係に注目されたい。


グヌンウキル寺院(Candi Gunung Wukir・ヒンドゥー教)


■7:51

グヌンウキル寺院(Candi Gunung Wukir)は、先ほどの橋から3キロほど走った所を左折する。

そして、さらに2キロほど走ったチャンガル村にある。


■7:58

チャンガル村に着いて村人に聞くと、このおばさんの家を紹介された。


■8:00

この家の息子さんが、グヌンウキル寺院の遺跡まで案内してくれるという。


■8:01

幅1メートルほどのコンクリートの橋を渡る。


■8:05

こんな山道を10分ほど登る。

途中で、一服する。


■8:10

海抜300メートルの小山の頂上に、グヌンウキル寺院はあった。



■8:11 グヌンウキル寺院は、シヴァ神を祀る主祠堂と三基の副祠堂からなっている。東南東に向いた主祠堂は、後ろにボロブドゥールを正面にプランバナン方向を望んでいる。

この寺院は1879年に発見された。Canggal 碑文により、古マタラム王国の732年に建立された事が判明している。と言う事は、近くにボロブドゥールを建立したシャイレンドラ王国が出来る前になる。


■8:11

崩れた基壇の上には、ヨニが残されていた。


■8:13

副祠堂のナンディン像。

後ろの係員の二人は、「ふうみん」が持参した遺跡のファイルを興味深そうに見ていた。



■8:16 事務所には、カーラの石片が保存されたいた。


■8:17

お世話になった二人に心ばかりのチップを渡し、お礼を言って別れる。


■8:27

チャンガル村の集落の中を抜ける。


グヌンサリ寺院(Candi Gunung Sari・ヒンドゥー教)



■9:21 続いて、グヌンサリ寺院(Candi Gunung Sari)へ向かう。グヌンウキル寺院から幹線道路の14号線に出たが、左折する場所がわからずだいぶ先まで行ってしまった。また元の場所に戻って慎重に脇道を探して走る。


■9:22

やっと脇道を見つけて入ったら、直ぐに小学校があった。

休み時間か?子供たちが買い食いをしていた。


■9:33

やっと、グヌンサリ寺院(Candi Gunung Sari)に着いた。

立派な階段がある。

遺跡まで、道が整備されているのかな?


■9:37

整備されていたのはグヌンサリ遺跡のためでなく、小山の中腹に大規模な墓地があったからだ。

そこの掃除のおばさんに、グヌンサリ遺跡への道を尋ねた。


■9:42

グヌンサリ遺跡への道は、こんな山道を登る。



■9:45 途中の景色を眺め、一休みする。


■9:48

やっと山頂のグヌンサリ寺院が見えた。


■9:49

グヌンサリ寺院の発見は新しい。

1998年、テレビ局のアンテナ工事でこの小山の頂上にヒンドゥー教遺跡がある事が判明した。

その為か、ここを訪れた日本人はほとんど居ないらしい。



■9:50 グヌンサリ寺院は、西面する主祠堂に正対して、三基の副祠堂が配置された寺院構成になっている。グヌンサリ寺院は Bukit Sari(中心の丘の意味)の頂上にある。


■9:50

ヨニ。


■9:50

ゴミ箱状の空洞の石。

こんな形状の石は見たことがない。



■9:50 このグヌンサリ寺院の詳しい調査はまだ行われていず、詳しいことは分かっていない。残された遺跡や遺物の状況から判断すると、先ほど訪ねたグヌンウキル寺院(732年建立)より古い可能性があるという。



■9:52 遺跡のある頂上からの眺め。


■9:54

係員から説明を聞く「ふうみん」。


■9:54

この様な原始的な記号(文字)が彫られた石がたくさんあるが、解読されていない。



■10:09 グヌンサリ寺院というか墓地の広場脇に、村の集会所があった。遺跡から降りてきた、外国人の「ふうみん」と「yayo」を興味深そうに眺める村人たち。


ガウェン寺院(Candi Ngawen・仏教)


■10:16

グヌンサリ寺院から、次のガウェン寺院(Candi Ngawen)まで、Googleマップのナビゲーションによると、2.1キロで所用時間は5分だった。

しかし、途中の橋は狭くて通れなかった。

四苦八苦して、ドライバーの「yayo」はUターンする。

近くの住民が集まり、好奇の目を注いでいた。



■10:24 「Googleマップ」のナビゲーションには注意が必要だね!と話しながら、多分こちらだろうと見当をつけた田舎道を走る。


■10:33

先ほどの橋より、かなり下流の橋を渡る。


■10:50

5分で着く予定が30分ほど掛かって、ガウェン寺院に到着。

ここは、先ほどまでのヒンドゥー教の遺跡と異なり仏教遺跡となる。

先ほどのグヌンサリ寺院から、直線距離で1.5キロほどの場所に位置する。



■10:53 ガウェン寺院は、ボロブドゥールの複合建築の一部と考えられているが、建築・彫刻様式検討すると、ボロブドゥールより少し古い8世紀後半に建立されたらしい。現在一つの祠堂が残され、内部には首の無い宝生仏が安置されている。かつては5つの祠堂があり、密教の五仏(阿弥陀仏、不空成就仏、毘盧遮那仏、阿閦仏、宝生仏)を安置していた。

ここで面白いのは、ガウェン寺院は最初にヒンドゥー教の寺院として建てられたが、その後に仏教寺院に変更されたという。それは屋根のラトナの尖塔で分かるらしい。

「ふうみん」が興味があるのは、この近距離(上記「遺跡巡りの地図」参照)に同時代の宗教の異なる二つの王朝、ヒンドゥー教遺跡(古マタラム王国)と仏教遺跡(シャイレンドラ王国)が共存していた事だ。


■10:55

基壇の角にある立っている獅子像は、ガウェン寺院特有のものだ。

この様に、立っている獅子像は非常に珍しいという。


■10:58

残された彫刻もなかなか繊細だ。


ムンドゥ寺院(Candi Mendut・仏教)


■11:10

ムンドゥ寺院(Candi Mendut)へ向かう。



■11:24 ムンドゥ寺院は、ボルブドゥールと同時期に建立された仏教寺院。ボロブドゥールの東約3キロにあり、祠堂内に安置された3体の石造仏で知られる。特に、中央の如来倚座像はその美しさで知られる。

入口の左右の内壁に描かれたレリーフは、鬼子母神と毘沙門天と考えられている。入場料は、次のパオン寺院と共通で3,500ルピア。


■ボロブドゥール寺院と二つの寺院の意地図。

位置図で分かるように、ボロブドゥールとムンドゥ寺院を結ぶ直線の中間地点にパオン寺院がある。

一直線に並ぶその位置から、この一帯が先ほどのガウェン寺院を含む、多数の寺院群で構成された巨大な仏教複合構造物と考えられる。

ここケドゥ盆地には、伝説によると2000もの寺院が存在したというが、1000年前に起こったムラピ山の大噴火で、全て火山灰の下に埋もれてしまった。


■11:25

ムンドゥ寺院の境内には、実に大きなガジュマルの木があった。


■11:26

祠堂内部に収められた、初転法輪印をなす高さ3メートルの「釈迦如来坐像」。

この、釈迦如来坐像は「世界で最も美しい仏像の一つ」といわれている。

衣を描かず、身体の線をエレガントに描き出した技法は、インドのグプタ美術のサルナート派の流れをくんでいる。

インドの「エローラ石窟寺院」の石造仏を思い出す。


■11:27

向かって左側には、高さ約2メートル半の「観世音菩薩像」。


■11:27

向かって右側の「金剛手菩薩像」。

この三尊仏の形式から見ると、仏教の宗派は密教と考えられている。



■11:28 祠堂入口の右手に彫られた「毘沙門天の図」。父親(毘沙門天)の周りで遊ぶ子供たちの姿が可愛い。



■11:28 祠堂入口の右手に彫られた「鬼子母神の図」。子供を膝の上に載せた母親(鬼子母神)と木に登る子供たちの様子が微笑ましい。


パオン寺院(Candi Pawon・仏教)


■11:44

パオン寺院(Candi Pawon)に向かう。



■11:47 パオン寺院には、高さ12メートルの小さな祠堂が一基建っていた。この寺院の建立は820年代とされ、シャインドレラ王朝のインドラ王の遺灰を埋めた場所というのが通説になっている。


■11:48

残念ながら、祠堂内には何も残されていない。


■11:48

祠堂入口側壁の美しい蓮の花を手に持つ「ターラー菩薩像」。



■11:50 すべての願いをかなえるという「聖樹カルパタル」、聖樹の下には金を入れた袋を持つ半人半鳥の音楽神キンナラ(男)とキンナリ(女)、空中には天人が生き生きと描かれている。

カルパタルやキンナラ、キンナリはヒンドゥー教寺院のプランバナンでも見ることができ、仏教とヒンドゥー教の融合文化が確認できる。


マノハラホテル(Manohara Hotel)



■11:56 目前にボロブドゥール史跡公園の看板が見えた。左端に茶色のマノハラホテルの標識を発見し左折する。


■11:57

ボロブドゥール史跡公園内にマノハラホテル(Manohara Hotel)はある。

何でも、ボロブドゥール遺跡の修復時のの調査団用に建設されたホテルだという。

その為、ボロブドゥール遺跡の直ぐ近くに位置する。

「ふうみん」の様に、ボロブドゥール遺跡にどっぷり浸かりたい者には、最適なホテルだ。


■11:58

このホテルの宿泊客は、史跡公園内がフリーパスだ。

一般の入場料は20ドルだから、「yayo」と二人分だと40ドルだ。それが、2日間無料になるのは大きい。




■12:05

レセプションで、明日のボロブドゥール・サンライズツアーの申し込みをする。

一人分の代金は、230,000ルピア。

ホテル宿泊者以外は、380,000ルピアだという。

ここは人気のホテルなので、早めに予約をした方がいい。

「ふうみん」も満室のため、1日予定を変更した。


■12:15

マノハラホテルは、バンガロースタイル全35の客室。

客室は、スタンダードルームのみとシンプルな構成だ。


■12:16

テラスには、テーブルと椅子が置かれている。

ただし、プライバシーの点はあまり良くない。



■12:51 早速、ボルブドゥールを眺めながらのレストランで昼食だ。「ふうみん」はビンタンビール、「yayo」はグァバジュースを注文。そこで、一句出来ました。
  
季語が無い。ジャワ島は日本と違って四季がありませんから、ご容赦のほど。


■12:54

ナシゴレン・スペシャルマノハラを注文。味は良い。

代金は飲み物と食事二人前で、185,000ルピア。


ボロブドゥール史跡公園(borobudur Archeological Park)



■ボロブドゥール史跡公園(borobudur Archeological Park)の地図

公式サイトの
www.borobudurpark.co.id より


■15:01

ホテルの部屋で一休み。

団塊の世代の遺跡見学には、ムリなスケジュールは厳禁だ。

さあ、ボロブドゥールへ見学に行こう!

マノハラホテルのレセプションで、腰に巻くサロンを貸してもらおうとすると、無用になったという。

そのマノハラホテルからは、専用の入り口があるから入場券は不要だった。



■15:08 東南方向からボロブドゥールを望む。ボロブドゥール遺跡(Borobudur)は、インドネシアのジャワ島中部のケドゥ盆地にある大規模な仏教遺跡。「ボロブドゥール寺院遺跡群」としてユネスコの世界遺産に登録されている。インドから東南アジアに伝播した仏教は、上座部仏教(小乗仏教)が多いが、ボロブドゥールは大乗仏教の遺跡である。



■15:10 南側の入り口から上部を望む。


■15:12

特徴的なカーラの彫刻のあるアーチ。

アーチは、せり出し構造(Corbel Arch)であり、クメール遺跡と同じだ。

何故、東南アジアにアーチ(Arch)はミャンマーだけにしか無いのだろう?

・・・大きな疑問だ。

ジャワやクメールの開口部は、まぐさ石(lintel)とせり出し構造の二つだけだ。

多分、木造建築の手法をそのまま石材に応用したと推測。


■15:12

床の美しい敷石に感動だ。

複雑なジグゾーパズルのようだ。

これで、構造的に強く安定しているのだろう。



■15:14 最頂部の釣鐘状の仏塔。



■15:14 半壊した仏塔からは、「釈迦牟尼仏」の上半身が露出している。人気の観光スポットなので、観光客も多い。



■15:15 幽玄で神秘的な情景が眼下に展開する。


■15:18

獅子と仏像。


■15:19

マカラ(摩褐魚)の排水口。



■15:23 西北方向からボロブドゥールを望む。この角度からが、遺跡の全体を写せる。



■15:27 東北方向からボロブドゥールを望む。修理中の屋根と柱が景観を台無しにしている。


■15:29

東南の角にある「隠れた基壇」。

この「隠れた基壇」は、1886年にオランダの考古学者ブランデスによって発見された。

ボロブドゥールの最初の工事時に、何度か崩壊したため、最下層の上に補強の石材を積み上げた。

その二重構造が分かるように、「隠れた基壇」が剥き出しになっている。



■15:30 「飲酒の戒」のレリーフ。これらのレリーフの出拠は「分別善悪報応経」だという。



■15:31 「悪い顔」のレリーフ。上部に古代のカウイ文字が残されている。


■15:46

詳しい見学は明日に回し、「サムドララクサ博物館」に向かう。

その途中は、このような土産物屋の通りを歩かなくてはならない。


■15:50

「サムドララクサ博物館」に展示されている、ボロブドゥールのレリーフを元に再現された帆船。

9世紀当時、このような船が交易船として使用されていた。


■15:53

サムドララクサ博物館の見学を終えて、一休みする「ふうみん」。


■15:55

次の「考古学博物館」へ向かうのにも、土産物屋通りを歩く。


■15:57

「考古学博物館」に入ると、非常に多く遺物の石材驚く。

・・・いちいち写真を撮る意欲が無くなる程の石の量だ。


■15:59

中庭の遺物。



■16:02 考古学博物館に置かれた遺物。レリーフが見事だ。


■16:05

館内に居る見学客は、「ふうみん」たちだけだ。

他の見学客は、館内に入らずスルーしていく。

その為か、係員は手に持ったチギリで石材のつなぎ方を熱心に説明してくれた。

チギリとは、石材を空積みした時に石材と石材がずれないように用いられた補強材の事。



■16:07 見るのが嫌になるくらいの遺物の石材。係員にマノハラホテルに泊まっていると伝えると、中庭のドアから行くと近道だよと教えてくれた。


■16:08

ボロブドゥール遺跡公園内の乗り物。

現地の人々にとっては遊園地だね。



■16:15 東正面口から眺めたボロブドゥール。「ふうみん」たちはマノハラ口から入った。


■16:24

マノハラホテルに戻ったら、老人が実にいい音のガムランを演奏していた。


■19:23

夕食もマノハラホテルのレストランで、ボロブドゥールを見ながら摂る。

三脚を使用しないと、ボロブドゥールがうまく撮れないね。


■19:31

夕食は、アヤムゴレンと Nasi Bakar Kemangi を注文。

それとビンタンビールとミネラル。

食事代は、170,000ルピア。


レンタカーの走行距離
本日の走行距離 73キロ
累計の走行距離 85キロ
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