■ 行程7日目 > ボパールへ、サーンチー見学
…インドールのホテル、…ボパールのホテル、…サーンチー遺跡 339km  Google map




■6:40

今日は、ボパールまで移動し、ホテルにチェックインして、サーンチー遺跡を見学する予定。

その為、昨日に引き続き早朝の出発だ。

朝食は部屋で食べたバナナ2本。


■6:43

朝靄の中をインドールの市内を走る。


■6:48

インドールの駅近くの大きな橋を渡る。

この先に行けば、国道3号線に合流できる。


■6:55

インドールの市内は鉄道線の南側が発展しているようだ。

「ふうみん」の泊まったホテルは反対の北側だった。


■7:10

途中、ガタガタ舗装の道になり、少し心配になったが、無事にバイパスの国道3号線に合流出来た。

高速代、10ルピー。



■7:20 朝靄にかすむ朝日に向かい、橋を渡る。


■7:36

デワス(Dewas)で、国道3号線を右折して、国道86号線に入る。

しばらく走ると、料金所があった。

高速代、30ルピー。



■7:40 いや~あ!素晴しい道路です。片道2車線で通行量の少ない道を100キロで快適に飛ばす。



■8:08 何時までこんなにいい道が続くのか?と、心配しながらも快適に飛ばす。



■8:43 幾つかの街中を通り抜けるが、このように道路が分離されているのでスムーズに通過できる。



■9:07 料金所を幾つか通過した。この料金所での高速代は16ルピー。


■9:12

国道86号線でのうれしい事は、料金所の横にトイレが設置されている事だ。

幹線の国道3号線には、全く無いからね。


■9:30

国道86号線の高速道路を飛ばしていたら、いつの間にかボパール(Bhopal)の市内に入っていた。

まさか、インドールからの200キロを3時間足らずで来れるとは思わなかった。

…うれしい誤算だ。


■9:45

ボパールの湖沿いのVIPロードを走り、ホテルを探す。

ボパールはマディヤプラデーシュ州の州都で人口180万の都会だ。


■10:01

本日、宿泊するヌールアッサバパレス(Noor Us Sabah Palace)にチェックイン。


■10:11

湖の見える部屋に通される。

宮殿ホテルというだけあって、なかなか雰囲気のあるホテルだ。


■10:28

荷物を部屋に置き、サーンチー見学に出かける。


■10:35

VIPロードから、エアポート通りを走る。

踏み切りを通り、飛行場のT字路を右折して、バイパスに入る。


■10:49

バイパスを走り、鉄道の陸橋手前を左折して、国道86号線をサーンチーに向かう。


■11:25

国道86号線の、サーンチーまで6キロの標識地点。


■11:40

サーンチー(Sanchi)に着き、ゲートウエイカフェテリア(Gateway Cafeteria)に入る。

サーンチー遺跡の見学前に、先ずは昼食を摂ろう。


■12:03

残念な事にビールは無く、コーラで代用。

鳥チャーハンを頼む、味付けが濃すぎだったが、まずまずの味だ。

西洋人の母と娘のバックパッカー風旅行者が入って来、隣のテーブルに座る。

この二人に、2日後のカジュラホ見学でバッタリ出会うとは…。


■12:32

ゲートウエイカフェテリアの横のチケット売り場で入場券を買う。

入場料、250ルピー。

そして、サーンチー遺跡への丘を登り、駐車場に車を停める。



「インド建築案内」より
■サーンチー仏教遺跡


●見学について

・世界遺産登録…1989年
・開場館時間…日の出~日没
・休み…ナシ
・入場料…250ルピー
・考古学博物館…入場料5ルピー、写真撮影は不可
・食事…博物館横に有る


●概要

マールワー地方のサーンチー仏教遺跡は、ムスリムの破壊をまぬがれ諸遺構が多く残されている

年代的にはアショーカ王時代以降の古代初期の時代(BC.3-AD.1世紀頃)、およびグプタ代以降の中世期の時代(AD.4-11世紀頃)の2期に大別される

イギリスのテイラー将軍によって発見された1818年当時、この仏教遺跡は何世紀も前から廃墟と化して植物におおわれていたという


■12:33

サーンチー仏教遺跡の入り口。


■12:34

入り口を入ると、正面右に第1ストゥーパ、正面左に第3ストゥーパが見える。

足早に、第1ストゥーパ目指して進む「ふうみん」。


■12:36

●第1ストゥーパと北門のトラナ

トラナの上から、1本目は「過去七仏」、2本目も「過去七仏」、3本目は「ヴィシュヴァンタラ本生」が彫られている。

第1ストゥーパの4基のトラナは、1世紀初めのサータヴァーハナ朝時代に南、北、東、西の順で建てられたらしい。

これらのトラナを彩る 浮き彫り彫刻の主なモチーフは、仏伝図、ブッダの前生の説話を描く 「本生図 (ほんしょうず)」、そして仏教のシンボル群である。

これらを基本にさまざまな光景の描写と装飾が、各トラナの2本の柱と、それをつなぐ3本の梁の表面を、あたかも余白を残すことを恐れたかのようにびっしりと埋めつくしている。



「インド美術史」より
■第1ストゥーパ

第1ストゥーパはアショーカ王時代(BC.3世紀)に創建され、原塔はレンガ積みで現在の約半分の直径と推測される。

シュンガ朝時代(BC.2世紀)に原塔を石で覆って拡大した。

基壇の直径は36.6メートル、覆鉢(ふくはち)頂きまでの高さ16.5メートル。

サーンチー仏教遺跡で美術的に最も重要なのは、欄楣の四方に建てられた門(トラナ)だ。

2本の方柱に、それぞれ柱頭彫刻をのせ、3本の横梁を渡す一般的な形式であるが、門全面が見事なレリーフと丸彫り彫刻で飾られている。


■12:37

●北門のトラナ

中央の浮き彫りは、ブッダが出家するきっかけとなった「四門出遊」。

宮殿を出発する王子を描いている。


■12:37

北門のトラナのヤクシャの素晴しい浮き彫り。

守護神ヤクシャは、門の内側に一対で彫られている。

樹木を背景にし、上半身は裸形で下半身は薄い裳で覆われている。

頭にターバンを巻き貴人の容貌で、左手は腰に当て右手で果実をとっている。

これは、豊穣神としての出自を示している。



■12:40 ●東門のトラナ
トラナの上から、1本目は「過去七仏」、2本目は「出家踰城」、3本目は「ボードガヤー精舎参拝」が彫られている。


■12:40

東門の樹下ヤクシー女神。

マンゴーの樹の幹を右手に絡め、左手で枝を握り、全身を大胆に曲げたポーズ。

わずかな腰飾りをつけただけの、全裸の肉体は、インド的豊穣さと官能の合体を見事に表現している。


■12:46

南門近くに、アショーカ王の折れた石柱の基部が残っている。

この石柱は、4頭背合わせの獅子の柱頭を持っていた。

この事からも、建造はアショーカ王時代に遡ると考えられる。



■12:47  ●南門のトラナ
上から、1本目は「ガジャ・ラクシュミー像」、2本目は「龍王護王」、3本目は「ヤクシャと如意の蔓」が彫られている。

この南門のトラナは、4門の中で一番優れている。碑文によると象牙細工師たちによって作られたという。



■12:50  ●西門のトラナ
上から、1本目は「過去七仏」、2本目は「初転法輪」、3本目は「菩提樹供養」が彫られている。

この西門のトラナは、表現が煩雑で重苦しい。4門の中で一番劣る。


■12:56

第1ストゥーパには回廊があり、そこに登る。


■12:56

回廊から見た、東門のヤクシー女神の後ろ姿。

…色っぽいですね。



■13:00  ●東門のトラナ
トラナの裏面を順光で写す。上から、1本目は「六牙象本生」、2本目は「降魔成道」、3本目は「ヴィシュヴァンタラ本生」が彫られている。

日本の鳥居に似た「トラナ」を眺め、「トリイ」との関連を連想するのは、「ふうみん」だけではあるまい。


■13:02

第1ストゥーパの回廊から、貨物列車を望む。


■13:06

第1ストゥーパから、第2ストゥーパ向う。

●第51僧院跡

33メートル四方の中に、広い中庭を囲んで回廊と僧室がある。


■13:07

第51僧院跡から、第1ストゥーパを望む。

第1ストゥーパは、覆鉢の頂上には平頭(ひょうず)と傘蓋(さんがい)がつけられ、地上面には3.1メートルの欄楣(らんじゅん)をめぐらしている。


■13:09

この大きな鉢は托鉢の鉢。

この鉢に入ったお供え物で、僧侶たちは食事を摂ったのだろう。


■13:14

さらに、道を下って行くと第2ストゥーパが見えてきた。

●第2ストゥーパ

紀元前2世紀末から前1世紀頃に建設された。覆鉢の直径は約14メートルあり、頂部を平らに削っているものの、平頭や傘蓋はない。


■13:16

ストゥーパの周囲には、繞道を取り囲んで欄楯がめぐらされている。

その四方に、入り口が設けられているがトラナはない。


■13:16

第2ストゥーパの見どころは、シュンガ朝時代に欄楯の柱にほどこされた、円盤形をはじめとする多数のレリーフ彫刻である。

そこでは蓮華などの植物紋や、さまざまな動物などが装飾モチーフとなっている。


■13:22

欄楯の柱の浮き彫り。

動物や植物が、組み合わされている。


…坂を登り、第1ストゥーパ方面に戻る。


■13:39

●寺院17

5世紀のグプタ朝によって建てられたインドにおける、中世初期の石造寺院の典型的寺院。

それまで、木造文化の国であったインドが、初めて石造建築を作り始めた最初期の建物。

正方形の聖室の前に、4本柱のポーチがついているがシカラ(塔状部)はまだ無い。 


■13:45

●寺院38跡

基礎だけが残っている。



■13:47 ●僧院45跡
残された仏像やレリーフから見て、グプタ代以降の中世期の時代(AD.4-11世紀頃)の建造と思われる。


■13:57

●第3ストゥーパ

第3ストゥーパは、1世紀に建造された。

規模は、基壇の直径が約15メートルと、第2ストゥーパとほぼ同じ大きさである。


■14:00

第3ストゥーパの形態上は、第1ストゥーパを小規模に模していて、傘蓋の数が1枚であること以外は、第1ストゥーパと同じでだ。

しかし、今では外周の欄楯が失われ、トラナも南側の1基しかない。



■14:01 第3ストゥーパのトラナには仏伝図はなく、ヤクシャと蓮華などの装飾文様、ストゥーパ、菩提樹の供養、インドラの天国が彫られている。


■14:19

生まれて間もない、赤ちゃんを連れてサーンチー見学に来ていた。


■14:33

●考古学博物館

残念ながら、撮影禁止。


■14:51

まだ時間がるので、ウダヤギリ石窟寺院(Udayagiri Caves)に行こう。

この、サーンチーの鉄道駅の横からいけると思ったが、行き止まりだった。


■14:54

国道86号線に戻り、数百メートル先を左折して、田舎道に入る。


■14:57

踏切があった。

前の車が旅行社の車なので、多分ウダヤギリ石窟寺院に行くのだろう。

後を着いて行こう。


■14:59

踏切を渡り、Y字路を右折する。


■15:10

そこからが、酷い悪路だった。

尖った小石が多く、神経を使いながらゆっくり走る。


■15:20

貧しい村の中を抜ける。


■15:21

■ウダヤギリ石窟寺院

ここは、ヒンドゥー教最古の石窟寺院群で20窟ある。

5世紀のグプタ朝最盛期の開窟で、ヒンドゥー教美術の人体表現を確立した重要な石窟。

図像的にも神々の神話場面はこの時期に形成されている。


■15:24

「ふうみん」たちの元へ、小さな子供が「マネー!マネー!」と手を合わせてねだる。

仕方が無い、ポケットにあった小銭を渡す。

…これが大失敗だった!その後、違う子供たち3、4人が押し寄せて来、見学中の「ふうみん」たちにねだる。



■15:26 ●第5窟
「ヴィシュヌ神の野猪(ヴァラーハ)の化身」の大場面(3.9メートル×6.7メートル)の見事なレリーフ。とぐろを巻き、龍蓋をつけたシェーシャ龍の上に猪頭のヴィシュヌ神は、牙で大地の女神ブーミを引き上げる図柄だ。


■15:27

第5窟の背景は、着色された大勢の人物像。


■15:30

●第6窟

外壁には、401年に奉献された銘文が刻まれている。

この窟の入り口は二女神、華麗な唐草紋、ミトゥナ像などを配するグプタ装飾紋で飾られいる。


■15:30

この第6窟の外壁には、「門衛神」、「ヴィシュヌ神」、「水牛を殺すドゥルガー」、「ガネーシャ」など、お馴染みのヒンドゥー教の神々のレリーフがある。


■15:34

石窟の鍵を開ける管理人。

チップとして、50ルピー支払う。


■15:35

●第4窟

顔面リンガを撮影する「ふうみん」。


■15:35

顔面リンガ(エーカムカリンガ)のシヴァ神は、丸い顔立ちで頬は緊張したふくらみを示す。

アーモンド形の眼の上瞼は熱く、唇も肉感的だ。


■15:38

●第3窟

「カールティケーヤ」の像も素晴しい。


■15:42

金網に覆われた、「横たわるヴィシュヌ神」の像。


■14:44

金をせびる、子供たちを追い払うように、ウダヤギリ石窟寺院を後にする。



■16:04 稲穂が色づいてきた田んぼを眺めながら、悪路を気をつけて走る。どうも変だ、車体の底を擦るようだ。


■16:09

先ほどの踏み切りを渡る。

ここでも、また車体の底を擦る。


■16:18

サーンチー遺跡近くのレストランで一休みしよう。

ゲートウエイリトリート(Gateway Retreat)に入ると、そこにいた警察官が「ふうみん」に向かって、指を刺す。

何と、左前輪のタイヤが、

パンクしている!


■16:18

そこにいた、警察官が手伝ってくれた。

ジャッキをセットしようとした、「ふうみん」の横から、警察官の方が代わって作業をしてくれる。


■16:19

手馴れた物だ、テキパキと処理をしてくれる。

レンタカー見て、ムンバイから来たのか?という。

どうして分かったの?と聞くと、ナンバーの頭文字が「MH」だから、ムンバイと分かったという。


■16:21

「yayo」がデジカメを構えると、それを意識してか、一生懸命作業してくれる。

…インド人は写真を撮られるのが大好きだからね。



■16:21 手際よく、5分足らずでタイヤ交換を終えた。警察官のリーダーが、レストランのマネージャーにパンクしたタイヤを修理するよう命じてくれた。早速、レストランの従業員がパンクしたタイヤを持って、修理屋へ運んで行く。

警察官の方たちと、感謝の握手交わす「ふうみん」。…いや~あ、本当に助かりました。インドの警察官の方には、感謝!感謝!です。「yayo」がさかんに、「警察官の方がカッコ良かったな!」と褒めていた。


■16:54

タイヤが修理されて来るまで、レストランでビールを飲みながら待つ「ふうみん」。

飲み物代、218ルピー。


■17:13

修理したタイヤを、トランクに取り付けるタイヤ屋のお兄ちゃん。

左は、レストランの従業員。

パンク修理代、300ルピー+チップ100ルピー。

従業員へチップ100ルピー。


■17:30

レストラン横のお土産屋で買い物をしたりしていたら、薄暗くなって来た。

急いで、ホテルに帰ろう。


■17:35

運転していた「yayo」に向かい、「ふうみん」が牛がいるよ!と声を掛ける。

牛が道路に寝ていた。

夕暮れ時では、道路と同系色の牛はとても分かりずらいと、「yayo」。


■17:39

つるべ落としの秋の夕方。

安全運転で、しかし急ぐ。


■17:57

暗くなると、上向きのライトが眩しい。

特に、トラックは車高が高い為、よけい眩しく運転がしづらい。


■18:39

やっと、バイパスに入った。

ホテルまで、もう少しだ。


■18:43

やっと、ホテルに到着。


■18:49

ボーイが笑顔で出迎えてくれた。



■19:55 夕食はホテルのオープンエアのレストランで摂る。ボパール市内の夜景が綺麗だ。


■20:00

何と!何と!…このホテルも、昨日のホテルに続いてアルコールが無いという。

仕方なく、ボーイのオススメのノンアルコールのシャンパンを注文!

「yayo」は美味しいといったが、「ふうみん」には葡萄ジュースと同じだった。

この値段は、1000ルピーもした。


■20:21

さすがにカレーは美味しい。

色々なスパイスが入り、体の芯や頭がポーッとしてくる。

これが、アルコールの代わりなのかな?


■20:42

夜景の中心の一段と明るい所は空港だった。

飛行機が着陸するのを見ながらの、夕食もまた風流だ。

…しかし、二晩続けてアルコールの無い夕食なんて、何年ぶりだろう。

夕食代、1743ルピー。


レンタカーの走行距離
本日の走行距離 339キロ
累計の走行距離 1534キロ



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