■行程13日目>インレー湖からヤンゴンへ



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■5:48

早朝のニャウンシュエを散歩していたら、近くのパゴダがライトアップしていた。


■6:08

アメージングホテルの朝食は、
・シャン料理
・ミャンマー料理
・アメリカン
から、チョイス出来る。

アメリカンを選択。これなら、不味くても我慢出来るからね。


■6:40

雨の中、托鉢に出かける僧たち。

今日は、9:45発のエアマンダレーの6T402便で、ヤンゴン空港に向かう。

ニャウンシュエからヘーホー空港まで、一時間かかるので7:30にタクシーの予約をした。チャーター代は26.000チャット。

後で電話があり、7:00に変更してくれとの事。飛行機のスケジュールが変更になったのかな?と、思い承諾した。


■7:14

かなり雨が降っている中、7時にホテルの前からタクシーに乗る。

すると、ガイドだと称する女が助手席に乗る。

話を聞くと、ボードを見せてくれた。日本人の名前が書いてある。

と言うことは、ガイドがこのタクシーを使って迎えに行く訳だ。

その為、30分早くさせられたのだと思うと、何か釈然としない。


■7:53

ヘーホー空港に到着。雨が止んだので、ほっとする。

西武バスが3台も並んで停まっていた。


■7:54

タクシーはヘーホー空港内に入れず、スーツケースを台車で運ぶ。


■7:54

ヘーホー空港に向かう。


■7:56

タクシー(ガイド)の都合?により、予定より30分も早く空港に到着してしまった。

エアマンダレーのカウンターも開いたばかりだった。

馴れた、搭乗手続きを一番目で行う。


■8:10

トランジットルームの売店。

地元の人を対象とした物ばかりで、何も買う物はない。


■9:27

空には黒い雨雲がある。

「ふうみん」は、台風による欠航を心配していたが、大丈夫のようだ。


■11:01

無事にヤンゴン空港に到着。


■11:15

3度目のヤンゴン空港からのタクシーとなる。

空港から、パークロイヤルホテルまでのタクシー代、7.000チャット。


■11:26

前2回はセントラルホテルだったが、ミャンマー最後の宿はパークロイヤルホテルのデラックスルームを奢った。

タクシーの走る経路も、セントラルホテルとは違う道を途中から走る。


■11:43

パークロイヤルヤンゴン
Parkroyal Yangon)に到着。

レセプションでチェックイン。


■11:48

5階の部屋に通される。

デラックスルームの割りに、大した事は無い部屋だ。


■11:49

部屋から眺めた風景。ホテルの裏になる。

…何かおかしな?確かデラックスルームはもっと上の階のはずだ。

「地球の歩き方」を見ると、デラックスルームは6~7階と書いてある。

「ふうみん」は、敢然と(オーバーかな)レセプションに向かい、抗議し、部屋の変更を求める。


■12:19

7階のデラックスルームに変更になった。

部屋の大きさは同じだが、内装が少しいいかな。

「yayo」がテレビが違うわ!シャープの液晶になってるわ。と言う。

…上の写真と比較してください。


■12:33

部屋から眺めた風景。

こちらは、ホテルの正面になる。


■12:36

NHKで日本女子オープンを放映していたので、ベットに寝転がりながら観戦。

馬場ゆかりが優勝した。

「yayo」が、部屋を変えてもらって良かったわね。大きな画面のテレビで見れて!といった。


■13:49

今日の昼飯は我慢して、ストランドホテルのハイティーに行こう。

パークロイヤルの隣のタマダホテルの横にある、映画館の看板。


■14:04

ヤンゴン市内のイギリス植民地時代の建物。

市庁舎。


■14:06

スーレーパゴダ。

高さ46メートル。中には、仏陀の遺髪が納められているといわれる。

何人もの両替商から、声を掛けられる。


■14:08

マハバンドゥーラ公園の横のバスターミナル。


■14:10

イギリス植民地時代の建物。

最高裁判所。


■14:15

イギリス植民地時代の建物。

税関。



■14:17 目的のストランドホテル(The strand Hotel)に到着。

このホテルについて、1991年6月号の雑誌「ガリバー」に、フランス人編集者のジャン・パスカル・ピヨの書いた文章。
バンコクのオリエンタル」だとか「シンガポールのラッフル」といった俗でノスタルジックな「コピー」のことはもう忘れよう。かつての超英国時代を代表するホテルはストランド以外にはない。時を忘れた風格とはこのこと。・・・
この文章を読んだ20年前から、「ふうみん」は是非一度このホテルに来て見たいと思っていた。

このホテルのある場所は絶対に、ビルマ(ミャンマー)のラングーン(ヤンゴン)であり、前を流れる川は、ラングーン川(ヤンゴン川)でなくてはならない。


■14:18

1901年に建てられた由緒あるホテルは、1993年アドリアン・ゼカ氏によって大改装された。

この銘板がいいね。


■14:20

重厚な歴史を感じさせるロビー。


■14:20

入り口左手にある、THE STRAND CAFEに入る。


■14:24

THE STRAND CAFE。

窓際に座り、ハイティーを頼む。


■14:44

2人前のハイティー。

この量にビックリする「yayo」。


■14:44

苦笑いする「ふうみん」。

昼食を抜いたが、それでも食べ切れなかった。

しかし、味は思ったほどではなかった。

代金は一人18ドル。


■15:32

ハイティーを終えて散歩がてら、イギリス植民地時代の建物の間を歩く。


■15:33

イギリス植民地時代の建物。


■15:36

イギリス植民地時代の建物。


■15:45

この道の突き当たりがグランドミヤタホテル。

その近くの露天で両替をする。手持ちのチャットが心細い。

しかし、ドルもバーツも全て両替してしまった。

1万円札を出して、95.000チャットに両替。

これで、明日の帰国時まで持つだろう。


■16:06

ボーヂョーアウンサンマーケットの漆製品の店に入る。

いい製品が揃っている見たいだ。

「yayo」は数点購入した。


■16:16

アウンサンマーケットの裏から、鉄道の線路を跨ぐ橋の上を歩いていたら、かわいらしい機関車が走っていた。


■16:59

パークロイヤルホテルの横にショッピングモールがある。

ラピャウォンプラザ(La Pyae Wun Plaza)という。

中に入って、ガッカリした。もう少しいい店が入っていると思ったが、見るべき店はなかった。

ただ、スーパーのアジアライト(Asia Light)という店は使えそうだ。


■19:52

今日の夕食は、パークロイヤルの2階の鳳凰閣(phoenix Court)に入る。

隣の円形テーブルには日曜日とあって、華僑らしき地元の裕福な人たちが大家族で楽しそうに食事をしていた。

そのグループがお開きになり、中心にいた華僑の夫人が、「yayo」に親しそうに現地語で話しかける。

もちろん、「yayo」はきょとんとする。華僑の夫人は間違いに気づき、謝って去った。

これで、ベトナムに続いて、華僑に間違られたのは2度目だね。
と「ふうみん」。


■20:05

ここの白身魚の餡かけは絶品だった。

その他の、料理も美味い。


■20:12

ここのレストランといい、グランドミヤタホテルのゴールデンキッチンといい、食のレベルの低いミャンマーに於いて、中華料理のレベルは高い。

食事代は、24ドルとリーズナブル。



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