■行程3日目>ミャウー遺跡巡り








■6:25 早朝の小雨が降る中、村人たちの日常生活は何時も通りに始まっている。


■7:06

レストランに朝食を摂りに行く。

このホテルの宿泊客は、「ふうみん」たちだけのようだ。


■7:54

昨日、予約したジープが来ていた。


■8:04

ホテルを出て、ミャウーの王宮跡の前を通る。

古都ミャウーのあるミャンマー西部は、バングラデシュとの国境地帯に南北に細長い平野が広がっている。

南にベンガル湾を望むこの地は、古くから海上貿易が盛んだった。

ダニヤワディー、ヴァザリ、そしてミャウーと3つの王朝が2000年にわたり、この地を治めた。


■8:07

まずは、早朝のマーケットに行く。

マーケットに着くと、うれしいことに日が差して来た。

大きな自然薯だ。「ふうみん」も高知での単身赴任時、地元の人とよく採りに行った。

これを掘るのはとても根気がいるが、「ふうみん」は食べる方専門だった。


■8:09

これは、蒟蒻だろうか?


■8:12

マーケットの店舗も、もう開いている。


■8:22

さあ、遺跡巡りを始めようと走っていると、サイカーに乗った観光客に出会った。

その後、彼らを何度か遺跡で目にした。


■8:28

ミャウー遺跡1
Pizi Paya 
(ビズィパヤー)


小山の上に、1122年に建てられた寺院。

すでに、屋根などは崩壊している。

入り口は4ヶ所あり、写真は東側の入り口で、朝日を浴びて仏像の顔が輝いている。実にいいお顔だ。

上段の一体しかない仏像も、こちらを向いているという事は、ここが正面の入り口だろう。


■8:30

それぞれの四方の入り口には、黒っぽい石で出来た仏像が安置されている。



■8:32 Pizi Paya から眺めた、ミャウー郊外の農村風景。緑の多いのどかな景色の中に、Koe Taung Paya の雄姿が見える。


■8:36

ミャウー遺跡2
Koe Taung Paya 
(コウタウンパヤー)


1553年にミンブン王の息子ディカ王によって建てれた。

コタウンパゴダとは「9万の仏塔」という意味で、ミャウー遺跡では最大のパゴダと言われている。

このパゴダは東西70メートル、南北76メートルの大きさがある。


■8:40

境内の中央には巨大な仏塔が建っている。


■8:40

この、ヒンドゥー教のカーラ(死の神、建物の入り口を守る怪物)のような者は何だろう。

回廊の入り口にあり、棍棒を持っていることから門衛神と思われる。


■8:44

薄暗い回廊に入る。

9万の仏塔と言うだけあって、たくさんの仏像が壁一面に彫られている。



■8:49 苔むした仏像に朝日があたり、黄緑色の苔が陰影をなお一層深める。


■8:51

薄暗い回廊の仏像もとてもいい感じだ。

柔らかな光が、神秘的な美しさを醸し出している。


■8:53

この僧侶?が、仏像を彫っていた。

彼から、砂岩製の仏像を3.000チャットで購入したが、その後の7回もの飛行機の乗り降りで首がもげてしまった。


■8:54

このパゴダは、1997年から改修工事が始まったというが、あまりにも綺麗に修理をしすぎたと感じる。

よく見ると、修理の跡がハッキリと分かる。


■9:01

ミャウー遺跡3
Paya Ouk
(パヤーオウ)


1571年にモンパウロン王によって建てられた。


■9:02

29の外壁の壁龕には、それぞれ仏像が納められている。


■9:11

ミャウー遺跡4
Mongkhong Shwede
(モンコンシュエドゥ)


1629年にティリトゥダマヤザ王の第一番目の王妃である、ナットシンメイ妃によって建てられた。


■9:14

パゴダには、豊かな装飾がされている。


■9:28

ミャウー郊外の農家。

電気の通っていない、木と竹で建てられた、粗末な家並みの中を走る。


■9:37

ミャウー遺跡5
Zinamauaung Pagoda
(ジーナマンアウンパヤー )


1652年にサンダトゥダマ王によって建てられた。

この寺院は孤児を預かっており、僧侶から寄付をお願いされた。

心ばかりの寄付をすると、領収書を書いて渡された。


■9:39

このパゴダは、王宮の南にあるパンディンタウン山の頂上に築かれている。


■9:42

ミャウーにはパヤーの名前の最後にマンアウンと付いているパヤーが5つあり、その中の一つ。

ジーナマンアウン寺院の獅子像。


■9:47

寺院の前で揚げ物をしていた屋台。


■9:54

ミャウー遺跡6
Lattsaykan Gate
(レッセイカンゲート)


レッセイカン湖の水門で高さ5メートル幅2.4メートル。

外敵が侵入した時に、この門を開けて湖の水を流して都を守ったという。


■9:59

湖畔の丘に建つ仏像。


■10:01

レッセイカン湖から、水門越しに王宮跡が望める。


■10:08

ミャウーの女性はパイプタバコを良く吸っている。

ジープで通過時に出会った老女をパチリ。

「yayo」も思わず、カッコイイ…と感心!


■10:11

ミャウー遺跡7
Bandoola Temple
(バンドーラ寺院)


バンドーラ寺院の階段は修理中だった。


■10:14

苔むしたレリーフが、歴史を感じさせてくれる。


■10:17

バンドーラ寺院の頂上に安置された仏像。


■10:31

ミャウー遺跡8
Palace Excabate Site & Archeological Museum 
(王宮跡と考古学博物館)


王宮跡の敷地内にある考古学博物館に入る。入場料は5ドルで、外国人はノートに名前や国籍を記入する。

「ふうみん」の前に書かれた名前はアメリカ人で、日付は一週間も前だった。という事は、この博物館の入場者は一週間で一組か?


■10:34




博物館の展示物。

仏像のタブレット。



■10:35 ミャウー王朝時代の復元模型。中心に王宮がある。



■10:37 博物館のメインの展示物。

・左は、スジャータから、乳粥碗を受け取る仏陀。3世紀の彫刻。
・真ん中は、説教する仏陀。3世紀の彫刻。
・右は、6人の弟子に説教する仏陀。6世紀の彫刻。


■10:38

牛の石像の部分。

これは多分?ヒンドゥー教の聖牛ナンディンだろう。



■10:55 15世紀にミャウーを都とするアラカン(ラカイン)王国が誕生し、18世紀にビルマ族によって滅ぼされるまで、350年間にわたり王国が続いた。

15世紀に建てられたミンブン王の王宮は、黄金や宝石で飾られた木造の建物だったといわれているが、はるか昔に火事で消失してしまった。

この地に立つと、過去の栄華はすでに消滅し、城壁と建物の基壇の廃墟が無残に残るのみ。

■ここで、アラカン王国の日本人武士団の話をして見たい。

17世紀にアラカン王国を旅した、ポルトガル人宣教師セバスチャン・マンリケが著わした「東印度伝道紀行」の中に書かれていた話。

マンリケ神父は1630年ごろアラカン王国を訪れる。そこで、日本人武士の一団と出会う。

彼らの首領は「レオン・ドノ」と名乗り、タイの山田長政と同じように、アラカン国王に親衛隊員として仕えていた。

当時のアラカン王国は仏教国であるが、「レオン・ドノ」はキリスト教徒で、マンリケ神父は日本人たちに福音を授け感謝を受ける。

さらに、「レオン・ドノ」の人柄は名誉を重んじ信義に厚くきわめて礼儀正しいと、好意を持って書かれている。

その後、「レオン・ドノ」たちが仕えたアラカン王は1638年に没し、代わりに王位についた総理大臣は旧王の親族を皆殺しにしたと歴史は伝える。

はたして、「レオン・ドノ」たちの日本人武士団はどうなったのだろうか?

生き残ったのか、それとも殺されたのか。それは、歴史の闇の中に…

…王宮の跡に立った「ふうみん」の脳裏には、下記の詩が浮かんだ。


 国破れて山河在り、城春にして草木深し …杜甫 (春望
 夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡芭蕉

1676年のアラカン王国

アラカン(Arakan)王国の全盛期には、西のベンガル地方も勢力下に置き、インドはもちろん遠くヨーロッパ諸国とも交易を行っていた。


■11:10

ミャウー遺跡9
Paya Baw
(パヤーバウ)


パゴダと寺院。

詳細不明。


■11:11

本尊の仏像。情けない顔をしている。


■11:18

道端に小学校があった。

思っていたより、立派な建物だ。


■11:21

ミャウー遺跡10
Lawkamanaung Paya
(ローカマンアウンパヤー)


ミャウーにはパヤーの名前の最後にマンアウンと付いているパヤーが5つあり、その中の一つ。

1658年にカンダットゥダマラーザー王によって建てられた。


■11:22

このパゴダはセメントと、切り出された砂岩で出来ている。

基盤は四角で、一面の長さが22.5メートル。

ウェサリーやマハムニへの古道はここから始まったといわれており、金道と銀道と呼ばれている。


■11:38

昼食にマーケット近くのダニヤワディー(Dhanyawadi Restaurant)に行く。

このダニヤワディーとは、この地で一番古い王朝の名前だ。

ラカイン族の伝承によればその起源は古く、紀元前3000年にまで遡るという。

この店はドライバーのオススメで、彼は自宅に帰って昼食を摂るという。


■11:50

鶏肉のカレーセットと麺を注文。

ビールを飲んでいると、 前述の観光客のペアが入って来た。

挨拶を交わと、彼らはミャンマー人でヤンゴンから来たという。

「ふうみん」たちが日本から来たというと驚き、握手を求められた。


■12:04

突然のスコールだ。

これでは、外に出れない。もう1本ビールを追加して、のんびりしよう。

ビール2本とコーラ、食事はカレーと麺で、代金は7.200チャット。


■12:25

スコールもやみ、ドライバーもジープに乗って帰って来た。

一旦ホテルに戻り休息し、3時から遺跡めぐりを始めよう。

ジープの後席はこんなに狭い。

もっともジープといっても、アメリカの本物のジープでは無いからね。


■15:09

ミャウー遺跡11
Sittaung Temple
(シッタウン寺院)


1535年にミャウー王朝最強の王、ミンブン王によって建てられた。

ベンガルの12の地方とポルトガルの侵略への勝利を記念して建立された寺院。

シッタウン寺院とは「8万仏寺」を意味し、8万体の仏像が奉納されているという。



■15:11 シッタウン寺院から、ダッカンゼイン寺院の城塞のような形の建物を望む。


■15:17

寺院内の砂岩で作られた回廊はトンネルの中というより、胎内(小宇宙)のようだ。

うれしい事に、建築当時の彩色と思われる色がかなり残っている。

回廊の角には、聖象アイラーヴァタに乗るインドラ神の像。


■15:18

この乗り物の動物は何だろう?

「ふうみん」の好きなヒンドゥー教の神の彫刻のようだ。


■15:19

この彫刻の官能的なエロティシズムは、どう見ても仏教寺院の彫刻ではないよ~ね。

チャム彫刻のようだ。↓



■15:22

クメール遺跡でお馴染みのマカラ(摩竭魚・伝説の怪獣)。

このシッタウン寺院の内部の彫刻類は素晴しいものだった。



■15:23 静寂な洞窟の中に安置された仏像。漆黒の闇の中で瞑想する姿は神々しい。


■15:25

拝殿の入り口の彫刻がいい。

上部にはカーラが彫られ、口の中からは波状の文様が吐き出されている。


■15:28

シッタウン寺院の外部の回廊は、黄金の仏像が安置され、きわめて平凡だ。

ここで、ミャウーの入域料5ドルを徴収された。



■15:30

ミャウー遺跡12
Andaw Thein Temple
(アンドーテイン寺院)


1521年にミンフララザ王によって建てられ、1598年にミンラザジー王により修理された。

中にはミンブン王がスリランカから持ち帰った仏歯が納められているという。


■15:30

アンドーテイン寺院は、重厚なレンガ積みの建物だ。


■15:31

内部には八角形に回廊が設けられている。

安置された仏像。


■15:34

内部の回廊の壁龕には、仏像が納められている。


■15:34

塗料がはげて、いい感じの仏像。


■15:35

仏像の間に彫られた、蓮の華の蕾を捧げて正座した人物像。

「ふうみん」は仏像より、こういう像が好きだ。


■15:37

ミャウー遺跡13
Yatanapon Paya
(ヤダナーポンパヤー)


1612年にミンカマウン王とシントェー王妃によって建てられた。


■15:38

真ん中に大きな仏塔があり、回りを17基の小さな仏塔が囲んでいる。


■15:39

小さな仏塔が崩壊し、中の仏像が野ざらしの状態に置かれていた。


■15:47

ミャウー遺跡14
Htukank Thein Temple
(ダッカンゼイン寺院)


1571年にミンパラウン王によって建てられた。

この寺院はドッカンティンともトゥッカンテインとも呼ばれ、丘の上に城塞のようにそびえている。


■15:49

寺院の中の回廊は暗闇に包まれ、懐中電灯の灯りが奥まで届かない。


■15:52

砂岩製の壁の壁龕には、仏像が納められている。


■15:52

胸をあらわにした婦人像。


■15:53

門衛神の像に、いたずら書きがされていた。

このいたずら書きは、数年前に見たアンコールのバコン遺跡の阿修羅像へのいたずら書きにそっくりだ。

…こういう下司な輩が、貴重な遺跡を穢す事に怒りを覚える!


■ダッカンゼイン寺院の平面図

ダッカンゼイン寺院の回廊は図のように螺旋状になっていて、建物の中心に安置されている本尊へといざなう。

赤点線は、「ふうみん」の歩いた経路。


■15:55

中心の部屋へ階段を登って行くと、黄金の仏像が鎮座している。

長年に渡り火が灯され、本尊を照らしていたのか、天井は煤けている。

創建時、この胎内回帰の回廊を通り、この黄金仏を見た人々はその神秘的荘厳さに心を打たれたであろう。


■15:55

美しいドームの天井。

当時の建築技術の高さを示している。


■16:08

ミャウー遺跡15
Lemyauna Tempe
(レミャウーイナ寺院)

1430年にミンソモン王によって建てられた。

レミャウーイナは4面という意味で、外形は4面、中は八角形になっている。



■16:10 レミャウーイナ寺院のそばにはヘリポートが造られいた。多分、外国のVIPを運ぶためだろう。その傍らの道を村人が通る。のどかな風景だ。


■16:26

ミャウー遺跡16
Laung Buwann Paya
(ランブワンプラパヤー)


1525年にミンハンクラザ王によって建てられた。

八角形の美しいシルエットが印象的。


■16:27

パゴダの外壁には16の壁龕レリーフがある。


■16:36

ミャウー遺跡17
Pitaka Taik
(ピタカタイ)


1591年にミンパウラン王によって建てられた。

この建物は経典を保管する書庫、すなわち経蔵だ。

かって、このような経蔵が48ヶ所もあったというが、今はこの建物のみだという。


■16:38

経蔵は華麗な装飾が彫られている。

この形は蓮の花をイメージしたらしい。


■16:38

室内はドームになっており、天井は煤けている。

写真では分かりづらいが、左右に一ヶ所づつ窓が設けられている。



■16:44 シッタウン寺院の傍の道を通ったら、小坊主たちが水浴びをしていた。



■17:43 ミャウー遺跡のサンセットのビューポイントは、ミャウー遺跡13のYatanapon Paya の道を挟んだ対面の丘の上だ。20分ほど前からシャッターチャンスを狙うが、太陽は雲に隠れてしまったままだ。



■17:51 サンセットの撮影をあきらめて、ホテルに戻ろうと歩く。ミャウーの村人たちも家路を急いでいるようだ。


■18:07

今夜の夕食は、昨日も来たレストランのハッピーガーデン(Happy Garden)にした。


■18:08

ハッピーガーデンの昨日と同じテーブルに座り、行き交う人々を眺める。


■18:13

看板娘のターショさんが、サービスといってビールのつまみを出してくれた。

うれしい心使いだ。


■18:40

鶏肉とカシューナッツの炒め物、野菜の炒め物、ヤキメシを注文。

どれもなかなか旨かったが、「yayo」はカシューナッツの炒め物がお好みだ。


■19:18

店に2人連れの白人男性が来た。ミャウーで会った初めての外国人だった。

その他、何組もの客が入り、店はなかなか繁盛している。

料理3品とミャンマービール2本とウォーターとミャンマーウイスキーで、代金は10.300チャット。

飲んだミャンマーウイスキーは、写真の旗のGRAND ROYALだ。



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