■行程7日目>ムイネーへ



Google map




■5:52

ニャチャンの早朝の海岸。

こんなに早い時間から、もう泳いでいる人がいる。

そして、砂浜や海岸沿いの公園を散歩する人が多い。

現地の人に混じって、観光客もちらほらと見える。

繰り返すが、ベトナム人の朝は早い。



■6:02 空も海も青く、そして覚醒するかのように皓く明るくなってきた。

ビーチに置かれたパラソルの多さは、ここニャチャンがベトナム随一の海浜リゾートである事を如実に物語っている。


■6:38

朝食の定番のライスペーパー類。

地方やホテルにより、少しづつ異なっているのが面白い。


■6:58

大好きなフルーツをたくさん食べる。

もちろん、タンロンも。

それと、温めたミルクと砂糖を入れたベトナムコーヒー。


■8:04

チェックアウトし、ツアーデスクのところに行くと、昨日お世話になった女性の係員と、ドライバーらしい男性が深刻な顔をして話している。

昨日頼んだルートでは、300キロ近く走り、チャンパ遺跡を5ヶ所も周ってムイネーに行き、また戻ってこなくてはならない。

とても、「One Day Trip の範囲ではない!」という。

もっともな話なので、チャンパ遺跡の見学を1~2つ減らすことを条件に、車に乗る。



■8:25 チャーターした車はいすずのSUVで、多分ドライバーの持ち物なのだろう?顔に似合わず慎重な運転だ。ちなみにドライバーの名前はThy という。

ニャチャンからの海岸沿いの道路はすごく快適な道だ。片方の地図帳には載っていないので、最近出来たばかりの道路ようだ。見晴らしの良いパーキングから眺めた、ニャチャンの海。


■8:36

そのうち、道路は片道2車線になった。

ベトナムで見た一番良い道路だ。

何処まで続くのかな?


■8:44

左手にカムラン空港が見える。

カムラン国際空港(Cam Ranh International Airport)は軍事用の空港であったが、2004年に民間に転用され2007年には国際空港となった。

この素晴らしい道路も、空港を過ぎると田舎道になった。

「yayo」はシェムリアップの空港見たいね。と、つぶやく。

…まさに、アジア的だな~あ。


■8:53

田舎道は国道1号線にぶつかる。

左折してムイネー方面に向う。


■9:39
チャンパ遺跡 No.18
遺跡名 ホアライ (Hoa Lai)
様 式 ポーハイ遺跡群
(Pho Hai)
年 代 8世紀~9世紀
入場料

ファンラン(Phan Rang)の14キロ手前の国道1号線沿いに、ホアライ(Hoa Lai)遺跡の2基の祠堂が建っていた。

この2基の祠堂の間に中央祠堂が建っていたが、崩壊し今は見る影もない。


■9:47

閉まっていた門を開けて中に入ると、ゴミが散乱し、2基の祠堂との間に電線が走っている。

2基の祠堂は修理が終っていたが、周辺の整備は全くなされていない。

東側から順光のシャッターチャンスなのに、これでは台無しだ。


■9:55

北祠堂の内部には、幅1.5m、奥行き30cmの大壁龕があり、さらにその内部に小壁龕がある。

このような壁龕を複壁龕と呼び、チャンパ遺跡での事例は少ない。


■10:18

ホアライ遺跡の横に小さな骨董店があり、覗いて見るとチャンパ遺跡の遺品らしきものが売られていた。

手前の2点は本物らしい?…


■10:18

1号線を右折して、27号線を走る。この道は高原リゾートのダラット(Dalat)に通じている。

ファンランの街中を走るが、道は狭く交通量は多い。



■10:22 ポークロンガライ (Po Klong Garai)遺跡に着いた。広い駐車場があり、トイレや土産物屋、食堂が完備し、ダラットに行くバスの中継点になっていて観光客が多い。

雲がかかっているのが残念だ。青空の下だったら、遺跡がすごく映えるのに。


■10:26
チャンパ遺跡 No.19
遺跡名 ポークロンガライ
(Po Klong Garai)
様 式 王国衰亡期遺跡群
年 代 13~14世紀
入場料 10.000ドン

ドイチャウ(檳榔の丘)と呼ばれる荒涼とした丘の上に4つの建物が残っている。

チャンパ王国が追い詰められ、衰亡期に向っている事を感じさせる場所にある。


■10:28

特徴のある門越しに眺めた、主祠堂と右の宝物庫。


■10:31

隅尖塔が特徴的な主祠堂。

この、主祠堂は東を向いて入口を開き、狭い前形部を持つ。


写真を撮っていると、「こんにちわ!」と声を掛けられ、「素晴らしい遺跡ですね!」と続けて言われた。

日本人の青年だ。オープンバスでダラットに行く途中、ここで休息時間があったので見学に来たという。

お互いの旅の安全を祈り別れる。


■10:31

入口の上には4層の破風が重なる。

第1層の破風はまぐさ石の上にあり、6本の腕を持った踊るシヴァ神のレリーフがはめ込まれている。

2本の手は頭上にあり、4本の手にはそれぞれに垂れ飾りが握られている。

これはチャンパ彫刻の中の優品の一つだ。


■10:32

主祠堂内に安置されたムカリンガ(人面を彫ったリンガ)が祀られいる。

シヴァ神に見立てた、土着のポークロンガライ王の顔を模した物というが、稚拙な表現だ。


■10:33

「ふうみん」はムカリンガより、4本の柱で作られた木造の鞘堂に興味を覚えた。

チャンパの祠堂やクメールの祠堂も、レンガや砂岩で造られた内部にリンガや神像などが祀られている。

創建当時はどうだったのだろう?

木製の天井が設けられ、周囲を金属板か板や布などで覆われていた空間だったのだろう。

その手がかりとなる、残された貴重な鞘堂だ。


■10:35

これは、楼門の入口に設けられた木製のまぐさで、その奥に砂岩製の構造材まぐさがある。

木製のまぐさの両端には、軸受けの穴が開いている。

この軸受けに、木製の観音開きの扉が付けられていたと考える。

「ふうみん」は、かなりの数のクメール遺跡を見てきたが、木製の痕跡を発見する例はまれだ。

ここには楼門だけだなく、主祠堂、矩形房、宝物庫にも木製の部分が見られ、思わぬ収穫に感激だ。


■11:15

続いて、ポーロメ(Po Rome)遺跡に向う。

ドライバーはこの遺跡には行った事が無く、商店で聞く。

往復に1時間もかかり、それに小さな遺跡に過ぎないと、ポーロメ遺跡行くのを渋る。

「ふみん」は是非行きたいと、強くお願いする。

チャム人の村を抜け、何度か道を聞き遺跡に向う。


■11:31

道路の向こうにポーロメ遺跡の祠堂が見える。

道路からその先500メートルはダート道だ。ドライバーは車では入れないという。

仕方が無い、「ふうみん」は遺跡に向って歩く。

ポーロメ遺跡はチャンパ建築の最後期に建てられた。この後の神殿は木造になる。

サボテンや潅木がまばらな、荒涼とした風景の中を歩く。


■11:37
チャンパ遺跡 No.20
遺跡名 ポーロメ (Po Rome)
様 式 王国衰亡期遺跡群
年 代 15~16世紀
入場料

従来、丘の上に続く階段は東向きに作られていた。

この階段は、1960年代の修復時に北向きに新しく造られたものだ。


■11:38

祠堂は先ほど見学したポークロンガライを模した物だが、造形力と建築技術は格段に劣っている。

祠堂の内部を見たかったのだが、残念な事に扉には鍵が2ヶ所もかけられていた。

祠堂内部には、シヴァ神を模した8本の手を持ったポーロメ王の像が納められている。


■11:40

岩盤の上に建てられたレンガの祠堂。

レンガの大きさや積み方は不揃いで、明らかに建築技術が落ちているのが分る。

このレンガの壁を見ただけでも、チャンパ王国の衰亡が如実に現れている。


■11:41

屋蓋の3層はよく残り、各層の同様式の4つの隅尖塔と壁龕がある。

壁龕には砂岩製の神像が安置されている。



■11:42 千数百年も続いたチャンパ王国は、この地において衰亡し消滅した。そして、チャンパ王国が存在した事さえ、ほとんどの人は知らない。

丘の上に立ち荒涼たる大地を望む。農耕に全く適さないサボテンと潅木がまばらに生えている不毛の土地を眺め、吹きつける風を頬に受けながら、過ぎ去った歴史の長い歳月の重さを思う。

滅びつつあるものは無残だが、滅んだものは美しい

まさに、旅の醍醐味がここにある。…地元のドライバーも知らず、観光客もいず、人知れず佇むチャンパの祠堂に、あらためて歴史のロマンを感じる。


■11:48

ポーロメ遺跡から戻ってくる途中、面白い毛並みをした山羊の群に出会う。

「yayo」は、「マ~ア!可愛い!」と声を上げる。


■12:30

1号線を走っているとカナビーチに出た。

昼食に海辺にあるBinh Vinh Hao という名前のレストランに入る。

ここは人気のあるレストランとの事で、大勢の客で賑わっていた。


■12:35

レストランから砂浜に出る。

そこから眺めた美しいカナビーチ。


■12:43

昼食は簡単でいいね。と、蠣のオムレツとチャーハン。

そうしたら、素焼きのどんぶりに入ったご飯が出てきた。

日本の釜飯のようなものだ。周りの客も皆注文している。これが旨い。

タイガービールとコーラで、
代金は145.000ドン。



■13:23 Vinh Hao の山々。この山の何処かの麓に、「ふうみん」の行きたいチャンパ遺跡がある。ポーダム(Po Dam)遺跡といい、8世紀~9世紀に建造された。

しかし、今回は残念ながら見学を断念する。その理由は遺跡への道が分らないのと、ドライバーの帰路の時間を考慮しての事である。


■13:56

1号線を走っていると葬式の行列にあった。


■14:23

1号線を左折して、ムイネー(Mui Ne)に向う。

眼前に荒涼たる大地が広がる。


■14:49

白い砂漠を過ぎ、赤い砂漠にいたる。

ここ赤い砂漠には、観光客の姿が見られた。



■14:55 ムイネーの漁港には驚くほど多くの漁船が停泊し、海岸には竹を編んだお碗の小船が置かれている。


■15:13

ムイネーセイリングクラブリゾート(Mui Ne Sailing Club Resort)に到着。

ドライバーのThy にお礼をいい、チップは100.000ドンでいいかな?とも思った。

しかし、これからニャチャンに帰ると現地に着くのは9時ごろになるだろう。

また、今日のチャーター代は思ったより安かった。

そんな事を勘案し、200.000ドン渡すと、顔がほころんだ。


■15:47

ここ、ムイネーセイリングクラブリゾートはロンプラに推薦され、ファランの観光客が多いという。

自然に囲まれた、32部屋のこじんまりとしたスタイリッシュなホテルだ。

早速、ビーチに出て見ると風が強い。ここムイネーはウインドサーフィンの絶好の地だ。

この貿易風に乗って、チャンパの民は海洋貿易で活躍した。


■16:07
チャンパ遺跡 No.21
遺跡名 ポーハイ (Pho Hai)
様 式 ポーハイ遺跡群
(Pho Hai)
年 代 8世紀~9世紀
入場料 5.000ドン

セイリングクラブのエントランスを出たら、マイリンのタクシーが通りかかったので、停めて乗車する。

ポーハイというと、「ポーハイ」という名のホテルに連れて行かれた。

Uターンしてポーハイ遺跡に到着。丘を登ると北副祠堂が現れた。


■16:12

頂上の主祠堂と小祠堂。

ポーハイ (Pho Hai)とは「海の見える」との意味がある。

その名のとおりファンティエットの海岸線を見下ろす燈台のような場所にある。

主祠堂は、海のシルクロードで栄えたチャンパ王国を誇るかのように立っている。


■16:16

ポーハイ遺跡は3基からなる。

左から、主祠堂、小祠堂。北副祠堂と並ぶ。

これらの建物は、プレアンコール期のクメール建築の影響を強く受けている。


■16:17

主祠堂内部には砂岩製のヨニとリンガが安置され、現在でも崇拝の対象となっている。

また、内部の3面には壁龕が設けられている。


■16:37

ポーハイ遺跡の駐車場に待たしてあったタクシーでセーリングクラブまで戻る。

タクシー代金は見学待機代を含め、255.000ドン。

セーリングクラブ周辺のビーチロード沿いを散歩する。

その後、セイリングクラブのレセプションで明日のホテルからホーチミン国際空港までの車をチャーターする。

代金は110ドル。


■18:46

セーリングクラブの近くのLina D'autunno という名のイタリアンレストランに行く。

店内はファランの客で繁盛している。

陽気でいかにもイタリア人とわかる、腹の出たオーナーが迎えてくれた。


■18:56

「ふうみん」は冷えたハウス赤ワインを注文。

お酒のダメな「yayo」は、コーラの中に少し赤ワインを入れて雰囲気を味わう。

サラダ(Sarada Salad)は量も多く、オリーブオイルに塩と胡椒がマッチし、食が進む。

パンも旨い。


■19:16

パスタ(Tortellini al Go)と、ピザの(Pizza Pugliese)が、これまた旨い。

この写真を眺めているだけで、味を思い出してよだれが出てくる。

ベトナムはベトナム料理も美味しいが、このイタリア料理もオススメだ。

代金は624.000ドン(3.100円)。


■20:26

美味しいイタリア料理を食べた後は、せっかくムードのあるセイリングクラブに泊まっているのだからと、バーに行く。

あいにく、ビーチフロントは風が強く、室内に移動しカクテルを飲む。


■20:34



深い漆黒の空には

神秘的に満ちた月が輝き

砂浜に並ぶ椰子の木は

激しい貿易風になびく



けだるく甘美で退廃的な

南国の濃密な夜を

見事なまでに演出している。




Back Next Index