■行程1日目>ホーチミン(サイゴン)へ



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■0:22(日本時間)

「東横イン成田空港」の客室から眺めた深夜の成田空港。思っていたより、明るく、そして綺麗だ。

東横インには先ほどチェックインしたばかりだ。

その理由は、東横インに「シンデレラリバティプラン」というのがある事を先日知ったからだ。

深夜24時~25時の間にチェックインすると、ツインで5.145円と安い。

それに加えて、朝食付で15日間の駐車場が無料だから、とてもお得なプランといえる。


■7:37(日本時間)

熟年世代の私「ふうみん」と家人の「yayo」のお馴染みのコンビは、朝食前にホテルの周辺を散歩する。

東急インの建物が朝日に照らされて偉容を誇示している。

実は、この東急インの建物は以前「日航ウインズ成田」だった。

客室は33平米と広く快適だ。それに眺望もよいので、「ふうみん」のオススメです。


■8:14(日本時間)

今回のベトナム行きのJL5133便は、日航とベトナム航空のコードシェア便となる。

機材はベトナム航空のものを使用するため、チェックインはベトナム航空のカウンターだ。

「ふうみん」にとって初めてのベトナム航空だ。ついでに、翌日のホーチミン発ダナン行きのVN322便のリコンファームをお願いする。

係員は戸惑った表情を見せて、電話で問い合わせた。日本発券だから必要ないという。…eチケットは日本発券になるのかな?


■ ベトナムの概要
・正式国名…ベトナム社会主義共和国Socialist Republic of Viet Nam
・面積…約33万k㎡ (日本の約90%で九州を除く日本の面積に相当)
・海岸線…中国国境からインドシナ半島最南端のカマウ岬まで約2,000km
・人口…約8,600万人(首都ハノイ:約600万人、ホーチミン:約550万)
・民族…キン族(越人)約86%、他に53少数民族
・宗教…仏教:80%、カトリック:10%、他
・時差…2時間
・GDP…約849億ドル(2008年)
・一人当たりGDP…835ドル(2007年)
・為替レート…(2010/01)
・1ドル=約18,500ドン(Dong)
・1ドル=93円 ・1円=200ドン


■10:20(以降、ベトナム時間)

ベトナム航空JL5133便は、ほぼ満員だった。

機材は古めで、テレビが付いていない。…機内で暇を持て余す。


■15:29

予定時間通りにホーチミンのタンソンニャット国際空港に到着した。

イミグレ、バゲージと問題なく通過したが、最後の税関でのX線検査に時間がかかる。

そこに、当然のような顔をして横から割り込むファラン(西欧人)の男性。

何と!それを見ているベトナム人係員は何の注意もしない。

奴らの尊大な態度は、まだここが植民地だと思っているかのようだ。


■15:34

この国際線のターミナルは、日本のODAにより2007年9月にオープンしたばかりだ。

ターミナルは大勢の人と熱気に溢れている。

熱帯の新興国ベトナムに着いたことを実感。


■15:39

タンソンニャット国際空港からのタクシーはボッタクリで有名だ。

左手奥のタクシー乗り場で良心的という、マイリンかビナサンタクシー捜すが、残念ながら居ない。

駐車していたタクシーの運転手にキムドーホテル(Kimdo Hotel)に行って!というが通じない。

運転手に「地球の歩き方」で示すと、「キムドー」ではない、「キンドー」だという。

それでは「キンドーホテル」でと、お願いする。


■15:45

タンソンニャット国際空港からホーチミン市内に向う幹線道路は混雑していた。

バンコクなどと異なり、オートバイの数が多い。

話には聞いていたが、思った以上の多さだ。


■15:57

この無秩序な交通マナーでは?

と、思っていたら、やはり…

三重衝突の現場。


■16:10

空港から20分ほどでキムドーホテルに到着。タクシー代金は100.000ドン。日本円に換算するのは下の0を二つ取り、残りを半分に割る。

100.000→0を2つ取る=1.000
1.000÷2=500
つまり、500円ということです

このホテルを選択したのは、上記地図でも分るように立地が良い事だ。

一応高級ホテルにランクされ、宿泊代金は65ドルとリーズナブルだ。


■16:16

チェックインを済ませ、部屋に向う途中で花嫁を見かけた。

エレベーターの中でメールをしていた。…どこの国の女の子も同じだ。


■16:16

一息入れて、日本の冬服からホーチミンの夏服に着替える。

先ずはベトナムの地図を買いにいこう。それも、チャンパ遺跡が載っていれば御の字だ。

大型書店のグエンフエ書店で地図を2冊購入。

写真右が195.000ドン(975円)で左が85.000ドン(425円)。

当たり前だが、日本のような詳細で見やすい地図はない。


■17:06

一番の繁華街のドンコイ通り周辺を歩く。

「yayo」はお目当てのベトナム雑貨の店を手当たりしだい入る。

「ふうみん」はベトナム雑貨にはまったく興味は無いが、そこは、マ~ァ、お付き合いということで…

歩きつかれたのでシェラトンホテルの前の「グロリアジーンズコーヒー」に入る。


■17:14

ベトナムコーヒーのホットとアイスを注文。

日本と異なりミルクと砂糖をしっかりと入れる…これがベトナム流というか、東南アジア流だ。

それに、小腹が空いたので生春巻き風サンドウィッチを一人前注文。

代金は200.000ドン(1.000円)。

コーヒーを飲みながら、行き交う人を眺めるのも、異国でのまた一興。


■17:28

疲れがとれたので、「ふうみん」希望のベンタイン市場に向う。

その途中にある、市民劇場のバロック様式の堂々たる建物。

フランス統治時代の1898年に建てられ、南ベトナムの国会議事堂として使用されていた。


■17:29

レロイ通りのオートバーの疾走風景。

まだベトナムの交通事情に馴れていない「ふうみん」たちは、通りを横断するのも一苦労だ。


■17:35

「yayo」が

カワイイ!

と、声をあげた子供。


白い肌とポッチャリとした体型は、よく土産物屋で売っている中国の子供の人形みたいだ。

「ふうみん」がカメラのシャッターを押していると、周りに居た労務者風の男たちが、
「ワンダラー! ワンダラー」
と、野次を飛ばす。


■17:42

ベンタイン市場前の広場にあるフランス統治時代に建てられた建物の前で、1965年1月29日の早朝、1人のベトコン少年が公開処刑された。

開高健は「ベトナム戦記」の「ベトコン少年、暁に死す」の中で次のように述べている。

広場ではすべてが静止していた。
すべてが薄明のなかに静止し、濃縮され、運動といってはただ眼をみはって《見る》ことだけであった。
単純さに私は耐えられず、砕かれた。


■17:49

文豪の内面に深い傷跡を残した情景を思い、感慨に耽る「ふうみん」。

そんな「ふうみん」をよそに、「yayo」はベンタイン市場の買物に夢中だ。

手の込んだ刺繍のテーブルカバーを購入したが、どうも値切りには失敗した様子だ。



■18:02 買物した荷物を、一旦キムドーホテルに置きに寄る。ホテルの隣に建っている公営百貨店には明かりが燈され、薄暮の中でおのれの存在感を誇示しているようだ。


■18:32

ドンコイ通り周辺を夕食のレストランを探して歩く。

目の前にクラシックモダンなグランドホテルが現れる。

このホテルは1930年に、サイゴンパレスという名前でオープンした。

ドーム型の屋根が目立つコロニアルスタイルのホテルだ。

街の所々に、このような建物が建っているので、ブラブラと歩いていても面白い。


■18:41

結婚式の披露宴会場。

着飾った美女達が並び、新郎新婦が招待客を迎えている。


■18:58

ベトナム最初の晩は、やはりベトナム料理が食べたいと、二人の意見は一致する。

どうせ食べるのだから、少し高くても美味しい料理がいいね!

と、路地裏の奥にある洒落たレストランのギースアン(Nghi Xuan)に来た。

女店員が笑顔で出迎えてくれた。


■19:02

室内の壁には陶器や趣味の良い人形が飾られている。

ここの名刺には、
A Boutique Vietnamese Restaurant 
と書いてある。

伝統のフエ料理というから、京都の懐石料理と思えばいいのね。と、「yayo」。


■19:07

セットメニュー4を注文。
料金は18ドル++/人

ベトナムビール333を飲んでいると、最初は

1、バインベオ(米粉の蒸し物)フエ風付けだれ

が出てきた。


■19:11

2、タケノコサラダ(海老&豚肉入り)フエ風ライスペーパー&フイッシュソース付

ライスペーパーに乗せて食べる。


■19:21

3、海老のカインチュア(甘酸っぱいスープ)

4、マムルオック(フエの海老を発酵させたたれ)ベースのスパイシーなポークリブ。

5、特製ハスの葉ご飯(豚肉、海老、ハスの実)

6、タロ芋のココナッミルク入り

以上6品を堪能した。料理はどれも上品で美味しいが、量が少ないという感想。

料金は44.92ドル。


■20:11

マジェスティックホテルがライトアップされて、美しく、堂々と、そして、あまりの厚化粧に少し気恥ずかしそうに佇んでいる。

創設は1925年、旧カティナ通り1番地の格式を誇る。

戦時中このホテルは、日本軍の将校宿舎となっていた。

また、このホテルはベトナム戦争時、各国のメディアの情報交換の場であった。


■20:18

8階のMバーの入口の壁には、開高大兄の写真が、カトリーヌ・ドヌーブなどの有名人の写真と並んで飾られてた。

「ふうみん」は開高大兄を偲び、マティーニでも飲もと思う。



■20:22 運良くリバーサイドの席が空いていた。サイゴン河の美しく、少しノスタルジックな夜景を眼下に眺めながらグラスを傾ける。そう、ここはホーチミンではなく「サイゴン」なのだ。

サイゴン河からの風が気持ちよく肌を舐めてゆく。この景色とこの雰囲気の中では、誰でも饒舌になるだろう。


■20:34

遠くチョロン(中華街)を望む。1914年、仏領インドシナのサイゴンにフランス人作家のマルグリット・デュラスは生まれた。

デュラスのベストセラーを映画化した「愛人/ラマン」は、このチョロンが舞台だ。

「ふうみん」はしばし、あの美しい映像美を脳裏の片隅から引き出し、その想い出の余韻に浸る。
1992年 上映


■20:47

マルグリット・デュラスの原作・脚本でアラン・レネが監督した映画「二十四時間の情事」は、当時の世界の映画界を震撼させた傑作だ。

「ふうみん」の若い頃、大きな影響を受けた映画の一本だ。
1959年 上映

デュラスとアンチロマン(反小説)、レネとヌーベルバーグ(新しい波)。

そして、開高健とベトナム。
等々…酒の話題は尽きない。


■21:00

この、Mバーの素晴らしい舞台装置のお陰で、「ふうみん」はいつにもまして饒舌だ。

そして、マティーニは潤滑油のように、舌をなおさらスムーズに回転させる。

いつもは話し好きの「yayo」も、今夜はもっぱら聞き役に専念だ。

しかし、そんな至福の時間は長く続かなかった…


■21:05

土曜の夜の為だろう、リバーサイドのトンドクタン通りを、オートバイがけたたましいクラクションと排気音を撒き散らしながら走りすぎる。

そのクラクションに相応するかのように、あちらこちらからけたたましいクラクションが鳴り響く。

また、バンド演奏はこの場所のムードをぶち壊すかのようなミスマッチな音楽を奏でる。

…勘定をする。19ドル。


■21:38

開高健はマジェスティックホテル103号室に滞在し、ここから週刊朝日編集部に電話送稿をしていた。

ドアの横に開高健のプレートがはめ込まれているが、その日本語は何とも怪しい。

日本の作家開高健は一九六四年末から六五年までサイゴンに滞在して、開高健はマジェスティック・ホテル一〇三号室に滞在していました。

毎週、開高健は週刊朝日にいろいろな記事をよく送りました。
ベトナム戦記について書きました。


■21:47

キムドーホテルに帰る道すがら、サンワータワーの前を通った。

オープンスペースを埋める人々の熱気と食欲と大きな話し声に圧倒される。

そう、ここサイゴンは熱帯の東南アジアの都市だ。

この、猥雑でチープでスノッブな雰囲気が、「ふうみん」は大好きなんだ。

まずは、最初の夜としては最高の旅の出だしと言っていいだろう。




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