旅のはじめにⅢ




1968年 新潮社 1972年 新潮社  1965年 朝日新聞社 1973年 文芸春秋社
開高健のベトナム関連著作





ベトナム戦争について


ベトナム戦争は宣戦布告なき戦争であるため、1965年2月7日の北爆を開戦として、1975年4月30日のサイゴン陥落を終戦とする事が多い。

「ふうみん」は青春時代に「ベトナム戦争」とリアルタイムに時間を共有した世代である。ついては、ベトナム戦争に従軍した「開高健」の著作とフランスのドキュメンタリー映画「ベトナムから遠く離れて」を通して振り返ってみたい。


ベトナム戦争と開高健


開高健記念館のパンフ




開高健の書斎




開高健愛用の品々




開高健記念館
開高健はベトナムへ3度(64~65年、68年、73年)訪れている。そして、ベトナムは小説家の内面に生涯消えることのない深い衝撃をあたえた。

64年、開高健は朝日新聞社の秋元啓一カメラマンと共に朝日新聞特派員としてベトナムへ赴いた。

1965年2月14日、取材従軍中の南ベトナム軍部隊はベトコンの一斉攻撃を受け壊滅敗走する。200名中生存者17名という死の現実を目の当たりにし、この体験がその後の作家活動におけるひとつの大きな基点となった。

開高健はこの日を自らの「命日」と決めて、秋元カメラマンと盛大かつ徹底的に酒を飲むことを恒例としていたという。

現地での見聞、体験は「週刊朝日」に「南ベトナム報告」として連載され、連載終了と同時に「ベトナム戦記」として出版された。

その3年後の68年には「ベトナ戦記」を下敷きにした小説「輝ける闇」、72年には連作の「夏の闇」を発表した。この2作は開高健の最高傑作との評判が高い。

68年と73年にベトナムに赴き、ルポタージュ撰集の「サイゴンの十字架」を発表。



開高健がベトナム戦争を取材していた時、サイゴンで定宿としていたのが、「マジェスティックホテル」の103号室。

そして、「あれ以降の人生はオマケみたいなものだ」と言わさしめた、1965年1月29日のベトコン少年が処刑されたのが、「ベンタイン市場前の広場」。

「ふうみん」はホーチミンに赴き、「マジェスティックホテル103号室」と「ベンタイン市場前の広場」の2ヶ所には是非とも行って、文豪の足跡をたどりたいと思う。



■開高健記念館について

・所在地 茅ヶ崎市東海岸南6-6-64
・開館日 金・土・日と祝祭日
・入場料 無料
・駐車場 あり(新設されました)
・サイト http://kaiko.jp/kinenkan/





フランス映画 ベトナムから遠く離れて


1968年アートシアターにて上映
入場券の半券 250円だった





ジャン=リュック・ゴダール監督
「ベトナムから遠く離れて」は映画監督のクリス・マルケル製作による、1967年製作のフランスのオムニバスドキュメンタリー映画。

「もはや沈黙は共謀を意味する」と考え、「侵略に戦うベトナム人民への連帯感」により、フランスの映画人が結集して撮った反戦アピールの映画である。

アラン・レネ、ウィリアム・クライン、ヨリス・イヴェンス、アニェス・ヴァルダ、クロード・ルルーシュ、ジャン=リュック・ゴダールなどの、そうそうたる監督がフィルムを持ち寄り、クリス・マルケルの総編集のもとに出来上がった。



1968年4月、新宿のアートシアター日劇文化でフランス映画「ベトナムから遠く離れて」を鑑賞した。

この当時、「ふうみん」にとってアラン・レネやジャン=リュック・ゴダールなどは「映画の神様」のような存在だった。しかし、映画を見終わった当時の感想は、「つまらなかった」のひと言だった。

開高健の「輝ける闇」の中で、アメリカ人のウェイン大尉は「フランスが第二次世界大戦後にさっさとこの国を独立させてさいいたら…」とフランスを罵倒する。

その当事者のフランス人が作ったのがこの映画。それも、銃弾の飛んでいない「ベトナムから遠く離れて」制作したのだから…




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