行程3日目(通算40日目)

プラサートバイ、北大門、ブリアカーン、タネイ、バイヨン、バプーオン、アンコールワット、プノンバケンへ




7:27

GHの通りに面した食堂で朝食を食べていたら、その横で若いカップルが車を待っていた。

どこに行くのか聞いたら、シアヌークビルまで行くと言う。少し言葉を交わす。

「気をつけて、行ってらっしゃい!」と送り出す。これも、GHのいいところかな。


8:45

今日はトゥクトゥクに乗って、アンコール遺跡群を気ままに巡ろう。GHのツアー料金は14ドル。一日券を購入、20ドル。



Prasat Bei 年代:  10世紀
創建者: ヤショヴァルマン1世
宗教:  ヒンドゥー教

8:59

アンコールトムの南大門手前の左側に、プラサ0
祠堂の基礎部分とフレーム上にまぐさ石が置かれている。

ここから、木の葉形の5つの金製品が発掘された。


9:00

プラサートバイに行く途中、右手にアンコールトムの幅130メートルの環濠を眺める。

朝の気持ちのいい空気を吸い、はるか昔のチャンパ軍との戦いに思いをはせる。


9:02

ラテライトの基壇の上に、レンガの祠堂が三つ佇んでおり、中央の祠堂は完全に残っている。

プラサートバイの「バイ」はクメール語で「3」を意味する。

10世紀にヤショヴァルマン一世によって建てられたヒンドゥー教寺院で、建築様式はバケン様式だ。



9:03  まぐさ石のレリーフはきれいに残っている。2頭の獅子が象に乗るインドラ神を支えている。


Nouth Gate 年代:  12世紀後半
創建者: ジャヤヴァルマン7世
宗教:  仏教

9:19

アンコールトムを南大門から、北大門に縦断する。

観光客のいない北大門の巨大な尊顔が朝日を浴びていた。


9:19

善神も朝日を浴びて輝いている。

伏目がちに、物思いに耽っているようだ。


Preah Khan 年代:  12世紀後半
創建者: ジャヤヴァルマン7世
宗教:  仏教

9:38

プリアカーンに来たのは、ジャヤヴァルマン7世が国内に121ヶ所に造った宿駅(ダルマシャーラー)をもう一度しっかりと見たかったからだ。

「ふうみん」は、先月タイのスリンにあるクメール遺跡のタームアンを見た。

同じ宿駅で、タイ国内で一番きれいに復元された宿駅だ。それと比較して見たかった。


9:42

宿駅に彫られたデヴァター(女神)。

苔むした中身はどんな姿をしているのかな?


9:45

クメールには、アーチ(真性アーチ)の技術はなかった。クメールに有ったのは、擬似アーチの「迫り出し構造」だ。

クメールに技術を伝えたインドにも、その当時はアーチは用いられなかった。

その、「迫り出し構造」の技術的な発展の限界が、このブリアカーンの宿駅で4メートル20センチの空間を造り出す事が出来た。

その天井を、しばし見つめる。


9:50

アンコールには、他にない2階建ての建物。

柱ばかり多く内部の空間は狭い。

この建物はいったい何の目的で造られたのだろう?

調べると図書館だったと言う説もあるが、どうなのかな。


10:09

ビジターセンターで面白い物を見つけた。

瓦に混じって鉄製のチギリがあった。

チギリとは、石材を空積みした時に石材と石材がずれないように用いられた補強材の事。

鉄製のチギリは、農民が農耕用具に使用するために遺跡から盗掘した。

アンコール遺跡の強固な石組みが崩壊する原因の一つでもあった。


10:13

ビジターセンターの隅に阿修羅の頭部が置かれていた。

光線の関係か、とても物悲しそうな顔をしている。

この顔を見ていたら、アンコールでは阿修羅=悪神では無い様に思える。インドと違うカンボジアの優しさか。


Ta Nei 年代:  12世紀後半
創建者: ジャヤヴァルマン7世
宗教:  仏教

10:46

タネイ遺跡にはトゥクトゥクでは行けない。

タケオ遺跡から20分以上も歩かなくてはならない寂しい道で、観光客は一人もいない。女性の一人歩きは注意が必要だ。

GHのトゥクトゥクのドライバーも行った事はないといい、一緒に見について来た。


11:06

中心にある祠堂と経蔵を回廊で囲んでいる。

この回廊は、当初東西35メートル、南北26メートルだったが、後にインドラヴァルマン二世によって、東西55メートル、南北47メートルの大きさに広げられた。

回廊は崩れ、一層物寂しさを感じる遺跡だ。


11:07

長い髪を手にしたデヴァター像。

この像を見て、長い髪を池の水に変えて敵に襲われた仏を救ったナーントランニー(仏を守る女神)の像かな?と思った。

ジャヤヴァルマン7世が建てた祠堂だから、仏教説話のデヴァターが彫られていてもいいだろう。


11:09

カンボジアと日本の国旗が描かれた遺跡内の看板は、次の様に書かれていた。

独立行政法人 文化財研究所
東京文化財研究所
タネイ遺跡における国際共同研究
遺跡内の微気象
彫刻石のクリーニングと保護処理
(2001年12月〜2011年12月)

日本人としては、遺跡の保護に協力出来てうれしい事だ。


Bayon 年代:  12世紀後半
創建者: ジャヤヴァルマン7世
宗教:  仏教


11:41  バイヨンの四面塔は52基あり、現存する尊顔は173面と言う。今まで尊顔は観世音菩薩と言われていたが、最近の新説ではデーヴァ(男神)、デヴァター(女神)、アシュラ(悪魔)の3種類に分類出来ると言う。

詳しくは、↓下記の日本政府アンコール遺跡救済チーム(JAS)のファイルを参照下さい。
カンボジアバイヨン寺院尊顔の分類から見た尊顔制作背景


11:44

そんな訳で、今回はバイヨンの四面塔の尊顔を中心に撮影して見た。どれが、デーヴァ(男神)、デヴァター(女神)、アシュラ(悪魔)なのかを考えるのも面白い。

デーヴァ(男神)は、寺院の内側を向いている。丸みを帯びた穏やかな顔立ちと穏やかに見開かれた杏仁形の眼を持つ。
デヴァター(女神)は、中央塔を讃嘆するように向いている。やや細身を帯びた顔立ちと目尻のつり上がった細い眼を持つ。
アシュラ(悪魔)は、寺院の外側を向いている。角張った力強い顔立ちと突出した大きな目を持つ。

…さて、この尊顔は、デーヴァ(男神)?


11:45

バイヨンの四面塔の尊顔。

デーヴァ(男神)?

丸みを帯びた穏やかな顔立ちと
穏やかに見開かれた杏仁形の眼を持つ。


11:49

バイヨンの四面塔の尊顔。

アシュラ(悪魔)?

角張った力強い顔立ちと
突出した大きな目を持つ。


11:56

バイヨンの四面塔の尊顔。

デヴァター(女神)?

やや細身を帯びた顔立ちと
目尻のつり上がった細い眼を持つ。


12:52

バイヨンの傍で食堂で昼食を摂る。

アンコールビールを飲み一休み。

昼食代は10ドル以上し、高くてまずかった。


Baphuon 年代:  1060年
創建者: ウダヤーディティヤヴァルマン2世
宗教:  ヒンドゥー教

13:01

バプーオンは、1954年からフランス極東学院により断続的に行われている修復工事中。

6月に来た時は、本殿手前の塔門から入れなかった。

しかし、今回は塔門の中に入れる事が出来た。

前回より近くで眺められるのはとてもうれしい。


13:03

この工事の具合では、完成までかなりの時間を要するだろう。

この中央塔は、周達観が真臘風土記にバプーオンについて「銅の塔(バプーオン)は金の塔(バイヨン)より高い」と書いてあり、完成後にはその雄姿が見られる。


13:05

空中参道の横の空き地には、これから修理に使用される石材が並べられている。

それを見ながら歩くのも一興。


Angkor Wat 年代:  12世紀前半
創建者: スールヤヴァルマン2世
宗教:  ヒンドゥー教

13:22

何だこれは、西塔門の正面入口に柵がしてある。

これでは、西塔門からアンコールワットの境内に入る事が出来ないではないか!

2007年9月10日より規制されたらしい。つい1ヶ月足らず前の事だ。


13:22

西塔門から、中央祠堂を望む。

6月に来た時の「アンコール遺跡群への旅」のサイトに次の様に書いた。

西塔門に向って歩いていくと、門の開口部に今まで全く見えなかった、アンコールワットの中央祠堂のシルエットが浮かび上がる。

とても、ドラマチックな演出だ。素晴しい視覚表現だ。

残念な事に、もうこの感動は味わえない。


13:24

ガッカリして向って右側の入り口から入ると、前回どうしても見つけられなかった「歯を見せて笑うデヴァター」の像を見つけた。

悪い事ばかりではなさそうだ。



13:30  4ヶ月ぶりのアンコールワット。雨季のせいか雨に濡れてくすんで見える。


13:32

第一回廊に入ると、ここも規制され一方通行になっている。

2007年9月10日より、第一回廊は逆時計回りとなり時計回りの通行が禁止された。


13:36

2007年10月1日より、第三回廊は入場禁止になった。

これは、中央祠堂の痛みが激しく、崩落事故の可能性があり、マナーの悪い観光客のいたずら等を考慮して閉鎖したと言う。

先程の一方通行といい、仕方が無い事かも知れないが、写真家の方のブログに「アンコール遺跡は、今の状態の瞬間を写さないと、後から後悔する」と書いてあったが、本当にそう思う。

前回、登っておいて良かった。


13:42

バケツをひっくり返したようなすごい豪雨だ。

クメールの祠堂は、先が緩やかに逓減しながら尖る「砲弾型」とも「とうもろこし型」言われる。

その理由はこの豪雨対策にある。祠堂の表面を雨水が速やかに排水される為だ。

祠堂の形は見た目だけでなく、カンボジアの自然環境の実用にそった形なのだ。


13:43

外は豪雨なので回廊の仏像を見て回る。

石像の首に穴が開き、頭部を連結させる鉄の棒が残っている。

と言うことは、頭部と胴体は別々に作り後から連結した。


13:44

こちらの石像をはじめ、回廊の仏像は皆同じ穴が開いている。


14:08

有名な「乳海攪拌のヴィシュヌ神」のレリーフ。

この乳海攪拌の拓本の写真を先日見た。

実物より迫力があり、素晴らしいものだった。


14:24

上智大学アンコール遺跡国際調査団によって、現地のカンボジア人により修復中の西参道。





16:16

GHに帰ってシャワーを浴びて、近くのスターマートでアイスコーヒーを飲んで一服。


Phnom Bakheng 年代:  9世紀後半
創建者: ヤショーヴァルマン1世
宗教:  ヒンドゥー教

17:21

GHのトゥクトゥクに乗って、プノンバケンに夕日鑑賞に向う。

GHのツアー料金は7ドル。

今回の旅では、アンコールの三聖山のプノンバケンとプノンボックに登り、三聖山を制覇しようと思う。(プノンクロムは登山済み)


17:29

夕方のプノンバケンは、思った以上に大勢の人だ。

雨季のこの天気では、90パーセント以上夕日は見えないと思う。

「ふうみん」は、遺跡を見るのが主目的だから良いけどね。



17:34  プノンバケン遺跡は、思っていた以上の大きな丘状ピラミッド式の寺院だ。5層の基壇の上に5つの祠堂を持つ寺院は、メール山を象徴している。


17:41

遺跡の上に狭い階段を苦労しながら登ると、夕日見物のたくさんの観光客がいた。



17:45  プノンバケンから、熱帯雨林の中にアンコールワットを望む。


17:52

秋の日はつるべ落としだ。

あっという間に暗くなる。

足元に気をつけながら、急いで下山する。





19:42

今日の夕食はGHで、アンコールビールとお気に入りのジャーマンポテトを注文。

ビールを飲みながら、GHの情報ノートを読む。

これも、GHに宿泊する楽しみの一つかも知れない。



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