行程2日目(通算39日目)

スピアンプラトス、サンボールプレイクック、プノンソントック、バコンへ




7:22

朝食の「味噌汁」を久し振りに飲んだ。

「旨い!」

やはり、日本人ナンだ〜な。


8:11

今日は、GHのカンボジア人のマネージャー「key」の運転でサンボールプレイクックに向う。

従業員の「Ko」も同乗する。

車はHONDAの4駆、SUV車のCRVだ。きれいに洗車してある。

ツアー代金は120ドル。


8:46

途中の4号線沿いのマーケットで軽食を購入し、一休み。


Spean Prar Tos 年代 : 12世紀末
創建者 : ジャヤヴァルマン7世

9:10

コンポンクデイにあるアンコール時代の橋、スピアンプラトスに着いた。

12世紀末ごろにジャヤヴァルマン7世が建造させた、王道に架けられたラテライト製の橋だ。

アンコール時代の石橋は、全長約90メートル、幅約15メートルと現存するものとしては最大級のものだ。


9:11

欄干のナーガは9の頭を持つ。

それだけでなく、胴体の5つ頭のナーガがすごい迫力だ。


9:12

スピアンプラトスの橋を見ると橋桁の幅が広い。これだと、水の抵抗が大きいのでは?と感じた。

クメールでは、「アーチ」の技術がなかったので「迫り出し構造」になり、広い空間が作れなかった。

しかし、フランスの研究者の発表ではダムの機能を兼ね備え、水位をコントロール出来たと言う。

それならば、橋桁の幅が広いのは納得出来る。


9:14

この石橋は、数年前にやっと迂回路が出来るまで、国道6号線の橋として現役で使用されていたと言うから驚きだ。

戦車や何十トンもあるトラックも行き来していただろうに。

現在、自動車は通行止めになり、バイクや自転車や馬車が通る。

…のどかな光景だ。


10:25

コンポントム(Kompong Thum)の中心にある、象とトラの像は街のシンボルだ。


10:47

コンポントムのセン川沿いを北上する。

直ぐにダートになり、その内に写真を撮る暇もないような、ものすごい悪路になる。


11:12

国連ボランティアとして赴任し、銃撃により亡くなった中田厚仁さんが殉職された地の「アツ村」を過ぎる。

平成5年4月8日に殉職。

まだ、25歳という若さだった。合掌。


Sambor Prei Kuk 年代:  7世紀前半
創建者: イーシャーナヴァルマン1世
宗教:  ヒンドゥー教

11:20

オークルケー川の橋の手前に、ツーリストオフィスがある。

橋を渡り、1キロほど行った所の駐車場にCRVを停める。

サンボールプレイクックは「豊かな森」を意味すると言う。



ガイドからもらったサンボールプレイクックの地図。遺跡は北・南・中央と分けられる。


11:31

駐車場から近い北遺跡から見学しょう。

カンボジア人の子供の売り子がたくさん纏わり着いて来る。他に見物客が居ないので仕方がないか。

サンボールプレイクックという遺跡の名は20世紀に付けられた名前で、この都市は当時イーシャーナプラ(伊奢那城)と呼ばれていたと言う。

レンガ造りの祠堂は、イーシャーナヴァルマン1世により7世紀に建造された。


11:32

駐車場から入って右側の祠堂に女神ドゥルガーの彫像がある。この像は2006年、コピーが祠堂内に安置された。

本物はプノンペンにある国立博物館に収蔵されている。

ドゥルガーとは、シヴァ神の配偶神のひとりでインドでは凶暴な女神とされ、内臓を口に銜えて水牛を踏みつけて血まみれになった恐ろしい姿をしているが、カンボジアでは温和な女神として崇められている。

体をくねらせているのは怒りを表しているというが、「ふうみん」には優雅な曲線に思える。


11:43

祠堂の中にはヨニとリンガが安置され、シヴァ神が祀られていた。

この辺りを見学中にマネージャーの「key」が、ガイドを同行して来た。

ガイドから、地図(上記の地図)をもらう。


11:54

南遺跡の八角形祠堂。

8面に空中宮殿(フライングパレス)のレリーフが施されている。


11:54

空中宮殿(フライングパレス)。

サンボールプレイクックの幾つかの煉瓦造りの祠堂には、「空中宮殿」の彫刻によって壁面が飾られている。

宮殿の一番下では、羽のついた人や馬などが宮殿を支えて様に見える。

宮殿の中央には印を結んだ人物が上半身を覗かせている。

彫刻の一部には、漆喰の跡や彩色の跡があり、建設当時は外壁に漆喰が塗られ、彩色されていたのだろう。


11:56

南遺跡の碑文の中には、627年にこの寺院が建造された事が記されている。

イーシャーナヴァルマン一世の治世期の寺院である事の根拠となっている。


12:01

八角形祠堂の内部に入ると、穴の空いた天井からの光が神秘的に差し込んできた。



12:00  サンボールプレイクック様式のまぐさ石。残念ながら近年、人物像の顔が欠き取られてしまったと言う。



12:00  まぐさ石の左右にはマカラがおり、マカラの口からは植物紋のアーチに吐き出している。しかし、左右のマカラは人為的に欠き取られている。


12:02

女性(女神?)像のレリーフ。

人物像はクメール人とは異なり、インドかもっと西方のヘレニズム文化の影響を感じさせる。


12:03

円形装飾メダイヨンが第2周壁西側の内外の壁を飾っている。

円形の枠の中に描かれた図像は、未だに謎だと言う。

この壁の近くにベトナム戦争時のアメリカ軍の空爆の跡があり、壁画の損傷の一つの原因と思う。


12:11

中央遺跡のプラサットタオは、9世紀にジャヤヴァルマン2世がこの地を平定した際に建立された。

この獅子像は、後世のアンコール遺跡の獅子像に比べ素朴で力強い。それにタテガミが立派だ。


12:12

見た瞬間、ガイドに「オリジナル?」と問いかけた。

ガイドの返事は、もちろん「オリジナル!」だ。

まぐさ石、円柱がほぼ完璧に残っている。偽扉が一見コンクリート製(砂岩製)に見えたので、複製されたものに見えてしまった。



12:13  人物や動物像がない為に面白みはないが、素晴らしいレリーフだ。このまぐさ石を見ながら、先程の盗掘されたまぐさ石に比べて人物や動物像がない為に盗掘を免れたと思った。


12:29

北遺跡に戻り、サンボールプレイクック唯一の砂岩の箱型の祠堂(Nー17)を見る。

大きな傷跡はベトナム戦争時のアメリカ軍の空爆ためだ。

歴史のない野蛮なアメリカ人のしたこの事は、日本に対して行なった行為と同じだ。

サンボールプレイクックと法隆寺の創建とは、ほぼ同じ時代だ。古い歴史を共有する民族として、怒りがこみ上げる。


12:30

砂岩の箱型の祠堂(Nー17)に彫られたカーラのレリーフ。

また、屋根の部分の側面(上記写真)には、アーリア系の人物が彫られている。


12:33

今やとても有名な、サンボールプレイクックの象徴的な樹木に取り込まれた祠堂(Nー18)。

このまま朽ちて、土に返って行くのだろうか?


12:35

サンボールプレイクックを親切に案内してくれたガイドさん。

心ばかりのチップを渡す。

「key」に昼食にしょう!と言うと、ここでは食材が新鮮ではないからコンポントムまで行こうと言う。





13:05

途中の村で見かけた豚。

荷台に括り付けられ、観念している様子の豚が何か可愛そうだ。


13:35

コンポントムのアルラスホテルの1階にあるレストランに行く。

このホテルは、2002年にオープンした7階建てのホテル。


13:49

昼食中の、左がGHのマネージャーの「key」、右が従業員の「ko」。

「key」の日本語は上手で、9割方通じる。


14:24

「key」がコンポントムから、20キロほどプノンペン寄りにプノンソントックと言う寺院があり、多分アンコール遺跡がありそうだ。と言う。

早速行って見よう。

途中、石像作りの村を通る。


Phnom Santuk 年代 : ?
創建者 : ?
宗教 : 仏教

14:32

プノンソントックに着いた。何か山頂にアンコール遺跡がありそうな雰囲気だ。入場料、3000リエル。




14:36

プノンソントックの頂上までは、標高207メートル、正面からは809段の階段を登るという。

山の裏側にコンクリートの道がある。かろうじて車1台分だ。

写真よりかなり急坂なので慎重に走る。

後ほど、ドラーバーの「key」はもう二度と走りたくないと言った。


14:43

頂上の駐車場に車を停めると、目を疑った。

ペンキで彩色された鶏だ。

日本の縁日などで彩色された「ひょこ」を見たことがあるが、こんなのは初めて見る。

何か、い〜やな、予感が。


14:50

寺院が建っていたが、ポストアンコールのまだ新しい建物のようだ。

右手に本堂があり、カンボジア人の2人はお線香を買いお祈りする。

「ふうみん」もお付き合いするが、飾られている仏具は新しいものだ。


14:51

本堂の横に一対の獅子像があった。

これは間違いなくアンコール遺跡だ。しかし、横の安っぽく塗られたナーガ像を見ると興ざめだ。


14:55

自然石に彫り込まれた、仏像や何だか分らない像。

何でも石像は1000体を越すという。


14:56

大きな涅槃仏が彫られていた。


15:00

見た瞬間、アンコール様式の像でも彫られていたら?と期待をしたが何もなかった。思わせぶりな岩。

カンボジアでは、古来より山岳信仰や巨石信仰といったアニミズムがあり、それがヒンドゥー教や仏教と言う体系化された宗教のもと発展して行った。



15:01  サンボールプレイクック(イーシャナプラ)の聖山(リンガパルバータ)はどこにあったのだろうか?このプノンサントックであったと言う説もあるが、その形跡は全くない。


15:03

この空井戸は、トンレサップ湖までつながっているという伝説があるとの事。


15:05

仏像の結界石に囲まれた石、何か神聖な印なのだろう。

プノンソントックはアンコール遺跡を期待して行くと裏切られるが、カンボジア人のブッダパーク(タイによくある)と思えばいい。

「key」によると、シアヌークが若い時にこの寺院で修行をした名刹だと言うが?


Bakong 年代:  881年
創建者: インドラヴァルマン1世
宗教:  ヒンドゥー教

17:53

運転していた「key」が話しかけてくる。「バコンに寄りますか?」

バコンはアンコール遺跡の入場券を持っていないと入れないが、この時間なら裏口から入れると言う。

裏口から入ると、夕暮れにそびえるバコンの15メートル中央祠堂が青空にシルエットとして映える。

こんな時間なのに、韓国人観光客が多く居る。ある面、彼らのパワフルさに脱帽。


17:54

バコンの壁に、1ヶ所だけに残された阿修羅の戦闘場面は夕闇の中で青白く見える。



17:56  中央祠堂から西側を見ると、雨季の雨雲の間に夕焼けが望めた。すご〜く、得をした気分だ。





19:23

今日の夕食はアンコールビール2本とおつまみのジャーマンポテト。この後、ジャーマンポテトが気に入り、いつもビールの友となる。

その後、豚カツを頼むが食べ切れなかった。

手伝いの日本人の女の子に「だいぶ残しましたね!」と言われた。

夕食代、6,25ドル。



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