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■アイホーレについて
バーダーミから約33キロ離れているアイホーレ(Aihole)は、前期チャールキア朝の最初の都が置かれた場所であり、後にバーダーミに遷都した。
前期チャールキア朝、ラシュートラクータ朝、後期チャールキア朝の6世紀から12世紀にわたる寺院が大量に残っている。
今も半壊しているものから小堂までを数えれば100以上の寺院が残っており、中世建築の揺籃の地として、様式が確立していく過程がみられる。
インド政府は2012年から世界遺産登録を目指し、遺跡の整備を始めたという。
■アイホーレの遺跡地図
アイホーレ村の遺跡地図を、グーグルマップを参考にして作成してみた。
印は「ふうみん」が見学した場所。 |
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アイホーレの遺跡公園 |
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アイホーレ村の狭い路地を走る。対向車とすれ違いが出来ない様な道だ。正面に遺跡公園の寺院のシカラが見えて来た。 |
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ドゥルガー寺院の一帯は遺跡公園になっている。遺跡公園の入場料は200ルピー。 |
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ドゥルガー寺院(Durga Temple) |
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ドゥルガー寺院(Durga Temple)は、640~680年頃に建てられたアイホーレ最大の寺院で、仏教のチャイティア堂に範をとり前方後円形をしている。後円形の祠堂の上にはインド北方型のシカラ(高塔)を載せている。
寺院プランでブロック状の石を積み上げてヒンドゥー教寺院を本格的に建造し始めたのは、ポストグプタ期の6~7世紀頃からでドゥルガー寺院はその代表的な建造物である。下記写真のサーンチーの第18寺院とよく似た構造を示す。 |
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「サーンチーの第18寺院」は7世紀中期の建造。馬蹄形のプランをした祠堂で、列柱は残っているが内陣部のストゥーパは失われている。
仏教系の祠堂としての特徴的な構造は馬蹄形プランといえる。この第18寺院は崩壊著しいが、馬蹄形プランで内陣部を除く身廊部に石造の高い列柱を並べ、内陣と外壁を煉瓦積みにし、木造の上部構造をつけていた興味深い建築である。 |
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ドゥルガー寺院の入り口は、日曜日のせいか観光客で混雑していた。
ドゥルガー寺院のドゥルガー(Durga)とはシヴァ神の妻ではなく、城砦(durgadagudi)という意味で、この寺院はビシュヌ神を祀っている。 |
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入り口のリンテルが面白い。両手に3匹づつのナーガを抱えた、ガルーダが彫られている。この様な意匠は初めて見た。その上部の宮殿は、天国の都の状況をあらわしているという。 |
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聖室に置かれた台座、上部の神像(多分、ビシュヌ神)は撤去された。 |
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ドゥルガー寺院は、建物全体を吹き抜けの回廊で囲んでいる。 |
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シヴァ神像。寄り添うように乗り物のナンディが居る。 |
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向かって左半身がシヴァ神、右半身がヴィシュヌ神であるハリハラ像。 |
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窓の透かし彫りに「卍」の印が彫られている。この、卍(まんじ)とは、ヒンドゥー教や仏教で用いられる吉祥の印だ。 |
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ラドカーン寺院(Ladkhan Temple) |
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ラドカーン寺院(Ladkhan Temple)は高い基壇上に東に面して建築され、正方形の本殿に張り出した形でオープンマンダバを設けている。初期チャールキア朝の寺院で、木造建築の名残りが残っている。 |
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屋根の上には小堂が設けられ、ゆるい傾斜の屋根の上には木に見立てた石棒で屋根を押えている。 |
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ラドカーン寺院は裁判などが行われた場所といわれる。入り口の柱には仲睦まじい男女の彫刻(ミトゥナ像)がある。 |
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オープンマンダバの石柱に彫られた、怪獣キームティムカから吐き出される花環。この花(マリーゴールド)は、死の国へと旅立つ死者の供養にと、水に流した花が再び生命を得て吐き出されている。 |
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ラドカーン寺院は、後の時代に部屋の外に出るナンディ像がマンダバ中央にあり、奥の聖室内のリンガと向き合っている。
窓の透かし彫りから入る光が神秘的な空間を醸成している。 |
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その他の寺院 |
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ゴウダラ寺院(Gaudara Temple)は遺跡公園内で一番古い5世紀に造られた寺院といわれており、地面より一段と掘り下げられて建てられている。その為か、最近になって発掘されたという。この寺院は木造建築を模したもので、上記ラドカーン寺院の原型と考える。 |
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スルヤナラヤ寺院(Suryanarayana Temple)。 |
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博物館(Museum) |
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遺跡公園の博物館、内部は撮影禁止。博物館の入場料は5ルピー。 |
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シバリンガとチャームンダーが彫られ、右側は欠損しているが妻のパールバティが居たと思われる。 |
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博物館の前庭に置かれた八母神像。右端にガネーシャがいる。 |
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フッティマディグリ寺院(Hucchimali Gudi Temple) |
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遺跡公園を出て、数分走った所にフッティマディグリ寺院(Hucchimali Gudi Temple)がある。フッティマディグリ寺院は、6世紀に建立された前期チャールキア朝の代表的な寺院。北方型のシカラを持っている。 |
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ラーヴァナパディ石窟寺院(Ravana Phadi Cave Temple) |
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ラーヴァナパディ石窟寺院(Ravana Phadi Cave Temple)は、6世紀に造られた古い石窟寺院でバーダーミの石窟寺院と共通するレリーフもある。 |
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入り口の両端には、門衛神ではなく太鼓腹で財宝の守護神のクベーラが彫られていた。 |
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左側の壁面に彫られた、10本の腕を持つ踊るシヴァ神像。 |
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踊るシヴァ神像の左側に彫られた、次男のガネーシャ像。 |
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右側に彫られた、顔の欠けた長男のスカンダと妻のパールバティ像。 |
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水牛の魔人(マヒシャ)を殺す、ドゥルガー像。ドゥルガーが水牛の尾をつかみ、片足で背を踏みつけ、三叉戟で水牛を貫く。最も古い構図といわれている。 |
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聖室内に安置されたシヴァリンガには、粗いノミの跡が残されている。 |
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聖室の横に2体の彫像がある。左はシヴァ神で頭飾りに頭蓋骨が描かれている。右はハリハラ神でヴィシュヌとシヴァの合体神。 |
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石窟寺院の周りには幾つかの小祠堂が建っている。多分、後世に造られたのだろう。 |
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ラーヴァナパディ石窟寺院の基壇上の入り口から、レンタカーとアイホーレの村を望む。のどかな田園風景が広がる。 |
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ラーヴァナパディ石窟寺院前の道路の正面に、岩山の頂上寺院が見える。このメーグティ寺院(Meguti Temple)はアイホーレ最古の寺院といわれている。
メーグティ寺院見学のため岩山の下に車を停めると、悪ガキが寄って来て物品をねだる。そのねだり方は、まさに強請りだ。家人の「yayo」は身と駐車した車への危険を感じ、ここから離れようと言う。
残念だが仕方がない。遺跡見学を断念し、レンタカーを発車してアイホーレ村と別れる。 |
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