5.アイホーレ(Aihole)

パッタダカルからアイホーレまでは、車で14キロ30分程の距離。




5.アイホーレ(Aihole)


■アイホーレについて

バーダーミから約33キロ離れているアイホーレ(Aihole)は、前期チャールキア朝の最初の都が置かれた場所であり、後にバーダーミに遷都した。

前期チャールキア朝、ラシュートラクータ朝、後期チャールキア朝の6世紀から12世紀にわたる寺院が大量に残っている。

今も半壊しているものから小堂までを数えれば100以上の寺院が残っており、中世建築の揺籃の地として、様式が確立していく過程がみられる。

インド政府は2012年から世界遺産登録を目指し、遺跡の整備を始めたという。


■アイホーレの遺跡地図

アイホーレ村の遺跡地図を、グーグルマップを参考にして作成してみた。

印は「ふうみん」が見学した場所。


アイホーレの遺跡公園



アイホーレ村の狭い路地を走る。対向車とすれ違いが出来ない様な道だ。正面に遺跡公園の寺院のシカラが見えて来た。



ドゥルガー寺院の一帯は遺跡公園になっている。遺跡公園の入場料は200ルピー。


ドゥルガー寺院(Durga Temple)



ドゥルガー寺院(Durga Temple)は、640~680年頃に建てられたアイホーレ最大の寺院で、仏教のチャイティア堂に範をとり前方後円形をしている。後円形の祠堂の上にはインド北方型のシカラ(高塔)を載せている。

寺院プランでブロック状の石を積み上げてヒンドゥー教寺院を本格的に建造し始めたのは、ポストグプタ期の6~7世紀頃からでドゥルガー寺院はその代表的な建造物である。下記写真のサーンチーの第18寺院とよく似た構造を示す。



「サーンチーの第18寺院」は7世紀中期の建造。馬蹄形のプランをした祠堂で、列柱は残っているが内陣部のストゥーパは失われている。

仏教系の祠堂としての特徴的な構造は馬蹄形プランといえる。この第18寺院は崩壊著しいが、馬蹄形プランで内陣部を除く身廊部に石造の高い列柱を並べ、内陣と外壁を煉瓦積みにし、木造の上部構造をつけていた興味深い建築である。



ドゥルガー寺院の入り口は、日曜日のせいか観光客で混雑していた。

ドゥルガー寺院のドゥルガー(Durga)とはシヴァ神の妻ではなく、城砦(durgadagudi)という意味で、この寺院はビシュヌ神を祀っている。



入り口の装飾。



入り口のミトゥナ像。



入り口の女神像。



入り口のリンテルが面白い。両手に3匹づつのナーガを抱えた、ガルーダが彫られている。この様な意匠は初めて見た。その上部の宮殿は、天国の都の状況をあらわしているという。



聖室に置かれた台座、上部の神像(多分、ビシュヌ神)は撤去された。



ドゥルガー寺院は、建物全体を吹き抜けの回廊で囲んでいる。



シヴァ神像。寄り添うように乗り物のナンディが居る。



ヴィシュヌ神の4番目の化身、人獅子ナラシンハ像。



ヴィシュヌ神像。足元には乗り物のガルーダが居る。



水牛の魔人(マヒシャ)を殺す、ドゥルガー像。



向かって左半身がシヴァ神、右半身がヴィシュヌ神であるハリハラ像。



野猪(ヴァラーハ)に化身した、ヴィシュヌ神像。



窓の透かし彫りに「卍」の印が彫られている。この、卍(まんじ)とは、ヒンドゥー教や仏教で用いられる吉祥の印だ。


ラドカーン寺院(Ladkhan Temple)



ラドカーン寺院(Ladkhan Temple)は高い基壇上に東に面して建築され、正方形の本殿に張り出した形でオープンマンダバを設けている。初期チャールキア朝の寺院で、木造建築の名残りが残っている。



屋根の上には小堂が設けられ、ゆるい傾斜の屋根の上には木に見立てた石棒で屋根を押えている。



ラドカーン寺院の右手には2基の小祠堂がある。



ラドカーン寺院は裁判などが行われた場所といわれる。入り口の柱には仲睦まじい男女の彫刻(ミトゥナ像)がある。



オープンマンダバからマンダバ入り口を望む。



オープンマンダバの天井の蓮の花の彫刻。



マンダバの入り口。



オープンマンダバの石柱に彫られた、怪獣キームティムカから吐き出される花環。この花(マリーゴールド)は、死の国へと旅立つ死者の供養にと、水に流した花が再び生命を得て吐き出されている。



ラドカーン寺院は、後の時代に部屋の外に出るナンディ像がマンダバ中央にあり、奥の聖室内のリンガと向き合っている。

窓の透かし彫りから入る光が神秘的な空間を醸成している。



ラドカーン寺院は窓の透かし彫りが美しい。



ラドカーン寺院は窓の透かし彫りが美しい。


その他の寺院



ゴウダラ寺院(Gaudara Temple)は遺跡公園内で一番古い5世紀に造られた寺院といわれており、地面より一段と掘り下げられて建てられている。その為か、最近になって発掘されたという。この寺院は木造建築を模したもので、上記ラドカーン寺院の原型と考える。



スルヤナラヤ寺院(Suryanarayana Temple)。



Badiger Temple。



Chakra Temple。



Chappara Temple。



nameless temple。


博物館(Museum)



遺跡公園の博物館、内部は撮影禁止。博物館の入場料は5ルピー。



シバリンガとチャームンダーが彫られ、右側は欠損しているが妻のパールバティが居たと思われる。



博物館の前庭に置かれた八母神像。右端にガネーシャがいる。


フッティマディグリ寺院(Hucchimali Gudi Temple)



遺跡公園を出て、数分走った所にフッティマディグリ寺院(Hucchimali Gudi Temple)がある。フッティマディグリ寺院は、6世紀に建立された前期チャールキア朝の代表的な寺院。北方型のシカラを持っている。



建物の外にナンディ像が置かれている。



左側に立派な階段池を備えている。



ビラスターの下部のレリーフ。



聖室にはシヴァリンガが、安置されていた。



天井の蓮の花のレリーフ。



本殿の左側にある小さなシヴァ祠堂。



小さなシヴァ祠堂に、ミトゥナ像を見つけた。


ラーヴァナパディ石窟寺院(Ravana Phadi Cave Temple)



ラーヴァナパディ石窟寺院(Ravana Phadi Cave Temple)は、6世紀に造られた古い石窟寺院でバーダーミの石窟寺院と共通するレリーフもある。



入り口の両端には、門衛神ではなく太鼓腹で財宝の守護神のクベーラが彫られていた。



左側の壁面に彫られた、10本の腕を持つ踊るシヴァ神像。



踊るシヴァ神像の左側に彫られた、次男のガネーシャ像。



右側に彫られた、顔の欠けた長男のスカンダと妻のパールバティ像。



水牛の魔人(マヒシャ)を殺す、ドゥルガー像。ドゥルガーが水牛の尾をつかみ、片足で背を踏みつけ、三叉戟で水牛を貫く。最も古い構図といわれている。



野猪(ヴァラーハ)に化身した、ヴィシュヌ像。



聖室内には、シヴァリンガが安置されている。



聖室内に安置されたシヴァリンガには、粗いノミの跡が残されている。



聖室の横に2体の彫像がある。左はシヴァ神で頭飾りに頭蓋骨が描かれている。右はハリハラ神でヴィシュヌとシヴァの合体神。



石窟寺院の周りには幾つかの小祠堂が建っている。多分、後世に造られたのだろう。



ラーヴァナパディ石窟寺院の基壇上の入り口から、レンタカーとアイホーレの村を望む。のどかな田園風景が広がる。



ラーヴァナパディ石窟寺院前の道路の正面に、岩山の頂上寺院が見える。このメーグティ寺院(Meguti Temple)はアイホーレ最古の寺院といわれている。

メーグティ寺院見学のため岩山の下に車を停めると、悪ガキが寄って来て物品をねだる。そのねだり方は、まさに強請りだ。家人の「yayo」は身と駐車した車への危険を感じ、ここから離れようと言う。

残念だが仕方がない。遺跡見学を断念し、レンタカーを発車してアイホーレ村と別れる。


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イサーンの大地走行2000キロプラス バーダーミへの招待
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