1 カジュラホ遺跡について
■カジュラホ遺跡(KHAJURAHO)

●見学について

・世界遺産登録…1986年
・開場館時間…日の出~日没
・休み…ナシ
・入場料…西群のみ250ルピー、東群、南群は無料
・考古学博物館…入場料は西群のチケットと共通、写真撮影は不可
・食事…カジュラホ村の東群周辺に何軒もの食堂がある


●カジュラホ寺院群

9世紀にラージプート族がカジュラ(ナツメヤシの意)に定着し、月の神チャンデーラを名乗りチャンデーラ朝が成立した。そのチャンデーラ朝は950~1050年頃に最盛期を迎え、カジュラホを首都として寺院都市を建設した。

カジュラホには85ヶ所の寺院が建設された。カジュラホの寺院群は、細い釣鐘状の塔の上部全体をシカラと呼ぶ北方式の典型例を示し、当時の寺院は金で覆われて光り輝いていたといわれている。

14世紀にイスラム勢力の進出によりチャンデーラ朝は衰退し、このイスラム支配下で多くの寺院が破壊された。その後、カジュラホは忘れ去られ、熱帯雨林の中に覆いつくされてしまった。そのおかげで寺院の全滅を免れる事ができた。

1838年、イギリス人バート大尉によりカジュラホ寺院群が発見される。第2次世界大戦後に修復・整備が行われた。

現存している寺院は25ヶ所で、東西約2キロ、南北約3キロの約6平方キロの範囲に分布している。(左図参照)

・西群…ヒンドゥー教寺院で構成され、もっともよく建物が残存している
・東群…ジャイナ教寺院が主体のグループと郊外のヒンドゥー教寺院に別れる
・南群…2か所のヒンドゥー教寺院で構成される

以上の三つの寺院群にわけられる。


●ミトゥナ像(男女交合のエロティックな彫刻)について

ミトゥナとは、もともと「男女一対」の意味であるが、ヒンドゥー教神学の教えでは、実体を表わす男神と現象を表わす女神の性的合一によって、実体と現象の相即、すなわち自然界・人間界の神への帰一、また神の自然界・人間界への顕現が象徴的に表わされているとされる。

その他の説として、魔除け、客寄せ、信者の信仰心を試すリトマス試験紙・・・など様々であり、断定はされていない。






「カジュラホへの招待」について


2012年11月、ムンバイからレンタカーを駆って2週間ほどデカン高原を中心としたインド中部の遺跡巡りをした。

その時の旅行記は  に載せたが、載せきれない膨大な量の遺跡の写真が残った。

そこで、大きなサイズの写真を多用した「インドの遺跡シリーズ」を制作しようと思い、この「カジュラホへの招待」を作成した。

2015年6月 「ふうみん」


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イサーンの大地走行2000キロプラス カジュラホへの招待
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